おうちへご招待
夏休み、リリーとは会えていないので手紙のやり取りをしている。
先生の話もしてくれるようになった。先生はよくリリーを褒めていたそうだ。私が初日にあげたヘアクリップも先生に褒められたらしく、リリーから感謝された。
あれ、お助けになってたんだ。良かった。夏休みが明けたらもっと頑張ろう。
しかしゲームで夏休み後になっていたシナリオがすでに実行されているものもある。リリーがすでに先生への恋心を自覚しているというのが最たる例だ。
他にも、お昼に関してはクラリスが風邪を引いて休んだことから準備室で食べるようになったはず。それまでは確かクラリスとレイモンドと三人で…………あ。私が二人を会わせるのを嫌がったからだ。なんでこう細部を思い出せていなかったんだろう。印象的なシーンは直ちに思い出せるのに何が原因でそのスチルが出たのか、ということがぱっと出てこない。
本当に、私の記憶は夢のようにぼやけていることが多い。忘れたいと願ったからなのか今ではレイモンドルートの記憶なんてほとんどなくなってしまったし、ゲームの中でもクラリスが出てくる場面の印象が特に薄い。メモをしておけばよかったと思ってももう手遅れだ。
それより、これは果たしてお助けなのか。隠しルートに後押ししたのって私?
ブラッドリーやディーンルートであるはずのシナリオが発生したのは、恐らくハミルトン先生のルートが本来は夏休み後から始まるからだと思う。それで穴埋めされたということ、だと思っておこう。
確定はできないがもう過ぎてしまったことは仕方がない。私がすべきなのはリリーを全力で応援することだ。
溜め息を封じて今朝届いたばかりのリリーからの手紙を見つめる。手紙には一度成果を見てほしい、と書いてあった。
成果って何? 魔法? けれどちょうどいい機会だ。リリーをうちに招こう。
* * *
「今度リリーをうちに招待してもいい?」
「いいよ」
レイが嫉妬するといけないからとまず彼の許可を得ようと聞いてみたら即座に快く了承してくれた。
「ありがとう、レイ」
「そうやって笑ってくれるって分かっているのに反対なんてできないよ」
口元を和らげ紅茶を飲む。そして苺のミルフィーユが乗っているお皿を持ち一口分をフォークに取って私に差し出してくる。
「はい、どうぞ」
口を開けばパイとクリームが絶妙な量で入ってくる。苺もだ。美味しい。
「ただ日にちは僕が王城に行く予定があってここに来られない時間帯にしてくれないかな? それなら仕方がないと思えるし。僕がいる時は二人きりがいいからね」
こくりと頷く。リリーもレイがいないほうが話しやすいだろう。道は分かっているからうちの馬車に送り迎えを頼もうか。リリーは恐縮しちゃうかな。そう考えていると何故かレイの顔が間近にあって、ぺろりと口の端を舐めてきた。
「えっ」
「クリームがついていたから」
舌についたクリームを見せつけるように出してから口の中にしまう。……今までは指摘するかナプキンで拭ってくれてたわよね?
はわわと取り乱しつつそこに触ろうか触るまいか迷っているとレイはまたケーキを差し出してきた。
「大丈夫だよ、わざと口の端につけるようなことはしないから」
きらきらとした笑顔で言われてしまう。
そ、そうですか。それは安心です。
心の中で何故か敬語になった。
「友人と楽しんでね。部屋に一人だと退屈でしょ?」
帰り際、そんなことを躊躇うように口にされる。
「……? そんなことはないけど」
幼い頃からずっとそうだった。レイは頻繁に外に出ないでほしいと望んでいたし、私はそれを守っていた。今更何を言い出すのか。
リリーに会えるのは嬉しいが、学園に行っていた時と比べてレイには毎日会えなくなってしまったのが寂しい。
「退屈かもしれないと思うなら、レイがいっぱい来てくれると嬉しい。待ってるわね」
「……うん、僕はクラリスに毎日会いたいよ」
玄関先だということを意識したのだろう、頭を撫でるだけでそれ以上のことはしてこなかった。レイも私と同じ気持ちなんだ。嬉しい。
* * *
両親からも許可をもらってリリーに手紙を出し、その日になった。
リリーは緊張した面持ちで挨拶をすると私の部屋にやってくる。片手には袋を持っていた。物珍しそうに部屋を見渡しソファーが高級品だからと座るのに尻込みしていたので、それなら私の膝の上に座るかとぽんぽん太ももを叩いたら全力で拒否されてしまう。レイはよくしてるんだけど、私そんなに力弱いと思われてる? 話しづらいし、座ってくれたならいいか。
リリーは袋を膝の上に置いて、中の缶をテーブルに置く。
「これが手紙に書いてあったもの?」
聞けばこくりと頷いた。招待する手紙を出したら、了承の手紙とともに見てほしい成果についても書いてくれた。ハミルトン先生の領で栽培している茶葉がとても美味しいので分けてもらったのだとか。
缶を開けると茶葉が見えた。私も飲んだことがない。手紙には頻繁に先生が淹れてくれる、とも書いてあった。
「先生はお茶を淹れるのがとても上手で、私も練習しようと思って」
夏休み明けに先生に飲んでもらおうと思っている、とはにかみながらそんなことを告げられる。先生のためにお茶の練習。何て健気で素敵なの。ああ、照れてるリリー可愛い! ゲームではなかったと思う。
「本当に美味しい茶葉だから自分一人で飲むのもどうかな、って。結構練習したし、クラリス、飲んでくれる?」
「もちろんよ。リリーが淹れてくれるんでしょう?」
「うん。早速今からしてもいいかな?」
「もちろんいいわ。ちょっと待っててね」
リリーが茶葉を持って来た上に淹れてくれるからお茶の仕度をする道具だけ持って来てと事前に頼んでいた。レイがスイーツを作って持って来てくれているからそれを伝えた時も特に狼狽えることはなく、今日もすぐ用意してくれた。感謝すれば
「お楽しみください」
と優しい笑顔で返される。家の使用人達は優しくて大好きだ。お茶の用意をしようと立ち上がったリリーが少し迷いつつ
「クラリスって、使用人の人達にも感謝するよね。それが普通なの?」
「……? 普通じゃないの? 両親からはそう言われているわ」
感謝の言葉は忘れずに、何かされたら常に言いましょう。そうお母様から教えられている。自分も相手も気持ち良くなれる一番簡単な魔法の言葉だと。
それを聞いたリリーが柔らかく微笑む。
「クラリスのご家族は素敵ね。私もそうしようと思う」
「リリーはもうしてると思うけど」
「ううん、家は使用人の人達には言わなくていいって言われてたの」
何故? 分からない。首をひねれば仕事だから、と説明された。さらに分からない。仕事なら感謝したらいけないの? 仕事だからこそ感謝しないといけないのでは?
あまり外出しない私が使用人達に言うことを禁止されてしまったら普段誰に言えばいいのか。両親とレイで終わりである。何と寂しい。
家ごとで教育が違うにしてもシーウェル家の教育は私には難しいようだ。ロングハースト家の使用人の皆も感謝の言葉を素直に受け止めてくれるし、レイも普段から言っている。
一番身近にいる使用人に感謝しないなんて、シーウェル家って変なの。リオンがリリーのことを「お義姉様」と呼んでいるのもそういう変な理由なのかしら。
今度は全キャラの中で一番の聖人、イシャーウッド公爵夫人です。
夫を窘めることができるイシャーウッド家の最高権力者。
……残念ながらあまり出ません。