お花畑
馬車で着いた景色に目を見張る。一面に広がるお花畑。
うわあ、すごい。私には植物の名前なんて分からないけど、この季節でもこんなに咲いてるものなんだ。
「へえ。資料で見ていたけど思ったよりすごいね」
レイも感心している。彼は私の腰を引き寄せて、密着しながら歩いている。もう外でもお構いなしだ。恥ずかしいがまったくいやじゃないどころかとても嬉しいので、リリーにはバレてるしバカップル上等だとそのままにした。レイも喜んでいる。
私達の後ろでリリーはハミルトン先生にエスコートされていた。二人が手を繋いでいるなんて、それも新鮮だ。リリーも嬉しそうにはにかんでいる。可愛い、素敵。あまり見るとレイがやきもちを妬くから今はお花を見つめよう。
しばらくはお花畑を回っていた。時折リリーやハミルトン先生が花の名前を言ってくれる。ありがたいけどまったく分からないわ。でも三月なのにこんなに花があるなら、他の季節にはどれだけの花が咲いているのだろう。恐らく地球では冬に咲かない花やこんな北の地方では咲かない花も咲いている。地球にはない花もあると思う。
この世界って全体的に植物が強いのかな? 領の南とはいえ茶畑もあるそうだし。
「ここが観光スポットになるんですか?」
ハミルトン先生が不思議そうに呟く。私からしたらすごくても、ハミルトン先生には日常の風景なのね。
「もちろん。春夏秋冬で咲く花が変わるならいいね。特に魔法を使っていないのに冬に咲く花がこれだけあるのはいいよ」
「王都なら年中いつでも見られませんか?」
「人工物と自然物を一緒にすることはない。自然で見られることが重要なんだ。そもそも、貴族ならともかく大衆は王都の庭園にいつでも入れるわけではないし」
レイは花から顔を上げて周りを見回す。
「景観だけじゃなくてご当地のものが何かないと。見るだけじゃ経済は回らない。園を有料化するよりもそれに付随する何かにしたほうが古参客からの文句も出ないし、新規客が足を運びやすい。ただ、無料だからと花を盗られないように監視が必要だね。囲いを作って……魔法もいいけど、直接人の目があるということは重要だよ。治安が悪くならないように警備の配置を考えて……」
それからもすらすらといろいろなアイディアが出てくるレイに言葉を失う。ハミルトン先生も最初は呆けていたけどだんだん目が真剣になってきた。今は教師よりも領主って感じだ。
だんだん二人の話も細かく難しくなる。席を外したほうがいいんじゃ、と思ってもレイは離してくれない。まあお花を見つめていられるからいいか。
「むしろここの担当は何をしていたんだ。こんなにいい花畑があるのに。怠慢だな」
「すみません……」
恐縮する先生にレイが首を横に振る。
「先生やここに住む人々は悪くない。生まれた時から身近に感じているものは特別とは感じにくいものだ。だからこそ外から助けをする観光促進の部署があるのに」
ち、と舌打ちをする。部署の人に怒っている。これは、帰った後もレイ忙しくなりそうね。
「それなんですけど……父にああいう説明をして良かったんですか? 確かに私達は婚約をしたわけではありませんし職業からして本当のことは言えませんが」
ハミルトン先生がリリーと目を合わせる。もし二人が婚約できるようにこの領を裕福に、なんてことを言えばまず教師と学生であることを指摘されただろう。ワイズ男爵が賛成しても反対しても問題になる。それに時間を取られるわけにはいかないという判断だ。
リリーが不安そうに眉を下げたので私も不安になった。レイを見上げると安心させるように笑ってくれる。
「大丈夫、もちろん事前に許可は取ってきたよ。観光促進のためというのは嘘じゃない。僕の担当にしてもらった。許可をもらうのは簡単だったよ。自分の無能を棚に上げて何ができるんだって感じで鼻で笑っていたけど、ああいう単純な奴は接しやすくて助かる。担当が無能だから改善の余地は大いにあると思っていたし」
「その人レイをバカにしたの?」
むっとすると何故かぎゅっとされた。
「可愛いけど、クラリスはそんなつまらない奴のこと考える必要ないよ。僕のことだけ考えて」
「レ、レイ、あの、ここ外……」
「今更でしょ」
……そうですね、はい。恥ずかしがってる私がおかしいのかしら。だんだん常識というものが分からなくなってきたわ。
「ところで、レイがしたって分かったらそこからリリーとハミルトン先生の関係に行きつかないかな?」
心配になり小声で囁くも私だけに聞こえるように言葉を放つ。
「関係性が遠いからその可能性は低いと思うよ。一、二年の間とはいえ僕が直接担当してもらった先生だし、それに比べて婚約者の親友と教師が婚約するために、なんて考えに行きつくかな。仮にそういう噂が出ても早い段階で潰すから心配しないで」
潰す方法が怖いけど聞かないでおこう。むしろよろしくね、と発言した。
お昼は近くのカフェで取ることにした。四角い席の辺にそれぞれ座る。リリーがハミルトン先生からもらったチーズケーキのお店にも行く予定らしい。リリーがとても喜んでいた。
「食べさせたらダメなの!?」
席に着くなりレイに大声で文句を言われたがそこは断固拒否した。いくら何でも旅行先でそれはない。
「ルームサービスにすれば良かった……」
悔しそうに唇を嚙んでいる。観光のためはどこにいったの? 旅行の三日間やめてほしいと告げたらものすごくショックを受けていた。嘘でしょ?
「せめて僕が作った物なら……くそっ、旅行なんて二度と行くものか」
レイは何故食べさせることにそんなに全力を注いでいるのかしら。嫉妬深いって大変ね。
「一度も? 三食全部ダメなの? 本当に?」
しつこいのでホテルで取る予定の朝だけは妥協した。部屋で取るかリリー達と席を離すことを条件にしたらリリー達のほうが構わないと言ってくれた。もう、レイったら。
「やっぱり食事も練習しようかな……あ、まず紅茶だ。オーウェンに頼まないと」
……レイの一日は二十四時間では足りなさそう。私関連なのは分かるけど、何を目指しているの?
私達のことよりもリリー達のことを考えてもらいたいので周りに気付かれないようにテーブルの下で手を繋ぐ。レイは俯いて考えていた顔を上げて私と目を合わせてくれた。
「ねえレイ、この後の予定は? せっかくの旅行だもの、私レイと一緒に楽しみたいわ」
「ああ、うん、そうだね。ごめん。花畑の近くに出す店舗をどうしようかと思っているからいくつか回って交渉するつもりだよ」
仕事の目に戻り私の手を一度ぎゅっと握ると資料を取り出して読み進める。うん、仕事しているレイ素敵。
「私が案内する必要はなさそうですね」
苦笑するハミルトン先生にレイは資料をめくりながら答える。
「いや、僕は資料を読んだだけだから。時間は限られているし、いくつか候補がある中で最適なところを教えてくれると嬉しい。明日はまた他の観光になり得る場所へ行くよ」
資料をハミルトン先生に見せつついくつか指差して確認している。また難しい話だ。
「……婚約者さんって、クラリスのこと本当に好きよね」
レイと逆隣に座っていたリリーが小さな声で話しかけてくる。
「クラリスも大好きなのよね? それが分かるから大丈夫だって思えるけど……婚約者さんは何が不安なの?」
不安……。そうか、レイは不安なのか。だから食べさせようとするのか。……繋がっているのこれ?
でも、本来ならたくさんの選択肢があったと誕生日の時に言われた。その選択肢を潰したことをレイはひどいことだとも言っていた。うーん……。
ハミルトン先生との会話に集中しているレイを見つめながらそのことをリリーに話してみる。リリーも微妙な表情になった。
「……それだと、過去を変えない限り安心できる日は来ないんじゃ……そういう魔法ってあるの?」
「ううん、ないわ」
「…………婚約者さんって大変なのね」
リリーがちらりとレイを見る。最初は怖いと言っていたのに、随分と印象が変わってしまった気がする。それがいいことなのかどうか分からない。
視線に気付いたのかレイがこちらを見てくる。
「ん? どうしたの? 大丈夫、疲れてない? クラリスは部屋で休んでてもいいからね。遠慮なく言って」
私どれだけか弱いと思われてるの? 確かにこんなに外を歩くことは初めてだけど、だからこそ新鮮で楽しいと思える。部屋で休んでいるなんてもったいない。
「ううん、大丈夫よ。レイと一緒にいたいわ」
「可愛い……。嬉しいけど、疲れた時はいつでも言ってね」
レイの表情が和らいで頭を撫でてくる。
レイを不安になんてさせたくないのに。過去を変えることはできない。私にできることは、レイを選んだ選択肢が何よりも正しいとレイに思ってもらうこと。結婚してずっと傍にいれば分かってくれるかしら。