第82話「回想の先へ」
私の完璧な計画によれば、機械騎士が立ち去ってからこっそり抜け出せばよかった。この完璧な計画には誤算があって、機械騎士が一向に立ち去ろうとしない。ていうか、なんか近づいてきてない? 無機質な足音を響かせながらあたりを行ったり来たり。往復のたび、すこしずつ距離が近づいている気がする。まるで私の警戒心を煽らないようにしながら、少しずつ距離を詰めてきているような……。
ここで私には三つの選択肢がある。止まるか、逃げるか、戦うか。
先程見つけた切断環なんとかは手元に一つだけある。戦うことも無理ではない。けれど、一度も試したことがないもの一発こっきりに賭けるのというのはあまりに分が悪い。じゃあ、留まるか? もしも機械騎士が私にまだ気づいていないのなら、これが正しい判断だ。でも、今の状況でそう仮定するのは切断環なんとかと同じくらい危険な賭けだ。
じゃあ、逃げる? あんなやつ相手に?
ふと振り返る。古びた便器の後ろにはいかにも頼りない木の板壁。足元を見る。今履いているのは野外活動用のブーツで、つま先には丈夫な補強がなされている。
不確かだ。まったく、なんて手札だ。これがもしカード遊びの場だったら、手が読まれるのも構わずしかめつらをしていたに違いない。でも、今は配られた手札で勝負するっきゃない。壁を三度爪先でつつくと、大きく足を引いて全力で壁を蹴飛ばした。
足に広がる激しい衝撃とわずかな痛み、吹き飛ぶ壁。一気に風通しが良くなって、用を足す気の失せるお手洗いが誕生した。
目指すは元いた地下室。金属質な足音がすぐに後を追いかけてくる。結構辛い。長い徒歩はもう慣れっこだけど、別に走ったりはしないからね。今度からは時々走って鍛えてみるか。なんて考え事をしているうちにだいぶ進んだ。あの十字路を越えたらすぐそこだ。ふふん。騎士とか言う割に大したことないな。勝ち誇る中で小さな違和感に気付く。あれ、足音が聞こえない? 違和感を足に注ぎ込んで急停止、その直後、建物の向こうから機械騎士の姿が飛び出してきた。
「ひいいいいいいいっ」
情けない声が出る。くるり後ろへ逃げ出す。
機械騎士はその後も私を散々追い回し、時々思い出したように銃弾を撃ち込んでくる。酸欠状態になった私の頭でも、この状態がおかしいとだんだんわかり始めた。回り込めるくらい素早いならとっくの昔に追いつかれているはずだ。ちゃんと狙えば撃ち殺すことだって簡単だ。じゃあ、なんでそうしない?
理由なんて一つしかない。この逃走劇の前後で変わったことといえば、私の体力がごっそり削られたと言うこと。追い回して私を疲弊させることが狙いなんだろう。 何のために? 想像することしかできないけれど、例えば、私を無傷で捕まえるため、なんてね。
逃げ回れども逃げ回れども状況は改善されざりけり。じっと下を見る。機械と人の我慢比べ、分が悪いのは当然こっちだ。相手の意図を察してからは多少手を抜いているとはいえ、立ち止まったりあまりに見え透いたことをしたらあちらも考えを変えるだろう。となると、あとは時間の問題だ。上がる息。クラクラする頭。この場を切り抜ける機転なんて浮かぶわけもない。
くそう。私がもっとうまくやれば。きっとアトミールは戻ってくる。それまでこの場を持たせるんだ。立て、クロエラエール! 言い聞かせても心身は言うことを聞かない。
いつのまにか私は十字路に戻ってきていた。建物に掛かっていた梯子に縋りついてかろうじて立つ私がおかしいか、機械騎士は勝ち誇ったようにゆっくりと近づいてくる。
ここまで、なんだろうか。
私は、お尻に吊った拳銃の存在を意識した。機械騎士を打ち倒すことはできなくても、私の頭の中身をぐちゃぐちゃに掻き回して騎士とその主人にとっての使い道を無くす役には立つだろう。やだな。絶対やだな。絶望が心を支配する。現実を見たくない心に引きずられて、私は過去を思い出す。アトミールのこと、家のこと、リミーのこと。自分のこと。
その回想がフェリとの思い出に辿り着いた。自分も周りも全て引きずって望む未来を作り上げようとする彼女なら、きっとまだ諦めないだろう。
――フェリにできることが、なぜ私にできないと決まっているんだろう。立ち止まったことで多少元気になったのかもしれない。私の心に突然火が点った。
私が掴んでいる梯子。なんの変哲もない、きっと屋根の上に上がるためにでも立てかけてあったのだろう梯子。機械騎士がもし油断しているなら。私があと少し、ほんの少しの体力と幸運を絞り出せるのなら。閃くものがあった。
精魂尽き果てた、と見せかけるまでもなく、私はもう限界だった。息を整え、あと一握りの力を蓄えようとする。その間にも迫る足音。一歩、二歩、三歩、四歩。
今なら、いける。顔を上げたとき、騎士はもう目の前だった。
梯子を倒して足を掛ける。一気に倒れた梯子が騎士の頭部に引っかかる。自分でもなんだかよくわからない声を上げながら駆け登ったとき、私は騎士の鞍上にいた。
生身の人間相手だったらこれで勝ちは決まったようなものだけど、相手は背中にある投射機へ手を回して扱うような相手だ。のんびりはしていられない。防弾着に一つだけぶら下げた切断環弾頭を右手で……右手で……抜けない! 抜けた! あとは確か安全装置を……。
気づいた。安全装置が抜けてる。発火装置には時限式を付けていたから、つまりこれは……。
考えるのをやめ、弾薬らしいものがたくさん入っている箱に放り込み、騎士の上から転げ落ちる。受け身を取った背中に激しい痛みが走ると同時、耳をつんざく轟音が地を揺らした。ひどく大きな爆発一つ。続いていくつもの小さな衝撃。限界に達した疲労と打撲、爆発、そして虚脱感。全てがないまぜになって、私の意識を闇に誘う。逃げなきゃ。思う心だけが空回りして。
意識を手放した。




