竜胆、其の十三
時は流れた。一月一日、新しい年の幕開けである。そしていきなりではあるが元日というので一般的に連想されるのは、おそらく正月飾りであるとかおせち料理であるとかお年玉であるとかなのだろう。あるいは凧揚げであったりかるたであったり福笑いであったりの正月ならではの遊びを思い浮かべることもあるかもしれない。家族や恋人といった大切な人と時を同じくし、無事に新たな年を迎えられたことを祝える日であり、大概の人にとってはのんびりとした時間を過ごすことが出来る日。こたつでぬくぬくと温まりながら、正月番組を何を意識するでなくぼうっと見る。あるいは暖房の効いた部屋で気の済むまで惰眠を貪る。みかんを食べる。もちを食う。一月一日とはようするに、多くの人にとっての平和を普段よりも強く実感出来る日、多くの人にとっての心の安らぎをより得られる日であるというのはもはや間違いのないことではあるのだ。穏やかな時の流れに身を任せ、自身もまた穏やか極まりない心持ちで穏やか過ぎるほどに穏やかな日常を送る。己の欲求の赴くままに、時にはぐうたらと、そして時にははつらつと、とにかく自由気ままにあるがままに過ごす。やはり元日というのは総じて良き日であることに違いはないのだ。しかしどんなことにも例外というのは存在するものである。その例外というのはつまり竜胆竹生という一人の若者が送るそれに他ならない。
彼の過ごす一月一日は普段よりも規則正しいサイクルでもって回っていた。本来ならば先述したように思う存分だらけてしまえる日、ややもするとだらけることがむしろ良しとされる日ではあるのだろうが、彼はそんなことなど構うものかと言わんばかりに、より規則的な生活をより規則的なリズムで送ることをしていた。と言っても、それらの内実はそれほど大きく変わったわけではなかった。定められた時刻に起床する。風呂に入る。髪や体を乾かす。食事を作る。父母を拝む。食事をとる。後片付けをする。とりわけ変わらない一連の流れは竹生を今日も滞りなく動かしてはいたのだ。そういった中で変わったことを挙げるとするなら、それは彼が父母を供養する時間やその時のマナーを、一般的に良しとされるタイミングや方法(朝、朝食後に供物を取り下げることだったり、夜、就寝前に拝むことだったり)にすっかりと変えていたことで、彼は自身の都合や好き嫌いや狂った慣習といったのを一つ残らず改めた上で(たまっていた洗濯物を残らず片付けたのもそれの一環だ)、今までよりももっと無欲的な生活を送ろうと励んでいた。彼の異質な点というのはまさにそういった点のことであり、竹生は正月という非日常をむしろより日常らしく過ごしていたと言って良い。竹生にとっては月日というのは常に等しくあり、特別な日とそうでない日との差が彼の中にはなく、だから大晦日であっても元日であっても、彼にとってはそれらはやはりただの普通の日なのであり、それ以上でもなければそれ以下でもなかったということなのだろう。だからこそ竹生は今日も普段通りに、いや、普段よりも普段らしく今日という日を過ごすのをする。誰に指示されるでなく、そして嫌々送るのでもなく、彼は当たり前のようにしてそういった生活を自らに悉く強いてきていた。だが、そんな竹生のいつもにもう一つ違う点が見受けられるのはすでに分かり切ったことではあるのだろう。……そう、彼は藍との一件を境に一度も川住宅を訪れてはいなかった。
食器を洗い終えた竹生はふらりと洗面所へと向かった。そして顔をぱしゃぱしゃと洗い、歯をごしごしと磨いた。それらを終えると彼は鏡に映る自分の顔を何とはなしに見た。それの血色はあまり良い方ではなかったと言えるのかもしれなかった。加えて目下にはうっすらとではあるがくまが出来てもいた。しかし彼は「きっと連日の夜更かしのせいで生じたものだろう」と思うに留まり、そそくさとそこを後にした。
彼は階上の自室に向かおうとした。が、その時、玄関の方から小さな物音がした。しかしその微細な音が怪しいものではないのを竹生はすぐさま理解した。その音というのの正体、それはつまりは郵便受けが開閉した時に鳴る金属音であった。すると彼は一旦玄関の方へと歩いていって、靴を中途半端に履き、戸を開錠してから外に出て、玄関先に設置してあったポストの中を見た。そこには三枚のはがきが入っていた。それらは年賀状であった。竹生はそれらをその中からそっと取り出した。差し出し人を確認すると一枚目には山田花梨という名があり、二枚目には戸橋林檎という名があり、三枚目には川住藍という名があった。それらはどれもが流麗な文字で認められていた。彼はまず三枚のうちの二枚を裏返して見た。それら二枚、つまりは花梨のそれと林檎のそれには「明けましておめでとうごさいます。今年も宜しくお願いします」といった定型文と、手描きの干支のイラストがあった。そのイラストというのは可愛らしくデフォルメされて描かれたものであり、二人のその絵は描かれているものという点で言えば同じではあったが、それの配置であったりタッチであったりは対照的であって、花梨の方はというとポップな印象を受ける仕上がりになっていたのだが、一方の林檎はそれを淡い色彩を多用したナチュラルなものとして仕上げていた。見慣れてはいた二人の絵。竹生は華やぐ紙面に対して「今年はこんな風な絵だったか」と思った。だがそれ以上を竹生は意図的に思わないようにした。意図的に二人のことを考えないようにしたのだ。それはとても悲しいことで、とても寂しいことではあったのかもしれない。しかし背に腹はかえられなかった。今の竹生には二人よりも大切に思わなければならない存在があり、それ以外に目を向けている余裕など少しもなかった。そうしなければ自らの書がまた駄目になってしまうかもしれない。そうしなければ何よりも大切な父母との約束を果たせなくなってしまうかもしれない。彼に襲いくるそういった危機感が彼の精神をより一層ナーバスにしていた。そしてそんな心境のままに竹生は三枚目の年賀状をゆっくりと裏返した。すると竹生は一瞬目を疑った。そこにとても荒々しい文字でもって「川住宅にて待つ」と書き殴られていたからだった。竹生は目を丸くする。一体これは何であろうか、どういうつもりで藍はこれを送り付けてきたのだろうかと、彼の思考は一瞬だけ乱れる。が、彼はそれをまるで果たし状にでも使われるような文だとふと思った。彼は玄関先でその文面をしつこく読み返していた。寒空の下で何度もその字面に目を通すのをしていた。しかし、それは長くは続かなかった。竹生は一旦家に戻り、靴を脱いで中に上がり、三枚のはがきを下駄箱の上に静かに置いた。そして部屋に行き、普段着にきちんと着替え、それを終えると彼は道具の入った鞄を持ってぱっぱと玄関へと戻ってきた。彼は持ってきた鞄をひとまず床に置き、まずはハンガーラックにかけられていたダウンジャケットを着込んだ。靴をしっかりと履き、さっき置いた三枚の側にあった家の鍵を右手で持った彼は、今し方床に置いた鞄を左手で持つことをして、玄関を出た。玄関を出た竹生はがちゃりと戸を施錠した。その行為は彼の気を引き締めるに足るものだった。彼は鍵をポケットに入れ、とめてある自転車のところまで行き、左手の鞄をそれのかごに入れた。そうして竹生はその自転車に乗って川住宅へと向かっていった。
川住家には五分程度で到着した。竹生は乗ってきた自転車を所定の位置に駐輪した。書道道具を手に彼はすぐに玄関へと向かっていって古びた引き戸をがたがたと開く。施錠はすでにとかれていた。中はしんと静まり返っている。玄関に並べてあった靴は水仙と藍のものだけだった。つまり花梨と林檎のそれはなかった。竹生は戸をがらがらと閉めた。開閉する時に鳴るいつもの音が今日はやけに響くと彼は思った。それはようするに花梨や林檎がここに来ていないからで、賑やかな彼女達の声が聞こえてこないからなのだというのを彼は十分に分かっていた。しかし分かっていることとすべきことというのは違う。鞄を床に置き、ダウンジャケットと靴とを脱いだ竹生は中へと上がった。そして床の道具を再度持ち、脱いだジャケットを片手に抱えた上で、数日ぶりに川住宅の階段を上っていった。階段を一段一段上るごとに、靴下をちゃんと履いているはずの足の裏が、順序立てて冷え込んでいくかのようだった。
竹生は階上の部屋に入った。すると墨の香りがほんのりと鼻を付いた。慣れ親しんだ匂いではあるはずのそれが、今日は何だか新鮮なもののように思えた。それは久方ぶりにここを訪れて、久しぶりにここに満ちる空気を感じたからだというのが大いに関係しているのだろう。あるいは新しい年を迎えた時に覚える独特の雰囲気というのが、彼にそんなような感じを抱かせていたからだとするのも良いのかもしれない。いずれにせよ、竹生は今日、一度は拒んだこの「川住書道教室」に足を運んだ。藍に呼び出されたからというだけではなく、今後の自分の行く末に関わるような重要な何かを思ったからこそここに来た。竹生はそう強く思った上でいつも自分が座っていた窓際を見る。そこでは藍がぼんやりと窓の外を眺めていたが、竹生から送られた視線に気付いた彼女は、彼の方に顔を向けて言う。
「待ってたよ。案外早かったじゃない。正直もっとかかるのかと思ってた」
「藍姉。俺は……」
「こっちに来て」
藍は竹生の言葉を途中で遮ってそう言った。藍の前にある長机にはすでに二人分の書道道具が展開されていた。一つは藍のもので、一つは竹生のために用意されたものらしかった。竹生はきっちりと並べられたそれらを見ることにより、今日自分が成すべきことは一体何なのかを改めて理解した。だから彼は後は何も話し出さずに歩いていって、藍の隣に腰を下ろして手に持っていたダウンジャケットと鞄とを机の下に置いた。使わず終いとなった自分の書道道具のことを竹生は一瞬だけ思ったが、彼の頭には「弘法筆を選ばず」という言葉がただぽつんと浮かんだだけだった。彼は彼女がまた口を開くのを待った。が、一方の藍は竹生が隣に座ったのをちらとも見ずに墨を擦り始めていた。黙々と墨を擦り出した彼女は竹生にも墨を擦ることを暗に促していた。よって竹生も藍に続いて墨を擦ることをした。二人は二人ともに何も言わずに墨を擦った。硯の「陸」の部分で行き来するそれだけに意識を集中させ、二人はどんどんと黒々とした墨液を生成していくのみだ。その行為は竹生にとってはいつもと何ら変わりない作業であり習慣ではあった。いつも通りに思考を巡らせないことに思考を働かせるという矛盾を生じさせ、いつものように気持ちを内側の方から高ぶらせていき、しかし同時にかっかと燃え上がる熱情をほど良く諫めることもし、ようするに彼は絶妙のバランスを保つことを念頭に自身の右腕を動かしていくのだ。だが竹生はそんなようないつもの工程の中に明らかに異質な何かを見て取る。彼は今日のそれに普段とは全く異なるものが生じているのを敏感に嗅ぎ取っていた。竹生には異様なまでの緊張が走っていた。そう、それは通常のそれとは比較にならないほどの大きな緊迫だった。その大きな緊迫感というのが、これから認めるであろう何かしらの書が、どれくらい彼にとって重要なものであるのかを嫌というほど彼に知らしめていた。だからただ墨を擦っているだけだというのに、竹生は先ほどから感じている物凄いエネルギーによって身も心も押し潰されそうになっていた。もしくは何かしらの刃物でずたずたに切り裂かれているかのような錯覚を覚えていたとも言えるかもしれない。それらは失敗することが許される場面ではないのを十分過ぎるほどに理解していたからこそ抱いた実感であった。彼が今日のこの書でしくじることは絶対に許されることではなかった。それは誰に言われたわけではなく彼が自分自身で決めたことだった。竹生は覚悟する。今日のこの書が成功しないということが何を意味するのかというのを彼は何度も自分に言い聞かせる。今日が駄目なら次はない。今日で出来なければこの先はない。そのようにして自らに暗示をかけるたび、過度な緊張感というのは一層竹生に猛威をふるってくる。そしてそれによって、矛盾するようではあるが、自分は本当に大丈夫なのだろうかという大きな不安が彼の中にむくむくと広がっていくのを避けることは出来なかった。失敗出来ないというプレッシャー。もしも失敗してしまったらと考えた時の絶望。そういったのを頭に浮かべるのに従って、彼の右手はまるで鉛のようにして重くなっていく。が、彼の腕は決してとまらない。いや、とまれないとする方がきっと合っているのだろう。彼はもう立ちどまれない。そう、彼はもう進むしかないのだ。なぜなら必ず藍に示さなければならないからだ。父母のために書くというのが書家への道を切り開く。このことを何が何でも証明しなければならなかったからだ。父母への思いが書道家になるための唯一の活路であるのをどうしても藍に伝えなければならない。だからこそ竹生は二人のことを精一杯思った。二人のために書く。自分は亡き両親のために書いていく。それが全てであり、それが答えであり、それが己が書道のあるべき姿なのだと、竹生は懸命に自らを律していった。そうすると彼の心は次第に落ち着きを取り戻していった。強大な負の圧力がだんだんと弱まっていくのを竹生は確かに感じていた。それによって彼の右腕の重みはなくなっていった。まるで雪が溶けていくようにして、彼の内にあった失敗することへの恐怖というのはなりを潜めていったのだ。彼の手はもはや軽やかに動いていた。彼はたった一つの思いだけを胸に残して墨を擦るのを終わりにした。彼の思考や精神は書くのが億劫だというのから解放されてとてもシンプルなものになっていた。
「終わったみたいだね」
藍はそう言って竹生の方をちらと見た。竹生はこくりと一つ頷いて、心構えを含めた全ての準備が整ったことを彼女に伝えた。すると藍はそれに対して「分かった」と前方を見ながら言い、「じゃあ今日のことについて話すよ」と続けた。「まずは何をするのかってことから話をしてみようか。……まあ、ここまで用意しておいて書かないわけがないってことぐらいは竹生にも分かってるとは思うけど。一応ね」
藍は冷静にそう言った。そして「竹生には書き初めをしてもらう。今は正月だからね、やっぱりそれ相応のことをしてみる方が良いと思うわけ。本来は一日じゃなくて二日にするのが習わしらしいんだけど、今の私達にとってはそんなことはどうだって良いこと。何を書くかは自由。漢字でも平仮名でも片仮名でもアルファベットでも良い。とにかく何でも良いから書くこと。それが今日の書のルール。簡単でしょ?」とすらすらと付け加えた。藍は竹生の顔を少しだけ伺った。「ただし、竹生の全てを今日の書に注ぎ込むこと。良い? 全てよ。心や技術。時間や空間。思考や感性。人間性や野性。とにかく今の竹生が表現出来るものを全部今日の書に出し切る。それが出来なければここに来た意味がない。それが出来ないようじゃ竹生は書家になんてなれない」
「なれるなれないじゃない。俺は書家にならなければいけない」
涼やかにそう言った竹生はもう藍の方を見てはいなかった。彼の視線はすでに前に置かれた半紙のみに向けられている。そして開始の合図が藍から下されるのをじっと待ち構えている。ふと、藍は彼の目の中に鈍色の光があるのを見て取った。その光というのは見ていて寒気を覚えるくらいに鋭かった。しかし藍はそれによって気圧されはせず、ただ竹生のそのような眼差しを肝のすわった目だと思うだけに留まった。藍はだから「そう」と返事をし、「うん。じゃあさっそく始めようか」と言って今日の書の開始を宣言した。それの始まりというのは案外物静かであったと言えるのかもしれなかった。すると竹生は水滴をぽたりと落とすようにして筆を紙上に置いた。それは静かで、優しく、とても品がある筆遣いではあったが、同時にとても弱々しいものでもあった。彼はそっと紙を撫でるようにして線を引いた。美しい姿勢で、彼は力という力をほとんど加えずに穂先を動かしていく。竹生は「竜」という文字をまずは書いていた。いや、書いていたというよりかは生じさせたとする方がもしかすると合っているのかもしれない。それはその字が彼の書こうとする意識の下に書かれたものではなく、ただ墨を含んだ筆と紙との接触によって自然に生じたものであったというのを意味していた。そしてその「竜」を表した時点で、彼の今日の書が「竜胆竹生」という自らの名前を書することによって成される手はずなのは明白だったろう。竹生は藍の提示した制約に対してそのような形でもって立ち向かうのを選んだのだった。しかし、それは穿った見方をすると安直極まりない考えであると言えるのかもしれない。全てをぶつけろと言われたにも関わらず、単に自らの名を示すだけに留まるということ。書くものは自由と言われたにも関わらず、わざわざ最も書き慣れていると言っても過言ではない、ようするに最もつまらない題目を選択するということ。そういったことは彼にとっては悪いように作用する行いでこそあれ、良いように働くものではないはずだった。例えば他者ならばこのような状況下にあった場合に、何というか、きっともっとあれこれと考えを巡らせるというか、もっと自分のテクニックであったり心意気であったりの諸々を幅広く伝えようとするというか、つまりもっと足掻こうとするはずではあるというのに、竹生はそういうのとは丸っきり逆の姿勢を貫こうとする。言ってみるならば今は竹生にとっての窮地であるに違いないはずなのに、竹生はそれを一向に省みず、何とも力ない「竜」を何とも気の抜けた筆遣いによってただ表しただけだった。すると竹生はその「竜」に続いて「胆」という字を先と同じようにして紙面に表すことをした。しかしそれもまた力感のない筆の運びで出来上がった良いとは言いがたい書であり、一言で言うのならばそれは実に空っぽな書であった。それらからは何も感じられなかった。さらにはそれらから何かを考えることも到底出来そうになかった。そうすると竹生は次に「竹」を紙上に表した。が、それもまた先と同様、至極面白みに欠ける仕上がりであったのを否むことは出来なかった。最後に彼は「生」の文字を先ほどと全く同じ要領で表すことをした。しかし例の如くそれもまたどうしようもなく粗末な書であり、述べるべきことは一つとしてなかった。そうやって竹生は一枚目の書を終了させた。彼は書き終えたそれをすぐに取り払った。そして新たな紙を下敷きの上に広げて淡々と次の書を書き始めることをした。だがそれもまた一枚目の書とちっとも変わらず、うだつの上がらない、何の情感もこもっていない「竜胆竹生」であって特に述べるに値しない。するとそんなような「竜胆竹生」を書き終えた彼はそれを脇へとやり、再度次の紙をセットし、三枚目のそれにもまた同じく「竜胆竹生」というのを表す。しかしそれの出来映えが良いものではなかったというのはすでに十分に伝わっていることだろう。それなのに、竹生はまだそんな書を繰り返していく。まるで壊れてしまった玩具のようにして、彼は何度も同じことを繰り返していくのみなのだ。それはもはや書道ではなくて作業と呼ぶにふさわしい行いへと成り果ててしまっていた。彼がそのように書き進めていくのにつれて彼の書はむしろ書道というものからは遠くかけ離れていった。そう、それはもはや書道と呼べるものではなくなってしまっていたのだ。彼は確かに筆を使用して書いてはいる。加えて、彼は確かに「竜胆竹生」という文字を形あるものとして紙面に表現してはいる。しかしそこには中身がない。ちょうど飲み干されて空になった缶のように、そこには「竜胆竹生」というのが表記としてあるだけであって、肝心なものは何一つとして書き表されてはいない。ようするにそれはやはり書道とは言えない。……大袈裟に飾り立てているわけでも、ましてや嘘を言っているわけでもない。竹生の今表している書というのには本当に何もないのだ。そしてその何もないという実感は、彼が枚数を費やして書いていくにつれて少しずつ強まっていった。何枚も同じようにして自らの名を書いていくに従って、彼の書いているものは徐々にその文字という形さえも失っていき、だんだんとそれは「竜胆竹生」という体を辛うじて保っていたものですらない、本当の意味での無に近づいていった。彼は書いていた。確実に書いてはいた。なのにどうしてだろうか。彼はもう書いていなかった。何も書いてはいなかったのだ。書けば書くほどに書かれなくなっていく。書いた分だけ「竜胆竹生」というのはむしろ透明になっていく。何もかもが失われていく。墨の黒さが目に付かなくなっていく。半紙の白さが感じられなくなっていく。どんどんと溶けていく。消えていく。……そうして竹生の書はついに完全に色を失ってしまった。何もかもを完全になくしてしまったのだ。よって竹生はただ正座をしているだけになった。ただ整った姿勢で座っているだけになったのだ。彼の書は書ではなくなるというので終わりを迎えてしまった。なのに、そこにはまるで口に含んでいた飴玉が溶けてなくなってしまった時のようなちっぽけな喪失感が少しあるだけだった(それはあるいは、線香花火が消えてしまった時のような何とも言えない消失感という風にも言えるかもしれない)。とにかく、壮大な何かが行われているようではあった彼の書は、本当にあっけなく、何も成し得ないままに消え去った。何一つとして残せないままに彼は書道というのを根刮ぎなくしてしまったのだ。……これで今日の果たし合いなるものの行く末は決したかに思えた。しかし竹生はまた半紙を一枚取り出して目前に広げることをした。なぜだろう、全てを失ったとさえ言える彼はまだ書くのをやめようとしなかった。彼はもう一度筆を取った。そして竹生は再度書き始めることをするのだ。彼は執拗に書き続けた。それがもう書とは呼べないがらくた同然のものなのだとしても、それが書き続けるべきではない空虚で無意味なものなのだとしても、彼はどうしてか書くのを一向にやめなかった。しかし、だからと言って、陳腐なそれをどうにかしようとする気を今の彼が持ち合わせているわけでもなさそうだった。彼はやはりだらだらと時間を浪費させているだけに過ぎないのかもしれない。そうやって何の成果も得られないままに時は進んだ。竹生と藍が書道を開始したのは午前十一時頃だったが、今はすでに午後五時を過ぎようとしているところであった。竹生は墨がなくなるたびに新たにそれを擦り直した。そして変わり映えのしない書とは言えない何かをまた同じようにして書くといったサイクルを依然として頑なに守り続けていた。外はもうすっかり暗くなっている。だから空に浮かぶ星や月は煌々とした光をあらわにしていて、それらの光は暗い夜空をきらきらと彩っていた。明かりの付いていない室内は窓から差し込んでくるそういった光によって辛うじて照らされていた。それは二人が腰を下ろしている窓際だけが明るく、後のスペースは暗かったということだった。加えて室内は相変わらず静かだった。それはここに竹生と藍の二人だけしかいないというのを考えると別段不自然ではないように思える。妙なのはやはりストーブの音がその静けさゆえにむしろ大きく聞こえてくるということぐらいだろうか。が、それも二人にとっては慣れ親しんだ感覚であって特に気にさわることではない。だが、だからといって、それが心地良いかと聞かれればきっと、竹生も藍も口を揃えて「別に」と答えるだろう。しかしここにはそんなことを質問してくる者は誰一人としていない。ここにいるのは今日に限っての話ではあるが、竹生と藍の二人だけなのだ。途中で水仙が水を差しに来ることもなければ、花梨や林檎が賑やかしに来るといったことも当然ない。しかも藍がこの書き初めの始まりを告げてからおよそ六時間、二人は二人共に一言も言葉を交わすことはなかった。そしてそれは今もなお続いている。つまりまだ二人の戦いは終わってはいない。現に竹生も藍も未だにそこに居座ったままで、未だに二人は二人なりに書に向き合い続けている最中なのだ。そんな中、今まで一向に進展しなかった竹生の書とは呼べない何かに変化が見え始める。それが少しずつ表れ始めたのは用意されていた半紙を半分ほど使い果たした頃合いからだった。竹生は例に倣って半紙を敷いた。さらに彼は例の如く「竜胆竹生」という文字を認め始めた。その行いは今までと何も変わらないことのように思えたし、事実、そういった工程を経て出来上がったものが書とは言いがたい出来損ないであるというのに何ら変わりはなく、彼がしているのは結局書道とは呼べそうもなかった。しかしなぜだろう。それはやはり先に書いたのとはどこか異なっていた。だがその違いというのはとても些細なものであり、しかもそれがどういった違いなのかやなぜ生じたのかについてはてんで分からなかった。ただし何かが変わったといったことだけははっきりと感じられた。目に見えて書が様変わりしたわけではもちろんない。竹生の今の書がもはや誰の目から見ても粗末な出来であるということに変わりはない。なのに竹生のそれに何らかの変化が生じたといったことだけは明らかに感じられるのだ。よってその微々たる変化を違和感という言葉に置きかえることもあるいは可能ではあるのだろう。しかしその違和感というのはまるで暗闇の中にある影のようであり、つまりあるようでない、いや、ないようであるといったような奇妙でいまいちはかりかねるものの域を出なかった。そしてそれの正体が何なのかを深く考えようとすればするほど、この書は駄目だという本来の印象に引っ張られ、結果考えがうやむやになってしまう。だからこの書は実に言葉で表しにくい代物であったということだけは確かで、この時には実に言いがたい何かをちょっとばかり秘めているものとしか言えなかったし、それ以上を語る価値もないように思えた。が、そのことは竹生が書き進めるに従ってだんだんと覆されていく。それはようするに、彼の書く得体の知れない何かが、書道と呼ぶに足るものへと少しずつ変わっていったということに相違ない。彼は書き続けた。書き続けることだけはやめなかった。途中で書道というものを丸々失ってしまったのが本当なのだとしても、彼は依然として書いた。波風を立てず、平常心で、彼はとことん冷静に書き進めていくのをするだけだった。すると彼の書くものには次第に書が戻ってきていた。いや、正しくは新たに書が宿っていったとする方が合っているのかもしれない。そう、彼の書いた一枚一枚は確実に書道になっていった。前までの丸っきり書道ではない何かとは打って変わり、新しく書き連ねたそれらには書道としての鼓動が鳴り響き、書道としての生命が息づいていったのだ。これによって、竹生がどうしてわざわざ自らの書道を一旦欠落させるような突飛な真似をしていたのかがやっとのことで理解出来るようになったと言えよう。竹生がまるで彼らしくないことをしていた理由。それはようするに彼が己の書を零にするのを強く望んだからだった。彼は自分の書に映り込む、今まで積み重ねてきた類い希なる努力、彼が持って生まれた圧倒的な才、彼を取り巻く環境、今まで大事にしてきた理念といった諸々を一度完全に忘れてしまいたかった。さらに彼はこれまでずっと胸に留めてきていた書道が好きであるという初心すらも消してしまいたかったらしい。詰まるところ、竹生はそういったのをごてごてとした余計なしがらみとして捉えるに至った。彼はとにかく全てを無にしたかった。そしてそうすることによって全てを一からやり直したかった。だからこそ彼は自分の書をまずはなくすという荒技をやってのけ、だからこそ彼は全部が一新された書道に臨み始めているといった次第なのである。彼が枚数を重ねて書くたびに、彼の真新しい書道というのはみるみると育っていった。それは一つの小さな種が芽を出し、葉を付け、茎を伸ばし、そして花を咲かせるといった様子ととてもよく似ていると言えるのかもしれない。もしくはそれは絵を描く工程にそっくりだとも言えそうだった。それはまるで描くようにして書かれた書道だと言うことが出来、つまり彼は墨をさながら絵の具のようにして扱っていた。「竜胆竹生」という文字は今の彼の中では自画像に等しかった。ゆえに「竜胆竹生」という平面的な文字の羅列が、彼には今奥行きのあるものとして感じられていた。初めはゆっくりしていた彼の筆遣いは書くごとに早くなっていった。そしてそれにつれて彼の書が立体的であるという実感は増していった。だが、それは書がしかけ絵本のようにして実際に飛び出してきたということを言っているわけではもちろんない。何度も当たり前のことを言うようではあるが、彼の前にはぺらぺらの紙が敷いてあるだけに過ぎず、彼はそれに自分の名前をただただ書き表していっているだけなのだが、そんな言ってみれば地味で面白みに欠ける一連の行為の中にはとにかく、彼にしか知り得ない膨大な力が淀みなく働き続けていてとまらず、しかもそれはどんどんと物凄い勢いで増していく一方であって、だから彼から紡ぎ出されていく書はまるで世界のような広がりを持ち、それゆえに彼の書は半紙という枠組みの中に収まり切るはずもなく、書はまるで浮かび上がっているように思え、めきめきと立ち上がっているようにも感じられるということであり、もはや超次元的とさえ言える竹生の書は彼の思い描く理想へと着実に近づいていき、そしてそれは遂に彼にしか成し得ない高みへと上り詰め、あの誰からも評価されなかったであろうがらくたが一転、誰からも多大なる賞賛を受けるに足る作品へと変貌していたが、竹生はまだ手をとめることをせず、さらに猛烈に書き、けたたましい筆遣いでもって書き、完璧を求め続けるのを絶対にやめようとはせず、彼はたった一つのことだけを念頭に精進するのみだった。そのたった一つのことというのが何なのかはもう言うまでもないことなのかもしれないのだが、それはつまりは父と母のために書くことだった。父母のために書くから書家になれる。父母を思うがゆえに書家になれる。こういったことを自分は藍に示さなければならない。まざまざと彼女に見せつけなければならないのだ。それらが出来てようやく自分は胸を張れる。ようやく己の書道は正しかったと、決してそれが零点ではなかったと藍に示せる。逆に言えばそうすることでしか自らの書が正しいと証明することは出来ない。なぜなら、そうするしかないように自らで自らを仕向けたのだから。それしか書家になる方法はないと自分で思い出し、辿り着き、そして決めたのだから。だから絶対に失敗することは許されない。失敗することは書家になれるという可能性を丸々否定するに等しく、延いては父と母についてを丸ごと否定するのと同じだ。だからこそ何が何でも仕上げなければならない。二人から与えてもらったもの、二人から教わってきたもの、二人によって考えさせられたもの、二人から感じ取ってきたもの、二人が大切にしてきたもの、二人が信じてきたものといった、父と母にまつわる全てを出し尽くして書き上げなければならない。そうしなければ意味がない。今行っているのはそういう風にして初めて意味を成す類いのことなのだから。それだから竹生は書く。そのことのみを意識しながら全身全霊で書くことをしている。そうするといつからか、竹生の頭の中には声が響いていた。竹生、竹生と、彼の名前を呼ぶ声がどこからともなく聞こえてきていた。それはとても優しい声で、とても温かな声でもあって、嬉しそうで、でも少し悲しそうで、ぽつりぽつりとしていて、なのにそれら一つ一つの音はしっかりと鳴っていて、彼が「竜胆竹生」と早々と書いているのに反する、まるで昼寝をしている時のようなゆっくりとした時間の流れがその声の中にはあって、それでも彼は書き続けていたが、そんな風に彼が書き進めるのにつられて、声の方もまた竹生、竹生と彼を呼ぶのをやめなかった。そうするとどうだろう、気付けば彼の目からは涙がぽろぽろとこぼれ落ちていた。