リリー視点:将来への不安
見学期間も終わり、選択科目の用紙を提出する日がやってきた。二年生になって二週間ほどは様子見で変更も可能だが、私は結局希望していた授業をほとんど受けることにした。音楽をやらないのは貴族令嬢としてはあまり良くないみたいだけど魔法の授業をたくさん入れてしまったので仕方がないと諦める。
クラリスは音楽でピアノ、美術では座学と実技両方する。もちろん家庭科も入っていて、貴族令嬢らしいスケジュールになっている。
私にとって問題は生物の担当がハミルトン先生になるかどうか、だ。そして担任も。先生の五年間の教師生活のうち二年間が平民エリアで担任を持たず、残りの三年間はずっと同じ貴族クラスの担任をしていたそうだ。だったら可能性は高いのではないかと期待したが、私が分かる範囲で聞くと養父母も婚約者さんもディーン様も担任は違ったらしい。唯一クラリスの両親は三年間同じ担任だったと聞いた。
「それとレイのお父様もね。三人が同い年で同じクラスだったの」
「何か決まりとかあるのかな?」
先生に聞いてみても残念ながら詳しくないと首を横に振られてしまった。クラリスも考えるように顎に手を当てる。
「二、三年は選択科目によってクラスが変わることがあるからそれによるんじゃないかしら? こればっかりはお父様に聞いても分からないと言われてしまったわ。担任を決めるのって校長先生?」
クラリスが逆隣にいた婚約者さんのほうを向いて質問する。彼女の腰を抱いて密着していた婚約者さんはまた隣のディーン様を見つめた。
「ごめん、知らないや。ディーンは?」
「オレも知らねえよ。なるようにしかならんだろ」
ディーン様は私とハミルトン先生のことは知らないのでただ単に来年度の話になっている。
「ま、その通りだね。寄付金の額によって意のままに、ができたら父上達が知っているからないか。残念だな」
さらりと怖いことを言っているのにクラリスは何も反応しない。ディーン様が私を見つめ聞かなかったことにしろ、とばかりに手を横に振った。
「ここは学園独自の法律で治外法権に近いんだからそりゃそうだろ。ったく、善意でしなきゃならねえ寄付金だってーの」
寄付金が集まるのは主に貴族からだが、そこは貴族に相応しい行いをすること、としてよくされるボランティアの一つであるそうだ。
もし意のままにできたとしても私はそんな大金を持っていないのでどのみち無理な話だけれど、結局四月になるまでこの不安は続いてしまうのか。
庭園から校舎までの帰り、婚約者さん達と別れて二人きりになったらクラリスが安心させるように言ってくれた。
「大丈夫よリリー。担任になるか分からないけど、担任にならないって決まったわけでもないわ。それに担任でなくとも準備室に行っていけないことはないんだから。リリーは先生に会いたいんでしょ?」
「うん」
「お昼や放課後生物準備室に行くのは変わらないから、クラスの担任になったり生物の担当になったりした時はラッキーだって喜びましょう」
クラリスはポジティブだなあ。見習わなくちゃ。
放課後、先生の準備室に行く。私の提出した書類を改めて話題にされた。
「何というか本当……令嬢よりも魔術師を目指す人間のスケジュールだな。リリーさんはずっと学年首位だし、卒業後に誘われる可能性は大きいと思うからいいかもしれない」
「魔術師……ですか」
先生は迎えに行くと言ってくれたが、教師としてぎりぎりの30まではしたいはず。結婚適齢期を考えても、先生が教師を辞めるまではどうしようかと思っていた。どうなんだろう、魔術師って結婚してもできるものなのかな。聞いてみれば先生は頷く。
「ああ、もちろん。騎士団みたいに赴任先はあるけど、学園と同じく空間魔法で通勤している人もいるよ。魔術師なら魔具が支給されるから簡単にできる」
「先生はお嫁さんが魔術師っていやですか?」
「俺? 全然。俺がやりたいことをやってるのに奥さんに我慢を強いるなんてひどいだろ。リリーさんがしたいなら応援するよ」
優しく微笑まれて照れてしまい、頬を隠すように両手で包む。お、奥さん……。
だったら、魔術師になるのを選択肢の一つに入れてもいいかな。
将来にわくわくする私とは反対に、先生はふっと自虐するような笑みを浮かべた。
「俺の場合、貴女をもらうには二年の間にどうにかしないといけない問題が多いけどな」
……? 何だろう。
問題といえば、春休みになったらまたハミルトン先生に会えなくなることがいやだ。どうにかして会えないかなあ。
* * *
家に帰り自室に入ろうと廊下を歩いていたらたまたま扉を開けたリオンと鉢合わせした。お帰りなさいと言われてただいまと答える。今まで家庭教師の先生と勉強していたらしい。
「ああそうだお義姉様。春休みにシーウェル領に行く日にちが決まったよ」
具体的な日付を告げられて了承の合図として頭を縦に振る。休みの期間にはシーウェル家が所有する領地に行くこともある。領の統治は重要な仕事で、後々伯爵家を継ぐリオンは魔法などの勉強の他に領に関する勉強も必要なのだ。だからメインはリオンだけど、家族として私も一緒に行ける。シーウェル領は東、海に面している場所だ。初めて海を見たときは感動した。
リオンは家の領地をとても気に入っているようでそこに足を運ぶことをいつも楽しみにしている。今も機嫌が良さそうだ。
「まだお義姉様に見せていない所は山ほどあるんだよ。案内してあげるね」
それは楽しみだ。そんなにあるのなら領に滞在する日を増やしたらどうかと思ったが、お養父様とリオンには王城での仕事もあるので長くいられないと教えられた。
「残念だよね。でもシーウェル家を継ぐ以上仕方がないよ。それに王都にいればいいこともあるから。ああ、もしお義姉様が結婚しても王都なら簡単に会いに行けるよね。領だったら遠すぎて難しいかもしれないから、これもかな」
「え?」
どういうこと? ハミルトン先生は王都に屋敷を構えていないけど。私の驚きとは別にリオンが驚きの眼で私を見てくる。
「まさかお義姉様の好きな人って、王都に屋敷がないほどの人なの?」
「ダ、ダメなの?」
「そりゃあ……。ないってことは爵位が低いか資産が少ないかってことでしょ? シーウェル家の令嬢をそんなところにお嫁には行かせられないよ。こう言ってはなんだけど、政治的に何の得にもならない相手との婚姻は認められないと思う」
「え……」
愕然とする私を心配するように躊躇いながらもリオンは質問してきた。
「ねえ、その人どんな人なの? 爵位を上げるか裕福になるか、どちらかができればお父様や国の許可が降りるよ。僕ができることなら何でも協力するよ」
その前に相手は教師だ。公にできない。私達は想いを確認し合っただけで恋人になってさえもいない。
先生は確かに、分からないと言っていた。私も頑張るとは言ったものの具体的に何をどうすればいいのか分からない。爵位を上げる方法って何があるんだろう。
* * *
結局リオンには何も話せなかった。けれど貴族の結婚に政治が関わることは聞かせられた。私が養子になったのも魔力の高い人間なら良縁が結べるかもしれないからだ。聞くのを諦めたリオンはそれでも応援していると言ってくれたが、貴族が恋愛結婚をするのは珍しいらしい。この国は比較的割合が高いみたいだけど……。
「どうしたのリリー? 何か悩みごと?」
「クラリス……」
朝、私の顔を見たクラリスに開口一番心配そうに言われてしまった。
彼女の場合イシャーウッド家のほうが位が高いが、ロングハースト家も公爵の上互いの両親の同意を得ているため婚姻はスムーズらしい。
爵位も資産も、そして教師という関係も。在学中にお養父様達に話してしまったらハミルトン先生は教師を辞めなければならなくなるかもしれない。それはいやだ。
でも今更先生を諦めるなんてもっといや。先生は私を迎えに行きたいと言ってくれたのに、他の男の人と政略結婚なんてしたくない。
養子を外すのはさすがに失礼だ。それにそうなった場合も、ただの平民の私が貴族である先生と結婚できるのだろうか。
先生に相談しても困らせるだけかもしれない。
「リリー? 何かあるなら言って。私ができることなら何でも協力するわよ」
リオンと同じ言葉だったけど、私はクラリスには頼ることができた。