リリー視点:今はこれだけで
先生同伴であれば、植物園に入れるようになった。もちろん選択科目で習うようなところへ入ることはできないが、授業で習ったことの復習をさせてもらうことはできる。
私はマンドラゴラを直接引き抜いたりすり潰したりしたわけではないのでそれを体験した。魔法を使わない限り私の力では到底無理だった。私の握力がなさすぎるのかと思ったが「スージーさんがすごいんだよ」と先生は笑った。スージーさんは婚約者がいるのに、なんだか悔しくなってしまう。
「悔しい? 力強くなりたいのか?」
「あ……いえ、そういうわけじゃないんですけど、先生に褒められていいな、と……」
「ん? 俺力が強い女性がいいって言ったことあったっけ? いつだ?」
先生って、抜けてるところがあるよね。私が嫉妬深いだけかな。クラリスの婚約者さんのこと言えないや。でもクラリスは当然だって……。
「俺は力が強いかどうかより自分がやってなかったからって復習のために再挑戦する人のほうがいいと思うよ。リリーさんはすごいな」
穏やかに微笑まれる。ハミルトン先生が学生の時ってすごくモテただろうなあ。貴族の嫡男だった先生が教師になって、私に会うまで独身だったなんて女神様に感謝だ。
「ひゃあっ!」
「――大丈夫か!?」
いきなり悲鳴を上げた私に何があったのかと先生が声を上げる。私は目の前を横切ったものを凝視しつつ首を振った。
「す、すみません。ただ、いきなりでびっくりしてしまって」
そこそこ大きい虫だった。植物園だから当然いるのに……か、可愛くない悲鳴だったな。ハミルトン先生が手を払うようにすると虫が遠くへ行く。風を使った魔法かな。
「リリーさんは虫、嫌いか?」
「いえ、別に。先生も大丈夫そうですね」
「ああ。植物に虫はつきものだからな。慣れたよ」
「私も慣れます」
他にはいないかなと周りを見渡せば先生は安心させるような笑顔を見せてくれた。ああ、やっぱりこの笑顔好き。
「無理はしなくていいぞ。そういう魔法があるから。魔力の消費が激しいけど」
ナタリー先生と会う時の魔法だと説明される。周りを膜で覆う上級の空間魔法だとのこと。
「で、でもそれだと先生とも接触できないんですよね」
「まあそうだけど……上級者レベルに行けば瞬時に取り外せるよ。リリーさん俺に触りたいのか?」
「へ」
私すごく大胆なこと言った? おろおろするも先生はうーんと腕を組んで普通に悩んでいる。
「学園では無理かな。卒業まで待ってくれ」
「は、はい」
せ、先生が鈍感で良かった。先生に聞いたら絶対モテてなかったと答えられそう。
* * *
見学の期間でいろいろ体験してみる。ど、どれもこれも面白い。座学でさえ非常に好奇心を揺さぶられる。
パロディア魔法学園の教師が優秀なことがここで問題になるなんて。
家庭科ではダンスの勉強など令嬢に必要なことは一通りさせてくれるらしい。多くの令嬢にとっては復習にも満たないがお茶会など楽しい授業が多くて人気で、私にとってはありがたい授業が多い。
薬学の先生は想像よりも明るくて、学生が失敗しても笑ってすぐにフォローしてくれる先生だ。魔具の先生は反対にとても真面目だが私が何を質問しても嫌がらず細かく説明してくれた。
「魔具の授業は魔力が低い学生が多いが、王城では魔法が使えないからぜひたくさんの方に受けてほしいと思っている。貴女みたいな好奇心の強い学生は大歓迎だ」
クラリスも魔具は受けることにしたみたいだ。
「私普段家の中にいることが多いから、魔具を知っていると退屈しないかな、と思って」
理由を聞くとあまり笑えない……あの婚約者さん、結婚したら絶対クラリスを外に出さないと思う。お昼の件について何も言われなかったどころかハミルトン先生と約束できたことに「良かったね」とも言われたけど、表情は別のことを語っていた。
――ハミルトン先生との時間を長くしてクラリスに近付かないように。
多分間違いではない。目が合った時反射的にこくりと頷いたら気分良さ気に口の端を片方上げていた。
クラリスから見せてもらった授業も面白そうだった。重なっていてどうしても一つを選ばなければいけない授業以外は受けてしまおうかな。先生は苦笑しながら私の紙を見つめている。
「本当に勉強熱心だなあ。自習できそうな座学なら抜かしてもいいんじゃないか? あ、でも美術史はいいな、俺好き。友人に連れて行かれた見学で興味持って選択に入れたんだ。買うことはできないけど休みの日は時々美術館巡りしている」
「そうなんですか?」
先生が休みに何をしているかなんて知らなかった。美術館かあ、似合うなあ。
「知識だけでもつけておいたらいいかな、と思って。騙されて変な物を買って領民に迷惑をかけるわけにはいかないから」
先生は学生の頃から教師になりたかったらしいがきちんと将来の領主としてワイズ領のことを考えている発言が多い。ワイズ領の人が羨ましい。
土日にも先生に会えないかな。美術館デート。いいな、したい。するにしても偶然を装って……くらいしかダメだろうけど。……な、なんか私ダメじゃない? スージーさんにはバレていたし、先生のストーカーって噂が立ってしまいそうだ。
……あ。そういえば。
「あの、人がどこにいるか分かる魔法って何ですか?」
クラリスの婚約者さんのことは伏せよう。あれを心配性で片付けるクラリスはどこかずれていると思うが、まったく気にしていないので何も言うまい。友人を選んでいた、というのも今なら少々怖いことだと想像がつく。そのおかげで私は助かっているため感謝しているけど、何せクラリスが3歳の頃からの独占だ。初めて会った時敵対視された理由がよく分かる。今認められていることが奇跡だ。
先生は私の言っていることが奇妙だと言わんばかりに眉を寄せる。
「追跡か……魔術師の知り合いでもいるのか? あれは犯罪者の位置を特定するものだぞ、学園では学ばない」
「い、いいえ。き、聞いたことがあって」
「……ああ、レイモンドさんだな」
ぎくり、とするとふふ、と笑われた。
「溺愛を通り越して束縛と噂されているものな。でも安心しろ。彼が使っているなら初級のもの。対象のクラリスさんがレイモンドさんに完全に心を許していないと許可されない魔法だ。貴族の親が誘拐防止のため子どもに使っていたりする。上級を使えるのは魔術師という職業に就いた者だけだし、それを犯罪者以外に使うのは処罰されるから。……って、言っておいてなんだけどあんまり安心できないか? 悪い」
「だ、大丈夫です。クラリスは本当に婚約者さんのことが好きなので納得しました」
婚約者さんもクラリスにベタ惚れだから彼女が嫌がることはしない……というかできないはずだ。私に何も言わなかったのもクラリスが私を大切にしてくれているから。だから二人の関係については心配していない。学園では学ばないが高位貴族の親から教えられるのだとか。相思相愛で
「羨ましい……」
あ、口に出していた。先生が言葉を失ったように口をぽかんと開けている。
「えーと……束縛、されたい、のか?」
「ち、違います!」
さすがにあれほどは無理だ。追跡、という魔法も学びたいわけではない。
「その……ラブラブでいいな、と」
ああ、これも違ったかも。沈黙が怖い。いや、さすがに外でうんぬんかんぬんは遠慮してほしいけど。
「…………ごめんな。俺が教師だから」
「……いいえ」
私に触れるのを躊躇うように、先生は百合の花に触れる。でもその手つきがとても優しいから。それだけでいいの。今は。
同じ空間にいられる、それが幸せ。