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出会った子猫が私の人生に色をくれた【1】

『私たちは、いわば二回この世に生まれる。一回目は存在するために、二回目は生きるために。』

学生時代に読んだ偉人の名言集にこんな哲学にも似た言葉が記されていた。


私は大学もそつなく卒業し、両親とも離れて一人暮らししながら働いていた。

『とにかく働いて稼いで暮らしていけば人生は何とかなる』

漠然とした考えが当たり前のような教訓となり日々毎日の生活を暮らしていた。


そんな私も初めて就職した会社で周りとの折り合いがつかず退職。

転職活動へて新しい職場で全く知らなかった世界を経験していた。


しかし数年をこの会社で過ごして分かったことがある。

人が入っては辞めを繰り返す。まるで人の入れ替わること自体が仕事の一つであるかのようだった

大半の人が突然その姿を消す光景は神隠しを見せられているような感覚に陥る。


そして、誰かがやろうとしてその手を離れた仕事というボールは、誰かがキャッチするしかないのだ。

例え大きく撃ちあがった外野フライでも、人がいないのでキャッチャーが走って取りに行くしかない。


企画、経営、経理のみならず、取引先への連絡やクレーム対応、次々と増えていく仕事。

毎日銀行を走り回り、精神的にも追い詰められていたと思う。


朝九時に出勤し、帰宅するのは日付が変わって午前一時ぐらいに帰る。

最初は土日休みだったが気が付いたら会社が自宅に変わっていた。


家に帰ることなど服を着替えることや睡眠だけ。

まるでレンタル倉庫のワンルームに置いていた荷物を取りに行くだけのような作業。

それでも『生きるために働かない』と、言う気持ちが自分を繋ぎとめていた。


そんなことを繰り返していた陽気な丸の日

数日前に入った新人が辞めた。突然来なくなり何度も連絡したが着信にすらならない。

携帯の電源が切られているようだった。


「悪いけど、仕事引き継いでもらえる?」


社長から呼び出された時に何となく察してはいた。


人柄は悪くない人だった。ただ、自分が出来るんだから社員にだって出来る。

そういうタイプの人だ。きつい仕事をかなりこなしてきた実力のある人だからこそ、

きっと実力の差がありすぎて周りが付いてこられないのだろう。


「分かりました!」


私も限界だった。24時間働ける人間などいない。それでもどうして笑顔で答えてしまったのだろう。

言われるがままだったが、これ以上は耐えられると思わなかった。

少しずつ、確実に自分の心の何かが解体工事を行っていた。


「会社にとって社員は駒だ。ダメになったのならその都度新しい駒を入れればいいだろう?」


社長は当たり前のようにそう言い放った。

この人にとってはきっと私も【駒】なのだろう。


頑張ればきっと報われる、認められる。

淡い期待がバットで打たれたような感覚がした。

心の中で支えてきた何かがゆっくりと、確実に崩れていく音がした。

行われていた解体工事は、最後に、盛大な、ダイナマイト発破による解体工事で幕を閉じた。


周りの音がすーっと消えていき、社長と何かを話したが記憶にない。

崩れ落ちた気持ちを自分の中の何かが必死に掻き集めていた。そんな感覚を抱えながら自分のデスクに戻り仕事を再開する。さて、増えた仕事をこなさなければ終わらない。


『私は何のために生きているのだろう』

この日から、まるで危険だから入るなというテープが心の周りに張られたようにくっついて離れない。


無理をした報いが私を蝕んでいく。最初は風邪だろうと思っていた。

なんとなく体が重い。だが、病院に行く暇などない。

栄養ドリンクと市販の薬で何とかなるだろう。

自分自身にそう言い聞かせていた。


ある日、仕事中に急な嗚咽感が私を襲いトイレで嘔吐した。少し血も混じっている。

そして、この日以降、味覚という私が私を中に引き籠ってしまったらしい。

何を食べても味が分からない。この時に自分がおかしくなってきていると初めて気が付いた。


味が分からないことがとてつもない不安を自分に引き寄せる。

あれほど毛嫌いしていたタバコやお酒にも手を出していた。


タバコなんて体に悪いし絶対に吸わない。お酒も適度ならいいが度が過ぎる飲酒は身を滅ぼす。

両親も私が小さい時から言い聞かせ、私もそうなのだとずっと信じて生きていた。

もうどうでもいいという気持ちがと少し楽になったという開放感が両親と私を分断していたのだった。


そして、それが当たり前になると楽になったという感覚も消えていった。

深夜に帰宅し、明かり代わりにテレビを付けた。知らない人間がぺちゃくちゃと喋っている。

自宅に帰ってきたのはいつ以来だろう。3日ぶりだっただろうか。


ふと、気が付けば、ビール缶を開け、タバコに火をつけていた。

「どうしてこうなっちゃったんだろうなぁ…」

独りになると色々と考えてしまう。片方の目から滴が零れていたが私は分からなかった。

楽になりたい、この状況から逃げたい……

『私は何のために生きているのだろう』

この疑問がもはや自分自身の首を少しずつ絞めていく言葉になっていた。


両親はなんて言うだろう。

無理を言ってお金も貸してもらい新しい仕事に就いた。

そんな私の我が儘を聞いてくれた大事な親には相談できなかった。

これ以上の心配を掛けたくなかったのだ。


友人も皆、疎遠になってしまった。

連絡を取り合っていた友人や、学生時代の友人も毎日連絡をくれた大切な存在だったなのに、仕事に追われ携帯を見なくなってから連絡が来なくなった。自らその関係を断ち切ってしまった……。


精神の、心の限界を超えた私にきっと死神とやらが囁いたのだろう。

『死んでしまえば楽になれるんじゃないか……』

【死】という言葉に恐怖ではなく安堵を感じてしまうなんて私はもうダメなんだと思った。


それでもいざ死のうと思うと手が出せなかった。とてつもなく怖かった。

『死ねば楽になれる』でも、どうしても心の中で『死にたくない』という小さな思いが引き留めていた。

そんな迷いも毎日襲ってくる不安や恐怖が少しずつ私をズルズルと心の暗い部分へと引きずり込んでいった。


それから少し経ったある日、私はそれを見つけた。

もう少しで心の暗部が完全に私を取り込もうとラストスパートをかけていたところだった。


私の住んでいたアパートの隅で親猫が子猫を産んだらしい。

時折元気よく鳴いていた。母親のおっぱいが恋しいのだろう。


この時の私はその声でさえ雑音、(うるさ)いとさえ感じていた。

鳴けば助けてもらえるだなんて思って泣いているのだろうか。なんと幸せな動物だろう。


「うるさい!」

私は開けていた自宅の窓を外の子猫たちを威圧するように、わざと大きな音が出る様にバン! と閉めた。

荒んだ心では微笑ましい光景もただの目障りだった。


子猫が生まれてからしばらくたったころ、会社に向かおうと家を出た。

季節は秋の気配が消えて冬が本格的に活動を始めんとする気温だった。

少しだけ体が寒さに震えた。


アパートのいつも車が止まっていない駐車場の真ん中で、一匹の子猫が(うずくま)っていた。

最初は何かゴミ袋落ちているのだろうかとも思った。

それぐらいコンクリートと調和性のない色だったので嫌でも視界に入ってきた。


近くに親猫がいるしすぐに迎えが来る。構っている暇なんてないと私はそれを無視した。

仕事中も心を殺し続け、大量になる電話といつが終わりなのか分からない仕事に取り組み続けた。

そして、仕事が終わり朝の光景などすっかり忘れていた私の前にそれは現れた。


朝と同じ場所にそれはいた。そんなに明るくないアパートの街灯にその黒い子猫が照らされていたのだ。

夜になれば寒さも感じる季節だった。朝に見た時と同じ形、大勢すら変えていなかったのだろうか。


私はなんでだか分からないが親猫を探していた。しかし、親猫どころか複数の声で鳴いていた他の子猫まで姿を消していた。耳を澄ませてみたが、動物が動く音や、鳴き声一つしない。どうやらこの付近からいなくなってしまったらしい。

動物は生き残るために弱い者を切り捨てることがあるというが、

この子は置いて行かれてしまったのだろうか。


そっと子猫に近づいてみた。もう死んでいるのだろうと思った。

『にー…』

か細く消えてしまいそうな小さな音だったが確かに鳴き声だった。


「まだ生きてる……!」






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