番外編4 どうしよう!? 居間で先生と親が泣いている
カサリと紙が風に揺られて音を立てた。
「ひ、ひぃ……!」
それだけで、部屋の隅に蹲るボクは怯えて上擦った悲鳴を上げる。
何をそんなに怯えているのか、それは、今日……先輩がボクの家に家庭訪問に来るからだ。ちゃっかりこれも伏線回収だったりするのだが、きっと読者の皆様方は忘れているに違いない。
朝起きて、ケータイを見ると、
〔家に行く。首を洗って待ってってね(はぁと)〕
最後の心がこもっていない、(はぁと)の文字が恐ろしくてしょうがなかった。そうだ。あれが、先輩からのメールだ。都合が悪いことはすぐに忘れるくせして、こういう事は何時までも覚えている厄介な頭をしている。
訪問者が来るたびに、悲鳴を上げていれば、家族の両親に心配されるし、ボクの心も単純に磨り減る。
そして、また……インターホンが鳴った。
「はーい」
ボクの部屋は二階にある。一階から、チャイムに答える母の声が聞こえた。すぐに、玄関の扉が開く音が聞こえた。
「こ、こんにちはっ! わたし、後輩くん……じゃなくて、圭太くんが所属する部活動の、先輩で、堂本咲彩と申します」
緊張で、安定しない声で、母さんに挨拶している先輩の姿が脳裏に浮かぶ。というか、来てしまったんですね……。
「あら? 部活動……。それで、ケイちゃん、高校に入ってからは帰りが遅かったのね」
「す、すみません! わたしの強引な勧誘で入れてしまったので」
「いいのよぉ。ケイちゃん、家に帰ってきても特にすることがなくて暇を持て余しているから」
ちょっと世間話が始まっているよ。母さん、余計な事は言わないでね。先輩も、余計な事を言わないでくださいよ。
それから数分、ボクにとっては物凄く苦痛な二人の会話は終了し、母さんが先輩と案内して、階段を上がってきた。
どうする!? 逃げたいけど、もう手遅れなのか!?
もたもたしている内に、部屋のドアをノックする音が。
「ケイちゃん、お客さんよ」
不味い! もう……時間が……。
無意識に反応したからだが、すぐさまドアの鍵を閉めた。
「え? ケイちゃん、どうして、ドアの鍵を閉めるの?」
「か、母さん、その……先輩は、丁重にお引取り願えないかな」
机から南京錠を持ち出して、多重ロックを掛ける。
「失礼でしょう。もうここに居るのよ」
し、しまった。後が怖い。
「あ、わたし、ドア越しでもいいから少し話させてもらっていいですか」
先輩の落ち着いた声。だが、ボクにはわかる。あれは、相当に怒っている。
「そう? じゃあ、お菓子持ってくるから、あの子、説得しててくれるかしら」
「任せてください」
どうやら向こう側では、色々と話が進んでいるらしい。
ボクはドアに体をもたれ掛けさせ、微弱ながらも更なる抵抗を試みる。
「後輩くん? ねぇ、どうして鍵を閉めるのよ?」
「い、いいいや、少し大人の事情というやつですよ」
「どんな事情よ……。後輩くん、わたしが怒ってるのはわかってるわよね?」
「それはもちろん、全身が粟立つ思いで」
ドア越しに先輩の溜息を聞いた。あれ? なんだか、怒っているのは確かだけど……何時ものような感じじゃない。
「……後輩くん。わたしが怒ってるのわね。別に、鍵を閉めてわたしを入れないようにした事にじゃないのよ」
「えっ?」
では、何故怒っているんだ?
混乱し出すボクに、先輩は諭すような声で続けた。
「ご両親を困らせていることへよ……」
先輩が、まともな説教をしてくる。どうしよう、対応が逆に難しい。
シュンと項垂れて、ただ聞いていることしか出来ない。
「わたしは心が広いから、何をやってもすぐに許すけど……。あ、もちろん後輩くんのご両親も心が広いとは思うけど、そうじゃなくて、先輩であるわたしには幾らでも迷惑を掛けていいけど、ご両親を困らせるようなことはして欲しくないの」
「それは……」
確かにボクの今日の行動は反省すべき事だ。でも、こんな何時に無く真面目な先輩に説教をされると、本当にどうしていいかわからない。
いつだって馬鹿をやったり、暴走したり、それを見かねて止める、ブレーキ役がボクだ。
だから、ボクのが精神年齢が上だと思っていたりしてた。
「後輩くん、わかったのなら、ここ、開けてほしいな」
「すみません、もう少し開けるのは待っててください」
「うんっ」
どうしてだろう。ひきこもっていた時期の記憶の奔流が、内側でせめぎ合い、そして、涙になる。
ボクは気付けば、静かに涙を流していた。泣くのとは違い、ただ、涙が、頬を伝って落ちていく。こんな情けない顔を先輩に見せられるわけが無い。
ひきこもる事で、解決することなんて何も無い。あれは、ただの逃避だ。
歩みは止まり、人としての成長は停滞する。もしかしたら、という可能性をすべて捨て、ただ堕落していくのだ。半年もの間、それを経験したボクにはよくわかる。
確かに、心を守るためには一時退却、という戦略的……というとまぁ腹黒な感じになるけど、時には心を休めるのが重要なのはわかる。だけど、ひきこもるのは、楽なのだ。何時までもひたっていたくなる。
「先輩、今開けますね」
ボクは南京錠を取って、部屋のロックを解除する。そしてから、窓の下の壁に体をもたれさせた。
「開けました」
「入るわね」
一言断りを入れてから、ドアが開かれた。入ってきたのは、もちろん先輩だ。
前に、駄菓子屋探しをしたが、その時にも思ったけど、随分と女の子らしい格好をしている。下は紺のプリーツスカートに、上はクリーム色のカットソーだ。
「後輩くん、やっぱり来なかった方のがよかった?」
儚げな笑みを浮かべる先輩に訊かれて、ボクは首を振る。
「いいえ、また、自分の愚かさが再認識できましたから」
「…………」
ボクの発言を受けて、更に困った顔をさせてしまった。
「あ、ああ! もちろん、いい意味で、ですよ。そんな暗い顔をしないで下さい」
慌ててそう取り繕うと、やっと何時ものはち切れんばかりの笑顔を覗かせた。
「うんうん、よかったわ。後輩くんは、今日も先輩思いね」
なんだろう……。ボクって先輩に完全にデータ取られてる? それって凄く不味くないかな? あれ? だからツッコミの入れるタイミングとかも図られるのか?
少しだけ、悲しい現実が垣間見えた気がする。
「あ、すみません。適当に座ってしまっていいですよ。座布団とかはないんで、ベットに座っちゃっても大丈夫です」
「それじゃあお言葉に甘えて」
悪戯っぽく笑い、先輩はちょこんとボクの寝床に座る。身長が低い先輩は、ベットが少し高めなので、足をぶらつかせられる。
「そういえば後輩くんって、家ではケイちゃんって呼ばれているのね。どうしよう……今度からは、そう呼んだ方がいい?」
「絶対に止めてください。後輩くん、でいいですから」
「今更だけど、どうして後輩くんって呼んでるんだろう。ねぇ、なんでかな?」
「いや、知りませんって」
「そうよね」
一度、会話が途切れて、先輩が、ふい〜っと伸びをして、ボクのベットへと仰向けで倒れ込んだ。なんか男心としては複雑だ。いや、詳しくは言いたくない。
悶々とするボクは放置され、その内、母さんが飲み物とお菓子を持ってやってきた。
「ごゆっくり〜」
と言って意味深な笑みをボクへと見せたのは、気にしない事にする。母さんは、一体……何を勘違いしているんだろうか。
先輩は、ボクが遠慮なくどうぞ、と言う前に、バクバクとお菓子を食べ始めた。やっぱり、どこに居ても先輩は先輩なんだな、としみじみと思う。
「後輩くん、後輩くん」
お菓子を頬張りながらボクの肩を叩く。ってそっちの手、さっきポテチ触ってましたよね!?
そんな事忘れてたのか、気にしてないのか、わかっていてやってるのか、いや……勘繰るのはよそう。気にしてない、というのが先輩には妥当だろうな。
「なんですか、一回言えばわかりますよ」
すると、突然に耳元に口を寄せて神妙な声で呟いた。
「わたしが来た時に、後ろ……誰か、つけてなかったかしら?」
「……あの、先輩は一体、何に追われているんですか?」
「良くて、FBIかCIA」
「良くてそんなにハイレベル!?」
「でもこの感じ、多分……ただものじゃない。あっ! 未来から来た奴かもしれないわ」
「もしかしてそれってロボットですか?」
「そうよっ」
「ターミ○ーター!?」
まさか、先輩がジョ○・コナーの母親とでもいうのか!?
「やっぱり違うかな……この感じだと、わたしがギリギリまで気付けなかったから光化学迷彩を使っているかも」
「まさか、伝説の男に追われてるんですか? かの有名な蛇さんに」
「ん? 後輩くん、違うわ。この感じ、宇宙人の方よ」
「プレ○ター!? 先輩、それって相当危険ですよ!」
そんな感じに部室に居る時のテンションでやり取りをしていたら、ドアのところで、驚いた様子で、ツッコミを入れるボクを凝視する母さんが居た。
何かが崩れる音がした。
「それじゃあ後輩くん、また明日、学校でね」
「ええ、はい、元気で、はい、うん、そうですね」
ボクは少しだけ壊れていた。背後に感じる母さんの気配が……無条件に怖い。
玄関で先輩を見送っている。先輩はこちらに手を何度も振って、帰っていった。とても、濃密な時間をありがとうございました。またのご来店を是非とも拒否させてください。
「ケイちゃん」
先輩が去った玄関で、母さんがにっこり微笑んだ。
「なんでございましょうか、母上」
妙に堅苦しく答えつつ、ボクは母さんの横を抜けて、部屋に逃げ込もうとする。しかし、先輩に劣らない程度の神速の腕でそれを阻まれた。危なかった。後一歩踏み出していたら、ミンチになっていたところだ。
「ケイちゃんが、また、学校に行くようになってとっても嬉しいの。それに、部活動をやっていたなんて知らなかった。更には、あんな可愛らしい彼女を家に誘うなんて」
「それは勘違いだよ! 先輩は彼女とかじゃないから!」
「まあまあ、意地を張っちゃって。可愛いぃ♪」
「ノリノリで頭撫でないでよ!」
「って冗談はそのへんにして」
助かった。母さんは割と変人だ。いや、外ではまともだからいいんだけどね。
「ケイちゃん、吹っ切れたの?」
「…………多分、まだ」
ポンッと頭にまた手を乗せてくる。またか、と思ったが、ただ乗せるだけだった。
「安恵香ちゃん以外に、家に来た女の子って彼女……えっと、堂本さんが始めてね。もしも、嫌なら頑なに断るものよね?」
「それは……そうだけど。先輩は強引だから」
「でも、堂本さんのおかげで、少しずつだけど前に進めているのね」
黙りこむしかない。確かに先輩の存在は、ボクの救いになっている面がある。
「二人に対する罪を背負うのは立派だけど、ケイちゃん、一番は救ってあげることなんだからね。このままではダメよ」
母さんは突き放つように言った。ボクが、また歩みを止めて、部屋に逃げ込まないようにするためだ。
わかっている。ボクは、止まってはいけない。
ただ、前へ、前へ進むしかないんだ。
あの日々で、最も罪深いのはボクなのだから――。
家庭訪問は怖いです。
さて、ほとんどシリアスモード的な感じでした。そして、大分圭太の過去に迫っています。
なんだか女の子の名前が出てきちゃったりしてしまいました。
少しずつストーリーは進みます。
夏休みまでのラストスパートな今日この頃。