婚約
「それよりも。レイは今日はどうして来てくれたの? 事前の手紙なかったよね?」
いつもなら明日行く、って手紙をくれるのに。
「ああ、うん。ちょっと君のお父様にお願いをね。……結果によっては君に会えないかもと思ってたんだけど、良かったから」
「お願い?」
お父様に?
お父様は公爵だから地位も権力も富もたくさんあるがレイも同じくらい栄えている公爵家の一人息子だ。一体なんだろう。
「良かったのならいいけど」
笑顔で言えばレイは苦笑する。
「内容聞かないんだね」
「うん。だって普通なら聞かなくても言ってくれるから、秘密にしたいことなんでしょ?」
「ならなんで笑っているの?」
「だってレイがなんだか嬉しそうだから。レイが嬉しいなら私も嬉しい」
きっとレイにとってはいいことだったのだろう。
にこにこ笑っているとレイは小さく息を吐いた。
「そうだね、君はそういう子だ。本当、無防備で心配になるよ。君が学園に通う三年後が今から怖いな」
学園。
ゲームの舞台だ。『パロディア魔法学園』が正式名称。成人する15歳の年から三年間、魔法を学ぶために通う。
ゲームのタイトルの真ん中の“マグニフィカ”はこの国の名前、マグニフィカ王国。王族の名字でもある。
「怖いってなあに? それに私の心配する前に、まずレイが入学するじゃない」
現在レイは14歳。約一年後には学生だ。
「僕? 僕はどうでもいいよ。君にあまり会えなくなるのが残念なだけ」
「え!? そうなの!?」
「そりゃあ朝から晩まで学校にいなくちゃいけないからね。平日はほぼ無理かな」
「そんな……レイに会えないなんて寂しい」
最近は特によく会いに来てくれていたから。公爵家の令息として忙しくしているはずなのに短い時間でも話に来てくれた。
悲しくなって俯くと頭に手を置かれて撫でられる。
「うん、僕も寂しいよ。だから我慢できなかった」
だから?
言葉が繋がっていないけど、レイに頭を撫でられるのは気持ちいいのでそのままの体勢でいる。
「……明日また来るよ。クラリス、明日も笑顔を見せてね」
僕は君の笑顔が好きだから。
なんだかお別れの言葉としては不穏に感じてレイを見つめたけど、レイが去っていく姿はいつもと変わらないように思えた。
* * *
その日の夜。お父様に呼ばれてリビングへ行く。すでにお父様は座っており、隣にお母様もいた。促された席に座るとお父様がじっと私の目を見つめてきた。
「さて、クラリス。君ももう11歳だ。学園に入るのは三年後。だけど、実は今日君の婚約を決めようと思ってね」
え。
まさか今日その話題が出るとは思わなかった。15歳で成人になるといっても学園があるためこの国の結婚する平均年齢は卒業した二、三年後。在学中に結婚することはまれで、婚約者がいる貴族の令嬢の結婚は卒業後が一般的である。貴族といえば政略結婚、ではあるもののそんなに幼い時から婚約はしない。学園に入りどんな人脈が広がるか分からないので15歳くらいまでは一端待つのが通例だ。
それなのに三年も早いなんて。ゲームの中のクラリスは入学前から婚約者がいたけど、こんなに早く決められるとは思わなかった。
ぱちぱちと瞬きする私にお父様は安心させるように柔く微笑む。
「クラリスが嫌がるなら無理強いする気はないよ。だから正直に聞かせてほしい。クラリスはレイモンドとの婚約をどう思う?」
相手の名前はもちろんレイだった。そもそも私はレイ以外の異性の知り合いなんていない。同性とてお茶会に呼ぶほど仲がいいのはほんの数人、片手で数えられる程度だ。
無理強いする気はないと言われた。もしここで断ったらどうなるんだろう。ゲームに影響は出るのか。まあ出るわよね、ヒロインはクラリスが婚約者のことを話す様子を見て恋愛したいなと思うのだから。
レイとの婚約。ロングハースト公爵家の一人息子。政治的に考えても、貴族令嬢としてこれ以上のご縁はそうそうない。幼馴染だし、ゲームの通りならお互い両想いでラブラブになる。政略結婚が当たり前のこの世の中で破格の待遇だ。知らない男といきなり結婚しなければならなくなるよりはよっぽどいいのではないだろうか。そこまで考えたら、自然と声が出ていた。
「喜んで受けさせていただきます」
断る理由もない。婚約すると決めた以上、レイを好きになって、レイにも私のことを好きになってもらおう。まずはそこから。ゲームのためでもあるし、私のためでもある。私だってどうせ結婚するなら政略結婚よりは相思相愛の恋人がいい。
「そう。じゃあ相手にもそう連絡する」
私の答えを聞いて目を細めたお父様は穏やかな口調のまま背もたれにもたれかかる。
「想像はしていたけど、それだけ嬉しがられたら父親として相手に文句を言おうという気もおきなくなったよ」
「はい?」
「いいけどね。私としても彼以上の男はいないし、彼も諦めないだろうし」
お父様は一体何を言っているのだろう。分からないという顔はしていたのに無視されて、そのまま話は終わった。
* * *
そして翌日。レイが言った通り彼は屋敷に来た。時間にしては随分早い。お父様が仕事に出てすぐだ。レイも王城に行く必要があるはずだけど、その前に寄ってきたらしい。
「おはよう、クラリス」
満面の笑みを朝から見せる彼が眩しい。ああ、もう婚約者なのよね。ちょっとどきどきする。挨拶をしたらいつも通り私の部屋へ招き入れた。
お茶の用意をしてくれたメイドが下がると二人きりになる。そわそわしながら昨夜のことを聞いてみた。
「あの。お父様からの連絡は来た?」
「うん。クラリスとの婚約を正式に認めるって言ってくれたよ。申し入れには早いと思っていたから嬉しい」
「申し入れ? お父様が考えたことじゃないの?」
どちらかの父親が考え出したことだと思っていた。私は了承したけどレイは私の婚約を嫌がってないかな、と心配していたのに。私の言葉を聞いてレイは苦笑する。
「まさか。僕が望んだんだよ。昨日君のお父様にお願いした」
「え」
昨日のお父様へのお願いってこのことだったの!? でもそれなら嬉しそうだったのは……。
「クラリス。僕は君が好きだよ」
紅茶を置いて真剣な顔で私を見つめ告げてきた内容に目を丸くする。
婚約したならレイに私を好きになってもらえるよう頑張ろうと思っていたのに、まさかもう好かれていたなんて。どう返事すればいいのか分からなくて慌てる私にレイは嘆息しながら向かいの席から隣に来た。落ち着くように頭を撫でられる。
「もしかしたら、と期待していたけど……分かってなかったんだね」
「え、あの……」
「もう兄のような、とは思われたくないからね」
ちゅ、と額にキスされた。
きゃああああ。
顔を真っ赤にする私を見て満足そうに微笑む。
か、かっこいい。って何きゅんとしてるの。私チョロすぎ。
それに年上とはいえ、兄のように思ったことはないけど。むしろ頭を撫でるとかレイのほうが私を子ども扱いしていたと思う。
でも。
ゲームにはレイモンドルートがある。
ヒロインと会ったらヒロインを好きになるのだろうか。
……それはいやだな。
今の私への気持ちは軽いもの?
「私でいいの?」
「で、じゃないよ。僕はクラリスが、クラリスだけがいい。誰でもいいわけじゃない。そんな寂しいことを言わないで。婚約は了承してくれたんでしょ? 僕を好きになってもらえるように努力するから」
ひゃ、あ、う。
どきまぎする。甘い声で言うのはずるい。好きになってもらおうがいつのまにかクリアしてたなんて。後は私がレイを好きになるだけ。
――うん。
決意するように一つ頷くとレイをまっすぐ見つめた。撫でていた手が止まる。
「私、レイのいい奥さんになれるようにがんばる」
ヒロインには申し訳ないけど、学校に入学する年齢にならないかぎりゲームとは無関係だと考えよう。
まずは相思相愛になるんだ。
レイモンドルートが来ないように、ラブラブカップルを目指してみせる!