二重奏①
うーん。
読書しようと思ったけど集中できなくてやめた。本を閉じて背伸びをする。すると自然と出てくる溜め息。
レイが学園に入ってから三か月が経った。レイの誕生日は祝えたけど、それから二か月の間、ほとんどレイに会えてない。
特にこの一か月は一度も会っていない。学校だけでなく、ヴァイオリンを弾く集まりに出なければならないそうで休日はその練習に時間を取られているようだった。レイはヴァイオリンがとても上手だ。幼い頃から練習しているそれをときどき私の屋敷に持ってきて演奏してくれる。私はレイのヴァイオリンがとても好き。レイの気質そのままの優しい音色。趣味が音楽鑑賞なのは一緒だから、クラシックコンサートのチケットは積極的に取ってくれる。
私もピアノを習っているけれどレイはプロ並みに上手だから一緒に演奏するのは恥ずかしい。レイは私のピアノを好きだと言ってくれるが二重奏は遠慮したい。
そういえば最近は聞いてないな。今度会ったらお願いしてみよう。レイは私が嫌がることはしないから大丈夫だと思うけど、一応二重奏を要求されたときのために練習しておいたほうがいいかな。
屋敷にあるピアノの前に立つ。一曲弾いてみようと楽譜を開いてみて、すぐ閉じた。私が持っている楽譜はどれもレイにもらったものか、レイに演奏したものか、レイと一緒に行ったコンサートで演奏されたものか。何をしてもレイを思い出してしまってとてもじゃないが弾く気になれなかった。
ぐずぐずしている間にお茶の時間になる。今日のスイーツはブルーベリーチーズケーキだ。とても美味しい。のに、食が進まない。いつもレイに食べさせてもらってるからか私の手は動くのが面倒くさくなってしまったようだ。食べないとまたレイに心配させてしまう。自分が会わない間に私が痩せてしまったらレイは今度は何を買い占めてしまうのか。
なんとか口の中に持っていって、残さず食べ切った。うう、美味しいのよ。美味しいのにレイが作ってくれたものが食べたくなる私って。最近多くなってきた溜め息をつきベッドに寝転がる。
ダメだ、レイ欠乏症だ。だから言ったじゃない、レイがいなければダメだって、もうそうなってるって。レイのことを考えれば考えるほど会いたくなってしまう。
忙しいレイの邪魔はしたくない。でも一か月はちょっと限界。ベッドから起き上がり唇を嚙む。
少しだけ。少し顔を見るだけ。そのくらいなら許されるかしら。外出してほしくないと言われた。それは守りたい。でも。外からちらっとだけでも。
レイ。会いたい。
貴族令嬢にあるまじき、私は手紙を出すことも忘れて馬車に乗った。
* * *
レイの屋敷に着いて、馬車から降りて。当然閉まっている門を見て、改めて自分がしていることにパニックになる。いきなり来るなんて非常識だ。そもそもレイが屋敷にいるかどうかも知らない。レイの部屋は門の外側から見られる位置にはないし、やっぱり帰るべきだろうか。ああでもせっかくここまで来たのに、と意味もなくその場をぐるぐる回っていると近くにいた庭師の人が見つけてくれた。勢いのまま質問するとレイは屋敷にいるらしい。どうしよう、と悩む私をよそに門を開けて中に入れてくれて、玄関まで案内してもらった。玄関が開くとレイの執事がまるで待っていたかのように出迎えてくれる。いきなり入ってきた私に気分を害することなく歓迎してくれた。
レイのところの使用人は皆優しい。レイの両親も優しいが、今日はいないようだ。レイに告げてくるという執事を慌てて止める。ちょっと顔を見たいだけ。これ以上彼に迷惑をかけたくない。
そう告げれば不可解と言わんばかりの顔をされたがレイがいる部屋に案内してもらえることになった。
「ありがとう」
ほっとして感謝すると無言でお辞儀される。会話したのは久しぶりかもしれない。レイは私が他の人と話すのを嫌がるので、彼が傍にいるときは他人と直接会話することはない。
名前はヴォルクさん。異国の言葉で“狼”らしい。彼自身は外国人ではないが、両親が旅行好きだったのだとか。かっこいい名前よね、と昔レイに言ってみたら改名しようかなと呟かれたことを思い出す。レイの名前が一番かっこいいし彼に似合っていると思うのでやめてほしいと訴えてなんとか切り抜けた。あれ以来レイ以外の異性と話さなくなった、というか話せなくなった気がする。異性に会うことはほとんどないので、問題ないからいいか。うちの執事は穏やかな感じだが、彼のようにきびきびした雰囲気もいいと思う。
導かれたのは音楽室だった。開いていた扉からちらりと中を見てみると、レイの他に人がいる。レイ以外の同年代の男性なんて初めて見た。プラチナブロンドに青緑色の瞳、気の強そうな外見の男の人だ。やっぱりレイは忙しいんだから、久しぶりに顔を見ることができたしこのまま帰ったほうがいいのかな。
でも何でか男の人に既視感がある。会ったことないはずだけど。
首を傾げていると、ふとこちらを見たレイとばちりと静電気が走ったみたいに目が合ってしまった。
「――クラリス」
名前を呼ばれて隣にいた男性にも顔を向けられる。出ていくしかないようだ。挨拶だけはして帰ろう。
「初めまして、私は……」
「こいつに挨拶なんてしなくていいよ。クラリス、いきなりどうしたの? 何か急用?」
「う、ううん、その……たいしたことじゃないの。ごめんなさい、お邪魔だったよね。私帰るから」
言えるわけがない。自己紹介もできなかったけど頭を下げようとするとすぐにレイの声が聞こえた。
「まさか、君が邪魔なわけないじゃん。邪魔なのはこいつだから。――だからさっさと帰れ」
私に向けるものとは違う突然の冷たい声にびっくりするも男性の方は平然と受けていた。
「はあ? さっきから何なんだよ。演奏の練習するっつったのはてめえだろーが」
「事情が変わった。クラリスと君をこれ以上会わせていたくない」
「おいおい、オレとの約束が先だろ?」
「クラリスより優先するものはない」
「てめえ……怒る気もなくすわ」
男性は大きな溜め息をついて頭をぽり、と掻く。
なんだか申し訳ない。恐縮する私に対しレイがこちらにやってきて手を差し伸べる。
「クラリス、そんなところにいないでこっちにおいで。会えて嬉しいよ」
「う、うん……私も」
会いたかっただけなのよね。もう目的は達成されている。やっぱりお邪魔みたいだから帰ったほうがいいよね、と男性をちらりと見つめると男性の方はぽかんとした表情でレイを見ていた。
「なんだおい、いつも不機嫌そうな顔をしているてめえがどうした?」
「失礼な。クラリスに会えないときにご機嫌なわけないでしょ」
「てめえは……。あー、じゃあまず自己紹介いいか? あんたレイモンドの婚約者だろ? 知ってるしこいつがうるせえからいいや。オレはディーン・アリンガム」
アリンガム公爵家。私やレイの家と同格の富を持つ家だ。無言で礼をする一方で、私はもう一つのことを思い出していた。
そうだ、見覚えがあるはずだ。
彼は攻略キャラクターだ。