レイの宝物
さっと生地を伸ばして型に敷きフィリングを盛り、ツヤ出しの卵を塗って。てきぱきと手際良く進んでいく。メッシュローラーを使う時だけは近くに来てもいいと言われたので近くで見ることができた。一瞬で形ができていてとても面白かった。オーブンにはどうやって入れるのかと思ったけど、衝立がオーブンに繋がっているようでレイが衝立のある部分をさっと手で払うようにすると空間が繋がってオーブンが現れる。この時は衝立の中にいたけど、予熱の設定をしている時は見えないところにいたので分からなかった。
「後は焼成後にアプリコットジャムを塗るだけだよ。オーブン三十分くらいかかるけど、その間どうしようか」
エプロンは着たまま、もう必要のない道具を洗って棚や冷蔵庫にしまうと衝立から出てくる。
「……? オーブンを見てなくても大丈夫なの?」
前世の世界と違ってオーブンで温める方法も魔法だ。といっても魔力がない人もできるようにどういうわけか前世と同じくボタンを押すだけで勝手に魔法が発生する。原理が分からないがそれでもオーブンって目を離すものではないわよね?
「そこは厨房の料理人にお願いした。二つ返事で快く引き受けてくれたよ」
「皆優しいわね。レイ、私の分も後で感謝しておいてくれる?」
直接言うとなるとダメそうだ。だからお願いすればいいよ、と快諾してくれた。
といっても、三十分か。どうしよう。普通にお茶を飲んで会話しながら待っていてもいい時間だと思ってソファーに目を向けると、テーブルの下に何か箱があるのが見えた。
「レイ? あの箱は何?」
「ああ、あれは僕の宝物置き場だよ」
宝物? レイの顔を見れば楽しそうに表情を緩める。
「中身は何だと思う?」
「え? えっと、レイなら……うーんと、ヴァイオリン関連? 楽譜とか?」
咄嗟に思いついたにしてはいい線をいっていると思ったのだが、レイはあからさまに肩を落とした。
「それもあるね。でも残念だ。クラリスはまだ僕のことよく分かってないよ」
「そんなことないわよ!」
言われたのがショックで思わず叫ぶ。確かに分からないことはいろいろあるけど、それでも落胆されるのはつらい。中を見てもいいよと言われたため近寄って箱のフタを開ける。そして箱の中を見て驚いた。どれも身に覚えがある。だって、これは……。唖然としていると後ろから抱きしめられた。
「忘れたとか言わないでね。君からもらった物が僕の宝物だって、気付いても良さそうなものだけど」
楽譜も……レイが欲しがっていた楽譜をお父様にお願いして探してもらって渡したことがある。当然練習した後は一番に目の前で弾いてくれた。他にもいろいろある。レイの誕生日にプレゼントした刺繍のハンカチとかブローチとか、書いた手紙とか、お揃いで買ったペンケースとか一緒に行ったコンサートのパンフレットとか。一つ一つレイが思い出を語ってくれる。
「って、こんな物まで?」
ただ綺麗だと思って見せてみた小さな貝殻。私が海に行ったわけではない、お父様のお土産の一つに偶然くっついていただけだ。ほぼゴミである。覚えてはいるけど、これレイに渡してたっけ?
「だってクラリスからもらった物だよ?」
だからといって……しかも丁寧に透明な箱に入って、壊れないようにコットンが敷いてある。
どうやら私はとても愛されているらしい。
「どうやらとからしいとかってなに? まだそんな認識なの?」
「そこまで細かく心を読めるの!?」
私口に出してなかったわよね? レイは優しく笑う。
「やっぱりクラリスは分かりやすい。心を読む魔法を使わなくて済むから安心するよ」
頬を包まれ、顔を寄せてキスを送られるとそのまま額を合わせる。
「一つだけ分からないことがあるからじれったいけどね。でもクラリスがそれを秘密にしたいのもいつか話そうと思ってくれていることも分かるから、いい子で待つことにする」
「レイ……」
そりゃあ、前世のことなんだからどんなに察しがよくても想像もつかないだろう。
って、一つ? あ、紅茶の件いろいろ気付かれてるんだ。リリーの好きな人がハミルトン先生だってことまでは気付いていないと思うけど。
「ありがとう、レイ」
私からもキスを送れば今度は嬉しそうに目を細めてくれた。……その後もっとディープなのをされてしまったけど。あのキスって息が大変だ。
私の息が正常に戻ったくらいでオーブンの焼き上がる音がして、紅茶の支度をするためにヴォルクさんも来た。箱を元通りしまい、私はソファーに座って大人しく待つ。レイはホールで焼いていたから食べやすい大きさに切って持って来てくれた。わ、熱々で美味しそう。
ヴォルクさんが頭を下げて去っていく。彼が私と話さないのもレイのやきもちのせいか。結婚した後はどうなるんだろう。
「ヴォルクも結構家では紅茶を淹れるのが上手なほうなんだけどね。オーウェンがすごすぎて霞んじゃうよ。茶葉なら家のほうが高級なの使っているんだよ?」
「え、嘘。そうだったの?」
「そうだよ。お義父様が自ら招聘した人材って彼だけじゃない? そんな人を簡単にリリー・シーウェルの師匠にするんだから、クラリスって本当に彼女に優しすぎるよね」
レイは呆れているけど、私は良かったと思った。リリーが頑張っているのはハミルトン先生のためだ。私がオーウェンを紹介したことが少しでも先生と近付く手助けになってくれるなら嬉しい。
「……やっぱりあの女の話をするのやめよう。クラリスが笑顔なのはいいけどさ、なんでそんなに大切なんだ」
ぶつぶつと不満気に呟くレイに気付く。あ、そっか。リリーのことは一番やきもち妬くんだった。
うーん、もしゲームのことについて話せば少しは分かってくれるのかな? レイのことだからゲームのことだけで私がリリーの味方をしたいと思ってしまいそうだ。かといって一目惚れと言ったら確実にブチギレる。
……うん、やめよう。いつかは話すつもりだけど、まだ待って。
レイに顔を向けると頬に唇を押し当てた。ぱち、と瞬きして私を見たレイに向かって笑いかける。レイがやきもち妬きなら私だってそうだ。レイには私だけを見て、考えてほしい。
「早速目の前でレイが作ってくれたアップルパイが食べたいわ。いつも通り食べさせてくれるんでしょう?」
目を閉じて口を開ける。まだ熱いかな、と心配したのに入ってきたのはぬるりと生温い、数分前と同じ感触だった。
ええっ!?
驚く間もなく頬を両手で包まれて、口内を舐め回される。しばらくして唇が離れた時に見たレイは上機嫌だった。ああ、このキスってレイの機嫌を直す役割もあるんだ。それなら良かったです、はは。このキスすぐ力が抜けるからいつもより大変なんだけど、きっとレイは気に入っている。その証拠に笑いながら頬を撫で小首を傾げてくる。
「ん? キスの催促じゃなかったの?」
「……多分違う」
「多分なんだ」
ふふ、と嬉しそうに笑う。
「クラリスの恥ずかしがる姿は大好きだよ。僕だけに見せてくれる表情だ。もっと赤くなって、僕に見惚れて? 僕も君の視線を一身に受けられるほど魅力的になってみせるから。クラリス、愛してるよ」
もう十分すぎるほど魅力的なんだけどなあ。私のほうこそ頑張らなくちゃ。
「……クラリスはもう少し自覚して抑えるべきだと思う。まあいいや、アップルパイ食べようか」
んん? 聞こえたけど意味が分からない。レイの手はテーブルの上に伸びてしまった。
アップルパイは非常に美味しかった。シナモンが絶妙に効いている。りんごの硬さもパイの焼き具合も私好みだ。レイが忙しいのは分かっているけど、結婚したらできるだけレイに作ってもらった物を食べたいなあ。
それにしても。私もレイからの手紙やプレゼントはきちんと保管してあるけど、あんな貝殻みたいなちょっとした物はどこにあるのか記憶にない。レイとの思い出を忘れるわけない、と言いたかったけど初めて会った時は覚えていないし、3歳の時だからと言われても、覚えていたかったな。
「……個人的には忘れてくれて良かったと思っているんだけどね」
それをレイに告げると複雑な顔をする。
「……? どういうこと?」
「何でもない。今がすごく幸せだってことだよ」
いつも通りスイーツを食べた後に抱きしめられる。抱きしめられるとレイの顔が見えなくなることだけが不満だけど、機嫌は良さそうだから、いっか。