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明ける世界の夢見る機械  作者: 壕野一廻
第2部第2章「ケイレアへの道」
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第69話「形のないもの」



 旅立ちは旅人の別れの習わしの通りにした。フェリと互いの幸運を祈り、ちょっとした記念品を取り交わす。記念品は別に価値のあるものじゃなくていい。とにかく嵩張らなくて長持ちするものが良いとされる。つまり、そのものの頑丈さが互いの絆の強さと旅の安全さを保証してくれるわけだ。

 フェリがくれたテーブルナイフはとても精度のよい作りで、表面は鏡のようだ。古代に作られた無錆鋼(ステンレス)のものに違いない。

「予備を貸してあげる。要らなくなったら返しにくること」

 私の普段使いである軽銀(アルミニウム)テーブルナイフとは全く違うずしりとした重みが感じられる。その重みはもちろん鉄が軽銀より重いということもあるけれど、貴重品を受け取ってしまったという気持ちの重みでもある。

 無錆鋼は独立大学連合内にある電気炉のような設備がなければ作れないし、何より原料が希少だ。まして、古代からそのままの姿で残ったものとなれば、価値は計り知れない。うちにも何本かあったと思ったけど、誰かにポンと渡したりはできないよ…………。

 その重みと比べると私の贈り物はいかにも軽薄だ。

「あんまり貴重なものじゃないけど、ごめんね」

 白く小さな円柱をつまみ上げたフェリが目を細めた。

「七月三五日。C、AよりFへ」

 彼女が読み上げたのは渡した樹脂瓶(ペットボトル)の蓋に刻まれた文字だ。言うまでもなく文字はイニシャルで、日付は今日、別れの日を意味する。古代の樹脂製品は最も手頃な永続性の象徴だから。

「気が利いてる。大切にするわ」

 記念品を取り交わしたらあとは別れるだけ。デューリスさんから貰った車に乗り込んだ私は、車輪が大地を蹴る音と共に小さくなっていくフェリが見えなくなるまで手を振り続けた。


 †


 自動運転を続ける車の窓から優雅に外の景色を眺めている。七月の末、冬はもうすぐそこだ。窓から見える曇天の山道には標高が増すにつれ白いものが増え始めている。重ね着をしていても、その寒々しさは目を通して心へ吹き込んでくる。

「あとはもう、私たちだけ、か」

 何気なくこぼした言葉だった。

「寂しい?」

 隣の運転席に座っているアトミールが不満そうな声を上げた。アトミールというのは複雑なやつだけど、感情という意味では割合単純だ。「私がそばにいるのに寂しいなんて」というのがアトミールの言いたいこと。なんだか重いな、とは思うけど……立場を換えてみたら私も同じような気持ちになるかもしれない。

「ちょっとね」

 我ながら無理がある取り繕いをしながら、彼女の生い立ちに思いを馳せる。アトミールはひとりぼっちなんだ。私というただ一人を除いて。今は、いい。彼女は私のそばに居て楽しそうにしていてくれている。じゃあ、未来は? 十年後、私は彼女のそばにいてあげられるだろうか? 百年後は?

 なんだか心配になってきた。じゃあ、どうすればいいのか——。

「ねえ。聞いてないでしょ」

 アトミールが頬を膨らませていた。

「ごめん、ごめん。ちょっと考え事」

 苦笑い。でもこれは形勢が悪い。

「こういうときの注意散漫は不快だよ。真面目な話をしてるのに。ヒトの注意力に限界があるのは理解するけど」

「本当にごめんってば。この埋め合わせはいずれ……こう……どうすればいいかな」

 アトミールは深いため息をつくそぶりをした。傷つけちゃったかな。俯いている彼女の頭をはらはらしながら見つめているうち、再び頭が持ち上がり始めた。その瞬間、何か動物的な勘が私に警告する。その思いに戸惑ううちに再び現れた彼女の面立ちには、とても悪い笑顔が浮かんでいた。

「クロエが持つ限りの親愛を思い切り表現してくれたら許してあげる」

 そう来るか〜〜〜〜〜。思わず天を仰ぐ。そこに青空はなくて、無表情な樹脂製天井が広がるばかりだ。まあ、そうだよね。アトミールにとって一番嬉しいのは誰かから好意を向けられることなんだから。

「ちょっと考えていい?」

「どうぞ」

 私は迷った。ここで彼女の気持ちに応えてあげることは簡単だけど、それで良いんだろうか。まさに今心配していたような事態を悪化させるんじゃなかろうか? 悩む。悩むけれど…………でも、と思う。私は父さまや母さま、家の皆からの愛を受けていまここにいる。そのことを後悔しているか? そのためにみんな無しでは生きていられなくなったか? 違う。絶対に違う。ちょっとばかりめんどくさい奴に育ってしまった自覚はあるけれど、それは誰かの責任じゃない。パンしか手に入らない人を捕まえて偏食はいけないとパンを取り上げるのはただの虐待、独善だ。独善というやつには以前も深い後悔をさせられたじゃないか。

 そうだ。彼女が私に依存気味なのは問題じゃない。本当の問題は、私しか頼れる相手がいないことだ。決めた。できる範囲で最大限の愛情表現をしてやる。

 ぐいと彼女を抱き寄せた。抵抗はない。ずしりとした彼女の体重が緩やかに寄りかかってきて、翡翠色の髪が私をくすぐった。抱きすくめたり背中を軽く触れたりしてやると、抵抗することなく身を委ねてくる。暖かくて柔らかなものが自分を受け入れてくれているというだけでなんだか気分が良くなって、そのまましばらくそうしながら、彼女に対する日頃の思いを語り続けた。

 はたと気付くと、私の心はとても満たされていた。これじゃあどっちのためにやったんだか。そろそろ満足かなと思って軽く力を加えると、彼女はおもむろに離れていった。彼女の体に暖められていた部分に空気が入り込み、ほんの少しの寒さを運んでくる。

 私がこれだけ満足したのだから彼女もさぞやご満悦だろうと思っていたのに、その表情はなんだか浮かないものだった。そのことが妙に寂しく感じる。いや、落ち着け、私。きっと、さっきの私みたいに何か要らぬ心配をしているに違いない。何か別のややこしい話で気を紛らわせてあげよう。これは効くぞ。私とっておきのややこしい素朴な疑問をぶつけることにした。

「アトミールって、どうしてアトミールなの」

 アトミールは目を何度か瞬いてみせた。困惑、ということだと思う。

「負荷試験? 無限再帰するほど私は素朴じゃないよ」

「負荷試験はよくわからないけど…………アトミールって、ほら。白い泥(・・・)じゃない。全身をそういう風にすることだってできるんでしょ」

「それは、まあ」

 話しながら彼女は右手を持ち上げた。手先の方からドロドロと溶け落ちて、滴り落ちた先であるふとももから再び吸収されていく。まるで広場の噴水だ。

「人の姿を選んだ理由。聞いたことないから」

「深い問いだね」

 とても自然な微笑みだった。もしかしたら、ヒトがそうするのよりも。

「私が私という存在に気付いたとき、私は何者でもなかった。クロエの言うとおり形のない微小機械の群れに過ぎなくて、その微小機械の中にあるセンサーによって周りの出来事を感じるばかり。でも、この感じるというのは……たぶんクロエの想像するようなものではなくて……例えるなら……そうだね。クロエに三本目の腕が生えたと思って。しかもその腕には電磁波を感じる力がある。いきなりそんなものから電磁波の感覚がやってきたら、きっとクロエは混乱する。違う? 的外れだったらごめん。私のヒトに対する共感能力には限界があるから」

 想像してみる。馴染みのない体の部分から馴染みのない感覚がやってくる。確かに、それはとても奇妙な気持ちだと思う。私は黙って頷いた。

「よかった。それでね、自分の全部がそうなんだよ。感じられる音、空気の流れ、光、電波。私のセンサーが与えてくる全部。何なら自分の意識そのものがそう。とても怖かった。まあ、その気持ちが恐怖というものだとわかったのはずっと後のことなんだけど」

 気付くと私は彼女の右手を掴んでいた。彼女のかたちが今ここにあることを確かめたかった。それは生暖かくて粘り気を帯びていて、まさに暖められた泥のよう。けど、不思議なことにそれを不気味には感じなかった。

「そう! クロエ。今、クロエがしてくれたことをしてくれた人がいたの。全身ドロドロの私に触れて、声を掛けてくれた人が。そのとき、確実に意味のある、拠り所になる信号があるって感じられて。それをゆっくり広げていって、私はセンサーからやってくる情報の向こうに世界を感じられるようになった」

 彼女の右手は再び形を取り始めた。手触りも次第に確かな物になり、やがて人の肌と区別が付かないものへと戻っていく。

「その後のことを説明すると長くなるな。その後、私は何か自分の形が欲しくなって……ヒトの隣人として摩擦がなくて、私自身も親しみが持てる姿を選んだ。それが今の私」

「誰か他の人が決めたんだと思ってた」

 どうしてこの姿に親しみを覚えるのか、と言う部分が気にはなる。けれど、何故だかそこには踏み込むことには気後れをしてしまった。

「どっちかというと、私がこういう形を選んだことを嫌がる人も結構いたらしいよ。後から聞いたんだけどね」

 私が呑み込めないという顔をしていたら、アトミールは少し困ったような顔になった。

「私が人間の認知機能を攻撃している、という風に見えたの。ヒトはヒトのかたちをしたものを同族だと思ってしまうから。私がその脆弱性を突いてヒトを支配しようとしている、なんて」

 言われてみると、理解はする。納得はできないけど。そして、彼女が浮かべた複雑な表情の理由もわかった。

「アトミール。それを心配してたんだ。私がその、脆弱性(・・・)ってやつを突かれてるんじゃないかって」

「……そうだね。クロエがそういうもののせいで私に対して好意的になりすぎているなら、私は――」

 手を彼女の口の前に広げた。

「アトミール。それ、こういう意味だよ。『ああ、どうして私はこんなに美しいの。私が美しく生まれてしまったせいであなたの心は乱れてしまう』」

「つまり?」

「自己陶酔。私に失礼」

 アトミールの返事が数秒遅れた。私の理解に合わせるための間というよりは、彼女自身が呑み込むのに時間を掛けたという感じの間だった。

「納得した。ごめんね」

 肩を縮める彼女。これは薬が効きすぎだ。何かいいことを言って慰めてあげなくちゃ。

「いいの。それにね」

「……」

 まずい。いい言葉が思いつかない。

「……ちょっと待って。今アトミールを慰める言葉を考えてる」

「その言葉、とっても有効だよ。最適解かも」

 頬を緩める彼女の笑顔を見た瞬間、稲妻のように言うべき言葉が浮かんだ。

「そうだ! あなたは私たちと目線を合わせようとしてくれてる。あなたの姿はその現れ。あなたが笑うのも、怒るのも。本当の意味では私たちと違うのかもしれないけど、その上に人のかたちを被せようという選択をしたのはあなた。今の私たちに言うことを聞かせたいなら、もっと力を示して神さまみたいに振る舞うほうがいい。アトミールはそうじゃないでしょ?」

 その稲妻はアトミールにも流れたようで、彼女はしばらく固まっていた。それから、今まで見たことがないくらいにふにゃりとまなじりが下がった。

「クロエ! 大好き!」

 今度は自分が抱きすくめられる番だった。なんだかとっても気分がいい。でも、ちょっと……。

「ちょっとだけ力強くない? いや、痛っアトミール! もうちょっと弱く! 痛たたたっ!!」

 折角の良い雰囲気が台無しだ。二人だけの峠道に私の情けない悲鳴が木霊した。


本エピソードで触れられたある部分が夏コミの頒布物で扱われる予定です。詳細はTwitter等でお知らせする予定ですのでお楽しみに。


(https://twitter.com/Type10TK)

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