僕は「弟」(リオン視点)
初めて会った義姉は可愛らしい人だった。
「改めて、私はジョゼフ。こちらは妻のミランダ、そして息子のリオンだ。貴女にとっては弟になる」
「よろしくお願いします」
お父様からの紹介に軽く頭を下げた。お母様は娘ができることを嬉しがっていたがいざ本人を目の前にすると緊張するのか俯いている。お父様が小さく、二人を安心させるように笑った。
「妻はシャイだから無口なことも多いが、貴女となら女同士気が合いそうだ。よろしく頼むよ」
「は、はい……」
義姉も義姉で自信なさそうに俯いていて、小声で返事していた。その姿が愛らしく見えて、何かあったら自分が守ろうとそう思った。要するに僕は一目惚れであった。
自身の外見から言い寄ってくる女性が後を絶たず、貴族の女性に嫌気が差していたためそうでないお義姉様に惹かれたのかもしれない。
僕は彼女を「リリー」でなく「お義姉様」と呼ぶことにした。
「あの……どうして私を様付けで呼ぶの?」
当然聞かれた質問には様付けで呼ばれるのを慣れるように、と答えた。
呼び方なんて言い訳だ。本当に貴族社会に慣れさせたいなら僕は敬語で話すべきである。
本音は僕の自制のため。養子との結婚は反対されていないが、彼女の名前を呼ぶのは自分には非常に勇気がいることだった。名前を呼んでしまったら一緒にこの想いまで告げてしまいそうだった。
瞳も綺麗だと思った。だけど気にしているなら言わないほうがいいかな、と言わずにおいたのは間違いだったみたいだ。
学園初日、心配する自分に対し帰ってきたお義姉様の顔は行きよりも幾らか晴れやかだった。朝にはなかったクリップで瞳は見せられていて、それを何度も嬉しそうに触っている。お母様に高価な物だと聞かされた時はびっくりしていたがそれでも毎日大切に髪につけていた。
そのクリップをもらった相手はまさかのイシャーウッド公爵の一人娘だった。
といってもどんな人かは知らない。まったく表に出てこない深窓の令嬢として有名な方だ。原因は婚約者のレイモンド様らしい。父親も婚約者も有名で有能、彼女の友人は完璧な人物でないと二人が許さないとまで言われている。敵に対しては手厳しいあの二人が溺愛する人物。性格も分からないがお義姉様が平民だったのを知りながら友人になり、お昼を共にしているらしい。お義姉様曰く優しい方なようで安心した。
学園内では殿下に続いて位の高いイシャーウッド家だ。イシャーウッド公爵令嬢がお義姉様の味方ならばお義姉様の学園生活は安泰だとほっとした。
他にも誰か褒められた人がいるらしい。その二人が特別なのは見て取れた。「学校で何か困ったことはない?」と聞いてみたけど「何もない」と即答されてしまった。僕の出番はないらしい。
安全が確立されたお義姉様はとても勤勉だった。図書室がお気に入りでいつもイシャーウッド公爵令嬢についてきてもらうらしい。
彼女から勧められた本を手に取って、必要ならノートに書いて。お父様が何か願い事はないかと聞いた時の返事も魔法の勉強に関するものばかり。
「縁談を気にするより魔術師にさせてあげたほうがいいのかもしれないな」
そんなことをお父様は呟いていた。
魔術師になったら王城でも会えるかな、と期待した。
ある日イシャーウッド公爵令嬢がこちらに来ることになった。僕は残念ながら家庭教師の時間のため会えない。お義姉様が彼女と二人きりになることを望んでいたことが気になって休憩時間に部屋へ行ってみた。
僕を見ても反応は薄い。婚約者がいても僕に言い寄ってくる人は絶えなかったがレイモンド様も眉目秀麗な方だし父親のイシャーウッド公爵もだ、美形には見慣れているか。
それよりもお義姉様の雰囲気がとても柔らかかったことに驚いた。彼女を信頼している様子が現れていた。お昼の時もびっくりだ。僕達にも遠慮がちなお義姉様のあんな積極的な姿初めて見た。惚れ直したが僕は遅かった。
夏休みに入る頃、袋を持って帰ってきたお義姉様はとてもご機嫌だった。袋の中身は紅茶の茶葉。
「練習したいの」
とメイド達に言っていた。一生懸命練習する姿を見て悟った。彼女の中でイシャーウッド公爵令嬢でないもう一人が別の意味で特別になっていることに。
ああ、失恋してしまったか。
お義姉様の中で僕は完全に「弟」だった。僕が今迫ったところで困らせるだけ。だったら応援しよう。彼女の幸せを願おう。
彼女が望むままに、「弟」として。
実際わずか12歳に過ぎない僕にできることなど限られている。残念ながらお義姉様からの信頼は得られなかった。お義姉様が常に頼るのはイシャーウッド公爵令嬢だった。親友なんだね、と言えば嬉しそうにはにかむ。その笑顔につい見惚れてしまう。
「うん、クラリスもそう言ってくれるの。私クラリスに会えて本当に良かった」
地位もあり将来も確約され、お義姉様の友人として申し分ないどころか身に余る方だ。お義姉様から話を聞く度彼女がいかにお義姉様を大切に思っているか分かる。彼女に守られていれば大丈夫。僕に話せないことも彼女には話せている。悔しいな。
お義姉様が好きになったのは年上の人。放課後魔法を教わっていると言っていたからその人だと思っていたが教師だから確信は持てなかった。けれどやはり先生だったか。
どうするのかと思ったら、さらにレイモンド様まで。
ああ、敵わない。いいや、もう。「弟」としてでも彼女の近くに一生いられる。「弟」は僕一人だけなのだから。
その先生とうまくいったことは祝福した。レイモンド様によってその方の領が豊かになることが決定した時もお義姉様が幸せになるなら良かったと素直に思えた。
王城で知らない人に話しかけられレイモンド様が追い払ってくれたことは不審に思ったが、それがお義姉様に繋がっているとは思わなかった。
まさか殿下に気に入られていたなんて。
パーティーの招待状にペアと書かれていて少し期待してしまった。しかし無理だ、僕では迷惑をかける。お義姉様も僕ととはまったく考えていない。お義姉様から断られるよりは、と強めに「参加したくない」と発言した。パーティーは昔のことがあったから今まで行っていなかったし、理由はきちんとある。不思議がられることはなかった。
心配したものの帰ってきたお義姉様はやはり行きよりも表情が柔らかかった。魔術師団の団長と話し合うことができたらしい。
「私絶対魔術師になる。功績をあげるんだ」
やる気に満ち溢れたお義姉様。それは好きな方のためでもあるし、手配してくれたレイモンド様……いや、親友のイシャーウッド公爵令嬢のためでもある。養子としてくれたお父様達への感謝の言葉も忘れない。初めて会った時とは大違いだ。そういうお義姉様も素敵だと思うけれど、僕にできる手段は見守るのみ。
レイモンド様が味方でなければ僕はお義姉様を諦められなかったかもしれない。というより、イシャーウッド公爵令嬢がお義姉様をとても大切にして何かと動いていなければ、か。レイモンド様は婚約者のために動いたに過ぎない。
あの人はお義姉様が先生を好きになったから協力した。そうでなければ僕の協力をしてくれたかな、と一度しか会っていない人に何を期待しているのか。
卒業と同時にお義姉様は結婚し、ワイズ領に行ってしまう。
反対はしない。お義姉様の嬉しそうな顔を見たらそんなことできるわけがない。
一年に一度は帰ってきてくれるそうだ。お母様と約束していた。
大丈夫、僕と彼女の縁は切れない。例えそれが「兄弟」という望んでいない関係だとしても。
リリー。
心の中で言うことは許して。貴女の前ではずっと「弟」でいるよ、僕のお義姉様。




