ハッピーエンド(リリー視点)
いつ養父母に先生の話をするか、ある日のお茶の時領に付いてきてくれたメイドも交えてリオンと話し合った。
「今するのは反対だよ。卒業の少し前がいいんじゃないかな? 殿下とのこともそのくらい経てば記憶から薄れているだろうし」
「私もそう思います。恐らくロングハースト家のご子息もそちらを想定した上での観光地化かと」
「うん。でもそれとなく悟らせるようにお義姉様がワイズ領の食べ物を気に入っていることを今のうちから積極的にアピールしたほうがいいかも。あそこの美味しいものね、僕も好きだから協力……って、僕が食べたいだけ」
舌をぺろりと出す。そんな仕草にも色気が出るのだからリオンってすごい。
「ありがとう」
「僕に勝ち目はないからね。それならお義姉様の弟として味方したほうがいいよ」
……? どういう意味? 聞こうと思ったら何故かメイドにさりげなく止められた。
「ところで、殿下とのことは本当に大丈夫なの? 夏休みが終わったらバリアは?」
「バリアは魔術師になるための勉強にもなるから続けるつもり。クラリスによると、大丈夫みたい。私魔術師になるのがんばる」
法律まで改定したと聞いた時はびっくりしたけど、卒業式まで私が心配することはないとクラリスからお墨付きをもらった。パーティーでは魔術師団団長と話せたし、私が努力していれば周りの人が王子を遠ざけてくれる。
クラリスは「レイがしてくれたの」と言ったけど私のため、と思って何かしてくれた人は彼女だけだ。後は皆クラリスのため。
だから私が感謝すべきは彼女で、それは他の人もそう思っているはず。婚約者さんだって私に感謝されてもむしろ不快だと思う。
全部クラリスがいてくれたから。本当にありがとう。
パーティーの後は直接会えていない。テレパシーでお礼は言ったものの夏休みが明けたら改めて言おう。
「本当にお義姉様はイシャーウッド公爵令嬢に大切にされているね。妬けるくらいに」
「え?」
思考から抜け出してリオンを見てみると、彼は紅茶を飲んでいた。リオンって、何かを隠す時は紅茶を飲んでいるような……。それにしても、まるで婚約者さんみたいな台詞だったな。
私とクラリスはあくまで親友なんだけど、時折婚約者さんの私に対する視線は厳しい。ライバル認定されている。しかしそれもクラリスが彼のほうを向けば消える。クラリスに見せたくなくて必死に隠しているわけじゃなく、彼はクラリスの顔を見ただけで頭から煩わしいこと一切が消えるみたい。その後クラリスが再度私のほうを向いても彼はご機嫌にクラリスを見つめているから。そもそも私に対する敵意はクラリスの前でも隠しているわけではない。それでもクラリスが大切にしている人間だから、それだけで彼は私から王子を遠ざけようとしてくれた。
それと同時に、私にあまり話しかけないのはクラリスが嫉妬しないようにという配慮だろう。クラリスが私に嫉妬って、する必要が見当たらないんだけど。
だから……私も、言わないほうがいい。クラリスは気付いていない。私も王子のことがなければ気が付かなかったと思う。時折、王子の傍にいる側近さんがクラリスを見ていること。そういえば図書室でもそうだった。でもあれは、最初クラリスのほうが誰かを探している感じだったような……。どのみち婚約者さんが気付いていないとは思えないので、彼が何とかするはず。クラリスは婚約者さんに一途だから心配はいらない。
そして。リオンには言わなかったけど、もう一人。ペアになってくれたディーン様についても、パーティーの帰り道でクラリスはもう心配しなくてもいいと言ってくれた。
パーティーでのことを思い出す。
* * *
ディーン様は無視すれば婚約者さんが不機嫌になって周りを撃退できると言っていたけど、いちゃいちゃしていても撃退ってできるものなんだ。クラリスが嬉しそうだから私もこちらで良かったと思う。
バカップル、と彼は呆れている。あーあ、と大きな溜め息をつくと頭を掻いた。
「ったく、相思相愛なんてオレにはよく分からんわ」
恋人がいたら私のペアにはならなかったから当然か。
「恋愛結婚も珍しいもんだけど、あそこまで怖え奴なのにラブラブバカップルってなんだよ……尋常じゃねえよあんたの友人、強すぎんだろ」
この人は学内で一緒にいる時いつも苦言を呈していたからなあ……。
確かに、細かいところまで見ている発言は私も怖かった。クラリスは冗談だと思ってるみたいだけど婚約者さんの口ぶりからすると冗談じゃないと思う。
うーん。お、お似合いである。婚約者さんがクラリス以外を好きになるなんて考えられない。
「あんたもよくまあ親友でいられるな。レイモンドから攻撃されんだろ?」
それには首を横に振った。初めて会ったあの時もそうだったが彼は睨みつけてくることはあっても私の悪口を言ったことはない。全てはクラリスのため、である。
婚約者さんの愛情の重さは怖いものの、ある種あそこまでラブラブというのは
「羨ましいと思います」
「……あれ、が? まさかあんたの恋人も独占欲強いのか? おい、オレ後ろから刺されねえだろうな」
愕然とし慌てたように後ろを振り返る。私も動転しつつ強く首を横に振った。
「そんな人じゃないです! その……大っぴらに言えてていいな、と」
「……え、あんた不倫?」
今度は引かれた。
「違います!」
「なら何だよ? 殿下から逃げてえならさっさと結婚しちゃえばいいじゃねえか。年下でまだ未成年とかか?」
それも否定する。結婚……ハミルトン先生は教師を続けたいのに?
私だって、せめて卒業までは先生と一緒の学園に通いたい。私が俯くとディーン様は首をひねる。
「何か結婚できねえ理由があるのか? あいつらみたいに学園卒業後って約束とか? なら婚約は?」
「い、いえ……こ、婚約もしていません。じ、事情があって……将来の約束だけはしました」
ここまで言ってよかったかな、と心配したがこの人は王子に告げ口する人ではないだろう。そう安心していたけれども、しばらく考え込んでいたディーン様は顔を上げると少しだけとぼけた口調で言った。
「なあ、オレと婚約してみるか?」
「……え?」
「何の事情があるか知らねえが婚約もできねえんだろ? 公爵家との婚約なら周囲は何も言えねえし、殿下も考える。卒業したら婚約破棄してそいつと結婚すればいい。オレも婚約者がいることで周囲をあしらえるしな」
考えるより先に頭を下げていた。
「す、すみません……。したく、ありません」
ディーン様の視線を感じる。彼にもメリットがあることだから提案したのだと分かっている。しかし、私だったらいやだ。どんな理由があっても、ハミルトン先生が私以外の人と婚約するなんて。今日だっていや。他の人とペアなんて。
ああ、早く帰りたい。今日のことハミルトン先生に言えなかった。でもパーティーがあるのは当然知っているはず。
「…………ま、誠実とは言えねえな。……悪かった」
顔を上げればディーン様はクラリスと婚約者さんがキスしそうなところを止めていた。
…………勘違い、かな。とぼけた口調に反し、目は真剣だった気がする。
その後クラリスによって勘違いではなかったと気付かされた。帰り道、彼女は温かく、けれど少し小声で「大丈夫よ」と発言してくれた。
「リリーがあまりに可愛いからくらっと来ちゃったのね、うん」
クラリスは私を褒めすぎだと思う。でもうんうんと頷く彼女のおかげで気持ちが軽くなりディーン様と気まずくなることもなかった。
ディーン様からも「悪かったな」と手を前に出されわざと軽い調子で謝られた。いつどこで私を好いてくれたのか分からないが、私は応えられない。心の中で再度ごめんなさい、と謝りながらいつもと同じ雰囲気でお別れできた。
始まった時は不安だったけど魔術師団の団長様が来てからは王子の誕生祭だということが頭の中から抜けるほどに楽しかった。最初は緊張してしまったが物腰が柔らかい方で徐々に話せるようになった。魔法の話中心だったので好奇心が勝った。
彼が魔術師になった後こういう仕事をしたとか、部署はいろいろあるがどこがいいかとか、そこでしている魔法の研究や魔具の使い方とか。先生の時も師匠の時も思ったけど、何かの分野を極めた人の話は非常に面白い。
私もこうなりたい。将来王都から出る予定だと告げても「魔具で通勤できるから大丈夫ですよ」と言ってもらえた。研究もいいけど私魔法や魔具をたくさん使える部署がいい。多くの功績を上げたい。それがハミルトン先生のためになると思えばなおさら。パーティーに出られてよかったとすら思えた。
私は恵まれている。こんなに魔力が大きく生まれてきてよかった。
* * *
卒業式が終わり皆が庭園に移動する中帰ろうとしていた私達に、王子が話しかけてきた。
よく思えば王子とこうして対面するのはクラリスがバリアをしてくれた前日以来だ。私はずっと彼女に守られてきた。久しぶりに王子と目が合った気がする。クラリスは心配そうに私を見つめてくれたが彼の目が最後だから、と懇願するように見えたせいか不安に思いつつも私は一歩前に出ていた。
王子からは本当に一言だけだった。ごめんなさいという謝罪は違う気がして感謝の言葉を告げると、彼は少しだけ穏やかに笑っていた。今更どきりとすることもないけれどもこの人は本当に自分のことを想ってくれていたのだと自覚した。
クラリスと途中で別れて、今隣には合流した先生がいる。彼女に再会できるのがいつになるか分からないが彼女は最後まで私に向かって笑ってくれた。
遠くから校舎を見つめる。もう来ることはない建物になってしまうと思うと寂しい気持ちもあるけれど、私はずっとこの時を待っていた。
「ハミルトン先生と通えて、とても幸せでした。ですがもう先生じゃないし、私も学生じゃありません」
真っ直ぐ彼の瞳を見つめる。先生はふわりと優しく笑って、手を差し出してくる。
「そうだな。――リリーさん。俺と一緒になってくれますか?」
「はい、もちろんです」
ハミルトン先生の手に手を重ねた。
「私もこれからがんばって敬語なくしますから、先生もさん付けやめてくださいね」
「……え? いきなりなんで?」
ずっとナタリー先生を呼び捨てにしているのが羨ましかったと言ったらどんな顔をするかな。それを考えてふふっと笑った。分からなさそうに小首を傾げる先生を見てさらに笑みを深める。
「いつ連れて行ってくれますか?」
私はもう準備万端だ。そう言えば私の大好きな笑顔を見せてくれた。
「俺も。ああ、でもまずはこれから書類出さないと。そうしないと安心できない」
「そうですね。今すぐ行きましょう」
彼の手を引っ張って出口へ向かう。驚きつつも抵抗なく私の傍に来てくれる。
どちらからともなく重ね合わせた手に力を込めて、飽きるまで笑い合った。