65話 負けていられない
「ただいま」
「おかえりなさい」
家に帰ると天宮が迎えてくれた。
誰かが「おかえりなさい」と言ってくれる。
天宮と一緒に暮らすようになってしばらく経つけど、まだ、この感覚に慣れていない。
嬉しいというか、こそばゆいというか……
温かい気持ちになることができるんだよな。
「神神楽さんはどうでした?」
「ちゃんと家まで送ったよ。なんていうか……ものすごいお嬢様だった」
「そうなんですか?」
「すごい豪邸だったよ。こんな見方をするのもアレだけど、億は軽く超えている家だった」
「それは……すごいですね」
なぜか天宮は微妙な顔に。
焦りを覚えているようで、眉を中央に寄せている。
「どうかした?」
「いえ……私、家柄で完全に神神楽さんに負けているな、って思いまして」
「別に、家柄なんて気にしないけど」
「進藤君はそう言ってくれると思っていましたけど、それはそれ。これはこれ。恋のライバルとして、進藤君大好き同盟として、一歩でも負けたくないんです」
妙な同盟を組まないでほしい。
それにしても……
天宮って、意外と負けず嫌いなんだな。
今までは『姫さま』と呼ばれていて、彼女を嫌う者がいない。
勉強も運動もできて、家事もできる。
だから、天宮と競おうとする者はいなかった。
ただ、ここに来て神神楽というライバルが現れた。
恋のライバル。
女性としては絶対に負けられない戦いだろう。
たぶん、天宮は初めて競うことになったのだろう。
だからこうして、どんなことに対しても闘争心を燃やしている。
そんな天宮は新鮮で……それと、とても魅力的に映った。
「よし」
なにやら決意した様子で、天宮は小さな手をぎゅっと握る。
そんな仕草一つ一つに目を奪われてしまう。
「私、がんばりますね!」
「応援するよ」
「ありがとうございます。でも、贔屓はダメですよ」
「え?」
「ちゃんと公平に、神神楽さんのことも見てあげてください」
「それは……いいのか?」
「本音を言うと嫌です。進藤君の視線は私が独り占めしたいです。ずっとずっと私だけを見ていてほしいです」
ついつい顔が熱くなってしまう。
天宮は、自分がとんでもなく恥ずかしいことを言っている自覚はあるのだろうか?
ないな。
でなければ、こうも堂々としていられないだろう。
今は勢いを出しているから自覚していないだけ、かな?
「でも、進藤君の彼女っていう立場にあぐらをかいてはいけないと思うんです」
「と、いうと?」
「彼女だから私を見て欲しい、他の子は見ないでほしい……なんて言っても、神神楽さんがものすごく魅力的になると、視線をとられてしまうと思うんです。あ、進藤君が浮気性とか、そういうことじゃないんですよ? ただ、きちんと努力をして自分を磨いた女性というものは、やっぱり、輝いて見えると思うので」
「だから、努力したい?」
「はい。彼女という立場に甘えないで、それを利用しないで……私もちゃんと、女性としての魅力を磨いて、それで進藤君の心をぐっと掴み続けたいです」
真面目だな、と心の中で苦笑した。
でも同時に、どこまでもまっすぐな彼女の心に惹かれた。
こういうところに俺は魅力を感じているのかもしれない。
「なので、まずは……」
そこで言葉が止まる。
「……ど、どうしましょう?」
「考えてなかったのか?」
「はい……所信表明? のような感じで、心は定まったのですが……なにをすればいいか、どうすればいいか……うーん」
天宮は小首を傾げて考える。
ややあって、頬を染めてこちらを見る。
「その……」
「うん?」
「ちょっとこちらに来てもらっていいですか?」
言われるまま少し距離を詰めた。
「もう少しです」
「こう?」
「はい、そんな感じです。それで、後ろを向いてくれませんか?」
「えっと……了解」
天宮の求めるものがわからないものの、言われるまま後ろを向いた。
「えいっ」
可愛らしいかけ声。
天宮は俺の肩に手をやり、そのまま倒して……
「おぉ……?」
ぽすん、と天宮の膝の上に頭が乗る。
「膝枕?」
「はい。進藤君、最近はお疲れの様子だったので」
「そうかな? そんなに疲れてないけど……」
「あ、肉体的にということではなくて、精神的にということです。色々とあったので」
「そう言われると……」
そうかもしれない。
神神楽の告白で、一気に周囲が慌ただしくなった感じだ。
「なので、その……ちょっとは癒やしてあげられたら、と思いまして。ど、どうでしょうか……?」
「どう、と言われても……」
ものすごく答えに困る。
柔らかい感触といい匂い。
それらにドキドキしてしまい、勝手に顔が熱くなる。
……なんて、そんな感想を口にしたら変態なのでは?
「……だ、ダメでしょうか?」
そこで捨てられた猫のような顔をするのは反則だ。
「いいと……思う」
「本当ですか?」
「わりと……いや。けっこう……いや、かなり」
「えへへ、よかったです」
そこでとろけるような笑みを浮かべるのも反則だ。
なにもかもが俺の心に刺さり、天宮のことばかり考えるようになってしまう。
付き合い始めて、そこそこ経つのだけど……
毎日が新鮮で、彼女に対する想いが膨らんでいく。
こんな調子ならがんばる必要はないのでは? と思うのだけど……
とはいえ、天宮の覚悟を否定したくない。
やりたいようにさせよう。
……まあ、俺の体と心が保つかどうか、そこが心配ではあるが。




