丸呑みしないの?
次の日の日曜日。レイがやってきていつも通り私の部屋に招いてお茶の用意をしてもらうと、躊躇いがちに聞いてきたのはリリーの義弟のこと。
「……リオン・シーウェルはどうだった?」
「ああうん、すごかった。噂の何倍も美少年だったわ。私も12歳の頃あんな風だったらなーって思っちゃった。あまり話さなかったけどすごくいい匂いがしたし、羨ましいわ」
「……? 羨ましがらなくてもクラリスは昔からいい匂いだよ」
「今すぐ丸呑みしたいほど?」
「ぶっ!」
飲んでいた紅茶を吹き出した。
「ごぼっ、ごほっ。な、な、な……!」
背中を摩る。昨日の帰りの馬車の中では何とか耐えたけど今日は言おうと思っていた。でも言うタイミングを計るべきだった。紅茶を飲んでいる時は違ったみたい。謝ったら咳をしつつも首を横に振ってくれた。
「レイの丸呑みの意味、ようやく分かったの。あの、私は手を出されてもいいわよ。それとも魅力ない?」
「ありすぎるほどあるよ」
息を整えたレイが魔法でテーブルや服などの周辺を綺麗にして、こめかみを押さえるようにしながら顔を伏せる。
「それ、昨日誰かから教えてもらったの?」
「リリーに聞いたの」
「ああ、そう。……余計なことを。いや、クラリスが意味が分かったらこうすることが予想できずに言った僕のせいか」
「レイ? ……あの、私に魅力があるならどうして手を出してくれないの?」
「…………がんばれ僕…………!」
何事かを呟くと両手で顔を覆ってしまった。ただ質問しただけなのに。
しばらくすると長い息を吐いて、顔を上げて私と目を合わせる。なんだかだいぶ疲労している顔だった。
「というか、本当に手を出すとか丸呑みがどういう意味か分かっているの?」
「詳しくは分からないけど、子どもを作るために夫婦が夜にすることでしょう? 私達は婚約者なんだし、レイも丸呑みするって言っていたから今してもいいんじゃないの?」
「ああそう、それでこの発言か。怖い……」
「今したらダメなの? レイはしたくない?」
「……っ……クラリス。ゆっくり、ゆっくり行こう。君はまだ未成年だ。そんな君に手を出したら僕はお義父様に消される」
「――! そんな……」
お父様がそんなこと……するかな。どうかな。しないとは言い切れない。
子作りは本来結婚後にすることだ。
「その……あまり誘惑しないで。僕のその発言は忘れてくれると嬉しい。……結婚したらでお願いします」
なんで敬語なの。以前敬語だった時の発言は「やめてください」だった。私何かレイにしたらいけないことをしているのね。
「うん。……分かった。私結婚するまでがんばるわね」
「んんん??? ……いや、うん、まあ……うん? まで? だんだん訳が分からなくなってきた」
レイは混乱したように首をひねっている。私変なことは言ってないはず。それに誘惑した覚えなんて全然ないのに、何がいけなかったんだろう。ゆっくりね、ゆっくり。
子どもはたくさん欲しいと思っているから、結婚したらすぐ丸呑みしてもらえるように自分を磨こう。よし。
一旦落ち着こうと言われたので紅茶を飲む。レイは週末に来る時はスイーツを持って来てくれることが多い。今日はオールドファッションドーナツだ。少しずつ手でちぎって食べさせてくれる。
今日もとても美味しい。食べているのは私なのに食べさせているレイのほうがこの上なく幸せそうな顔をしている。
私は昨日のお寿司について話した。リリーから聞いていたことは話していたのですぐ頷いてくれた。
「うん、聞いたね。僕は食べたことない。そうか、そのためにわざわざ家に呼んだんだ。……リリー・シーウェルってクラリスのこと大切に思ってるよね。ムカつく」
「え、なんでそっち?」
「だってクラリスももっと大切にしようとするでしょ?」
「ダメなの?」
「……ダメって言えないよ。あーあ」
溜め息をついているから謝ったほうがいいのか。それともダメじゃないなら感謝したほうがいいのか。気にしないで、と言われたのでとりあえず首を縦に振った。しかし昨日の話は聞きたいようで、続けて話す。
「リリーのご家族の緊張も解けたみたいで、これからもよろしくお願いしますって言われて嬉しかったわ」
「使用人も総出って……それは怖がられている僕とお義父様のせいだね」
「ううん。そのおかげで私は守られているんだし、リリーに邪な心で近づく人もだいぶ減っているから」
「リリー・シーウェルはどうでもいいけど。クラリスが嬉しがってくれるなら安心するよ」
どうでもいいという発言はちょっといただけないので頬をつつく。レイは何故か表情を緩めた。
「それでね。いつかまたお寿司を食べたいと思うの。東エリアにしかないんだけど……一緒に行くことはできる? 無理ならその……お願いしてもいい?」
「東エリアの食べ物ね。うん、いいよ。クラリスが気に入ったのなら僕も食べてみたい。食べたい時は言って。買って持って来てあげる。今度は一緒に食べようね」
「うん! ……あ、私のはわさび抜きでお願いしていい?」
「わさび?」
* * *
食べ終わると抱きしめられた。膝の上に横抱きにされる。いつものことではあるがレイはとてもご機嫌だ。
「ありがとう。とても美味しかった」
「良かった。昨日は持って来てあげられなかったからね。シーウェル家では何か食べた?」
「馬車を待っている間に義弟さんがさくらんぼを持って来てくれたからリリーと二人で食べたわ。義弟さんはリリーのことお義姉様って呼んでるみたい」
敬語ではなかったのに。リリーはそのまま「リオン」と呼んでいた。この国のマナーで言えばこちらのほうが合っている。兄弟で敬語、様付けは滅多にいない。養子になったなら実の兄弟のように関係ないはずだけど、なんでかな。結婚はリリーの養子が外れればできるし。そういう教育? そういえばゲームでもそうだった。ゲームでは書かれていなかった、と思う。いろいろゲームとは違う。私の記憶のほうが間違っているのかもしれない。
「……クラリスのことは何て呼んでたの?」
「私? 確かクラリス様って呼んでくれたわ」
空気がピシリと裂けるような音が聞こえた気がする。レイの顔を見つめれば目をこれでもかと見開いていた。
「へえ~? 僕以外の? 男に? 名前を? 呼ばれたの?」
あーあー。聞いたのはレイなのに。ずいっと顔を近付けてくる。
「ねえ、もしかしてそれって学園でも?」
首を横に振りたかったが嘘になってしまうと思ったら勘付いたレイの目が据わる。学園に通う以上あり得ることなんだけど。レイなら分かっていたわよね。あれか、それでもいやだ、か。
私を抱きしめる力が強くなる。ちっと舌打ちが聞こえた。
「……なんで男女でクラスを分けないんだろう。クラリスと同じクラスにいる男全員滅びればいい」
「殿下がいるのにそんな発言ダメ!」
言うならタダだけど、実行しそうなところが怖いのよ。レイ、お父様に似てきた? いや、お父様はいつでもにこやかに笑いながら有言実行するからもっと怖い。レイを見つめる。うん、お父様に比べればまったく怖くない。
「それについて私がどうにかすることはできないからごめんなさい。それ以外でどうしたらレイの機嫌は直るの?」
「……いいよ。クラリスはそうやって嫌がりもせず怖がりもせず受け入れてくれるからもういい」
「そんなことでいいの? 何でもしていいのに。あ、痛いのはちょっとやだけど」
「そんなことするわけないでしょ! クラリスに嫌われるようなことなんて絶対したくない……あ、でも初めては痛いと……いや、それは今はやめよう。そういうことじゃない」
何か考えを消すように首を大きく横に振っている。何だろう。
「大丈夫、私がレイを嫌いになることなんてないから。だから何でもしていいわよ」
「受け入れ度合いが半端ない……」
はあ、と息を漏らすと私の頭を撫でてくる。
「本当にいいよ。どうせ卒業したら会わなくなるんだし。もうリオンとも会わないでね。リリー・シーウェルと会うなら今度はこっちに招いたら?」
「いいの!?」
ぱっと顔を明るくするとレイは目を細めて髪を梳き始める。
「クラリスがどこか行くよりずっといい。……本当、この発言を嬉しがるんだもんね。学園の間くらい何てことないや」
レイって時々変なことを言う。私リオンや他の男の人に会いたいなんて言ってないし、招かれたのなら今度はリリーを招きたいと思うのは当然のことよね?
いつにしようかな。何をしようかな。楽しみに考える私をレイは優し気な顔で見つめてくれた。




