第63話「この旅の問い」
何者かの砲撃で気を失った私が目覚めると、北辺帝国の領内で保護されていた。記憶が曖昧な私にデューリスさんが教えてくれたところによると私はデューリスさんを庇ったらしく、恩義に感じてくれているらしい。枝葉の技術的議論に逸れつつあった私たちの議論を引き戻してくれたのは、そんな恩義に報いるつもりだったのかもしれない。
思わずやったことをそんなふうに思われるのはなんだか気恥ずかしいけれど、逆にまあ、そういうとき思わず体が動くことは自慢してもいいのかもしれないな。幸いなことに死ななかったわけだし。
「あなたたちはその「未知敵対者」の足取りを追い、その脅威を取り除くことが目的なのだろう。それは我が職責を全うする上でも有益なことだと私は信じる。協力は惜しまない」
言った後、付け足すようにして。
「恩返しの押し売りをするつもりは無論ない。微妙な問題だから、全ての情報を開示せよと要求するつもりもない」
私たちを安心させようと思ったのだろう。腕を広げて微笑みを浮かべている。
「デューリスさん。少し……踏み込んだ質問をしたいです。あなたを信頼するために」
「いいとも。答えられるかはわからないが」
遠回しな聞き方や確かめ方もあるだろう。けれど、私とデューリスさんなら、これが一番いいやり方だ。意を決して私は言葉を続ける。
「その……デューリスさんは率直で親切すぎる。それが私は怖いです」
デューリスさんは腕を組んでしばらく考え込んでいたが、やがて顔を上げて話し始めた。
「前向きな理由について嘘をついてはいない。あなたがたは単純に利用価値がある。我が国の潜在的な敵を無償で補足し撃破してくれる客人にもてなしの一つや二つするのは当然だ。恩を受けているなら尚更だろう。さもなければ不利益を被るのは私の方だ。我が国は実際的である事を重んじるからこそ、信頼を失うことは全てを失うことだ。内輪の謀略合戦を活力の表れと誇るような連邦の中央政界とは文化が違う」
後半の話し方には相当に連邦を馬鹿にする色があった。外交官だったら声を荒げて反論をするところなのだろうけど、私自身漏れ伝わる奇怪な謀略の話に決していい印象を抱いていないので、あえて何かを言うことはしなかった。ヒンチリフのクロエラエール、あるいは少し背伸びをしてアストーセのクロエラエールであったことはあっても、連邦のクロエラエールというふうに自分を思ったことはない。
「後ろ向きな理由を伝えていなかったと言うのは確かにその通りだ。あえて気分を害するかもしれない理由を伝える理由もなかったのでな。単純に言えば、あなたがたを今この場で敵に回したとき何が起こるかわかったものではないからだ。とはいえ先ほど話した通り、あのとき恩人を放置することなどあり得ない。したがって、あとは丁重にもてなしご満足いただきお帰り願うほかにない。どうかな。これで納得してもらえるだろうか」
筋は通っている。一旦信じてしまって差し支えないようには思えた。どうせ乗りかかった船だ。彼女の提案に甘えようとした矢先にデューリスさんは立ち上がった。
「私は退席しよう。夕食どきにまた病室に来る。そのとき続きを話したほうがいい」
言いたいことを言い終えたという様子でデューリスさんは踵を返した。
こうして再びアトミールと二人きりになる。
「え、と……」
アトミールがまじまじとこちらを見てくる。やりづらい。目を泳がせながら辛うじて言葉を紡ぎだす。
「実用的な疑問と情緒的な疑問があるんだけど、どっちを先に聞いたほうがいいかな」
「どっちでも。でも、後者を優先した方がいいと思う。解決しないと落ち着かないよ。お互い」
「お互い?」
聞き返したら突然彼女の顔に不満の色が浮かんだ。
「この状況で大切な人の中に[情緒的な]疑問があるって言われたら気になるでしょ」
想像の五倍くらい重い発言が飛び出してきた。思わずベッドの上で後ずさるのをアトミールが見咎める」
「その目は「機械のくせに人間くさいな」の目!」
降参の意思を示して手を挙げる。
「固有の利害を有する個体が情報の非対称性から優先度の高い管理対象の保全のためのリスク検討でパフォーマンスが劣化するのはごく自然なことです。人間以外の知性を想定するとき、人間の知性の一部が欠如した形態を想定する第二種人間中心主義思想は避けるべきだよ」
一応病み上がりの得々と持論を開陳するアトミール。どうしてくれよう。ああ、いや。でもこういう話をされると気になっちゃう。私も同類だ。
「そんな議論が古代に。やっぱりそれが社会問題とかになってたの?」
「あ、この分類は私が考えたの。来訪者の相手をしてるとだいたいどっちかを持ってて迷惑だったから」
いたずらっぽくウインクまでしてくる。今日のアトミールは変だな。面白いけどさ。ちょっと無理しているようにも見える。
「もう。悪かったよ。それで、アトミールさん。質問してもよろしいですか?」
「どうぞ。ご主人さま。何なりと私めにお命じくださいませ」
「……私、どういう状態だったの」
最近のアトミールは気持ちがとても顔によく出る。それは無意識というよりは敢えてやっているのではないかと私は想像しているけれど、今はどうでもいい。その表情が、一気に険しくなった。
「金属片の貫入多数。出血も臓器の損傷も酷くて。頭が無傷だったのが奇跡だったよ」
「やっぱり」
「どうしてそう思ったの」
「普通に治る怪我だったらアトミールあんなに取り乱さないでしょ。何か裏があるな、って思ったんだ」
見つめているうちアトミールはどんどん泣きそうな顔になっていって、ついに言葉を溢れさせた。。
「微小機械……クロエのいう白い泥を使って直したの。こんなの一貫性ないよね。こういう特別扱いはしちゃいけないのに……。でも……」」
古代技術の濫用を嫌う彼女にとってかなり際どいことをやったということだ。情報を集めるため密かに機械を配置するとか古代の武器を操って戦うというような行為のもたらす影響は常にアトミールの制御下にあって、比較的危険が小さい。一方で平均寿命を劇的に伸ばす医療の提供とか何らかの資源を無尽蔵に供給するとかの行為は危険なのだと。それは世界の一部を救うかもしれないけれど、一方で急激な世界の構造の変化の中で誰かを苦しめるかもしれない。この危険性に対する責任を負い切れるほどの能力は持たないし、持つべきでもないというのが彼女の持論だった。
「あー」
なるべく言葉を選ばないと。気を遣ったつもりで彼女を傷つけた過去を思い出して胸がズキズキと痛んだ。
「アトミールは、私をえこひいきしちゃったのが嫌なんだよね」
無言で頷く彼女。うんうん。わかるよ。私のアトミールはそういうやつだ。
「まず、私の正直な気持ちを言うね。私は……結構俗な人間だから……アトミールみたいなかっこいい人から特別扱いされると……嬉しい。もちろんあなたの考えてる理念はわかるし、それも大切なことだと思うけど、例えば私を傷つけたんじゃないか、みたいなことは考えなくていいよ。それに、あなたがえこひいきしてくれなかったら、私は今ここにいないわけでしょ。アトミールは私の恩人だよ。それにーー」
彼女の目を見る。表情が少し和らいだか。通じていてくれと祈りながら私は話を続ける。
「アトミールの気持ち自体は多分そんなに特殊じゃなくて、私も同じ気持ちになることあるよ」
彼女の双眸が見開かれる。意外だったんだと思う。
「ほら。私は……領民みんなのことを考えて動かないといけない。でも、そのために自分の全部を犠牲にするほどの覚悟があるかっていうと……ない。それじゃあ誰か一人のために何かをする余裕があるというときに誰を選ぶかというと……リミーとかミューンとか……アトミールみたいな身近な人に偏ってしまいがち」
「有限の資源を全体に分配すると希釈されすぎて意味がないため限られた集団にのみ分配することを余儀なくされたときにどのような集団を選択するかの判断が個体の利害によって歪んでしまうことはヒト固有の特質ではないという指摘?」
「そう……そう……かな……?」
思わず曖昧な返事をしてしまった。彼女はそのことをさほど気にしてはいないようで、興味深そうに考え込んでいる。
「クロエの善意はありがたく受け取っておくよ。でも……それが自然だから許容される、という性質のものではないと思う」
彼女の表情が今度ははっきり明るくなった。目の前にそびえる問題には向き合いつつも、決して逃げ出そうとはしていない決意の表情だ。
「それは……そうだと思う。人間だからしょうがないよじゃあ、踏んづけられる方はたまったもんじゃないよね」
うん、とアトミールが頷くのを見て、ふと私は昔のことを思い出した。
ティンさんが戦ってるものは、こういうものなのかもしれないね」
彼女は今、どこでどんな戦いをしているのだろう。奪われたものを取り返すために私たちを裏切った彼女を私は憎み切ることができない。彼女の怒りに私はどんな答えを返せばいいのだろう。この旅で一番大切な問いは敵の正体などではなく、このことなのかもしれないとぼんやり思った。




