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風邪なんか嫌いだ(レイ視点)

 昔はクラリスに会えない分手紙のやりとりは頻繁にしていた。

 手紙で次回会う日時を約束し、その約束の日を楽しみに勉強その他を頑張っていた。


 ある日、父上からクラリスが風邪を引いたため次の約束の日に会えないことを聞かされた。

「クラリスに会えない?」

 遠回しに死ねと言われているのか。

 顔面蒼白になる僕に父上が風邪が移るからだとか何とか言っていたがそんなことはどうでもいい。むしろ風邪だからこそ傍にいたい。クラリスが僕の見えないところで苦しんでいて、それに対して何もできないなんて。

 この時ばかりは勉強も何も身が入らない。クラリスが心配で食事も喉を通らなかった。

 自然治癒なんていいじゃないか。怪我は涙を呑んで我慢するから風邪だけでも。

 ああ、クラリス。やっと会いに行けると思っていたのに。あの笑顔を見て力がもらえたら僕はこの先も頑張れるのに。

 眠れているかな。食事はちゃんと取っているかな。熱はどのくらいなんだ。僕に風邪が移ることでクラリスが元気になるならそのほうがずっといい。

 居ても立っても居られず彼女の屋敷に向かおうとしたが両親に止められ御者も言うことを聞かない。空間魔法での移動はまだできず、仮に能力があってもイシャーウッド家はそれを禁止している。

 歩いて行くか。

 だがやはりイシャーウッド家に許可をもらわなければ門前払いだ。あの部屋のプロテクトは並大抵ではない。彼女の安全に貢献しているのでそこは安心だけど、今は邪魔だ。


 クラリス。会いたい。傍にいたい。

 ……どうして僕にはその権利がないのだろう。

 クラリスが早く元気になりますように。

 女神様に祈ることしかできない自分が惨めだった。

 彼女が風邪になる度そんなことの繰り返しになるのだから、僕が彼女の健康に気を付けるのは当然のことだ。




 *   *   *




 世間の人に比べて僕はあまり風邪を引かないほうである。さすがに自分が風邪を引いたらクラリスに会いに行かなかった。彼女に風邪を移すなんて言語道断だ。そんなことをして嫌われたら悔やんでも悔やみきれない。


 あの時も彼女に会うつもりなんて始めはなかった。

 彼女と婚約して恋人になれて、屋敷にも顔パスで遊びに行ける。毎日のようにクラリスに会えて幸せな時だったからずっとベッドにいるのは寂しくて仕方がない。

 クラリスも少しくらいは僕に会いたいと思ってくれているだろうか。しかし彼女が寂しがっているのはいやだ。いつでも笑っていてほしい。

 クラリスの笑顔を思い出す。それだけでつらい感覚が薄れる気がした。

 クラリスにはこんなつらい思いはさせたくない。だから元気になって会いに行くんだ。


 そう思っていたはずなのに、長引いて一週間が経つ頃には正常な判断などできていなかった。

 クラリスに会いたい。その一心だった。

 彼女に会わなければ治らないと変な強迫観念すら抱いていた。

 空間魔法は危険だからやめる。失敗して彼女に一生会えなくなるのはいやだ。僕は彼女に会いに行くのだ。

 着替えは魔法でした。真冬のように何度も上着を重ね厚手のコートに手袋にマフラーにと思いつく限りの物を身にまとい目くらいしか外に出さないようにして。シャワーを浴びたいなどと見当違いなことを考えていた。

 馬車は無理だ。使用人に見つかったらベッドに戻される。自分でも記憶がないが、使用人に見つからないまま隣といっても数キロある距離を僕は歩いて行った。健康な時でもしたことがないのによく辿り着けたものだと感心する。

 玄関先で彼女の顔を見た途端緊張の糸が切れたのだろう。

「クラリスに移すのはいやだけどクラリスに会えないのはもう限界」

 それだけ言うと僕はそのまま意識を失った。


 次に目を覚ましたのは数日後。熱はすっかり下がっていた。

 目を開けて最初に見たのは心配そうなクラリスの顔。僕は自分が何をしていたのかも忘れて、どうしてそんな顔をしているのかと逆に心配した。そんな顔をさせた人間を潰したい。そう思いながら口を開こうとして「大丈夫?」という彼女の一言で全てを思い出した。自分が客室のベッドの中でバスローブを貸してもらっていることにも気が付いた。

 瞬間、顔が青ざめる。

 待て、僕は何日お風呂に入っていない?

 そりゃあタオルで体を拭いたりはしていたが、毎日きちんとお風呂に入って身を清めているクラリスを抱きしめる? そんなことが許されるか?

 今近いのも大丈夫か? クラリスに「くさい」と言われたら生きていけない。


「ああ、起きたの?」

 扉が開くとともに入ってきたのはイシャーウッド公爵だった。

 何故彼が、仕事では、と疑問に思ったがカーテンで閉められた窓の向こうはすでに暗く、クラリスは寝る前に僕の様子を少しでも見に来てくれていたらしい。

 移るかもしれないという不安とわずかな時間でも会いに来てくれて嬉しいという喜びがせめぎ合う。

 イシャーウッド公爵が家に連絡してくれたことも風邪が完治するまで置いておいてくれたこともいろいろ説明していたがまずは、とすぐさまベッドから起き上がる。多少ふらついたがクラリスが手を伸ばして支えようとする前に気力で立った。

 そして全力で頭を下げた。

「本っ当にごめん! クラリスに移すかもしれないのに来るなんて僕がバカだった!」

 最悪だ。最低だ。クラリスが風邪の時は我慢していたのに僕は何をした。責められて当然だ。

 穴があったら入りたい。数日前に戻れるなら大人しくベッドにいろと自分を殴って気絶させたい。

 もし風邪が移ったらどうしよう。あんな苦しい思いを僕のせいで彼女にさせるのか。

 ああ、それを思うと謝るより先に移らないよう僕からクラリスを離すべきではないか。

 身を切られるほどいやなことだが彼女の健康には代えられない。


 そう思いクラリスに話そうとする前に聞こえたのは笑い声だった。

「あはははは! 今更それ言うの? あははははははは!」

 ………………。

 っ……僕が悪いとはいえクラリスの前で笑われるのは耐えがたいものがある。

 けれど文句を言う資格なんかない。彼の言う通り本当に今更だ。謝るくらいなら来なければいい。クラリスを心配させた罰として元気になったら僕を殴ろう。

 イシャーウッド公爵が僕を非難してもきちんと受けなければ。

 クラリスの顔が見たかったから風邪でも来たなんて、僕は最低だ。


「お父様最低」


 可愛い声で容赦のない言葉が聞こえて思わず顔を上げてしまった。笑い声も止まっている。

 クラリスの視線の先をそのまま見ればイシャーウッド公爵が固まっていた。

 それはそうだろう。僕だって彼女に言われたくない言葉上位に位置する。

 もちろん一位は「嫌い」だ。あ、想像だけでへこんだ。イシャーウッド公爵の笑い声で死にはしないがこれを言われたら僕の心臓は止まる自信がある。

「レイ、お父様なんて気にしなくていいからね」

 なんて、という言葉にイシャーウッド公爵の周りの空気がさらに暗くなる。

 それはそうだろう。「レイなんて」と言われたら僕はどうしていいか分からない。その後の言葉も聞きたくない。風邪の時より長く寝込む恐れがある。

「会えて嬉しいわ。元気になってよかった」

 久しぶりに見た彼女の笑顔に気付けば「うん、ありがとう」と返事してしまっていた。

 ああ、やっぱりいいな。

 クラリスの笑顔が僕の元気の源だ。心も穏やかになる。

「もう遅いから明日改めて会いましょう。まだゆっくり寝たほうがいいわ。さ、お父様。行きましょう」

 優しい声ではあったが動かないイシャーウッド公爵の背中を押して出て行った。

 イシャーウッド公爵は大丈夫かな、と心配までしてしまった。




 *   *   *




 後日、僕は僕で両親や使用人から怒られたがイシャーウッド公爵も公爵夫人からこっぴどく叱られたとクラリスに聞いた。

 イシャーウッド公爵が愛妻家なのは有名だ。か、可哀想に。

 僕がクラリスからこっぴどく。えええ、そんなクラリス想像もできない。耐え切れず屍になっているに違いない。

「レイとはしばらく口を利かないからね」

 などと言われても我慢ならず話しかけてしまう。それでまた怒られて、話せなくなって……あ、無理だ。悪循環だ。早めに土下座しよう。


 それを思えばリリー・シーウェルに初めて会った時すぐ謝罪して正解だった。クラリスから怒られたことはへこんだがあれで済んでもらえたことに思い出す度、胸を撫でおろしている。

 あの女に関してはどうにもならないが僕はクラリスに怒られないようこれからも気を付けなければならない。とにかく風邪を引いてクラリスに迷惑をかけるのはいやだ。クラリスが風邪を引いたのに何もできないのもいやだ。

 何よりも笑顔が似合う彼女と、二人ともずっと健康で一緒に過ごすんだ。

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