紅茶の練習
会話しながらもリリーは手を休めずに紅茶を淹れてくれた。
「はい、どうぞ」
コトリ、とカップが目の前のテーブルに置かれる。あ、いい香り。リリー曰く少し癖があるとのことだったが、ぜひストレートで飲んでほしいと言われた。楽しみだ。
カップを手に持って一口飲んでみる。リリーが緊張した面持ちで私をじっと見つめてきた。
「どう?」
「美味しい……へえ、初めて飲んだけどこういうお茶もいいわね」
確かに癖はあるけど、これは好きな人のほうが多いのではないだろうか。ほのかな甘みがスイーツと合いそうだ。東エリアでも流通していないということはよっぽど知名度がないのかそれとも希少品なのか。
ハミルトン先生のワイズ領は確かここからは北西にあったはず。うーん、それなら仕方がないかもしれない。王都の北西にまたがる山脈のせいでその方面は行き来が難しいのだ。
「ありがとう」
リリーは安心したようにほっと息をついてから自身もカップを傾けた。
「今まで一番良くできたと思うけど……やっぱり先生が淹れてくれたほうが美味しい」
と呟いている。こんなに美味しいのに? ハミルトン先生ってすごいのね。
「一応やり方も教わったの。何が違うのかな……」
口に手を当てうーんと考え込んでしまう。私には分からないため家で一番紅茶を淹れるのが上手い執事に来てもらった。四十代だがぴしっと背中に棒が挟まったように姿勢が正しく、紅茶には人一倍うるさい人。名前はオーウェン。
「ほう、私も飲んだことがありませんね。聞いた覚えはあります」
リリーがオーウェンに茶葉と淹れ方の説明をする。彼にも紅茶を飲んでもらった。
「リリー様、ありがとうございます。この紅茶を飲める日が来るとは思っていませんでした」
「えっ……あ、いえ……あ……」
オーウェンの発言にリリーがあからさまに慌てふためく。聞いてみれば、「様」と呼ばれることと敬語に慣れていないとのことだった。
「リオンにも慣れるようにと様呼びされているんだけど、彼は年下だからまだ……。両親も私を気遣って年の近いメイドの人達をつけてくれてるし」
そう言うとしょんぼりと首を垂れてしまう。そういうことだったんだ。年上からの敬語は平民では多分そうないわよね。ふむ。
「ねえリリー。貴族に一番必要なものって何だと思う?」
「え? えーと、魔法?」
「ううん。堂々としていること。例え周りのマナーと違っても堂々としていればそっちのほうが正解かもしれないって思われるわ。慣れてないのは分かるしそういうリリーも魅力的だけど、敬語がいやならいやって言っていいのよ。大事なのは自分で居心地のいい空間を作ることだってお父様が言っていたもの」
お父様の場合は「邪魔な人間をあらかた消したおかげで仕事が楽しいよ」と少々怖い笑顔がプラスされていたがそれはこの際置いておこう。感謝の言葉を言うのだって、つまりは自分がその言葉を言わないと居心地が悪くなるからだ。私はオーウェンの顔を見つめる。
「ねえ、オーウェン。リリーは紅茶をもっと上手に淹れられるようになる?」
「はい、先程淹れている過程を見て改善したほうがいいところは分かりました」
「リリー、オーウェンに教わりたいと思う?」
「うん!」
勢いよく返事をするリリーを見て再度オーウェンに顔を向けた。
「オーウェン、今日はリリーの紅茶の師匠として敬語なしでお願いできるかしら?」
「お嬢様のお望みであれば。ですが私は教師の方と違い優しくないですよ?」
「むしろそれでお願いします!」
ぐっと両手を握ってリリーが答える。それに満足そうに頷くとオーウェンの表情が引き締まった。じゃあまず、と良くないところを一つずつ挙げ、それの改善点も述べながら実践で教えていく。私にとってはかすかな違いに聞こえるがだいぶ違うらしい。クッキーを焦がす私に手伝えることはないので大人しく見守った。
リリーはとても真剣にオーウェンの言うことを聞いて練習している。私が魔法を教えている時の顔に似てるけど、それよりも熱心な気がする。
ハミルトン先生のために、か。先生のこと、本当に好きなんだ。
うん、私もお助けキャラクターとして頑張ろう。ただ担任教師ルートは場面がほぼ二人きりのレッスンで、ストーリー自体が短いこともあって時間が途切れ途切れだったはず。クラリスは王子やブラッドリーのように同じクラスなわけでもディーンのようにレイを通じての知り合いでもないし、義弟リオンのように授業で習わない魔法が必要なわけでもない。
私ができることって何だろう。
ようやくオーウェンからの合格点が出たのはリリーが帰る予定の夕方近くだった。早速三人で飲んでみる。
……うわ、全然違う。同じ紅茶でもこんなに違うんだ。香りが良くなったのはもちろんのこと、渋みがよりなくなって甘みが増している。上品な甘さだ。感心する私の横でリリーも驚いた表情をしていた。
「先生の味に似てる……」
「ほう、これでも足りないとなるとその先生はよほどの上級者だな。紅茶について語ってみたいものだ」
「ふふ、オーウェン嬉しそう。いつか学校に来てみる?」
「それはさすがに私では。可能なら休暇を取ってワイズ領に行きたいです」
「それはいいわね。早速お父様にお願いしてみてもいい?」
「いいえ、その方が男爵を継いでからでお願いいたします」
ぴしっと手の平を前に出すオーウェン。それに肯定の返事をする。その時は男爵邸を訪ねられるよう取り計らうことを約束したらとても喜んでくれた。約束したからにはその頃私がレイと結婚していたとしても必ず叶えなければ。
リリーはオーウェンにもハミルトン先生について詳しく語っていた。先生のことを語るリリーは可愛いのに手つきは真剣でものすごく素敵だった。教えたのがオーウェンだったからか背筋もぴしっとしてきてかっこよかった。
「オーウェン師匠、ありがとうございました」
「今日はここまでだが家に帰ってからも研鑽するように」
「はい、師匠!」
リリーが丁寧に頭を下げる。いつの間にか師匠呼びになっているしオーウェンも当然のように頷いている。そういえばオーウェンって後輩の執事やメイドからは師匠って呼ばれることが多いのよね。なるほど、こうやって彼の弟子は増えていくのか。さすがだ。心なしかリリーは来る前よりも姿勢が良くなっていた。姿勢については何も言っていなかったのに、オーウェンすごい。
玄関まで送るとリリーはとっても明るく笑ってくれた。
「ありがとう、クラリス。クラリスのおかげで今日すごくためになった。私がんばる。オーウェン師匠にももう一度ありがとうございますって伝えておいて」
こくりと頷く。私はただ座って見てただけなのでオーウェンのおかげだ。大きな声では言えないけど、私もハッピーエンドのために頑張るわね。
それにしても、私は普段オーウェンのおかげで非常にいい物を飲んでいるんだなあと改めて思った。