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出会った子猫が私の人生に色をくれた【4】

朝起きると、子猫はまだスヤスヤと夢の中にいるようだった。

空っぽになったご飯と、また少し減った水を変えて、子猫に間違えてこぼさないようにそっと置いた。


定期的に帰らないと子猫のご飯が足りない、今日は何とか早めに帰れるだろうかと思いつつ。

昨日のうちに帰っておいたおにぎりに噛り付いた。


中に入っていた梅干しの酸っぱさと、海苔に着いた塩味、お米のうまみが口いっぱいに広がる。

あぁ、ご飯ってこんなに美味しいものだったんだ。

私の中に引っ込んでいた味覚が仕事を再開していた。


子猫を心配しつつ、会社へと向かう。

出勤して早々に私は社長に呼び出されていた。


「君ね。急に休むとか会社に迷惑がかかるの分かってる?どんなにつらくても、苦しくても仕事は一切休まない! 常識だよ、常・識!」


私に向かって社長はそう怒鳴りつけた。

社長の後ろにあったガラスに反射した私の後ろでは、他に働く社員が自分に飛び火するのを恐れて、気が付かないフリための仕事を精一杯熟していた。


しかし、確かに仮病で休んだ私に非がある。


「すみません……。すみません……!」


必死に何度も頭を上げて謝った。

呆れた顔の社長は面倒くさそうに机で頬杖をついて私に言い放った。


「明後日から、うちの経営している支店に移動ね」


その言葉には驚きを隠せなかった。

そもそも転勤がないことも入社した条件の一つであり、明後日に移動とは急すぎる。


「あの、転勤はないというお約束では……? それに明後日というのもいくら何でも……」


今にも消えてしまいそうなか細い声で社長に訴える。


「契約なんて変わるもんだ。それに私の若いころは明日行けと言われてもやっていたぞ! ダラダラと言い訳して文句を言うな! 会社のルールに従え!」


崩れていた心が、少しずつ固まっていく。

その中心に『にー』と鳴くあの子が確かにいた。

そして私の中に散らばっていた心のかけらが組みあがった。


「辞めます……」


「あ? なんか言ったか?」


「今日で辞めさせていただきます! 文句を言うのであれば労基でも弁護士でもなんでも呼びます!」


社会人としては最悪の辞め方かもしれない。それでも心が澄んだ青空の様に快晴だった。

あの子だけは何とかして絶対に守ろう。そんな気持ちが私を後押ししてくれたのかもしれない。


くるっと(きびす)を返すして社長室を後にする。

後ろから、ちょっと待てとか、もう一度話し合おうとか、そういう声が聞こえたが無視をした。


その日、今まで行ってきたことを全て資料にまとめ、『引継ぎ内容』という件名のメールとお世話になりましたと本文に打ち、まとめた資料を添付して社内全員に飛ばした。


そして私は会社を辞めた。

後悔する部分もあったが、自由になった開放感の方が強かった。


急いで自宅に戻ると、子猫が『にー! にー!』と元気よく鳴いた。

私が返ってきたことが分かっているのだろうか?

段ボールを覗き込むと、つぶらな瞳をこちらに向けて『にー! にー!』とまた鳴いた。



それから一週間が経過したころだろうか、子猫はあの時と別の子の様に家の中をうろちょろと動けるほどに回復していた。


幸いにもお金を使う時間がなかったので貯金はかなりたまっていた。

一年は働かなくとも何とかなるだろう。

その間にこの環境を出なくてはとも考えていた。

ペット禁止のアパートでこっそりと飼っているのだ。早めに引っ越さないといけないとも考えた。


その時携帯の着信がけたたましくなった。

もしかしたら会社からの電話かもしれない。出たくない。出たらきっとまたあの牢獄に戻されてしまう。

そのような強迫観念に襲われていた。


しかし、画面に表示されていたのは『お母さん』だった。電話に出ることを決意した。


「……もしもし」


「ちょっと、アンタ。いつまでも出ないから心配したよ!」


すごく久しぶりに母親の声を聞いた気がする。

何だか体中の力がフニャフニャと抜けていった。


「……しもし! ちょっと聞いてるの? 大丈夫?」


「お母さんゴメン、仕事、辞めちゃった……」


震える声を精一杯絞り出し、泣きながら母親にそういった。


「今度の土曜日、お父さんとそっち行くから、それまでちゃんと生きてなさい」


お母さんもきっと何かを感じたのだろう。親から『生きていなさい』なんて初めて言われた。


そして、その週の土曜日、新幹線と在来線を幾つも乗り換えて、父親と母親が駅に着いた連絡が入った。

せっかくの休みを潰してまで会いに来てくれたことに罪悪感があり、少し会いにくいなと感じた。


駅に向かうと、見慣れた男女が荷物を持って駅前をキョロキョロと見渡していた。


「お父さん! お母さん!」


私は出せるだけの声を出して二人を呼んだ。こちらに気が付いた両親が手を振ってくれていた。


「いらっしゃい」


近づいた私はそういった。


「おう」


「元気そうでよかったわ」


素っ気ない父に対し、母親は最悪の展開を予想でもしていたのだろうか安堵していた。


それから住んでいる街の事を話しながら自宅へと案内する。

部屋に入った両親は生活感の全く感じられない段ボールの山々と、ベッドとテレビしかない空間をボーっと見ていた。

タンスも、テーブルもない空間は異質だったのだろう。


そして、一番の異質で私の枕を枕代わりにスヤスヤと寝ていたソレに両親は気が付いた。


「お前、猫飼い始めたのか」


父がその一言だけいうと、ドカッと今に座り込んだ。

母は猫を起こさないように触ったが、急に知らない人に触られたのか驚いて子猫はベッドの下に潜り込んでいった。少し寂しそうな母だったが、父の横にゆっくりと座り込んだ。


「アンタ、なにがあったの? 話してごらん」


母に諭されるように言われ、ここ数年ずっと休みなく朝から晩まで働いていたこと、次々と人が辞めて終わらない仕事に苦しめられたこと、社長の理不尽に耐え切れずいきなりやめてしまったこと。

そして、子猫が死を覚悟していた私をずっと支え続けてくれたこと。


途中から涙がボロボロと止まらなくなり、見かねた母が私を抱きしめ、


「よく頑張ったよ、辛かったね……」


その言葉が私の心を大きく揺さぶり包み込んでいった。


「うぁぁぁー!」


私はまるで泣きじゃくる子供の様に大声で泣いた。その声に母も涙を流している。

どれぐらい泣いただろうか、しばらく泣き続けやっと落ち着いた時だった。


「来週末にここを引っ越すよう業者に連絡する。母さんもそれでいいな?」


父はそういうと母に目をやった。

母は大きく頷くと、それを見て父も頷き返す。

私は父のその言葉に口を挟んだ。


「お父さん! でもここに来るときもお金を借りたし、せっかく応援してもらったのに私、仕事も辞めちゃったし……」


また泣き出してしまいそうな声で父に訴えた。

これ以上両親に迷惑を掛けたくないと思った。


「お前はそこの猫に出会うためにここで暮らしていただけだ。金の心配はするな。帰ろう」


父の帰ろうという言葉に私はまた子供の様に泣き出してしまった。

穏やかな目で私を見つめる父と、私につられてまた泣き出してしまった母。


そして、ベッドの下からするすると子猫が出てきて、私の膝に座り込んだ。


急な出来事に私も母も泣くことを忘れた。そして父も目を丸くしていた。

そこに少しだけ笑いが生まれた。


そして、また穏やかな表情になった父が、


「こいつも帰ろうってさ。家族が増えたな」


二カッと笑った父に私は、


「うん、うん……」


と、涙を頬に垂らしながら頷いていた。


こうして一度、父と母は帰っていった。

そして、私が何もしない間にすべての事を父が済ませてくれていたらしい。

引っ越しの業者さんが全ての荷物を片付けて持って行ってくれた。


そして私が実家に戻る日、何処から買ってきたのだろう、父がかわいらしいペットキャリーを持って私を車で迎えに来た。

助手席には母も座っている。


新幹線と電車で帰ろうと思ったが、父が、

「ゆっくり帰ろう」

と母に提案したそうである。


父が不動産の立ち合いをして、無事に鍵も返し終えると、早々に車を発進させる。

早くこの家から私を離したいという気持ちもあったのだろうか。


初めての車の音と振動に、少し子猫が怯え、震えているようだった。

キャリーケースを少し開けて、私は子猫にそっと手を寄せた。子猫の震えが少しずつ治まると、私の手をペロペロと舐め始めた。

ザラザラとし舌は少し痛いが、それが私はとても嬉しかった。


国道を抜けて、高速道路に乗った。すると母親が、


「お父さんね、あれから猫の本をたくさん買ったり、ネットで調べたり。まだ家に着いてもいないのにおもちゃやご飯用のお皿まで用意しちゃって!」


母のこんなに元気に笑う姿を見るのもいつ以来だろうか。運転する父は母にこっそりと実行していた計画を早々に私にバラされ照れたように笑った。


対向車線の車が何かを急ぐ様にカラフルな自動車たちが猛スピード消え、こちらの側では追い越し車線のカラフルな自動車たちがドンドンと私たちを追い抜いていく。父は一番左の車線から一度も出なかった。


「そういえば、この間、こいつに良さそうなキャットタワーを見つけたんだ。それに猫ってな……」


運転をしながら父は、自慢げに覚えたての猫知識を私に披露していた。

家族三人で笑いながら高速道路を進んでいく。


『んなー!』


ごめんごめん、お前ももう家族なんだよね。私は子猫に声を掛ける。


『んにゃー』


私にやっと理解したかと言わんばかりになくと、スヤスヤと眠り始めた。

到着までは数時間ある、家族三人と一匹による実家への小旅行の始まりであった。

あの時の子猫はもう5歳になりました。

ガリガリだった体も、思い出せないぐらいぽっちゃりでかわいい女の子です。


未だに「にゃー」というよりは「んなー」と鳴いています(笑)

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