リリー視点:膨れ上がった先は
「行ってきます」
自室、私が挨拶した相手はサボテンだった。棘には触れないので声をかけるだけ。先生がムシトリスミレをこの子と言っていた気持ちが分かった気がする。冬休み、私が一番話しかけた相手はこの子かもしれない。私の部屋に先生からもらったサボテンがある。先生からもらった物というだけで気分が上がった。
私が渡した百合の花は冬休みの間先生の自室にあったらしいが今は準備室にある。他のサボテンもそうだ。隣同士で置いてあるそれ。
「休みじゃなければ俺は大抵ここにいるから、世話をするならここに置いたほうがいいんだ」
そう先生は説明してくれた。準備室に入って植木鉢を見る度心の中でそわそわしてしまう。
そして、先生からは誕生日のお礼として栞を渡された。少し大きい長方形。押し花になっているのは。
「百合の花、ですか?」
「ああ、うちの領地に咲いていたやつ。魔法を使って綺麗なまま保存したから。大した物じゃないけど、本を読むのが好きならどうかと思って。植木鉢、本当にありがとう」
この栞は先生が自分で作った物? 感激して栞を大切に胸にしまい込むように持つ。
「ありがとうございます。大切にします」
先生はクラスの皆にはお礼として少し質のいいペンをあげていた。それも嬉しかったが先生の手作りなんてもっと嬉しい。先生は大した物じゃないと言ったけれどもわざわざ百合の花を選んでくれたことに心が浮き立つ。読む頻度が一番多い本に挟むことにした。
クラリスからも「百合の花の栞なんて珍しいわね。手作りだなんてすごいわ。変化魔法の応用の保存を使っているのね」と感嘆された。
いろいろ、気を抜くとにやけてしまいそうである。
ある朝のホームルームで一枚の紙が配られた。
「二年生からは選択科目をいくつか選ぶことになります。授業を見学できる時期があるので、それまでにいくつか候補に挙げておいてください」
選択科目。配られた紙を見れば結構な数が書かれている。この中からいくつか選ぶらしい。人数が少なすぎると開講されない科目もあるみたいだが人数が多い場合は教室を空間魔法で広くするためそこら辺は心配しなくていいと言われた。
どうしよう。先生の生物は絶対受けたいけど、担当も先生になるかどうか。今まで中心的に勉強した攻撃、防御、回復は二年でも必須科目である。科目ごとに説明文が書かれていたが先生やクラリスが実際教えてくれたもの以外は何が何だかちんぷんかんぷんだ。
お昼、庭園で一緒になったクラリスに聞いてみた。
「いいわよ、何でも聞いて」
クラリスが同じ紙を持ちながら難易度やどういう時に使うか説明してくれる。時折クラリスに聞かれて婚約者さんが補足して、それを参考にいくつか絞った。
教えてもらって興味が湧いた変化魔法と空間魔法。してみたいなと思ったのは透視や検索に使う操作魔法と女子に人気があるらしい料理のマナーや裁縫などの家庭科だ。体を動かすことが多い体育や、楽器に触ったことがないため音楽はやめた。社会は地理を選び、理科はもちろん生物の中の植物学を。薬学と魔具は見学して決めようと思う。美術もよく分からないからやめようとしたのだが
「ハミルトン先生は美術品も詳しいよ。描いたり作ったりするほうじゃなく世の中の美術品について勉強する座学は受けたほうが先生との話題が多くなると思う」
婚約者さんがアドバイスしてくれたので見学候補に入れてしまった。婚約者さんは一年生と二年生の時ハミルトン先生に担当してもらっただけあって先生について詳しい。ちょっと悔しく思ってしまうこともあるけれど教えてくれるのはありがたい。動物学も同様だ。惹かれつつも先生の猫アレルギーを思い出して一度は×にしたのに、三年になったら空を飛ぶ魔法動物に乗って校外に出たりもするらしいと聞いて面白そうだと思い直してしまう。婚約者さんは
「クラリスはダメだからね、学園内でできるものにして。薬学とかも怪我する可能性が高いからダメ。防御魔法は必須だからいいとして、後は家庭教師に習っていて100%安全なものを……」
と言いながらペンを取り出しクラリスの持っている紙に×を勝手に付けていく。クラリスは困惑して紙と婚約者さんを交互に見ていた。
「え? レ、レイ? ちょっと、あの、×が多い……」
前々から思っていたけど、婚約者さんって束縛が強いよね。クラリスに関することは何でも知りたがるみたいだし、大丈夫かなあ。ただ紙を見たところ、彼女がすでに○にしていたところはそのままだった。幼馴染だから彼女の好みや能力は完全に把握しているということか。安心、はできないがこの人クラリスが嫌がることはできなさそうだし……お似合い、なのかなあ?
それにしても、と自身の紙を見つめる。ダメだ、×がほとんどない。見学する時期に忙しくなりそうである。
「興味が湧いたのだから見学してみることはいいと思うわ。選択科目ができるのは二年間だけなんだもの。大変なら、私と被っている科目は録画して見せましょうか? 確か見学の時期には録画が許可されていると書いてあったから」
クラリスがにこにこ笑いながら提案してくれた。時間が被っていてどちらかを選ばなければならない科目もあるためお願いすることにした。
婚約者さん、なるべくクラリスと合わないように密かに誘導していたけどそもそも身分を考えると私と彼女が同じ授業を受けられることはよっぽど少数の人数でない限りないはずだ。
クラリスはあまり気付いていなかった。気付いた時は婚約者さん相手に口を尖らせ
「もう、レイったら。ダメよ」
と注意していたが言い方も表情も可愛かったので婚約者さんはデレデレするばかりでさほど効果はなかったと思う。
* * *
「ああ、いいよな動物学。飛行訓練は攻撃魔法の授業でしているけど、動物に乗ったり魔具を使ったほうが自分の魔力はあまり関係なく遠くまで行けるから人気だよ」
放課後のレッスンで先生からもアドバイスをもらう。先生も学生時代に動物学を選択していたらしい。
「二年、三年になると魔術師を目指さない人や魔力に不安がある人は授業数を減らす人もいる。今のところリリーさんは一年生並みにいっぱいいっぱいだな……魔力的に不安はないけど、また倒れないか?」
「だ、大丈夫です。もう健康に気を付けていますから」
先生が私の○ばかりの紙を見つめ不安そうに告げてくる。うううっ、あの時のことはあまり思い出したくないのに。
「魔具はともかく、動物学は動物と仲良くなったかどうかテストするために自分の好きな場所へ行ってくれるか、というのもあるよ。俺は自分の領へ行ってまた戻ってきた。ふふっ、ペガサスだったから見たことのない皆が驚いてたな」
思い出しているのか柔らかく笑っている。先生、領地の人達とも仲がいいのかな。いいな……。
「行ってみたいです……」
心の声が出てしまっていた。はっとして口を塞ぎながら俯こうとする私に、先生は顔を向けてけろりと口を開く。
「ならいつか遊びに来いよ」
遊びに、か。先生は一緒じゃない、よね。一緒に行きたいです、と言ってもいいものか。
「その時は言ってくれよ? 俺あんまり領地に帰らないから」
「そうなんですか?」
「そりゃあここで就職してるしな、たまの休みくらいだ。俺が案内するから、一人で勝手に行かないでくれ」
「は、はい!」
え、いいの? 嬉しい。先生と一緒に。他の人がいなくても大丈夫かな。案内してくれるんだ。どこを案内してくれるんだろう。紅茶とかチーズケーキとかお花畑とか、今まで聞いたことがあるところに行けるかな。わくわくして期待に胸が膨らむ。休みに会えることについて先生がまったく嫌がっていないことに心がときめく。
ハミルトン先生。
近い席。淹れてくれた紅茶。視線を動かせば隣同士にある百合とサボテン。部屋に二人きり。
触れれば、届く距離。
「どうかしたか?」
顔を覗き込むように見られた。学生で私にだけ、敬語を使わない。
目と目が合う。葡萄色の、優しい瞳。その中に私が映っている。
気付けば、手を隣に伸ばしていた。
「先生……」
触れそうになったところで先生が目を丸くして瞬きをし、見えた表情に手が止まる。
私、今何をしようとした?
「……す、すみませんっ」
手を引っ込めて胸の中にしまうように抱いた。私……先生に触れて、何を言おうとした?
「…………何を、かな?」
先生は安心させるような笑顔を作る。でも分かってしまった。
これ、ダメだ。
私はやってはいけないことをした。
「……ぁ……っ、す、すみません、今日はこれで。よ、用事を思い出して……し、失礼します」
用事なんてない。でも今ここにいられる気はしなくて、逃げるようにその場を去った。
心臓の音がうるさい。走ったからじゃない。
私……私……。
先生は教師だ。学生との恋愛なんてダメだ。告白したところでハミルトン先生が私を受け入れるはずがない。先生は分かっていた。それでもいつも通り接しようとしていた。
ああ、バカだ、私は。せめて卒業まで待つべきだったのに。