何もしない(レイ視点)
名前も出したくないほど怒っています
殿下と別れてクラリスの元に戻ってなお、僕の腕の中にいるクラリスを見つめてくる視線に苛立ちは収まらない。クラリスは気付かないままでいい。彼女の頭の中にその存在を欠片でも入れてやるものか。興味を持たれたらどうするの、と聞いても何とも思っていなかった。そのままでいい。
入場してすぐ分かっていたかのように飲食スペースを見た殿下も殿下だが、クラリスを見たあいつも大概だ。まああそこまで周りの人間を遠ざけていれば見やすかっただろうからやりすぎた。クラリスの笑顔を他人に見せたくなくて背中で圧をかけていたことを反省する。
図書室のことは、クラリスが珍しく一人だったから話をしたかったのだろう。リリー・シーウェルが一人にならないように一緒にいるということはクラリスも一人でいないわけで、彼は彼で側近なのだから昼休みや放課後の図書室以外なら殿下の傍にいなければならない。
無口な男が事前に話の内容を何も決めず特攻するとは。それだけ二人きりが今しかないと思ったのかもしれないが、僕がそんなことを許すとでも?
「…………君は分からないままでいいんだ」
クラリスはきっとあいつのことだとは思わない。
彼女の唇にキスを落とせば何をするの、と驚かれた。さすがに周りに大勢人がいる場所で恥ずかしいのか顔が赤くなる。その顔も可愛いだけだけどね。
首が痛いと抱きついてきた彼女に対し遠くにいた男の顔が歪んだのが分かったが知るか。
卒業する前は学園でも僕とクラリスは傍にいた。だからもう僕のクラリスに対する甘い態度に驚く者などいないのだ。ハミルトン先生のように見慣れていないか、もしくは――僕達が傍にいる時に彼女だけを見つめていなければ。
元々彼の視線は知っていたからいい機会だ。彼は賢い。クラリスにこれ以上近付くことはあるまい。ああ、腹が立つ。一度見ることすら許せないのに、あいつは何度僕のクラリスを視界に入れたんだ。クラリスはあいつのルートは小さなことの積み重ねで進んでいくと言っていた。ゲーム関連でクラリスが図書室やクラスで彼を気にしていたことはすっかり忘れてしまったらしい。僕としてはありがたい。クラリスの記憶に僕以外の男なんかいらない。
やっぱり学園のクラスは男女別に変更しようか。クラリスには間に合わなくても僕達に娘ができた時防止になる。クラリスは娘も欲しいそうだし僕もだ、うん、これも変更しよう。
潰したら彼女が気付いてしまうかもしれないから何もしないであげる。そのほうがきっと彼のダメージは大きい。彼女を溺愛しリリー・シーウェルの敵まで潰した僕が潰す必要がないほど彼女に何とも思われていないと知ることになるのだから。
頭の中からどうでもいい男の存在を消してクラリスで満たした。幸せだ。
「私も、レイの顔を見ているとキスしたくなるわ」
……何なのこの子は。登場時から帰ったら自分からキスをしようと決意している時点で僕は帰りたいのに、僕をどれほど喜ばせるんだ。僕のヤンデレが進む一方なのって、原因の一つはクラリスにあるんじゃないかなと思ってしまうよ。
バカップル? 最高じゃないか。
* * *
ディーンは無自覚なままでいい、気付いた時には失恋していたことにしようと思っていたのにまさか対策の時の笑顔で自覚するとは予測できなかった。当然同じように見惚れていたクラリスとのことを邪魔することを優先してしまったのでその日はちくりと刺すだけにした。
クラリスが見惚れるのは僕だけでいいのに!
あんな女のことなんか目に入らないくらいもっともっと魅力的になるんだ。
本当に、本当にクラリスルートってないんだよね? ハミルトンルートに行ってくれたのが本っ当にありがたい。ハミルトン先生ありがとうございます。
ディーンは僕の発言をきちんと理解していた。彼としては損をしている気分だろうが察しのいい人間は助かる。
あの女の服装は褒めなかったか。褒めたとしてもあの女はクラリスに褒められたほうが喜ぶ、対応の差に落胆するだけだ。
クラリスは息をするように人を褒める。もう、僕がそれで何度惚れ直したと思っているの。これも僕だけでいいのに。
面白くはないがあの女の幸せがクラリスの幸せに繋がるのだと耐えた。今日だけ、今日までだ。僕がワイズ領に関与したことでハミルトン先生との婚姻が進んだことだけはいいことである。さっさとワイズ領を裕福にさせて卒業後すぐに婚姻させよう。抜かりはない。
自分がクラリスと二人きりになりたいということもあったが少しだけ話をさせた。いつものように目の前にいるクラリスに集中しないよう神経を尖らせる。自覚したなら強制的にではなく会話させて自分から失恋したほうがまだマシかと考えたのだがいらない温情だった。相手と婚約していないと知るや否や婚約してみるかと発言したことには耳を疑った。あやうく僕がクラリスに怒られそうになったじゃないかこの野郎。キスしたかったのに邪魔されたし、お節介はするべきじゃないと思い知らされた。
呆れた声でバカップルと言ってきたが表情は複雑そうだった。ゲームにはディーンと結ばれるルートもあったから運命を一つ潰されたのだ、彼は知らないとはいえ気の毒という気持ちも多少ある。
「……相思相愛っつーのも、いいもんかもな」
「当然だよ。分からない君は不憫だな」
「ぶっとばすぞてめえ」
クラリスは彼のルートを邪魔したことを気にしていたが、ディーンが相手じゃなくてよかった。クラリスと二人きりの機会が減るなんていい迷惑だ。そもそもクラリスが一番好きなルートだと? ふざけるな、クラリスが好きなのは僕だけだ。
一つ疑問がある。
リオンのことだ。
殿下とブラッドリーのルートはあの女が緑色の瞳を持って生まれたことで回避した。ディーンのルートは前世の記憶を思い出したクラリスが会わせなかったから。リオンに関しては何もしていない。彼が義姉であるリリー・シーウェルを好きになりハミルトン先生との関係を知って諦めたことは王城での様子とクラリスから聞いた話で推測できたが、そのルートだけはいつの間にか終わっていた。
もし何かしているとすれば、それは僕だ。
クラリス以外を選ぶ登場人物なんて僕だと認めたくないがゲームのレイモンドは明らかに僕と違う人間である。
クラリスの友人を制限せず、彼女がワイズ領と関わるのも許し、パーティーにも普通に出る。ディーンのルートではダブルデートまでする。他の話を聞いてもラブラブではあるものの、ゲームのレイモンドは僕と違いヤンデレではない。よって幼い頃からクラリスを束縛しておらず彼女の性格も少し違う。鈍感でなくあそこまでの度量の広さがない。元平民と友人になる辺り穏やかなところは変わっていないようだがそこはお義母様からの遺伝だろう。彼女がああいう風に育ったのは僕のおかげともせいとも言われている。
リオンのルートではいじめを相談することから始まる。イシャーウッド家の名の強さはゲームと変わらないにも関わらずゲームでは現実以上にいじめられていたらしい。クラリスの友人、それだけであの女は守られてきた。お助けキャラと自覚のあるクラリスがゲーム以上に大切にしたところもある。だがそれだけでなく、僕が友人を厳選したことでゲームよりも友人という立場の価値が上がったのだ。
だから、要は僕なのだ。僕がこんな風に生まれ育ったことでゲームの内容が変わっていった。理由はすでに分かっている。
ほらやっぱり。
僕の考察は当たっていた。地球という世界から転生したのはクラリスだけじゃない。僕とクラリスは前世からずっと、結ばれる運命だったのだ。いつか僕も前世を思い出せたらいい。
出会いや選択肢を潰してもなお好きになったところがゲームと現実の違いというか、人の心の複雑さである。悪いが容赦なく潰させてもらう、ハーレムルートなんか未来永劫朽ち果てろ。
もしクラリスが前世を思い出していなければリリー・シーウェルと友人になることはなかった。積極的になることはない上同じクラスでもない伯爵令嬢なんて僕が許さない。彼女もそれを素直に聞いてくれたはず。あの女の未来は悲惨だったと思う。それ自体はどうでもいいが、僕がヤンデレだからこそクラリスは記憶を取り戻したのかもしれない。ゲームのヒロインとはいえ女神様はあの女に甘いな。僕も恩恵を受けたからこれからも容認してやらないこともない。
せっかく魔力が高く生まれてきたのだし僕のクラリスのためだ、魔術師にしてハッピーエンドにさせてやろう。
* * *
恋人の両親に気に入られたいというのは一般的な気持ちである。特にお義母様に嫌われてしまったらイシャーウッド家に嫌われたも同然。温厚な方で良かった。
クラリスの顔はどちらかといえば父親似であるが、性格や笑った時の雰囲気は彼女に似たと思う。それでも僕にとって可愛くて大好きでずっと見ていたいと思えるのはクラリスの笑顔だけ。
クラリスは着飾っている姿も素敵だ。あまり見ることのない項がたまらなかったが他人には見せたくないので早く帰って着替えさせたかった。服装の勉強をしてしまうと自分で脱がしたくなるからまだもうちょっと後にしよう。首にキスするためハイネックのドレスを少し捲るのも興奮した僕だ。
お義母様に止められなかったらドレスがめちゃくちゃになっていた可能性がある。その時は批判されたと思うので早めに止めてくれてよかった。
クラリスから深いキスをしてくれたし今後もキスマークをつけてもいいという許可ももらった。鎖骨を見せるドレスのパーティーなんか二度と出るものか。
……クラリスの許容範囲はどうなっているんだ。
胸まで触っていいの? マジで? これが夢じゃなくて現実?
クラリスに関する悪夢なんて死ぬほど見たことがあるしそれの逆もまたあるが、今のところ現実を超える幸せはない。僕もう夢なんか見なくていいや。
ああもう、卒業したら食事以外は絶対寝室に閉じ込める。決して僕の腕の中から出さない。二十四時間共にいる夢のような時間を過ごすのだ。たった二週間しかないなど、許さん。殿下にはその報いも受けてもらおう。