13. 踏ん張りどころ
図書館でやったことは、現状報告と羊の記述の確認で、新たな成果は無い。
ただ、人数が四人になったため、自然と時間を食い、帰宅したのは夕食前の六時近くだった。
のんびり喋りながら歩く男三人を置いて、波崎が早足で去ったのもうなずける。
帰ってすぐ、サーモンフライを食べながら、母さんに“お泊まり会”の予定を話した。
以前、蓮とオレと母さんで、一泊二日のキャンプに出かけたことはあったけど、自宅に泊めるのは初めてだ。
「修一の部屋に布団を敷けば、寝られるわね。構わないわよ」
「いやそれが、三人来るんだ」
「三人! それじゃ一部屋では足んないわ。二階の物置を片付けないと。布団は……夏だしタオルケットでもいいか……」
オレの部屋の隣は、物置扱いされている洋間だ。
フローリングというだけで、窓の配置や広さは自室と同じ。今は使わないカーペットや、キャンプ用品なんかが押し込んであった。
ひょっとしたら、弟か妹の部屋になる予定だったのかと勘ぐったりもしたけど、母さんに尋ねたことはない。
どっちにしろ、少し荷物を壁に寄せるだけで、物置には寝転がれるスペースができる。
蓮たちが泊まる場所として、最初からそこをアテにしていた。
「明日は昼に帰って来るんでしょ。部屋の掃除、手伝って。友達の晩御飯はどうするの?」
「みんな食べて来るよ。飲み物は欲しいけど」
「オヤツくらい、用意してあげるわ。しかし――」
夜に集まって何をするつもりなのか。次の日は何時に帰るのか。
母さんの質問が、矢継ぎ早にいくつか続く。
夏休みの自由研究を、チームで取り組む。その作戦会議だと説明する。
やった研究を見せろとあとで言われると、かなり苦しい展開になるけども、ひとまずその説明で得心がいったみたいだ。
他の質問にも適当に答え、ダイニングを出たオレは、ラルサの食事を書くために自室へ上がった。
◇
山田、いやヤマーダとの決戦は、未だ決着がついていない。
お互いの長所短所を挙げて、どちらが優秀か議論したところで中断していた。要は口喧嘩だな。
変にストーリーを進めると、鉛筆が止まりそうなので、そのまま二人の会話を再開する。
七時三十分、書けたのは原稿用紙一枚半。
思いもよらぬ低スピードに気が焦るばかりで、余計に言葉が出てこなかった。
原因は明らかだ。
同じ二人、同じやり取り。悪口なんて、そんないくつも思いつくもんじゃない。
山田の身長をからかったセリフで、ついにネタ切れを起こしてしまう。
仕方がないので、ヤマーダキラーでトドメを刺した結果、主人公は会話する相手を失った。
最悪の選択だと気づいても、もう遅い。
ここから複雑なストーリーを組み上げていく意欲なんて無く、物語を閉じる一文が加えられる。
“こうして、無限山田事件は幕を下ろした”
続けるとしたら、無限蓮事件でも起こすべきか。
『すべてが蓮になる』、これじゃ自分で自分の作品を模倣してるみたいだけど……。
迷っている時間がもったいないので、新しい原稿用紙にめくり、蓮バージョンで再開する。
山田を蓮に置き換えて、ほぼ昨夜と同じ会話を書いた。
物語を創るというより、右から左へ写す単純作業だ。
蓮は理科が得意なタイプで、山田とは丸きり違うのだけど、特に修正もせず、筆記マシンとなって書き殴る。
八時には、原稿用紙三枚を加えて、計四枚半が用意できた。
「さて、今日の言霊はどんな味かなー」
ラルサの声に振り返り、刻限が来たと知る。
ブルブル震えて、原稿を食べる黒羊。
いつもより震動が長く、心なしか蛍光灯の光が弱まり、部屋に赤みが差した。
羊の放つ無言の圧力に、全身の筋肉が強張る。
またアレをやるつもりか? そう不安が胸を締め始めた瞬間、ラルサが文字数をカウントした。
「四百十三字。これじゃ全然少ないよ。飢えさせるつもり?」
「そんな気は……。続編の字数が入ってないような」
「三枚目以降のこと? これはリピート技法だね。盗作はカウントしないから」
「盗作って、自分の書いた文を参考にしたのに!」
ラルサは右前脚を左右に振り、そんな理屈は通用しないと言い放つ。
人間の法律がどうだろうが、言霊の宿らないコピーは、食べるに価しない“盗作”だと判定するらしい。
登場人物の名前を変えようとも、文の表現を多少いじくったとしても、盗作の評価は覆らない。
最後の三十分間、鉛筆を動かし続けた努力は全くの無駄だった。
落胆でくじけそうになりながらも、今日はラルサに聞かないといけないことがある。
「あの、ここに誰か他の人を呼んだらどうなるの?」
「言ったよね。ボクは君にしか見えないって」
「それでも! 呼んだとしたら、ラルサは怒る?」
「別にどうでもいいかな。食事さえ、しっかり書いてくれたらね」
これはとりあえず、朗報なのかな。みんなが泊まりで羊見学に来るのは、問題が無いみたいだ。
鏡に戻ろうとしたラルサは、眼をにぶく光らせて、一言忠告した。
「人を呼ぶのはともかく、馬鹿なことは考えないようにね」
「バカなことって? 例えば?」
返事はせず、黒い毛玉は今夜も鏡面の中へ沈んで消える。
写真を撮ろうとしたり、友達を呼んでも、大して気にする素振りはうかがえない。それくらいは平気だとすると、ラルサが警告した“バカな考え”って何だ?
倒そうとする?
――赤い目で反撃される。捕まえようとしても一緒だ。
弱点があるとか?
――それは充分に考えられるけど、ヒント無しじゃ見当もつかない。
羊が苦手なものって何だっけ。
ウールは縮みやすいって、母さんが言ってたな。弱点は水……洗濯機とか?
洗面所の横にあるドラム式の洗濯機へ、ラルサをほうり込んだら、さぞ綺麗になるだろう。
黒毛が灰色毛くらいには、脱色するかもしれない。
ドラムの中でグルグルと回るラルサが、「助けてー、ギュエーッ!」って叫ぶのを眺めると、オレの心も洗われる。
……できるわけねえだろ。
ラルサを脱色する前に、オレの教科書とノートが真っ白にされるわ。
見かけはチビのペットなのに、対面すると本当に恐いんだって。
羊退治の妄想なんて、それこそバカなことを考えてるって言われそうだ。
反撃するにしても、大量に原稿を書いて、与える食事に余裕ができてからにした方がいい。
こちらが大人しく執筆していると安心させ、ラルサの気が緩んだところを不意打ちでギュエッとやっつける。
そして、やはり問題はやっつけ方。
思考が堂々巡りを始めたので、波崎のアイデアノートを見て気分転換をはかることにした。
『百呪物語』
百の呪いを受けた主人公が、一つずつその呪いを解いていく旅の物語。
なるほど、単純に計算して百エピソードは続けられる長編だ。
千の呪いにすれば、さらに十倍にもなる。
だけど、百も呪いを考えるのが難しい。
『心臓の狩人』
“神の心臓”と呼ばれる宝玉が、悪の魔導士によって砕かれ、世界中に散り散りになってしまう。
宝玉を再生するため、主人公が西へ東へと駆け巡る。
これも百呪物語と同じで、破片の数だけ話を続けられそうだ。
難点も同じ、そんな多種多様な冒険を考えつくなら苦労はしない。
『ボクは何度でもキミに会いに行く』
『最強が恐れる最弱のリセッター』
『地底の空に星が輝く』
タイトル案とともに簡単な説明文が並ぶ、波崎のアイデアたち。
中には、オレも読んでみたいと思うようなあらすじもあった。
いや、彼女の注意書きによると、これはプロットというらしい。
物語の最初から最後までを大まかにまとめた、作品の骨組みだ。
よく本の裏表紙なんかに載ってる“あらすじ”とは違い、意外な結末や、謎解きの答えまで書かれていた。
波崎こそ、本気で小説家を目指してるんじゃないだろうか。
学校でまでカリカリ書いていた、貴重なアイデアの詰まったノート。そんなものを貸してくれたのだから、もう一度きちんと礼を言うべきかも。
アイツがそもそもの原因とは言え、羊の出現も一発で信じてくれたわけだしな。
この夜は、波崎ノートを熟読しているうちに、十二時を過ぎそうになった。
ただアイデアを読み、そこからイメージを膨らませ、自分なりに構想を練る。
原稿は一文字も書いていないが、有意義な時間だったと満足し、眠りについた。