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花々の書  作者: 紙屑
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竜胆、其の五

 今朝竹生がこの川住書道教室に到着してからまともに書道に勤しむまでには短いようで長い時間が過ぎ去っていた。原因は言わずもがな、花梨と林檎の竹生を巡って繰り返される押し問答に他ならない。しかし先ほどまではあんなにもいがみ合い、互いが互いをまるで殴り合うようにして牽制し合っていた二人は今やもうおしどり夫婦のようであり、先に辺りに立ち込めていたぴりぴりという張り詰めた空気は綺麗さっぱりと消え去っていた。変わりにこの部屋に充満しているのは何かというと、のどかで晴れ晴れとしている田園地帯で汗水垂らしながらものんびりと働いている農家の人達が感じるような心地の良い、それでいて実に爽やかで実に穏やかな空気だった。幸福とは一体どのような状況を指し示す言葉なのかという問いが仮にあったとするなら、まさしく今この瞬間のことこそがそれの答えに該当すると言って良かっただろう。しかしもちろん幸福と呼ばれるものの形は数多存在し、それはつまり状況によっては必ずしも今の竹生達が幸福であるとは言い切れない場合も少なからずあるのを意味する。が、それでもなお竹生達はどうしようもないほどに幸せだった。全ての人を残らず幸せにしてしまえるようなエネルギーが、この何でもない東京の片隅で開業している書道教室には確かに秘められていたのである。室内はまだ寒々としていた。しかし彼らの心はぽかぽかと温かかったのだった。

「どっちの名前から書こうかな」

 竹生は使い込まれていて毛束が少々粗っぽくなっている大筆の穂先を硯の「陸」の部分でもう一度丁寧に整えながらに呟いた。すると竹生の右隣でうきうきとしながら竹生と同様の作業をしていた花梨は、まるで楽しみにしていた文化祭の催し物の案を出す時のように、「私はやっぱり竹生の名前を書きたい! 今すぐ書きたい!」と言葉を弾ませながらに言った。花梨の目は星のようにきらきらと輝いていて美しい。――この世の中には綺麗なものや美しいものというのはたくさんあるのだろう。希少価値の高い煌びやかな宝石。例えばルビー、例えばサファイア。真っ青な夏空に浮かぶもくもくとした入道雲。秋の夕暮れ時に空一杯に広がるまばらないわし雲。ゆっくりと沈んでいくオレンジ色の太陽。その光を受けて一面が赤に染まる広大な海原。道端に健気に咲く一輪のたんぽぽ。誰かによって大切に手入れされている花瓶に飾られた紫陽花。長い時間をかけつつ丹精込めて描かれた色取り取りの抽象画。小さくて可愛らしい生まれたばかりの子供が映し出された写真。美しさは人の心をきっと豊かにするのであろう。しかし美しいものがあって美しいと感じるばかりが美しさではないのだとも言えるのかもしれない。人の豊かな心や感性、それがあってこそ初めて世の美しさは美しく成り得ると言えるのかもしれなかった(その豊かな心や感性というのは、むしろ美しくない環境でこそ育まれやすいものなのかもしれない)。竹生は改めて花梨を美しいと思った。ちょうど花梨が改めて竹生のことを好きだと思った時のように純粋に。竹生はそんな花梨に対して「はは」と笑う。それだけで竹生はもう、何一つ書いていない、何一つやり遂げてはいないというのにとても満たされた気分になるのだった。

 一方の花梨はと言うと、ふんふんと名前も分からぬ自作の鼻歌を歌いながら、好きなようにしている竹生に倣って、今猛烈に書きたいと思っている「竜胆竹生」という名前を、彼女もまた好きなように書くと即決していた。そしてその名をさっそく半紙に認め始めていた。花梨の半紙はどこぞの文房具屋などで普通に市販されている安価なものであって、表面はつるつるとしていて光沢があった。それは練習用に改良された紙で、つまり墨の染み込み具合が結構甘く作られている。普通に書道をする上で欠かせないものの一つとなる半紙だが、この半紙にもやはり様々な種類があり、高価なものになると紙質が丸っきり違ってくるのだが、それは練習用よりも少しざらざらとしていて、その分墨の吸い付き加減がかなり良くなっている。だが花梨はそれを知ってなお練習用半紙を使って書いていて、それは当の本人が紙質のことなど知ったものかといった考えを持っているからに他ならず、とにかく何にでも良いから書くといったのが彼女の心情ではあるようだった。これが花梨の紙だけについて言えるスタイルであり、つまりスタイルが確立されていないというスタイルなのであった。

 花梨の書は意外にもと言ったら彼女に失礼なのかもしれないが、そしてもしくはそもそも意外でも何でもないのかもしれないのだが、それを一言で言い表すとするならばつまり繊細であった。花梨の筆遣いは彼女の快活で明るい性格から想像されるような生き生きとしたものでもなければのびのびとしているものでもない。花梨の書き記す文字は彼女に対して抱くであろう一般的なイメージとは裏腹に細々としていて、一本一本の線がとてもおっかなびっくり書かれているようでもあって、そしてそれは彼女の筆の峰、つまりは毛束の部分を全体の三分の二程度しか下ろしていないのに起因しているとも言えるのかもしれないのだが、しかし下手と称するまではいかない彼女の鍛錬によって身に付けてきた技術、例えば基本的なとめ、はね、はらいといったいわゆる楷書という書式で重んじられる筆の運び方であったりは確かに花梨の書の中には介在していて、結局のところ花梨の書はなかなかに上手い方と呼べるのかもしれなかった。それの一番の特徴はやはり彼女ならではの線質の生かし方にあることは否めないだろう。花梨の認めた字画にはとにかくひょんなきっかけによって壊れてしまいそうな危うさがあって、しかしその危うさと呼んだ何かが彼女の書の根幹で趣として昇華されている感もあって、だからこそ花梨の書にはまるでの霜の降りた薔薇のような美、つまりは一見すると儚げではあるけれど字が醸し出す雰囲気は鋭利であるといったような美が息づいていたのだった。彼女の書くものはいつであってもどんな文字であってもどこかが悲痛で切ない感じを覚えさせるものになる。それは一体なぜなのか。それは花梨自身がよく分かっていることではあったのだが、しかしよく理解しているからこそ彼女の書は余計に悲しくなると言えるのかもしれない。しかし、今日の花梨は一味も二味も違っていた。どこがいつもと違っているのかを正確に言い表すのであればそれはつまりは花梨の心構え、花梨の秘められた胸中の状態である。彼女の胸の内にもしも天候というものが存在するとしたならば、本日の天気はいつものどんよりとしていてすっきりしない曇りやしとしととした雨模様などではなく、青々とした空が一面に広がる雲一つない快晴以外には有り得なかっただろう。花梨は実に晴れやかな心持ちで「竜胆竹生」という題目に向き合っていた。先ほどから口ずさんでいる謎の鼻歌に乗せ、花梨の右腕はまるで指揮棒をふるようにして軽やかにリズミカルに動かされていてとまらず、花梨がさっそく認めた「竜」の字は、普段の彼女が書いたのであればどこかが弱々しくわなわなと震えているような有様になってしまうのかもしれないが、今日の花梨が書き上げたそれは文字通り天空を気高く駆け上る竜の如くはっきりと言っていさましく、それでいて線の一つ一つにはまるで字面から飛び出してきそうな勢いすら感じられて、何よりその文字を書いている花梨が、まるでノリノリのロックチューンを大音量で聞きながら踊り狂っているみたいな調子で凄く楽しそうに、かつその楽しさを体全体で表現するかのようにして荒々しく書き殴っているのであった。花梨の奏でる鼻歌は次第にその音を大きくさせていく。それに伴って当初は礼儀正しくぴんと伸びていた背筋も、今となってはくにゃりと曲がった前傾姿勢へと変わり果てていた。ぐるぐるとふり回すようにして忙しなく稼働する右腕がさらにその速度を上げていくのに従って、彼女は流れるように次々と「胆」、「竹」、そして「生」というのを一気に書き連ねていった。書き上げられた字には先の「竜」の字の如くその字が本来想起させるであろうイメージが色濃く浮かび上がっており、例えば「竹」の字からは鬱蒼と生い茂る竹林の光景が見て取れたし、例えば「生」の字からはほとばしる生命の力強さや、いつもの花梨の書からは想像も出来ないほどの活力がこれでもかというくらいに醸し出されていた。花梨の書道は実に素直だと言えた。彼女が今覚えている感情がそのまま書になって表れる。それはまるで生きの良い魚で魚拓を作成するみたいだった。で、とにかく今日の花梨の精神状態はかつてないほどに良好であった。普段の花梨が書く書を改めて先のように繊細と称するならば、今の彼女の書には全くの正反対な性質、つまりは豪快な書風が分かりやすく表れていて、そのことを踏まえて言ってみるならば、花梨の書とは気分によってがらりと様変わりするものだと言って良かっただろう。で、そういったのを総じた上で花梨の書を仮に漢字一文字で表してみるとするなら、きっと「由」というのがしっくりとくるのかもしれない。自然と自分の感情を書に反映させてしまえる。それが花梨にしか出来ない芸当であるのはまず間違いのないことだった。

「花梨。ちょっと静かにして」

 背筋のすらりと伸びた美しい姿勢でもって、今まで無言で今日の書についてを思案していた林檎は、いきなり花梨に向けて声を飛ばした。先ほどから鳴り響く花梨の調子の良い鼻歌に少々気が紛れてしまったからに相違ない。林檎は筆をまだ握ってもいなかった。彼女はただただ静かに目を瞑り、自身の集中力を限界まで研ぎ澄ませていく作業に徹するのみである。

「あーはいはい。ごめんねーっと」

 林檎からの注意を受けた花梨は軽くそれを受け流し、それに対しての上辺だけの謝罪の言葉を述べ、後は自身の世界に入り浸って「竜胆竹生」という書をただひたすらに楽しんでいた。先までの鼻歌がやんで静まり返る室内には花梨の筆を勢い良く走らせる音がしている。だがそれは紙と筆との摩擦で生じる音ゆえ、非常に微細な音であったのは言うまでもないだろう。しかし書に没頭する花梨にとっては、その何でもない些細で掠れた音が、まるでオーケストラの演奏のような具合に聞こえてきていた。花梨は踊るように書く。そうやって彼女は何度も「竜胆竹生」と書くことによって、自身の竹生への気持ちを再確認していくのだった。

 花梨の鼻歌がやんでからまた少しの時間が経過した。すると林檎はようやく自身の使い慣れている手入れの行き届いた大筆を手に取る。棋士が次の一手を読んでいる時のように長考していた林檎は果たして、気が付けば先までの渋りとは打って変わり、まるで氷上を滑走するフィギュアスケーターのような具合に筆を半紙の上で滑らせていた。林檎がまず最初に書き記したのは花梨と同じ「竜」、つまりは林檎も花梨と同様、「竜胆竹生」というのに従って本日の書道を進行させていく心づもりなのである。

 林檎の書は実に優美であった。柔らかで滑らかな筆遣い、ぎこちなさといったものを微塵も感じさせない卓越した筆の運び。彼女は簡単に言ってしまえば上級者であった。齢十四にしてすでに行書での書道に精通し、それはつまり全ての書体の基本である楷書での書道を当然のように使い熟しているのを意味し、ようするに林檎には書の才能が多分にあったということに他ならず、今日もまた彼女はその恵まれた才覚を遺憾なく発揮して黙々と、花梨のようにいつもとは違った書を認めるというようなことはなく、ただただ普段と同じようにして「竜胆竹生」というのに突き動かされながら書き進めているのだった。さらに林檎の書に目立ってあるのは、先の竹生のラブコールめいた発言の中にもあったように、実に手本というものに忠実であるということだった。その様はまるでそれを印刷したかのようであるとも言えて、それは例えば線質であったり例えば字間の取り方であったりを、その与えられた指標のままに寸分違わず写し取るといったのを意味し、そしてそういった手本を手本のままに書き上げることを「臨書」と言うのだが、その臨書の出来映えが林檎の場合、もはや芸術的というよりも技術的と称する方が似つかわしいと言わんばかりであり、つまり何が言いたいのかというと、林檎の臨書は臨書というよりもコピーと呼ぶべきものであったということである。加えて彼女はそういった臨書を行う時に必要になってくるはずの手本を、頭の中だけで思い描いて書くという離れ技を身に付けてもいた。よってそういう風にして書かれた彼女の臨書はもう臨書ではないと言えるのかもしれない。だが、それでもやはり林檎には常に何かを写し取って書いているという実感があった。それは実に不可思議な感覚だと言えるだろうが、実際に彼女はそういうような臨書をすることが出来、また実際に彼女は彼女だけにしか書けないオリジナルの書というのをどういうわけかしっかりと書き上げることも出来ていたのである。少し謎めいてはいるが、とにかく一つ言えるのはそう、林檎の書道は花梨のように自らの感情であったり気分であったりを発端として生成されるものではないということだった。林檎の書道というのはつまり彼女の類い希なる筆の扱いによって作り上げられる、言ってみるならば技術のみが異常に突出した書なのであって、それはようするに自身の内面より生じる何かではなく、手本という確立されたものによって全てを成り立たせている書なのだった。ゆえに林檎の書は誰の目から見ても美しいと感じられる魅力であふれていた。美というものの正体は結局のところ調和がとれているか否か、バランスがとれているか否かで決まると言っても過言ではないのであろう。そのバランスをとるといった面で林檎は極めて優れた感覚を持ち合わせていたため、林檎が書く書の中で下手なものというのはまずほとんどない。それは林檎の書く全ての書が何かしらのバランスを保って書かれているからに他ならず、そういったことを踏まえて林檎の書を端的に表すとするならば、それはきっと「工」という言葉を使うのが最も適切なのだろう。花梨の書は「由」で林檎の書は「工」。正反対なのは何も二人の性格に限った話ではないようである。そんな両極端な書風を互いに持ち合わせていた二人ではあったのだが、今日の書についての評価を仮に行ってみるとするならば、意外にも花梨の方が優れた書を認められていると言って良いのかもしれない。なぜなら、今日の書の本質的な意味合いは美しい字を書くというよりかは竹生への気持ちを表現することであると言えるからだろう。竹生がどれだけ自分にとって大きな存在であるのか。竹生に一体どれほどの好意を抱いているのか。竹生のどんなところが好きなのか。そして好きな竹生のことをどのように書に表していけば良いのか。二人は二人ともに胸中でこれらのような疑問に次々と直面していたのである。またそれらについての対処の仕方というのが、花梨の方は無意識的であると言え、林檎の方は逆に意識的であると言えそうだった。一体どういうことなのかをまず花梨の方から述べるとすると、それは花梨の書が無意識に覚えた感情を元にして書き上げられたものだということであって、彼女の正直な気持ちを素直に書として表したものが彼女にとっての「竜胆竹生」に違いなかったということであった。湯水のようにあふれてくる竹生への感情をまっすぐにかつ分かりやすく書き上げる。いつもの花梨の書道を仮に変化球と例えるのならば、今日のそれは全くもって通常とは異なる、言うなればストレート、竹生への「好き」だけがぎゅうぎゅうに詰まったど直球なのであった。一方で林檎は完全に「竜胆竹生」という課題についてを理性的な観点でもって捉えていた。それはつまり竹生への「好き」を完全に書き表すためにはどのような線で書くべきなのか、どれくらいの濃さで書くべきなのか、どれくらいの筆圧をかければ良いのか、どれくらいの字間を空けてバランスをとるべきなのかといったことを全て林檎ははっきりと意識して書き上げているというのを意味する。徹底して林檎の選択する方法は内側にある自らの思いをそのまま書き起こす花梨のようなやり方とは真逆の、自分の思い描く手本という理想にいかにして技術を追い着かせるかといったものであって、それは結局林檎の理想の高さがそのまま彼女の書の難易を決定することに他ならないため、今日の林檎の書の難しさは今までの比ではなく、だからこそ今日の彼女は美しい字を書けこそすれど、自分の納得のいく一枚を書くまでにはなかなか至れずにいたのであった。よって先にも述べた今日の書の出来に関しての見解はやや花梨の方が優勢と結論付けられるのだろう。……何やら小難しい言い回しをしているようだが、ようするに花梨は無意識的で感情的な書を書き、そして林檎は意識的で理性的な書を書き、別々の視点から「竜胆竹生」というのを必死になって書いているというだけのことだった。二人は大いに苦悩する。しかし、それこそが二人にとっての最大の喜びであったのは疑いようもないだろう。二人は額に汗し、眉間に皺を寄せてかつ頭を悩ませながらも、決して竹生への「好き」を忘れない。それが良かった。それが良かったのだった。

 花梨は相も変わらず本当に楽しそうに書いていた。書き始めてから彼女は一向に飽きもせずに何枚も何枚も同じ字を書きまくっていた。しかしそれらが全て同じように書かれているのかというともちろんそうではない。なぜなら花梨の書は気分屋、花梨の心理の変動に実に敏感に出来ている代物だからである。時に竹生の笑顔が好きだと思って書く。そうすると彼女の書いたものは思いを寄せる人の笑顔が好きなんだろうなと見た者に思わせてしまうものへと自然に仕上がっていく。時に竹生の優しいところが好きだと思って書く。そうするとそれは面白いように書に反映され、結果やはり花梨の書はそれを見た者に好きな人の優しいところが好きなんだろうと思わせてしまうようなものへと変貌していくのだった。よって今日の花梨はもはや敵なしである。本日の内密の指標である竹生が好きだという気持ちが薄れない限り、花梨は様々な彼への「好き」を様々な書に転換させることが出来る。それは彼女の技術不足を補うための十分な動機であって、ゆえに彼女は一種のトランス状態にあると呼べるのかもしれなかった。そのトランス状態というのはつまり、全ての書を彼女の内面に従って味のある良いものに変化させてしまえる状態のことである。だからこそ花梨は今日が楽しくて仕方なかった。どんどんとわき出してくる竹生への好意を自由自在に、そして勝手気ままに変換出来るようになっている。これが楽しくなくて一体何を楽しいと呼べるのだろうか。そのように彼女自身が思ってしまうほどに、今日の花梨は書道というものを心の底から満喫しているのだった。

 しかし花梨が破竹の勢いで調子付く一方で、林檎は筆を傍らに置いてもう一度自らの精神を集中させつつ、どのように書けばより良い竹生についての書を生み出せるのかが分からなくなってしまったという現状を打開するために、脳内で再び「竜胆竹生」という文字を何度もひたすらに思い描きながら、たった一人で自身の書の改善作業に徹するのみであった。林檎の頭の中に蔓延っていた極々僅かな雑念すらも彼女は徹底的に排除し、その代わりにというか、その余計な考えをふり払ったので得た思考の余裕をまたすぐに竹生のことで埋め尽くさんとする。しかしそれは何も竹生のことに思いを馳せるといった意味ではなかったのが林檎の、引いては林檎の書の最大の特徴でもあり、そして唯一の難点でもあった。それが一体どういうことであるのかを説くとすると、まずは先にも話したように林檎の書というのは悉く技術のみが特化された代物であり、それは書を書き始める段階からもはやそうなのであって、そこには始めから感性と呼ばれるものが全くと言って良いほど含まれてはいない。つまり何が言いたいのかというと、林檎は竹生本人のことを思っているのではなく、「竜胆竹生」という書のみを思って書いているということに他ならないのだ。つまり、彼女は結局自身の持てる技術を突き詰めていき、己の技量だけを信じて書を捻出しているだけに過ぎないのである。これまでの決して甘くはない鍛錬によって磨き上げられた己が技術を最大限に利用し、自らをまるで糸で吊られた操り人形のような具合に捉え、彼女の体や心すらも書道のための道具とした上で書く。感情を押し殺し自らを律し、ただ自身の中ですでに確立されている書のセオリーに付き従うようにして書く。感情に煽られるようにして紡ぎ出される花梨の書を仮に人間的という言葉で形容するとしたならば、林檎のそれはまさに機械的であるとするのがきっとふさわしいのであろう。人並み外れたテクニック、それは先にも述べた優れた字間の取り方であったり、年に見合わない大人顔負けの筆の運びであったりするのだが、それらを自在に自分の意図した通りに書に活用出来るという、言ってみるならば他に類を見ない才能を持ち合わせてはいる林檎はしかし、今日に限っては本当に何をどのようにして書いていけば良いのかが、むしろ書けば書くほどに、筆を進めれば進めるほどに分からなくなってしまっている。しかし手段は分からなくともそれがなぜ生じているのかについてを林檎はあっさりと、まるで赤子の手を捻るかのようにしていとも容易く理解することに成功してはいた。それはなぜか。それはつまり林檎が初めて人間的に書道に向き合い始めていたからに違いない。

 重ねてにはなるが林檎は今両の手の平を太ももの上にそっと置き、加えてすっと目を閉じて手本の生成、ようするに「竜胆竹生」というものの反芻を行っている。林檎は繰り返し竹生の名を頭の中に強烈にイメージする。すると理想とする手本は案外容易に浮かび上がってくる。そしてそれを書き上げるために必要な技量はすでに備わっていると自負してもいる。しかし彼女はそれをどうしても納得のいく形で表せずにいた。原因ははっきりしている。その原因とはつまり林檎が人間的に書道に向き合ってはいるものの、またいつもの機械的な思考に寄り戻されてしまうといったことであった。林檎が本来自然に持ち合わせている竹生への純粋でちょっとばかし不器用な好意は、自身が積み上げてきた書道を介することによってものの見事に打ち消されてしまう。あふれ出るものに素直でいたいのに、ただ率直に竹生を思って書道に励みたいのに、林檎の書はそれを決して許してはくれない。林檎の書は無感情であれという凶暴な思想が彼女の中で派手に暴れている。林檎の書は何もかもが規則正しく整っていなければならないと他の誰でもない林檎自身が強くそれを訴えてくる。今までの書が人間戸橋林檎を真っ向から否定する。今まで信じて貫いてきたもの全てによって逆に竹生への気持ちを掻き消されてしまう。目を瞑りながら竹生の名前を頭に描いていくたびに、脳裏に竹生だけのことを焼き付けようとするたびに、そういったアンチテーゼはむしろより顕著になって彼女の身に降りかかってきていた。しかし林檎はそれでも決して「竜胆竹生」から逃げ出すということはしない。何とかして自らの心にどんどんと浮かび上がってくる感情を写し出そうともがいてはいる。懸命にそして泥くさくあれと、彼女は言ってみるならばぺらぺらの紙切れ一枚の中に途方もないほどの思いを込めようと死にもの狂いであった。静かに、けれども途轍もないほどの熱量でもって林檎は今度こそ竹生を思い始める。単なる「竜胆竹生」という文字の羅列をなぞるではない、竹生本人という意味での「竜胆竹生」に林檎はようやく触れ始める。林檎は思う。今朝竹生にかけてもらった優しい言葉の数々を思う。竹生の恥じらう顔を浮かべ、そして竹生の笑った顔を浮かべ、さらには竹生のどこか寂しげな顔をただ素直に思ってみる。……やはり簡単には上手くはいかない。林檎の悪癖はもはや反射的であると言え、彼女の持つ竹生へのまっすぐな気持ちはすぐにぐにゃりと曲げられてしまう。もう一度林檎は竹生を思う。そうすると林檎の書は驚異的なしつこさで牙を剥く。それの繰り返しだった。林檎は自身の脳内で錯綜するこれら二つの対立、分かりやすく言ってみるならば林檎対林檎という自分自身との対立を巡りめく思考の中で愚直に繰り返していくのみである。機械的ではない林檎にとっては初めての人間的な書。林檎は今新たな境地に足を踏み出そうとしていた。それが彼女にとって最も困難な道であることは否めないのだろう。現に林檎はこんなにも苦悩し、あまつさえ解決の目処すらも立っていない状況ではある。しかし林檎は笑っていた。それはまるで今日の花梨のように、心の底から書道というものを楽しんでいたのだ。林檎は喜びを感じていた。それはまだ私には極めるべきものがあると気付けたことへの喜びなのかもしれないし、またはそれは自身の書の欠点を発見出来たという意味での喜びなのかもしれない。しかしそれよりももっと大きな喜びはそう、自分が一人の人をこんなにも思えることに気付かせてくれたのが、何を隠そう書道だったという喜びである。林檎はそれが本当に嬉しかった。大袈裟な物言いになってしまうのかもしれないのだが、それは林檎にとって涙が出るほどに喜ばしいことであったのだ。今まで信念を持って続けてきた書道が一時は林檎に刃向かってきた。それはもしかすると林檎自身を全て否定しかねないくらいの反抗で、もしかすると書道から距離を置いてしまうきっかけにもなりかねないほどの脅威で。それを林檎にとって辛いことではないとするのは間違っている。しかしだ。林檎が例えどんな困難な状況に追い込まれているのだとしても、例え息を切らしてしまうかのような苦しい道を歩んでいるのだとしても、林檎は自身の書道に大いなる感謝の念を持たずにはいられなかったのだ。そう、林檎は書道を好きになれこそすれど、やはりどうしても憎むなどということは出来なかったのである。ふと、林檎は今まで書き上げてきた書の数々を思う。まるで駆け抜けるかのようにして書き溜めてきた書を精一杯思ってみる。そうすると林檎は本当に自然に、自身をこんなにも苦しめる、言ってみるならば最大の障害である自らで鍛え上げてきた書道を、出来るならば思い切り抱き締めてあげたいという気持ちになった。今まで書いてきた無感情の書に対して、己を律することによって生み出された機械のような書道に対して、林檎は確かに感情といったものを覚えていた。まるで氷の結晶のような書、美しくこそあれど冷たい書に対して、彼女は初めて何か温かいものを感じ始めていた。それは何とも言葉では言い表しにくいふわふわとしたもので、けれどもそれは何だか竹生への「好き」とどこかで似通っているようにも感じられて、林檎はそんなような思いを自身の書に抱けていることに少なからず驚いていた。そして驚くのと同時に彼女はやはり自分は書道が好きなのだというのを改めて確信していたのだった。こんなにも自分は書道が好き。それがしっかりと理解出来たことが林檎にとっての大きな収穫であり、そしてこの気持ちさえあれば私はきっと大丈夫だと胸の内で得心し、さらには必ずや今の自分の書の欠点を克服してみせると力強く誓ってもいた。林檎にとっては最大の敵であり、そして最大の味方でもある今日の手本。林檎にはそれがまるで生きているように感じられていた。無機質でただただ美しくあったこれまでの林檎の書。それとは一線を画す何かが今日の一枚には宿るような気がしてならなかった。すると気が付けば林檎はいつの間にか筆を握り締めていた。同時に彼女の両の眼はぱちりと開かれる。そしてにっこりと笑みをこぼして彼女は筆に墨をまとわせる。きっと出来る。私はきっと出来ると彼女は何度も自分自身を奮い立たせる。今まで数え切れないくらいの枚数を書いてきていた林檎は、この時初めて書を書いた時のことを何となくではあるが思い出していた。その記憶は何だか自分をほんのりと温かな気持ちにさせてくれるもので、そしてそれは今にも消えてなくなってしまいそうなほどに弱々しくもあった。薄らぼんやりとしてはいるが穏やかな陽光が差し込む一室で、幼い林檎は本当に楽しそうに、きゃっきゃとはしゃぎながら筆を走らせているというのだけが、唯一彼女の脳裏に浮かんできた光景であった。林檎は今度は不敵に笑む。そして心機一転、新たな心持ちで本日の書に再度チャレンジするのだった。

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