番外編②:イシャーウッド家に招かれて(オーウェン視点)
その頃の私は執事の中でもやっと中堅になれるかといった程度の存在であったが、紅茶に関しては誰にも負けないと自負していた。
知識もそうだが淹れ方もだ。どんな茶葉だろうとその魅力を最大限に活かして美味しく淹れてみせる。そう誇っていた。
だがここはその腕を生かせる職場ではないとも感じていた。
現在就職している伯爵家は位に似合わず贅沢を好む。とにかく高級品なのがいいと判断しそれを取り寄せるものの、すぐに飽きてそこら辺に無造作に放る。紅茶に対しても同じだ。ただ値段が高いとだけ聞いて買い占め、それなのに一口飲んだだけで渋いだの香りがきついだの癖が強すぎるだの。そういうお茶を買っておいて何を言っているのか。しかもストレートだけと決めつけ頑なにミルクも砂糖もレモンも混ぜない。大人しく自身の好む味の甘いお茶を飲めばいいものを。
私がいつも言われた物ともう一つ、彼の味覚に合わせたストレートティーを用意すると毎回文句を言うくせに飲み干すのはそればかり。いい加減分かってほしい。
せっかくの高級な茶葉を平気で残すことにも苛立ちが生まれる。買うだけ買って別のことにすぐ興味を移すのだから茶葉が可哀想だ。
紅茶の腕を鍛えたのは自分のためなのにこういう反応だといやになってきた。
私が今の旦那様、カイル・イシャーウッド公爵に出会ったのはそんな別の就職先を探そうと思っていた矢先だった。
その日お茶会に来ていた大勢の中の一人だった。学園を卒業し爵位を継いで間もない頃だったと記憶している。当時の主人は華美な物を好み定期的に開催していた。その内借金になりそうな勢いだが商才はあるようでお金に困ることはなかった。その頭をもう少し物を大切にする方向へ向けたらいいのにと思わずにはいられない。
旦那様は淹れる時から私をじっと見つめていた。目が合うと笑みを深める。焦茶色のさっぱりとした髪に宝石のような瑠璃色の瞳が特徴的な男性だ。近付きがたいほど完璧な美貌を持っている。高貴なオーラそのままの公爵家の方なのだが、自分へ向けられた笑顔は好意的だった。
お茶を飲むと目を見開いて私を見て来る。
「すごいね。この茶葉でこんなに美味しいの初めて飲んだよ。君、師匠いる? それとも独学?」
「独学に近いです」
「へえ、すごいね! ねえ、詳しく教えてくれる?」
彼の隣にいた同じく公爵家の男性が咎めるように旦那様の服の裾を引っ張っていたがまったく気にしていなかった。彼はお茶会に出たというのに私とばかり話していた気がする。
「君、家に来ない?」
お茶会の途中、紅茶を片付けていると旦那様はにこやかに笑いながら明日の天気を話すくらいの気軽さでそう言った。
「私の婚約者のご令嬢が紅茶が大好きでね、君のような凄腕の方に毎日淹れてもらえたら幸せだと思うんだ。私もその人のために勉強しているんだけど、正に君は理想の淹れ方だったから」
穏やかに笑う表情に嘘は見えないが、いくら何でも初めて会った使用人を公爵家の人間が抜擢するなんてことあるだろうか。紅茶について評価されたのは嬉しいが私にとって公爵家は雲の上の存在だ。
何も応えない私をどう思ったのか、さらににこりと笑みを浮かべる。
「待遇はそれなりに弾むし、何より君が望む茶葉を国内外問わずに必ず手に入れると約束するよ。試しに一つ言ってみて」
ならばと以前から飲んでみたかった高級品の名前を挙げた。大変希少な国外の品だ。公爵家といえど簡単に手に入れられる物ではない。無理難題に近い私からの提案に彼は軽く頷いてみせた。
「ああ、その国ならツテがあるから大丈夫。どのくらい欲しいの? それでこちらに来てくれるならお金は一切要求しないけど、私の婚約者にも一杯飲ませてもらえると嬉しい」
そこまで簡単に言われては断る理由がなかった。事実彼はきちんとその茶葉を望み通り確保し、私に記念としてプレゼントしてくれた。
イシャーウッド公爵家はびっくりするほど別世界だった。
旦那様も、後に奥様となった女性も私に感謝の言葉を惜しまない。住む部屋の広さも調度品も段違いで、私を客人か何かと間違えているのかと思ったら皆そうらしい。旦那様に聞けば
「自分達のために働いている皆に快適に生活してもらうのって普通じゃないの? 君の前の屋敷が変なんじゃない?」
後々、以前いた屋敷は大幅に改装されたらしい。誰が指図したかは分かる。その時はいつもと違った笑顔だった。
旦那様は珍しい茶葉の話を耳にしたら
「オーウェン、これはどう? 飲んでみたい? 買ったほうがいい?」
と常に私に聞いて来る。
「私のために散財していいのですか?」
質問するときょとんとして
「オーウェンのためだけじゃなくてエミリアのためでもあるよ。君が飲んでみたいなら彼女にも飲ませたい。うちの奥さん自分からは何も望んでくれないから、君がいると助かるんだ」
「旦那様はそういう奥様をお好きになったのでは?」
「それはそうなんだけど……尽くしたい相手に何も求められないっていうのもちょっと。……子どもはわがままに育てようかな」
「おやめください」
何を言うんだこの人は。
王城では笑えば皆が戦慄するというのに、この人は屋敷内ではひどくゆったりだ。
ぽけーとして何時間も動かないこともある。何か考えているのかと思えば自分を見て
「あ、そろそろお腹空いたかも」
とお腹に手を当てるくらいだ。
記憶力は抜群にいい。私の教えた紅茶について一度聞いたらもう二度と忘れないし他に何を聞いても答えてもらえるし、そして膨大な書類の山から必要な紙一枚をさっと取り出せる。仕事は実にスピーディーにこなす人だった。
「だって早く終わらせればその分、家にいられる時間が増えるからね」
私に向ける笑顔は朗らかだ。王城で彼を恐怖の瞳で見て来る人にも向ければいいのに。
「んー、それ親友も言うんだけど、今のところメリットしか感じないんだ。このままでいいかな、と思ってる」
そして自分に「ダメ?」と伺うように聞いて来る。
「私がそのようなことを申すわけがありません。旦那様の望む通りになさればそれが一番です」
そう本心を伝えればそっか、と穏やかに笑ってくれた。