特別な呼び名(レイ視点)
二度目の訪問はお茶の時間に行ってしまったのが悪かったのだ。だからそれを避けて行くことにした。それでも初めて会った時ほど懐いてはくれなかったけれど、とにかく傍にいて話しかけた。
彼女が小さい頃は自室がなかったから会うのは専らリビングだ。ソファーよりラグに座って話をすることが多かった。
「あのね、クラリス。僕6歳になったんだよ」
「ろくさい?」
目を丸くされて冷や汗をかいたがすぐにぱああ、と明るく笑う。
「ろくさい! おたんじょうびおめでとう!」
にこにこして手を振る仕草が可愛い。とても可愛い。この笑顔がもっと見たい。……家に持ち帰りたい。
そこまで考えたところ後ろにいるイシャーウッド公爵から殺気が放たれたため慌てて思考と無意識のうちに伸ばしていた手を引っ込めた。
嘘です、嘘です!
怖い。僕の顔なんて見えていなかったはずなのに。
クラリスは僕の震えている体には気付くことなく「ぷれぜんと……」と言いながらきょろきょろ辺りを見回している。この姿を見ていると心が穏やかになっていく。
正直クラリスからのおめでとうの一言だけで幸せだ。とてもいい一日だった。父上、連れて来てくれてありがとうございます。
クラリスの誕生日が過ぎた後会ってしまったのが惜しい。来年の誕生日はいっぱいお祝いしよう。
「ぷれぜんとなにがいい?」
「クラリスが僕の傍にいてくれるだけでいいよ」
できるなら一生。クラリスは分からないとばかりにこてんと首を傾げる。その様子も可愛い。辛抱たまらず頭を撫でた。髪綺麗。つやつやでふんわりしていてああ、幸せ。目を瞑って僕のしたいようにさせてくれているクラリスも可愛い!
「ん~……じゃあ、これは?」
クラリスが出してくれたのはポケットに入っていた飴玉だった。
「……いいの? クラリス、お菓子好きなのに」
ムカつくぐらいに。
「たんじょうびだから。これわたしがすきなあじなの。すきになってくれるとうれしい」
「好きです」
「まだたべてないよ?」
食べずに宝物として取っておきたかったがきらきらした瞳でじっと見つめられたので封を開けて口の中に入れた。ミルク味だ。クラリスが好きな物、として頭の中にインプットした。
美味しいと感想を告げれば顔がほころぶ。彼女の笑顔が合わさるとさらに美味しくなった気がする。
「もっとたべる? レイモンドさんがすきなあじはなあに?」
ポケットからまたいくつか飴玉を出す。いろいろ持っていたらしい。
それに驚くよりも、彼女の口から出た「レイモンドさん」という言葉に心がざわりとした。
大方の人間からそう呼ばれているのに、彼女に呼ばれるとすごく他人行儀な感じがしていやだった。彼女との間に壁を感じる。
特別好きな味というものはなかったからクラリスに食べてほしい味としていちご味を選んだ。彼女はプレゼントで僕にあげるつもりだったが僕は袋を開けると彼女の口の中に入れた。あーんっていいな。
「ねえクラリス、誕生日プレゼントなら僕一つ欲しいものがあるんだけど、いい?」
「なあに?」
「あのね、僕のことレイモンドさんって言うのやめてくれる?」
訳が分からないと僕を見つめるクラリス。
「なまえよんじゃだめ?」
「ううん、そうじゃなくて。さんはいらないよ。……そうだ、呼びやすく短くしていいよ」
彼女からだけ特別な呼び方で呼ばれる。我ながら名案だ。何がいいかな。クラリスもうーんうーんと頭を抱えて考えている。可愛いなあ。
「レイ、は? だめ?」
「レイ?」
彼女の言葉を繰り返せばこくりと頷かれる。
レイ、か。うん、いい名前だ。クラリスが考えてくれたってところがとてもいい。
「うん。僕のことはこれからレイって呼んでくれると嬉しいよ!」
了承したらクラリスのほうが嬉しそうにふわりと笑った。
「レイ。レイ。レイ」
楽しそうに僕の名前を何度も呼ぶ。
可愛い!
決めた、将来は必ず僕のお嫁さんになってもらおう。それ以外の選択肢はなくしてみせる、と幼児にしてはかなり物騒なことをすでに考えていた。彼女の敵は一掃しよう。ずっと僕の傍で笑ってもらうんだ。
この思想にはイシャーウッド公爵からのお咎めの視線がなかった。父上達との話が盛り上がっていたのだろうか?
その後も僕の名前を連呼してくれて、とても幸せな一日だった。
* * *
成長すれば将来の人脈を広げるためお茶会に出たほうがいい。父上が人望のある人だから自分から行かずとも僕に取り入ろうとする人間は後を絶たない。こういう時クラリスがするなら、と国内の貴族全員を記憶しておいてよかったと思う。クラリスを幸せにするには敵を潰すのと同時に味方をできる限り多く作ることが重要だ。
今日はディーンの家主催のお茶会に来ていた。改装した庭園のお披露目でもあるらしい、大勢の参加者がいた。ディーン本人は主催者として挨拶回りに追われている。
男はいいとして、問題は女だ。僕にはもうクラリスがいるのに財産目当てに今も一人しつこく話しかけてくる。うっとうしい。彼女以外の女など息をしているだけでも邪魔だ。無視しているのを容認されていると勘違いするバカが。この女は以前も僕に言い寄ってきたため何度か文句をつけたが短期間で忘れるらしい。
香水のつけすぎで鼻が曲がりそうだ。払うように手を振って魔法で周りの香りを外に出す。気持ち悪い。
話す内容もいつも自慢話か他人の悪口、何も面白くない。話したい人とは話せたしそろそろ帰ろう。ディーンはどこかと探している時も女のたわごとは終わらない。今日はクラリスに会える日で機嫌がいいから放っといていたがそろそろ限界だ。これ以上付きまとわれないためにどうしようかと考えていると
「あの、もしよろしければレイ様、と呼んでもよろしいでしょうか」
「――!」
不快な気持ちが一気に湧き上がる。それは彼女だけの呼び方だ。彼女が考えてくれた特別なものだ。彼女以外の汚い口が放つなど万死に値する。
「黙れ」
悲鳴とともに無様に地面に転んでいった。僕がひと睨みするだけで尻餅をつく程度の人間が僕の宝物と同じ言葉を口にするな。
空に人差し指を出しぴ、と右に振る。口を縫った。話せはしまい。このくらい初歩の初歩だ。何をされたか分からないとばかりに騒ごうとしているなど愚の骨頂である。自分磨きに夢中で魔法のまの字も使えない女には解除できないということか。どうしようもない外見を磨くなど意味のないことをするより内面を磨くべきなのに。
見下ろしながらこの女の処分方法を考える。こういう人間は自身の無能さを自覚せず僕の大切なクラリスに当たる可能性がある。
彼女に会う前に潰さないと。
女の父親の仕事ぶりを思い出す。この女にしてあの親か。潰し甲斐がある。
ふ、と笑った僕の顔がよほど醜かったのだろう、女の顔が恐怖に染まる。後悔しても遅い。この石ころに情はない。自分の一言がどれだけ重いか思い知れ。なおも騒ごうとする女を無視して歩いて行く。
少しだけざわざわとした周囲を不審に思ったディーンがこちらに向かってきた。ちょうどいい。起こったことを告げて後始末を頼み少し早いがクラリスの家に行くことにした。
「いらっしゃい、レイ」
クラリスの笑顔は本当に癒される。早く来ても喜んで入り口まで迎えに来てくれた。可愛い。お茶会なんかに行くよりずっといい。
何故外にいる女性はろくな人間がいないのか。僕のようにこうやって屋敷の中にしまっている男がいるからか。
抱きしめたい衝動を抑えて手を伸ばし頭を撫でる。
「……? レイ、何かいやなことあった?」
「え?」
「いつもより会った瞬間に眉間のしわがあったもの」
言うなりクラリスは僕の眉間に手を当てた。撫でるようにそっと触れられてすぐ離れる。
クラリスは何も考えず接触してくるから反応に困る。僕は我慢しているのに。ああもう、何をしても可愛いな。今日のことより僕のこの気持ちを分かってもらいたい。
「今はなくてよかった。解決したの?」
「大丈夫だよ。大したことじゃなかったから」
「そうなの? それならいいわ。無理しないでね」
「していないよ」
あの邪魔な物体には二度と会うまい。無駄に話してくれたおかげで消去する算段はついた。今僕の視界の中にいるのはクラリスだけ。幸せだ。
彼女の視界もこうなるといい。他の男なんて入らないようにこれからも外になど絶対行かせない。