リリー視点:バレンタイン
二月十四日。その日が近付くにつれて心なしか周りの空気が浮かれている気がする。
バレンタイン、か。今まで私には無縁だった。でも今年は先生に渡したい。買う、となると家族にバレてしまう。本命だと気付かれたら当然次の問題は誰宛て、だ。リオンは紅茶の相手だと感付いているがハミルトン先生だとは知らないはず。教師相手だとは知られたくない。どうしよう。
クラリスに聞いてみたら彼女は毎年買っているらしい。私も作ったことがないので買うしかないかと悩んでいると
「私の家で作る? 週末に作ってラッピングもすればバレないと思うわ。レイにお願いしてみるわね」
と言ってくれた。婚約者さんがスイーツ作りが得意なのは聞いていた。
クラリスは婚約者さんが快く引き受けてくれた、と言っていたがそうは思えない。彼の私に対する好感度は0どころかマイナスに違いないから。クラリスが必死にお願いしてくれたのだろう。
ホールケーキに変化魔法。婚約者さんは材料と道具を用意して簡単に作り方を説明してくれる。紅茶とハミルトン先生の味覚に合った甘さを考えてくれたらしい。クラリスから優秀なのは聞いていたけど、なんで先生の好みまで知っているの? 教えてもらいたいような、そういうことは自分で見つけたいような。
婚約者さんがいつも通り抱きつこうとしたらクラリスが避けて、彼の機嫌が悪くなった。学園ではいつものことだから私は気にしないと告げ、後ろに控えていたイシャーウッド家の使用人の方も今更だと言った。クラリスは初めて知ったようでショックを受けている。婚約者さんがこちらをちらりと見た視線の意味は「よくやった」だろう。去ろうとしたのはクラリスが驚いていた通り、ポーズだったと思う。
ただ、婚約者さんからするのは見慣れていたがクラリスからというのは初めて見た。
照れているのは私だけかと思ったけど使用人の方達もざわざわしていた。ひそひそと話していても距離が近いので私には聞こえてしまう。
「私言いすぎたかしら。レイモンド様がするのは今更、のつもりだったのに」
「そうね、お嬢様のことだからああ言ったら二人きりの時と同じことをしても違和感ないわ」
「いいんじゃないか、お嬢様幸せそうだし」
「レイモンド様が更に図に乗るぞ」
「でもレイモンド様が上機嫌だと俺達を睨んでこないし」
「ああ、男性陣には確かにいいかもしれないな」
「何言ってるのよ、レイモンド様は私達女性にも嫉妬する方よ」
クラリスには聞こえてないのかきょとんとしながら皆を見ている。
「気にしなくていいんじゃない?」
と婚約者さんが言うと分かったというように頷いた。視線が婚約者さんに向いたので二人の間にある空気が更に甘くなる。
クラリス……大丈夫かなあ。いやでも、私と二人の時語る彼女は本当に婚約者さんが好きな空気が出ているし、クラリスがお願いしてくれたからこそ彼は私にまでケーキ作りを教えようとしてくれたのだし。クラリスなら大丈夫よね。
その後も婚約者さんは非常にいつも通りだった。クラリスはこちらをちらちら見ていたけど、もしかして婚約者さんの普段の言動に気付いていなかったのかな。最終的には仲睦まじく、二人きりの世界になっていた。
私は薔薇の作業に集中してしまったが、使用人の方達は微笑ましそうに見ていた。うん、やっぱり大丈夫っぽい。
* * *
バレンタインデー当日。朝ハミルトン先生に会えたけど、抱えているチョコの数を見て目を疑った。うわあ。
「おはようございます」
「お、おはようございます」
朝の挨拶をすればハミルトン先生が少し歯切れ悪く挨拶してくる。すでに紙袋を二つ持っていた。
「……それ全部担当している学生からですか?」
「え? ……あ、えーと……」
担当していない学生からももらってるんだ。
私、先生の人気ぶりを甘く見ていた。
「ぎ、義理だ」
小声で言うがあまり言わないほうがいい言葉だと思う。
関係ない。
先生のバカ。
「リリーさん、あの……」
おろおろする先生の目を見つめる。廊下であるここで私が感情を表に出すわけにはいかない。
「あの。今日も放課後、レッスンをお願いしていいですか?」
チョコはその時に渡すつもりだ。
「あ、ああ……」
あ、先生分かってない。私が手に何も持ってないことを確認して少しだけ落ち込んだ様子の先生を、可愛いと思ってしまった。
放課後準備室に来てみれば、紙袋が倍に増えている。クラスでもほぼ全員の女子が渡していたし、一人で食べられるのかなと心配してしまうほどの量だ。先生はまるで悪いことをしたかのようにそれを隠そうとした。その慌て具合を見ると、なんだか笑ってしまう。嫉妬していたのがバカみたいだ。
「あの……これ」
手に持っていた紙袋から箱を取り出したら先生が目を見張る。次の瞬間にはほっとしたように微笑まれて、「ありがとう」との言葉をもらえた。先生はやっぱり笑顔がいい。
開けてもいいかと聞かれたのでぜひ、と答える。先生は丁寧に箱を開いて、感嘆の声を上げた。
「うわあ、すごいな。薔薇だ。これどうやって作ったんだ?」
魔法で、と言ったらびっくりされる。週末にクラリスの婚約者さんに教えてもらって作ったことを告げた。
「食べ物に変化魔法を? リリーさんは本当にすごいな」
先生はいろいろな角度から眺めている。「食べるのがもったいない」とこちらが照れるほどじっと見つめていた。「記録魔法をしていいか?」と聞かれたので頷く。そこまで言ってくれるなら、頑張って良かったと思う。
用意していた紙皿とナイフ、フォークを出す。二つであることに先生が首を傾げる。
「あの、ここで一緒に食べたらダメですか?」
そう告げれば納得したように微笑みながら頷いてくれた。
「もちろん。嬉しいけど、さすがに俺一人でホールは無理だし一緒に食べられるのはもっと嬉しいよ」
「あまり食べ物関連でお助けにはなれないですけど……」
頑張ります、と言ったらまた笑ってくれた。
「ん? リリーさん、これとても美味しいけど……もしかして俺の好みに合わせてくれた?」
「あ、はい。婚約者さんから教えてもらいました。先生の好みを熟知しているんですね」
「それは……なんでだろうな? 普通に授業で教えていただけなんだが……紅茶に合うようにしてくれたのかな」
それもです、と話せば驚かれた。クラリスが自分が何も言わなくても婚約者さんには分かってしまうと言っていたが、あれはクラリスが特別だからだけではなくて彼が優秀だからということもあるのか。
当然味見はしたけれど私も一口食べてみる。紅茶と同じ、ほんのりとした上品な甘さ。先生はこういうのが好きなんだ。これからもっと知っていけたらいいな。
スイーツ作りが初めてだと知ったらとても驚かれた。
「うわあ……本当にありがとう。少しだけ手作りを期待していたんだけど、予想以上の物だったよ」
先生の笑顔が眩しくて、これからもスイーツを作ってみようかな、と思案する。先生のためなら頑張れそうだ。
「それにしても細かい細工だな……レイモンドさん結構スパルタだったか?」
「ああ、いえ……」
そこまでではなかった。言い方はきつかったが理屈で分かりやすく説明してくれたと思う。オーウェン師匠は自身を厳しいと言ったけど、師匠は口調が穏やかだったのであまりそう感じなかった。レイモンドさんのほうが「違う、やり直し。もっと薔薇のイメージを細かく。細部までしっかり見ろ。花びらの数だけじゃなく彩度や明度も調節しろ」と細かく注意された覚えがある。クラリスが不安そうに見ていたが彼女がいるからか雰囲気は冷たくならなかった。おかげで納得のいくものができたため感謝している。
勇気を出して先生がもらった義理チョコの行方を聞いてみた。曰く、学生の許可をもらって領に送るのだそうだ。
「さすがにこれ全部食べるのは無理だから……というか、俺が領に送るのを知っていてチョコをくれる学生もいるよ」
何と男子学生からももらっているらしい。
……婚約者さんがクラリスと同性の私に嫉妬した気持ちが分かった気がする。尊敬だとしてもいやな気持ちになってしまう。彼がスイーツ作りを努力した理由にも共感できるし、似ているとは言われたくないが彼も好きな人のために頑張っているだけなのだな、と怖さが少しだけ減った。
来年はどうしよう。その時には先生の好みを熟知できているといいな。
余談ですが、リリーはリオンと養父母、それからディーンにもチョコを渡しています。これは市販のです。
クラリスがディーンに渡すのはレイが嫌がりました。両親には渡しています。