リリー視点:紅茶の練習の成果
学園の領域内に入り馬車を降りる。つい服装は大丈夫かと見てしまう。部屋の鏡の前で何度も確認したしメイドにも「大丈夫ですよ」と言われたけどそれでもまだ不安だ。
何せ久しぶりにハミルトン先生に会えるのだ。終業式の日に夏休みが楽しみだと言っていた他の貴族達には悪いが、私はこの日こそ楽しみにしていた。
クラリスからもらったヘアクリップで前髪を調整する。隠すことなく普通に出すようになった緑色の瞳。先生は人の目をしっかり見て話してくる。私も髪に遮られている視界でないほうがいい。切ることも考えたが、クリップも気に入っているのでこのままにした。
今日は家でマナーの勉強の予定がないから放課後先生のレッスンを受けることができる。お昼はクラリスと約束していた。彼女に会えるのも久しぶりだから楽しみだ。オーウェン師匠から教わった後も紅茶の練習をして納得できるまでに成長できたと思う。先生はどんな反応をしてくれるかな。
教室に入る前に運良く先生に会うことができた。先生がこちらに気付き頭を下げたため私も慌ててぺこりとお辞儀する。
「おはようございます」
「リリーさん、おはようございます。お久しぶりですね」
いつも通りの安心するような微笑み。ああ、これが見えただけでとても嬉しくなる。
そういえば、ハミルトン先生には最初から敬語で話されても緊張しなかった。笑顔が関係あるのかもしれないけど、私は最初から先生を特別に思っていたんだ。
「今日から二学期ですね。これからもよろしくお願いします」
「私こそ、よろしくお願いします」
ふと先生の視線が私の全身に回る。え、何だろう。鏡であんなに確認したのに。心の中であたふたしていると先生は優しく笑った。
「リリーさんはお家でのマナーのレッスンも熱心なのですね。夏休み前と比べて姿勢がかなり良くなった気がします」
それは覚えがある。それも師匠のおかげだ。目の前でぴしっとした姿勢を見ていると自分も自然とそうなっていて、レッスンの時にはいつも師匠を思い出して背筋を伸ばしていたらマナーの先生にも褒められた。
* * *
あれから、メイドさん達にも感謝をするようになった。養父母にクラリスもしていると言ったら
「イシャーウッド家がそうしているなら……」
と了承してくれた。それどころかリオンが
「いいね。僕もしようかな」
と言ったので家でも感謝の言葉が飛び交うようになった。
戸惑ったのはお養母様だ。
普段から無口なお養母様は頭を下げるので精一杯だった。彼女は外見が華やかな美人のためとある貴族に愛人にならないかと迫られ困っていたところをお養父様に助けられて、そこから二人が近付いていったらしい。表情も乏しいせいで誤解されやすいが彼女はとてもシャイな性格だ。それでも私に笑いかけ
「がんばってみるわね」
と言ってくれた。無理しなくてもいい、とクラリスが私の少食について言ってくれたことを告げてみると首をゆっくり横に振り
「私も、夫に守られるだけでどうかと思っていたの。……この機会に、がんばりたいの」
目を合わせてしっかりとした目つきで答えていた。
リオンにもお義姉様呼びをやめてもいいと言ってみたが首を横に振られてしまった。
「ううん。これは、どちらかというと自分への戒めとしてしていることだったから。秘密にしててごめんね」
リオンの視線が練習している紅茶の茶葉の缶へと移る。
「お義姉様は本当にその方が好きなんだね。……僕は弟として、応援するよ。がんばって」
よく分からなかったが呼び方は変えたくないと言われてしまった。これに関してはまだ大丈夫だったからリオンの望む通りにしよう。
* * *
「ありがとうございます。貴族のマナーに関してはまだまだだと思っています」
「貴女なら大丈夫ですよ。なんだか顔つきも違って見えますね。自信がついてきたようで、こちらとしても安心します。生物の授業が楽しみですね」
そういえば、いよいよ実習がスタートするんだっけ。一番近い生物の授業の予定を思い出す。残念だ、まだまだ先だ。
「ああ、そろそろホームルームの時間ですね。行きましょう」
「はい」
教室に入ればクラスメート達が挨拶してくれた。クラリスと比べたら全然だけど、彼女達にも多少は緊張しなくて済むようになってきたと思う。
そして放課後。教科書を持って生物準備室に行く。いつもの席に案内されたが座る前に紅茶を見て言ってみた。
「あの。今日の紅茶は私に淹れさせてもらえませんか?」
先生はきょとんと目を丸くする。
「先生にもらった茶葉で練習したんです。先生に負けないくらい自信があるので、ぜひ飲んでください」
師匠にも上級者と言われた先生に対して言うのは失礼かと思ったが、先生は笑顔で許可してくれた。早速淹れてみる。先生は香りを確認して一口飲むと満足そうに微笑んだ。
「美味しいです。貴女もお上手なんですね。私は他の人に淹れてもらう機会があまりなかったので、今日はとても嬉しいです。ありがとうございます」
頭を振って自分も飲んでみる。うん、今までで一番よくできたと思う。先生に褒められて嬉しい。練習してよかった。
遊びに行ったのに紅茶の練習ばかりしていた私をクラリスはずっとにこにこ笑って見ていてくれた。
「こちらに集中しろ。心配しなくても貴女が一番したいことをするのがお嬢様の幸せだ」
師匠の言葉に頷く。早く先生に近付けばクラリスと遊べる。結局できなかったけど、学園で会ったクラリスに放課後先生に披露するつもりだと告げればやっぱりにこりと笑って応援してくれた。
「師匠に教えてもらいました」
「師匠?」
先生にクラリスの家の執事さんについて話す。姿勢のことも、それから師匠が先生と話したがっているということも。
「へえ。いいですね、私もその方とぜひ話してみたいです。ふふ、まさか男爵家を継ぐ楽しみができるなんて思いませんでした。ありがとうございます」
先生は本当に嬉しそうに朗らかに笑ってくれた。私は伝えるだけで何もできないけど、笑顔が見られて幸せだ。
「貴女は本当にクラリスさんと仲がいいんですね。初日で感じた心配はすっかりなくなりましたよ。……ああ、そうだ。今日はこちらもどうぞ」
先生は立ち上がると鞄の置いてあるところに行き、そこから何かを取り出した。クーラーボックス? その中の物も出して、ことりと目の前にお皿が置かれる。上にあったのはチーズケーキだ。
「夏休みに実家に帰ったんです。これは実家の有名店のなのですが、やはりこちらには流通していないため食べたことはないと思います。この茶葉によく合いますからぜひ召し上がってください。魔法を使ったので品質には問題ありませんよ」
「あ、ありがとうございます」
実家にいる頃はお菓子をあまり食べなかったし、東エリアは食が豊富なだけあってたくさんあるものの私には量が多いと感じてしまうことが多々ある。しかしこれは少々小ぶりだ。嬉しい。
食べて美味しいです、と感想を告げれば先生は自身の分を取り出す。
「でしょう? たくさん食べてくださいね」
一個でお腹いっぱいです、と言えばふわりと優しく微笑まれた。
「それにしても、私も負けていられませんね。もっと紅茶を淹れる技術の向上を目指しますから、楽しみにしていてください」
ええ、もっと? 先生にもこれ以上があるの? 師匠といい先生といい、すごい人達だ。
「お、お手柔らかにお願いします……」
くすくすと先生が笑う。
「それ教師に言う言葉じゃありませんよ」
初めて会った鈍感クラリスは、隠そうとしていたリオンの気持ちには気付けませんでした。