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「紀文」青春伝 (前編)

この 物語は江戸時代に活躍し百万両儲けたと云われた豪商「紀ノ国屋文左衛門」の、今までだれも書かなかった幼年より青年頃にかけての物語で御座います、特に商業的作家は書きたがら無い物語。

実在した人物ですが武士とは違い、若い頃の事は特にあまり記録がなく、少ない伝承をかき集めて下手な文ですが私なりに懸命に書きました。

時代に埋もれ忘れ去れようとしている、不人気な物語を再び掘り起こし世の中に引き出そうと試みました、今書かねば紀文の伝承も費え去るでしょう。

時折脱線しまして書かなくてもよいことを、書いてしまう事も有ります、不適切な言葉考え等有るかも知れません、何分にも一人で編集チェックしているので行き届かぬ箇所も有ると思います、不愉快に成るそんな時には飛ばしてお読み下さいませ。

江戸時代に実在した豪商「紀ノ国屋文左衛門」の、幼年期から青春時代までの物語である。

「紀文」は和歌山県有田郡湯浅町別所にて、父親は山本文旦(二十四歳)と、母親は千代(二十二歳)との間に、次男として寛文九年(一六六九年)七月三日に誕生した。 挿絵(By みてみん)

 文月(ふみづき七月)だったので、山本文吉(ぶんきち)と名付けられた。  挿絵(By みてみん)

 その頃一家は主に廻船業を営み、湯浅にて紀州屋山本文旦商店といった。紀ノ国屋では無かった。

屋号は(山紀)で五百石の弁財船、明心丸を持っていた。 廻船業は諸国の物資を売買して、大幅な利益を得る機会に恵まれている反面「板子一枚下は地獄」の例えのとうり、持ち船が難破すれば莫大な損害を受ける危険を有していました。

父親の文旦は祖父に船を任せ、湯浅の店で仕事の段取りや仕込みなどの帳簿付けをしていた。

 延宝一年(一六七三年)桜の花が咲く頃、祖父の武兵衛(45歳)が湯浅の店にやって来た。

文旦よお前の息子文吉も、そろそろ教育せねばならねえと思うんだがのう」

「へい文吉も来月から兄の長吉(七歳)が行く湯浅の別所にある勝楽寺の寺子屋に、行かせようかなと思っていましたところです」

 そこへ千代が、文吉を連れてやって来た。

「お父様千代です、ご無沙汰しております」

「お祖父様文吉でございます、お久しぶりです」

「おお文吉か! いつ見ても可愛いいのう逸れで幾つになったかな?」

「はい、もうすぐ文月には四つになります!」

 文吉は祖父に似ている、ために武兵衛は長男の長吉七歳より、次男の文吉をかわいがるのだった。

「そこで文旦よ相談じゃがの」挿絵(By みてみん)

「はい父上、何で御座りましようか?」

「文吉を有田の広八幡神社へ、小僧見習いにと思ってのう……どうじゃろか?」

「えっ 寺子屋じゃなくて神社へですか?」

 武兵衛は額の汗を、手拭いでふきながら言った。

「神主の佐々木利兵衛は、関口新心流柔術の遣い手で、それを文吉に習わせたいと思ってのう!」

「商人は読み書きそろばんで充分では?」

「文吉には儂の跡を引き継ぎ、船乗りになってもらいたくてのう、可愛い子には旅をさせろという!」

「それで今から柔術で、鍛えるのですか?」

「うむ我が山本家は、元は平家方の五十嵐と云う武士だった、ならば武芸一つ覚えても良かろう!」

「それは分かりますが、急に言われましても」    ‥その やり取りを聞いていた、文吉は言った。

「あのうお父上、是非にも私は柔術を習いとうござります!」

「それで肝心の読み書きは、どうしますのです?」

「それは利兵衛の妻、お福さんが娘さんと一緒に教育してくれるそうなのじゃ」

 それを聞き、文旦もようやく納得した。

 何分にも文吉は次男で上には長吉がいたし、母千代も文吉の妹千歳や弟忠吉の世話で、もう手いっぱいだった事もあったのです。 挿絵(By みてみん)

あくる日祖父の山本武兵衛に連れられ、有田郡広川村の広八幡神社の楼門前に来た。  

「うわっ! でっかい門やな」

「今日から小僧見習い、つらいだろうがここの人の言う事を良く聞くんだよ!」

「ハイ今日より此処で一生懸命に頑張ります」

「しかし剣や柔は極めなくてもよい、鉄砲には負ける鍛えるだけでよい!」

「ハイ剣と柔術を学び、おのが身体を鍛えます」

「言っておく文吉は武士ではない、商売人の子供だ上手くなるのはよいが名人と云われる程、極めなくともよいのじゃよ!」

くどいようだが、幼い今こそと言い聞かせる。年をとると何を言っても反抗的になるからだ。

「ハイ何事も商売の為にと、道を逸れずこれからも努力して頑張ります!」

「願わくば商いの達人になって欲しいのだよって商人の心得を伝えておこう。一つ商人は信用第一とすべし。二つ商人は機を観るに敏であるべし。三つ商人は果断勇決を大事にする。以上の三つである」

言いながら武兵衛は、文吉の頭を優しく撫でる。

「ハイその事胸に秘め、私は将来に商いの達人に成るように勤めます!」

「うんよく言うた、その言葉此からも忘れるな!」

ここで少し、広八幡神社について述べておこう。

 この神社は現在は和歌山県有田郡広川町上中野にあるが、江戸時代は広川村であった。

 境内には(平安後期のもの)で、明王院の護摩堂もあった。神社と寺院が習合されていた。現在は明治時代に神仏分離令があり護摩堂もなく、今は神社と寺は別々にあります。

神社の方は後の世で津波時に稲むらの火で、災害避難先として有名となった。

 現在のおもむきとは少し異なるが、それは江戸時代の事とご理解されたい。

 武兵衛は神主佐々木利兵衛に会い、孫の文吉を預けると湯浅に帰って行った。

 文吉は神社の小僧見習いとして、勉強に修業にと勤しむのであった。 挿絵(By みてみん)

 境内の掃除草むしりもした、福は文吉を我が子と同じように接し娘の喜美代(四歳)と、美咲(一歳)と共に読み書きそろばんを教えしつけも厳しくした。

逸れが良かった、詰め込み教育でなくてある程度年齢に見合ったものであったので、勉強が嫌いにならず解るまで教えて貰えた。

「おおっい、文吉よいるのかいたら返事せい」

 神社の宮司である、佐々木利兵衛が呼んでいる。

「はあい、ただいま其方に参ります」

 掃除の手を休めて、居間に駆け寄りまず師匠に頭下げて礼をする。 

「今より柔術の稽古をする、準備は良いか?」

「ありがとうございます、準備整いました」

「まず言っておく、関口流は身体の重心を常に移動して相手を倒すと心えよ、剣も柔術も同じだ」

「はい、ご教授ありがたき事に御座ります」

「それと、勝負事には全て調子が有り波がある、相手の調子を崩す事も大事だ!」 

「お教え有り難く受けとめ、肝に命じます」

「我が関口流は、そもそも宮本武蔵政名が無名の頃に相撲の稽古相手になり手ほどき受け、柔の流派を作ったのだが、宮本武蔵政名の剣の流れやその教えも受け継がれているのだ!」 挿絵(By みてみん)

「ハイそれで柔の基本は、剣にあるのですね!」

「そして敵と味方をハッキリと区別して情に流されるな情けの平氏助けた源氏に敗れるでなぁ、人は騙しても自分さえ良けれ良いという人が多くいるのですまず逸れを知る事だ!」

「分かりました騙され無いように人には、この先気を付けたいと思います」 

ただ一方的に投げられて受け身をするだけで終わるのであるが、師匠の言葉も教育の一貫である。

「よし今日はこれまで、なかなか根性あるこれからも努力せよ、剣にしても柔らにしても教えて貰うより、自分で体験し実感してこそ身につくのだよ!」

「はい師匠、これからも宜しくお願いします」

「それと神社には、昔からの本が多くある逸れをよく読んで、ものの道理を知ったら役にたつ!」

「はい暇なときには、本を読んで勉強します」

節々痛かったが、こらえて返答する。

「有無特に孫子の兵法は、この先ためになるから必ず読んで、頭に入れるようになっ!」

「はい兵は詭道なり、敵を知り己を知れば百戦危うからずですか」

「そうじゃ(風林火山)も、心構えとして大事だ尚のこと勉強し励めよ!」

「はい逸れは言うなれば、速きこと風の如く、しずかなること林の如く、侵略すること火の如く、動かざること山の如しですね」

「そうかつて戦国武将の、武田信玄の旗印でもあったのだ!」

此処で少し脱線します、孫子の兵法はナポレオンも愛読した有名な兵法書ですが、紀元前五百十年頃より呉の国で軍師として孫武が書き始め、未完成を四代目孫の孫瓶(ソンビン)が斉の国で軍師となり引き続き書きそえて完成させたと云われています。

 礼をして終わる。宮司佐々木利兵衛も何かと用事あり、神社に居ない日も多くあったが、そんな時には文吉一人で立木に向かって打ち込みの稽古をするのである。この打ち込みこそ薩摩示現流も重点を置いている修業方法で有り意外に実戦に置いて真価を発揮するのであるが言われ無くとも文吉は、夢中になる性格であった。ただ闇雲に立木に向かって木刀を叩くだけであったが。この頃文吉にとって師匠の教えは絶対であったのだ。

「文吉よ、(やわら)の元は剣術にあるのだ、剣は一瞬あっという間に首が飛ぶ、感を鍛えよそして人(敵)を侮れば敗れる、相手を認めてその長所短所を探り研究をすれば道は開けるのだ、宮本武蔵政名の言葉であるから心してかみ締めよ!」

宮本武蔵は父親の宮本無二斎に武術の手ほどきを受けてのち他流試合を好んで野獣のような強さを誇った若い頃は平田弁之助と言った。十三歳の時初めて試合をする相手は鹿島新当流遣い手である免許皆伝の有馬喜兵衛を試合の作法など無頓着で棒刀で殴り倒すなど独自の荒々しい喧嘩剣法だった。日本刀は重たいです西洋の剣のように、とても片手で振り回す事は出来ませんが、弁之助には出来たようです。余程力が強かったのでしょかびっくりですね。 片手持ち両手の二刀流が使えたのでしょう。武蔵が二刀流を開いたのは年とってからですが、鎖鎌の宍戸梅軒の試合から鎌と鎖分銅に対する方法として二刀流は好んで使っていたようで御座います。

兎に角その頃近辺では嫌われていた手の着けられない無類の暴れ者であったようで御座います。

人は誰も棒を持てば叩いてみたくなり真剣を持てば無性に何かと切ってみたくなります。技を覚えれば使ってみたくなるのも人情ですねぇ大人の武士でそういう人もいて罪のない人々を辻斬りしたりします、試合する人も一つの狂気に近いかも知れませんねぇ、逸れはいつの世の中でも一時的狂った人有り心はみえないので本当に怖いことです。

若い時は調子に乗るとどれだけ伸びるか本人も判らない、伸び盛りがあって才能が爆発するので御座います。そして内なる天才が開花する。その頃近辺では相手がいないほど手に負えない野獣のような暴れ者であったようで御座います。

「オイ其処のおっさん、儂と試合してくれや儂は平田弁之助と云う者や覚えておけや!」

「何やお前まだ若いガキやないか、試合は遊びやない怪我せん内に帰れ帰れ!」

「フウンそんなに儂が怖いんか、おっさん口ほどにもないへなちょこ武芸者やのう!」

近くを通る武芸者にみさかいなく試合を申し込んでいたようです、兎に角強かったそれでもある時寺のお坊さんに諭されて本を読むようになり、暴れん坊も少し穏やかになったようで御座います。

「はい此より一人稽古は主に剣術をします、宮本武蔵政名と云う剣豪そんなに強かったのですか?」

「うむ、よい心がけである此からも励めよ! 宮本武蔵は兎に角強かったし対戦相手の研究を怠らず常に研究をした術とは本来創意工夫をもって極める事である、また本を読むのも忘れるな! そして常に考えよ相手の事を」挿絵(By みてみん)

 言われると率直な性格の、文吉は夜寝る前に本読む、道理とは何か運とは何か神はいるのかと?

 明くる日に師匠より、木刀を一振り授かった。

「この木刀を持って鍛錬し、常に研究を怠るな!」

「はい常に油断せず、しやに無に鍛錬します!」

「おおよそ武芸をたしなむ者は、わが身に迫る危険を予知するも必要不可欠である」

宮本武蔵政名(まさな)先生も、予知能力に優れた人だったのですか?」

師匠の言うことを幼いながら、目をじっと見つめて真剣になって聞く。

「それがなくて切った張ったの武芸者は到底命を全う出来ぬ、味方二人おれば必ず敵も同じだけいるのだしかも味方の振りして、近ずいて来るので油断するとたちまち隙をつかれ遣られるのだ」

良い師匠に恵まれたのである、教えられるので無く自ら率先してやるという気構えを、叩き込まれたのである。教えられた事だけやるというのは、師匠を越えられぬ凡人となるからだ。この事は昔気質の大工職人が、見込みある弟子に教えた事でもある。いわば剣術も一種の剣の職人かも知れません。

師匠もまだ可愛いさ残る顔を見て、笑顔で頷きながら教えてくれます。

「はいなおのこと感を高め、敵を見定める努力をしますそして武蔵の如くなれるよう努力します」

「敵と云うより中に人の心を無くした者も要る、女を騙したり年寄りを騙すのは何とも思わぬ輩だ!」

「逸れは一種の気の触れた者達ですね、心無いその人達にも気を付けたいと思います!」

「言い忘れた文吉よこの木刀は、宮本武蔵政名ゆかりの一振りである武蔵政名の魂の籠もった一振りである、此よりそちに授ける大事に使うが良いぞ」

「はい師匠貴重な物、ありがとうございます!」

「おおっ此よりは他人に頼らず、整え鍛えし自分に頼るのじゃ!」

「はいお教え有り難く、深く胸に刻み込みます」

 幼い故何の疑問も持たぬ。立木にむしろ巻き木刀を懸命に打ち込む、此よりこの木刀宝物となった。

(剣には間合いがあり、剣の当たる間合い、当たらぬ間合いを覚えよと言っていたなぁ、けれど打ち込みなど一人稽古の時に、相手もなしでどう間合いを探るのだろうか、さっぱり分からんなぁ?)

「えい、やあっ、とうっ!」

 元気な文吉の声、神社内にこだまする。

(宮本武蔵は二刀流の開祖と聞く、関口流には伝わってないがどの様な剣だったのか興味が湧くな)

二本の棒きれ持ってやってみる、左手は短めの棒右手は長めの棒それぞれに振り回す。解った事は腕の力が相当にいる事であったがリ-チが伸びる。

本で読んだが西洋では、左手には盾を持って相手の剣を封じて戦うと、記されている左手の棒は盾の役目とするならば道理に合う、勿論剣の役目も担うならば一石二鳥である。何か二刀流のヒントを掴んだようで御座います。

宮司の佐々木利兵衛が、妻の福に言った。

「あの預かっている文吉だがのう、あの子は不思議な力を持っている!」

「あらいったい、あの子にどんな力でしょうか?」

「会うと何かしら真剣に、教えたくなるのだ不思議な事だがなぁ?」

「そういえば私も自分の子供でも無いのに、真剣になって教えてしまいますわ!」

「あのう文吉さん、ご飯ですよ」

 娘の喜美代が呼びに来た。何故が胸は高鳴り嬉しくなる。 挿絵(By みてみん)

「皆さん青春時代は誰にも有ります、逸れは知らぬ間に過ぎ去ったという人、物語を通じてもう一度私と共に体験してみませんか、私のほうは勿論大歓迎です!」


第二章、少年時代


 石の上にも三年。月日のたつのも早いもので文吉も七歳になっていた。日々欠かさぬ鍛錬のせいか見るからに逞しくなったようだ。髪は後ろに束ねて目も鋭くなったから十歳にも見える。

 たまに武兵衛が(くじら)の干し肉を下げて、広川の八幡神社に文吉の様子を見に来る。

「おおい文吉はいるかの、祖父の武兵衛じゃ!」

「はい、爺様なんでしようか?」

「今日から文吉改め文兵衛となった。長吉も長兵衛じゃ父親には良解を得ている」

「文兵衛ですか、わかりました」

「良い名前じゃ、よい名であるなあっそれと、今日は大柄の人形を作ってもって来た、稽古に使ってくれるかの?」

「えっこの人形を、どう使うのですか?」

「投げたり殴るなどして、実際的に技を試してみるのだよ……心技一体だ身体で覚えよ!」

「はい分かりました、稽古に使ってみます!」

「自ら身に付けた技は一生ものだ人に教えぬ限り誰にも盗られまい、あっそれとついでに商人の話もしておく儲けは信じる者と書く商人は信用第一だ、信用を得るに長い年月かかるが逸れを失うは一瞬である十分に心せよ!」

 言うだけ云うと武兵衛は、目を細めて満足げに帰っていくのであった。

 早速人形を木に吊るして、人形に棒を持たし打ち込みの稽古をする打つと反発力で対戦相手が本当に向かって来るようであった、闘いの間合いを実感するのにはもってこいであった良い物を貰った。

 (道理の中に真理あり、技の中に極意在りか?)

「文兵衛さん、おはようサン」

 喜美代が挨拶する、横にいた美咲も言う。

「文平ちゃん、おはよサン」

「あれ、変えた名前知ってるの」

「あたくし達は早耳なのよ」

 女の子二人には勝てない。

 (ピイ-ッ)青空には鳶が飛んでる。

「ねえ文兵衛、隠れんぼしようか」

「うん、してもいいよ! ジャンケンぽいあいこでしよっう」 挿絵(By みてみん)

「はい、喜美代さんが鬼だよ」

喜美代は木に寄りかかって数える、一つ二つ三つ、十う、キョロキョロ美咲を見て目で合図する。

「どこかなの? あ見つけたわ」

 上手く隠れたつもりだがすぐに捕まる。

 手を握って元の場所に、戻るのであるが(時に天に登った気持ちになる)喜美代は、ますます女の子ぽくなっていく姉妹揃って美人なのだ。美咲が袖を引っ張る。

「文平、護摩堂に変な人いるよ?」

 いつも人の居ない堂が開き、何かお経のような声が聞こえる。

「文兵衛、覗いてみようか」

「文平ちゃん、行こうよ」

三人は向かった。美咲が護摩堂門前で小石につまずいた。

「あっ! 痛い」

「うん誰かね? そこに居るのは」

「はい、私達は神社の者です」挿絵(By みてみん)

 三人は口を揃えて答えた。

「あなたは誰ですか、いったい何者ですか?」

 その人は白衣の上に黒い衣を着ている。頭のおでこに黒い六角の箱を付けて、釈杖を携えたおかしな出で立ちであった。

「おお儂は、修験者の林長五郎と申す者である」

「修験者、お坊様では無いの?」

髭を伸ばしているが二十歳ぐらいに見える、悪い人に見えない。

 人の出会いは大事である。人が運を持って来るのである、人は嘘も言うし騙しては悪魔のごとく、囁いては悪い方へと引きずり込もうと、狙う者もいる気を付けるべしである。

真面目で人が良いのは邪悪な者にとって、絶好のカモにしか過ぎないのです事実言うと抑えられる。

例えば日本人は大人しくしているに付け込んでかの国はあること無い事をボロクソに云って、世界中に日本の悪口を言いふらし日本を卑しめています。

「修験道は神道で、山岳信仰と仏教を習合せし真言密教である」

「では天狗や仙人ですか」

「修験者は山伏と言われる、山を駆け巡り叉は山に籠もり、飢えを堪え忍び修行する行者である」

「山伏とは、忍者ですか?」

「いや密教の修行者である、生と死の狭間に自分を追い込んで、呪文を唱えて行をしごまを焚く」

美咲が文吉の上着を引っ張る。

「あの下駄は普通歯が二枚ですよね、一枚歯の下駄は歩きにくくないのですか」

「一枚歯の下駄は、山伏下駄と呼ばれ山歩きには便利なのだ!」

「ハハハかつて源義経が、鞍馬の天狗と名乗りし者から、源義経に術を授けた者も鞍馬にいた修験者であったと聞いておる」

「術ですか、では源義経も忍者だったのですか?」

「義経流という忍法も、残っているから忍者だったか知れんのう」

この日は何故かしつこく聞く。

「そうですかそれは知りませんでした、ではおじゃませぬよう行きます、又来ても宜しいですか?」

「おう! いつ成りと遊びに来なされ、少し武芸の手ほどきをして遣ろうゆえのう……」

義経と聞いて何故か三人は怖くなリ、足早にその場を立ち去った。


第三章少年時代(小猿の友達)


修験者とはお坊様なんか氏子なのか、さっぱりわからず三人は顔を見やわせ、その場を離れた。

 翌朝文平はいつものように、一人で剣術の稽古をしていた。

「ええっい、やあっ!」

 力込めて打つすると、木の上から何か落ちて来ました。(ドサッ)

「キャアッ! 一体何なの?」

 美咲の驚いた声、娘は読み書きの時間を知らせに来ていたのだ。

「美咲、大丈夫どうもない?」

喜美代が美咲を抱きかかえ、体を起こして聞く。

「姉さん、あそこで何か動いているよ」

 二人は木の下を、覗き見た。

「あっ、かわいいお猿さんだ」

喜美代が、草むらの中を指差した。

「まだ小さい、お猿さんだよ」

 文兵衛駆け寄って、小猿を抱き上げる。

「うむ、気絶しているなあ」 挿絵(By みてみん)

「それでお猿さん、まだ生きているの?」

「うん少し怪我してる、小屋で手当てしようか」

「そうね、物置小屋へ行こうか」

 三人で小猿を小屋に運ぶ、喜美代と美咲は早速に土間に藁を敷き詰めた。

「ねえ、此処に犬用の首輪はあるかな?」

「えっとね、あっここにあったよ」

 喜美代が、ヒモがついた犬用の赤い首輪を、見つけて来た。

「怪我してるから、逃げないように付けとこかな」

文兵衛は小猿に首輪を付けた。

「薬付けて布でグルグルとね」

 美咲が言いながら包帯を巻いている、猿の手爪も切っていた。

「治るまで、ヒモを柱に括ろう」

 文平は気がついた猿に、餌をやるが娘らは怖いのか警戒し、あまり猿に近寄らない。

 あれから三日たった。小猿も元気になっていた。

「文平、外に母猿が来てるよ」

「そうか傷も完全に治ったし、そろそろ外へ離してやろうか」 

 子猿の首輪外し扉を開ける子猿は文兵衛の顔を見て、出ると一目散に母猿の元に駆けていった。

「小さい猿さん、元気になって良かったね!」

喜美代が手を振る美咲も負けじと振る。二頭の猿は仲間のいる神社の森へときえた。

 今日も朝早くから、文兵衛の剣術稽古の声が聞こえる。それを見ている者がいた、気配を感じ文兵衛は後ろを振り返った。

「あっ、あなたは林長五郎様」

「そうだ精が出るのう、その木刀で儂を思いきり打って見よ」

 言われるまま上段に構え、一間摺り足でにじり寄ると。

「えいっ やあっ!」

木刀打ち下ろす、ところが手刀で腕を叩かれそのまま投げられたが、受け身して立ち上がる。

「いててぇ、先生参りました」

「ウムいつお主の、先生に成りしか?」

「変わった術を、遣いますねぇ」

「儂が仙台から甲斐の山々に修行していた時、老師に会い無刀取り秘技を伝えられた、それがこの大東流合気術なのじゃ!」

「では今に伝わる、大東流合気術も本来は義経流ですかねえ?」

「そうとも言えるが今は定かではない、一説では源義家以来継承されてきたと言われている、義経もその継承者の一人かも知れないので、正しくは義経流とは言えないかも知れない、今となってはあくまでそれは後の人々の、推測に過ぎないのである」

此処で少し脱線、義経は兵法にも通じていました平氏をなんなく滅ぼした武将で武芸にも優れているゆえに頼朝に追われ死んだ事になっているが、あれほどの忍者でも有る者がやすやすと、殺されはすまいと思う歴史としても本当の事実は藪の中です。

矢張り逃げのび大陸に渡りジンギスカンになったと信じたい源氏の旗は白い、ジンギスカンの旗も白いのであるしモンゴル人は日本人と同じモンゴロイド系統で、それに義経は馬にも乗れたので有る。

それにしてもその頃藤原氏の地元から、砂金がよく産出していたが藤原氏滅亡してどこから出ていたのか解らなくなった、砂金だから川からと思うがあれからピタッと産出が止まっている、今見つければ大金持ちに成れるのだがなぁ皆様見付けて下さい。

すみませんでした、話を元に戻します。

「それでなんと言う人でしたか?」

「確か武田国継、と言っていたかな?」

「甲斐の国は、戦国武将武田信玄がいた、武田氏でしょうか?」

「そうだそして老師は技を伝えて、居なくなった」

「神か仙人に、会ったのかな」

「今も不思議に思う修験道の奥は深いのだ、念力・合気・呪術的な修業へて、超能力を得るのだ!」

「ええっ! 超能力ですか?」

「そうであるが儂は自然の探求者でもある、科学と言うべきか薬草学・爆発物学・武器学の研究などする事多くあり超能力を極める事は、難しいと言うべきであるかのう?」

言うと呪文を唱えて、さっさと護摩堂へ去る。

「文平ちゃん、何処にいるの?」

美咲が呼びに来た、周辺をキョロキョロして探している。 挿絵(By みてみん)

「あれえっ喜美代さんは、どうしたの?」

突然、後ろから腰を押された。

「おっとと、いけねぇ」 挿絵(By みてみん)

 ドテンとよろけて腰を打つ。

「あら弱いのね、お主の腕はこの程度なのか!」

「ううん、急に押すからだよ」

 自分でも情けなかった、文兵衛は照れ隠しに言った。

「へへ、連れもていこら」

 足を引きずり顔真っ赤にし、下にうつむ向いて歩くのであった。

 その夜は眠れなかった、剣術や大東流合気術の事が目にうかぶ。

(おいら、才能無いのかなあ)

 悶々としていたが、知らず知らず寝ていた。

「いつの間にあっいけねえ、もうこんなに日が高い遅刻だ」

 慌てて起きる。木刀を持ちいつもの場所に行く。

 (キキイ) 声する木の上を見る。

「あっあの小猿だ、ずっとこちらを観てる?」

 手を差し伸べると、木から降りて寄って来た。

「お前、元気にしていたのか」

 小猿が笑ったような気がする、そしてあちこち飛び跳ねる。

それを見て文兵衛も真似し、前転や後転、横転、猿の様に跳ねる、猿もさすがに遊びに疲れると、知らぬ間に何処かいなくなっていた。

けれど、この小猿との遊びで、猿飛びの術を得たのである。

勿論それなりの工夫もしています、例えば手甲を裏返して使用して枝で傷つける恐れある、手の内側を保護した事などです。これでスムーズに猿飛び術が、出来るように成りました

 小猿の代わりに、林長五郎が来た。柔術は相手が居ないと稽古にならないのだろう。

「こい、一つ揉んでやろうか」

「師匠お願いします、では行きますよヤアッ!」

 ひと汗流すと満足したのか。

「よし、本日これまでだ」

 護摩御堂へ帰っていく、文兵衛は、投げられてばかり不満足だ。

 (師匠は身体をはって、覚えよと言うがまったくもって面白くない)

皆さんは忍者映画を観て、内心嘘のように思われるか知れませんが、現在の体操選手を見ても、現実だと実感される思います。

当時の忍者も訓練を経て、体操の選手のように動けても、何ら不思議でもないと思います。

身体を張った命をかけた仕事ゆえに、忍者は驚くほどの力が出たのかも知れませんね……。


第四章、根来忍法


忍者の事を書くと、それは現実ではない嘘だと思われるかもしれません、事実は小説よりも奇なりです。あの有名な豊臣秀吉にも、忍者説がありましたから。

現在日本では忍者の事を書くと、軽く見られますが世界的には日本を知らない人であってもも、忍者と言うと知っていて、ニンジヤは今や世界共通語となりつつあり、日本が世界に誇るべき文化です。あっ少し脱線しましたので戻します……。

 (最近、師匠みえないなぁ)

「何独り言をいってるのかね」

「あっ、林長五郎先生」

 文兵衛慌てて、頭下げる。

「儂もいろいろ忙しくてのう」

「文兵衛よ、字は読めるのか?」

「はい、読めるようなりました」

「これは私の書いた忍術本、読みなさい読めば返すように、必ず他人には見せるな! 親にもねっ」

「はい秘密にします、えっと変わり身の術に逆足の術か、で師匠は何流なんですか?」

「根来流だ、だけどそのことは、秘密になっ二人だけの内緒になあ!?」

「はい師匠解りました、この事は必ず秘密にいたします」

「逸れに書かれているのは、大ざっぱな事で本当の術は、自らで開発せよ、 知恵は常々自らが究明する事で、自分のものと成るのだ!」

「はい、常に不思議に思った事を探求し、答えを自然界に求め発明する事にします」

「よろしい、求めよさらば与えられん、此より自然を師匠とせよ」

「師匠御教訓誠に、有り難く思います!」

「では、儂はしばらく留守にする」

 言うと何処かいなくなった。忍者とは自然の探究者で、いまで云うと科学者でもあったのだ。

 林長五朗は仮の名で本当の名は紀州藩武士であり藤林正武といった、後に紀州流忍術伝書は名取三十朗正澄の名で(正忍記)書く根来忍者の上忍だった。

 昔伊賀の上忍であった藤林長門守(別名、百地三太夫)一党は、織田信長が四万六千余りの軍で伊賀総攻めの下知した時伊賀は四千で立ち向かった。

それは天正九年(一五八一年)九月二十七日であったが、その時に藤林一党の大方は紀州の根来に落ちのびた。その時、上忍の林長門守一族は壊滅した。

それを探す為藤林は、林長五郎と名乗り林長門守一族の残党を探しに諸国を渡り歩いたらしい。

前より織田信長の次男である伊勢の北畠(織田)信雄軍による伊賀攻めは天和三年(一六八三年)七月まで続いた。

二度にわたる伊賀攻めにより女子供とも根絶やしにされ、伊賀は信長に全滅近く負けたのである。

最後まで残った者も、命からがら紀州の雑賀や根来に落ちのびた伊賀流忍者であった。

雑賀一党が忍者であった かは、議論ある所 だろうと思われるが、忍者もいたという事で願いたい。

余談であるが雑賀一党は本願寺に味方した時には、火縄鉄砲三千丁は持っていたとされている。

それと水軍で百隻を持っていて、毛利水軍連合と共に信長に反抗し続けたのも有名な話である。

この頃雑賀雇われ鉄砲集団として有名だった、雑賀孫一(鈴木孫一)は軍団率い諸国で活躍しました。

定かでないが後の根来忍者とは、その時の子孫であったのだと思われる。 そして 伊賀忍者には階級あり、それは 上忍、中忍、下忍でありますけれども、動くのは頭の中忍とその配下の下忍です。

結局のところ上忍で伊賀に残ったのは服部(はっとり)一門であるが、その時には元足利将軍家に仕えていて伊賀を離れていたので難を逃れたらしい。後に古巣の伊賀にまい戻ったのであろう思われる。

 その後の伊賀は、本能寺の変で徳川家康が窮地になった時、伊賀越えを助けた服部半蔵一門が、伊賀忍者の主流となったのである。

 それで紀州の根来に藤林長門守一門が別の忍者集団を、新たに組織したと云われています。

 根来忍者は探求心強く、新しい忍法を常に模索していて、研究開発していた。

 現在にいうなら科学者であり研究者であった。小さな不思議な事を探求し利用して、術を開発(発明)し自らを高めるのだ。

術は忍者の財産であり、各自の秘密で、だから上忍とて下忍者の術は把握していないのである。その多くは親から子供へと口伝で伝えられ、残念な事にその術の多くは、現在にまで伝えられていない。

 明け七つ(午前四時)目が覚める外は暗く寒い。

 人の気配がしたので、誘われるように部屋を出た、寝ぼけまなこで奥の拝殿を見ると白い髭の老人が木刀を持ち、剣の稽古しているその動きから観るとかなり手練れの使い手だ。

手招きをしている、で拝殿の中に入ると無言にて木刀を渡されそのまま対峙する。

 物も言わず打ってくる、受ける打って出る、それもゆっくりした動作で形を教えているように。

 木刀を置き素手になって向かってきた、上段から打ち下ろすが両手を挟み合わせ止められた。

 (あっ無刀取り合気技だ、それでやっと気がつく、師匠が言っていた武田国継という仙人だと!)

 夢中になって稽古したが、急に疲れと眠気に襲われ身体が動けぬまま倒れ込んだ。

これが合気術の奥義の金縛りの術であったが、掛けられた本人は全く自覚していなかったのであったが、半刻(一時間)ほどしてから目が覚める、けどその人はもう居ませんなので寝ぼけ頭で、いったい何が起こったのか解らぬままに稽古場にとすごすごと戻りました。

(ううん全く夢のような、出来事やったな?)

普通なら過去に消えてしまった術であった、それが時を超越し魂同士が触れ合って蘇る、前に経験した林長五郎に接した事により能力が文兵衛に移ったのかも知れない。

なにげに頬をつねると痛かった。

「文平ちゃん、お菓子持って来たよ!」

「喜美代さんはどうしだの?」

 美咲は、見る間にふくれた。

「お母さんの手伝いしてるよ」

「じゃ戴きます、うまそうなよもぎ餅だね」

「おいしい、ねえどうなの?」

 食べるのをじっと見ている、気がすんだのか。

「じゃまたね、文平ちゃん」

 来た道を子ども走りに帰って行くのである。


第五章、小猿との別れ


 餅食べてると、小猿が寄って来る半分やるとキキイと喜んだ。

「腹膨れたなあ、さぁ小吉またやるか!」

 小猿と相撲を取る(今日は少し技を試すかな)

「えい、やあっ、とおぅ」

 先ずは関口流の技を試した。

「あちゃっ!」

 合気も掛けてみたがすばしっこくて、スルリと技を外される。

「うむ合気も全く、猿には効かねえのかなっ?」

 猿は反撃し、覆い被さって来た

反動で後ろに倒れ掛けた時、頭の中で何かがはじける、その時猿の動きが、ゆっくりと見えた。

「とうりや、きっえい!」

 一瞬に猿は後ろの方に、ぶっ飛んだ。見ると仰向けに泡吹いて痙攣している、小猿は気が付いたそしてきのせいか文平を睨みつけている。

 それから小猿は来ない合気柔術を得たが、猿の友達を失ったのだと語った。

此処で合気について少し述べたいと思う。現在合気は二派あって一つは大東流合気術あるが、剣術との戦いが多い中負ければ即座に死ぬ為、早く直線的に攻撃した。

 もう一つは柔らでの対戦で、円の動きを大事にし、ゆるりと相手をあしらうものである。どちらがよいとは言えないが、この頃は専ら大東流合気術であったのだ。

 文兵衛は何事でも、考えるより行動が先になるようであった。

 いつものように修験者の、林長五郎は練習相手に、文兵衛を訪ねて来て一汗かいた。

「今日はいつもより、技の切れが違うな、なかなか良くなった猿のおかげかのう?」

「あれ師匠は、その事知ってたんですか?」

「あれだけ派手にしてたら、誰でも気がつくもんだよ! 今日は趣向変えて御堂に行き、修験道の勉強でもするかの?」 

「私も不思議に思っていました、ご教授よろしく」

そして二人は、近くの護摩堂まで歩いて行った。「修験道は神道と山岳信仰、及び仏教と密接な関わりを持っているのだ。今は紀州(和歌山県)の大峰山や山形の出羽三山は、修験道の聖地として行者や一般の人でにぎわっているだ」

「へえ、ここの神社と同じく神仏習合ですかね?」

「特に紀州は、空海によって開かれた密教系、寺院の高野山もある事から修験道は盛んである」

「それが根来忍者と、どう関係あるのですか?」

「空海より前に、大坂の葛城山に役の行者という仙人がいて、修験者や忍者の開祖といわれていて呪術も得意だったそうだが、役の行者以前にも忍者はいたらしいが、特に優れた仙人であったので弟子も多く以降は伊賀忍者の開祖と崇められている!」

「え得意は呪術ですか、逸れは呪いの術ですか!?」

「呪術としているが実際は祈りの術で、運の動向もしくは読心術や先読みの術であったそうな?」

「運ですか? つかみ所無いものですよねぇ」

「修験道では、宇宙(自然)を神と崇める。

その動きに(予兆)よって予知し、自らの今後の行動に生かすのである!」

「どこで(予兆)掴むのですか?」

「自然の中で滝に打たれ、自然の声を聴くのだ」

「自然が語りかけてくるのですか?」

「それは、感じるのだ」

「滝に打たれ瞑想してですか、それは私にも出来ますでしようか?」

「修行して、その才能に目覚めればなぁ? それはいつとは言え無い一生かかって出来ぬ者もいる」

「日本では神と鬼は、同列とされてますよね?」

「ウムそれはどちらも見えぬものだからかな」

「自然とは、大きく言えば宇宙そのものですか?」

「宇宙の運行により、世の中や自分の運を占って、まずは兆しや予告めいたものを掴んだらしい」 

「運とはいったい何なのでしょう、自然の運には逆らいようがないし自分で操作しようがないし、時のなすがまま委ねるしか無いのでしょうか?」

文兵衛はもう無中で、話に没頭していた。

「ある程度は変えられると思う、それ故に神にすがるのであるが個々にはその人の持つ気であろうと思われるのだ」

「えっ人の気持ちですか、そう言えば昔の人はよく言いますよね病は気からと!」

師匠は哲学的問答に、少しもいやな顔せずに答えてくれる。

「そうだ気は大事である、弱気・病気・強気・正気・運気・合気などみな気が関わっている、多少ならどうにか成りそうに思えるのだが?」

「逸れで修験道では、座禅しリラックスして気の巡りを良くするのですね」

「そう役行者は、逸れを最も得意としたのだ!」

「その人(仙人)は本当に、実在したのですか?」

「今は伝説となっているが、現実に修験者も忍者もいるから、いたのであろうな、我が根来忍者と伊賀忍者は、元祖は役行者としているが、本当は物部氏の活躍した時代から、そうな鷹巣一族だったか山河一族だったか?……」

「ではかなり歴史的には、古いのですねぇ?」

聖徳太子が忍者しのびを用いたと文に書き残しているので、千年の歴史があると言えようか。

「そうじゃ、その時仙人術と忍術とに別れた。仙術は超能力で言わば神の力に近い能力である、忍術は手品と同じで種が有る技である!」

「では私の学んでいるのは、種が有るのですか」

「そうだ! それに体術を加えたものが忍法なのだ、種を知れば相手に勝てる可能性あるのだ」

「勝には敵を知れ、ですね……」

 ごまを焚きながら続けて言う。見るとその顔つきはまさに鬼のように赤く、鬼気迫るものがあった。

「この世の中にはのう真理や道理があって、例えば物には表と裏がある」

「はい、全く正反対のものですね?」

「それで一体と、なっている。善と悪もそうであるな! いかに正義と言っても、弱ければ負ける」

「はい、そのとうりです?」

「真面目に正しいと言っても、強くなくては悪人に滅ぼされるのだ! 云わば世の中弱肉強食なのだ」

「神にうったえてもどうにもならんやろ、私は正しいのでどうか助けてと願っても、神は個人の思いどうりに動いてくれないのだ」

「はい、それに人は騙す事もあるし嘘をつき裏切る事もありますので、心を読めたらと思います」

「先ずは人の言う事を、真に受けず疑ってかかるそして、本心を探りつつ自分で確かめる事だのう」

「はい読心術はまだ無理なので、その人の口調や顔色を観て、判断したいと思います」

「ウム人は怖く女の人でも毒を盛るは容易、それで命を落とすことはざらにあるからのう! また詐欺にあって財産をなくしてから気がついても遅い」

ごまの火の粉が舞い上がる、それに部屋暑くて汗がにじむし、のども渇いてきた。

「はいそうですね上の代官も人で、悪ければ農民が困りますよね、それにあちこちに山賊もいるし」

「だから正義をいう前に、自ら鍛えて強くなくてはならぬ! 儂の言って事解るかなあ?」

振り返って、赤ら顔でおもむろに言う。

「ああと、言い忘れた! 忍法で薬の事も教えたが、それは一時的なもので、やはり日頃の食べ物に気をつけよ、食は薬と思っての」

「はい、小魚と野菜をとるようにします、ちなみに先生は宗教家ですか?」

「儂は修験道について、話をしているが宗教家ではない! 日の本には八百八十万もの、神々がいるのでなぁ、個々に信じるものが神であり、何を信じるも個人の自由でその信じるものが、信じる人の神である、修験道では自然または大宇宙が神である! その神々より人知を超えた超能力を授かる」

「ええ超能力ですか、そんなのあるのですか?」

「敵と自分、体力技術力が同じなら後は覚悟の差(気力)で勝負は決まると心得よ、決して脳味噌の大きさではない超能力というべきものかも知れない」

「私は脳味噌が大きければ、頭が良く優れていると思いますがねぇ?」

「かってわが現在の人より脳味噌が大きい人類がいたが、我々によって滅びているそれは我々には、隠れた超能力があったからであると想っている!」

(ネアンデルタール人は我々ホモサピエンスより脳味噌が約千五百五十シイシイあり、その頃我々ホモサビエンスは千四百五十シイシイと小さかった現在は約千三百五十シイシイで更に小さくなっている普通常識では脳が大きいと優れている筈なのに?)

ここで私の意見を述べると、昔の真空管を使ったコンピューターは大きいが、最近のパソコンに負けるそれと同じ事が頭脳にも、云えるのではないかと私なりに独断と偏見を持って思っています。

「お主に忍者仲間内だけに通じるあざ名を、与えよう二代目の猿飛び佐助だ! 仲間内で使うが良いその事は通達しておく」

そして猿飛佐助と書いたが、伊賀の忍法書(萬川集海)の中に、記されてある十一人の忍者中一人である木猿の本名が 、上月佐助(こうずきさすけ)でこれが猿飛佐助のモデルであるとされています。


第六章、根来忍者(真田苔丸)


 小吉が来なくなってから、文兵衛はかなり落ち込んでいた。

「どうした文兵衛よ、今日は嫌におとなしいの」

 座り込み頭を抱えているのを見かねた林長五郎が声をかけた。文兵衛は心を落ちつかす為覚えた忍者の印を組み、無心になろうとしている美咲がそれを見て不思議そうな顔をした。

「はい小猿の友達が来なくなりました、合気術を掛けたので……」

「猿の稽古友達を、なくした為なのか?」

「はい……いいえ……今は猫と追い駆けっこしたりして、気を紛らわせています」

「そうかぁ稽古相手ならば、わしの在所に真田苔(こけ)丸と云う若い者がいる、早速その者を呼んでやろう!」

「そうですか、ではお言葉に甘えて、宜しくお願い申しあげます!」

「ウム引き受けた、それと紙と筆を常に持ってなさい不思議と思った事、疑問に思う事などをそのままにせずに書き留めることで、後で解決出来る事があるが、書かねば大事なことも直ぐ忘れるからだ!」

「はい早速紙と筆を、今日より用意します」

「よろしい明日にせずは、よい心掛けである。」

「師匠の御配慮、心から有り難く思います、ではよしなにお願いします!」

この頃根来忍者は、世に知られていなく、忍びの主流はもっぱら伊賀・甲賀で有り、有名になるのは徳川吉宗が、お庭番として採用してからである。根来一門の藤林は盛り上げようと、近辺の幼児教育には熱心であった。

「文兵衛さんですか、私根来から来ました真田苔丸と言います今七歳ですよろしくお願いします」

「あっそうですか私は山本文兵衛と言います私も七歳です、こちらこそまだ未熟者ですが、よろしくご指導のほどお願いします」

 文兵衛は師匠から借りた本を見ながら、苔丸の動きに注意し自らもやってみた。本には描ききれないものが実際的にはあるので真剣になる。

 苔丸は音もたてず歩いたり弓を射抜いたり、塀を乗り越えたり手裏剣を投げたり自分が里で覚えた事を余すことなく見せる、その多方面にわたる忍法は素晴らしいものがあった。

 話しを聞いたり遊んだりしている内に覚える、幼児が言葉覚えるように習うより見ておぼえるのです基本が身に付いたら後は各自工夫して、独自の忍法を開発するのである。

「苔丸よ聞くがどうしたら皆のように、新しい術を考えられるように成れるのかな?」

「えっ考えるのですが? それは難しいですね!」

「考えると途端頭が、停止したように出ません」

苔丸に文兵衛がおかしな事を聞いたので、きょとんとした顔をして此方を見ていたが。

「私が師匠に聞くと逸れは思う事だと、言われましたよ、思いを巡らす事で想像し思いつくのだと!」

「考えるのでなくて思い空想することが、発明に繋がるのですかそれならば私にも出来そうですね」

苔丸は子供ゆえ、大人達に警戒されず、技を盗み取得出来た。文兵衛にとって良い教師となった。

 師匠もたまに見にきて、気づくと一言いってそのまま帰る。それは文兵衛とり楽しい毎日であった。

今日は手裏剣投げしようか、と言って丸い円盤を三十枚ほど持って来た、気の枝を鋸で切った簡単な物だ、見かけは不細工である。

「文兵衛さん手裏剣の間合いは七間から三間です。三間以内だと投げてる暇おません逸れに綿入れの服着ているとまったく刺さりませんしねぇ」

「フウンほな?敵の着ている服の種類にも、注意せなあかんのやな?」

「そうですがそれで狙いどこは、敵の顔ですわそこへ当てたら皆大方気を失います今回は気にせずやりましよう」

まったく細かい事の気の付く、おかしな 奴であると思った。

「苔丸よこれはまん丸で、手裏剣に見えないよ」

「うん丸いと怪我しないしね、それじゃあ試しにほってみな!」

言われて文兵衛は、一枚投げてみた回転しながらよく飛ぶ。

「これは思ったより使えるなぁ!」

「では当たったら、負けだよそしてずるはなしだよ正直にねぇ!」

少し離れてさながら、忍者同士の実戦ごとく投げ合う面白い。

「よしそこだ、やったかなどうだ当たったか?」

見てみると枯れ木に服を巻き着けてある変わり身の術だ、これはやばいと即倒れた木に身を隠す。

「今度は此方の番だ、行くぞそりゃ!」

苔丸は二丈(約六メートル)高く飛び上がって、投げて来たするとカーブを描いて文兵衛に当たった。

「勝負有りだね、私の勝ちだハハハ!」

にっこりと笑う、悔しいが自分の負けであるカープするとはな。

「苔丸よどうしでそんなに、高く飛べるのかな不思議だなぁ?」

「僕は日頃から山でうさぎを追い仕留める、それで肉食して筋肉がつき高く飛べるようになった、まあ少しコツも有るけどね」 挿絵(By みてみん)

「私も鯨の肉ならば、良く食べているのに?」

なる程文兵衛は猿飛びの術を会得していたが、それは木から木へと飛び移る術で高く飛べない、そこで苔丸にその方法とコツを、真剣に恥ずべくも無く苔丸に頼み込んで習ったのであるで成果はあった。

 ある日真田苔丸の母親が、病に伏せたので急に根来の里に帰る事になった。 

「苔丸よ気をつけてなぁ! いろいろ教えてもらいおおきにな」

「文兵衛さんも達者でなぁ、叉なあ本当に楽しかったよう!」

 そして根来忍法の医術、(傷口縫い合わせるなど)の基本や、本では書けない口で説明しがたい、技を取得しました。

技術や忍術はちょっとした事で方法が分かり、解決出来る事がありますが、逸れが現在では発明や発見と、云われるものでかも知れませんね。

忍術や発明は人の思う常識から一旦離れて、誰も思わぬ事を思い付く事から画期的なものが出来る。

例えば木の船から鉄の船、そしてセラミックの船へと飛躍する、まセラミック船はまだ有りません。

勿論まだセラミック船は開発されていません私は船体にカキなど付かなくて、良いと思いますがねぇ果たしてどうでしょうか。

また土に埋もれている、鉱物を探せる技術や能力または方法、など或いはその鉱物の近くに咲く植物など解ると凄いと思っている。

昔甲斐の武田に金銀など鉱物を探すに優れた、特殊能力を持つプロ集団がいたと聞いているがなぁ。

甲斐の武田に特殊能力を持つ集団がいたとも聞いているが、確か金堀り衆と言ってムカデの旗をはためかせ穴を掘るのが得意の軍団であったと聞いている、しかし戦にも駆り出される事もあったらしい。


第七章、湯浅に帰る


 延宝四年(一六七七年)霜月(しもづき十一月)、文兵衛は八歳になっていた。

「おおい、文兵衛はいるか」

 武兵衛の声が境内に響く、何か佐々木利兵衛夫妻と、話をしている福が娘に言った。

「喜美代、文兵衛を呼んで来て」

 稽古場にいた文兵衛に、喜美代が知らせに来た。早速武兵衛が待つ居間に顔出した。

「文兵衛よ、武兵衛だお前を迎えに来たんだ」

 美咲が、喜美代に抱き付き。突然泣き出した。見かねて母親の福が美咲をたしなめる。

「文平ちゃん、また来てよ」

「うん、また顔見せに来るよ!」

それで機嫌を直した美咲、喜美代はこらえてる。

「あっ少し待ってくれますか、用事を思い出した」

「何だね、その用事とは」

武兵衛は文兵衛に、優しく聞いた。

「林先生に本を、返えしに行きたいのですが」

「早く行って来な、世話になった礼を忘れずにな」

 手を振って、行けと合図する。

「はい、どうもすみません」

 文兵衛は借りていた本を持ち、駆け足で師匠のいる護摩堂へ行く。

「先生居ますか、文兵衛です」

 護摩堂の扉をドンドンと叩く。

「おう、文兵衛か今頃何用だね」

「長五朗先生、いままで有がとうございました」

少し目を潤ませながら言った。

「どうしたのかね? 文兵衛」

「今日祖父が迎えに来まして、今から湯浅の別所に帰ります」

 言って借りていた本を返す。

「家に帰るのか、良かったね」

「はい、今から祖父と一緒にね」

 とめどなぐあふれる涙をふく。

「今まで教えたのは基本だよ、此からは自分で研究工夫しなさいそして年長者を敬い尊重すれば、その人の貴重な人生の経験なり教訓なり教えを乞得る」

「はい先生はここに、しばらく居ますか?」

「いや、儂も修行に出る。それと言い忘れたことがある、自然は神である自然の声を聴き、動きをよく見て感ずれば、次に自分はどうすべきか、商売・忍びの事も解るであろう! 修験道の教え成り」

「此より師匠の教えを守り、努力をいたします!」

「そうだ萬川集海を代わりにやろう、藤林保武の書いた伊賀流忍法書だ」

おもむろに巻物を一巻手渡された。現在に残っている忍者の三大秘伝書のひとつで、後二つは正忍記と服部半蔵保長が書く、忍秘伝が代表的である。

後有名なのは真田忍者の、横谷左近が書いた「忍術虎之巻」が今も現存している。

甲賀忍者の望月(もちづき)氏の書いた物は「忍術応義伝」望月重家、著作などが有ります。

「あっそうだ! 決して忍びである事を、人に悟らせてはならぬぞ猿飛佐助も仲間内だけにな!」

「はいご忠告確かに! 大切な本誠にありがとう御座います良いのですか?」

「おう雑な本だ弟子へのはなむけじゃ、おぬしも達者でな……おっと言い忘れた、宇宙は無限で果てが無い、忍は死を恐れるな! 魂は生命の種子でいずれ蘇る! 宗教は人が登場するまでなかったのだが、自然(宇宙)は存在した、だからよく自然の声を聞く事だ、忍者商売人にも通じる事である」

「はい迷い吹っ切れました、教えを胸に深く刻み込み新しき物や考え方を取り入れます!」

「うむ、世の中たらればはない、自然に好かれ己のこれから行く末の覚悟を決めるのだ、年長者を敬い尊重すれば貴重な経験教訓を貰えるのだ、そして更なる良い出会いと運を求めるのだ!」

「はい解りました、おのが覚悟の進めですね!」

「うんそうである逸れと言葉には気をつけろ、言魂と言って良いことを繰り返し言えば、良いことが起こりうるし、不吉な事言ってれば不思議と不運な事起こりうる」

「はい自分にとって、成るべく吉と成る言葉を言うようにします!」

「良いひょっとしたら自己暗示に掛かるのやも、知れないなぁ?」

「御教示、有り難く思います!」 この日より忍者である事を封印した、もちろん親にもである。

 そして文兵衛は、武兵衛の待つ所へと戻った。

 これより二人は、湯浅に帰るのである。

 喜美代と美咲は、いつまでも手を振っていた。  文兵衛の心は、晴れやかだった。

 (久し振りに、母上に甘えられるなあ)

 広川から別所への足は軽い、左腰には佐々木師匠から貰った木刀を差している。

「あれれ、道が違うのでは」

「良いのじゃ、今から有田の北湊に行くでなあ」


第八章、船乗りの修行


 杖で、海の方向を指す。

「あのう別所の家に帰るのでは」

「いや今はまだ勉強も身に入らんと思っての、家には言ってる」

 大声で言いつつ豪快に笑う。

「はい、それはそうですが」

「少し早めの、休みになるがね」

「それはとても、私は嬉しいのですが」

「文兵衛は、明心丸には乗りたくないのかね?」

「えっ乗せてくれるのですか」

「うむ此より明心丸で、江戸へ行く文兵衛と航海の勉強にな」

「うわい、本当に嬉しいなぁ」

 船は湯浅の味噌や醤油、鰹節などを積んで北湊で待っていた。

 味噌・醤油は、有田湯浅が日本に於いての、発祥の地である。

二人ふ頭から、船に乗り込む。

「文兵衛、船酔いしないか」

「長五郎先生にもらった、丸薬持ってますから」

 文兵衛、薬を懐から出し飲む。

「それならば良いであろう、あっそれと言っておくが、武芸を少し習ったとて天狗になるな!」

「それはどうしてですか?」

「お前は商人の子供だ、斬った張ったより負けるが勝ちを! 心に留めておきなさいよ……世の中何があるか解らない、危険はなるべく避けなければならない!」

「はい、そういたします」

 武兵衛は船明心丸の、操船をしていた。

 (ドドドン)船が左右に揺れた。

「なんだ、何かに当たったぞ」 挿絵(By みてみん)

「クジラだ、抹香(マツコウ)鯨だ!」

 船の左舷を併走し、大きく潮を吹いた。

「二匹いるよ、親子鯨だね」

「騒ぐな、子供連れで気が立っているでなあ」

「このまま、船をゆっくり進める」

 二匹は親子仲良く、連れ立ってそのまま沖へと泳いでいった。 挿絵(By みてみん)

「ふう、何とか助かったの」

 汗を拭くもう一度ぶつけられたら、船は危なかったと思う。この頃日本近海によくいて恐れられた。

 抹香(マツコウ)鯨は大きいものになると、十八メエートルにもなる鮫より怖い獰猛なクジラなのだ。

抹香鯨は肉食するため歯が鋭く闘争心が旺盛であったので、船舶を見かけると近寄って来て体当たりする、和式木造船には特に怖いクジラなのだ。

海は穏やかさを取り戻し、空には白いカゴメが飛んでいたようやく平静さを取り戻した。

 文兵衛は何もかも珍しく、船内をうろうろしている。そしてあれこれと解らぬ事水夫に聞いている。

「船底から、よく水が漏れないのですね?」

水夫は、仕事の手を止め答えてくれる。

「板を合わせる時、面をカナズチで叩きその反発膨張力を、利用し隙間出ない様にしているんだ」

「木は水を含むと、膨らむからね」

 文兵衛は真剣に、頷きながら聞いた。

「どうだ凄い技術やろ、特に紀州安宅の衆は船作りでは超一流だ仕事ない時は水夫になってるがね」

「ありがとう御座います、覚えておきます」

 水夫達も船長の孫なので、心よく教えてくれた。

 文兵衛の興味は尽きない。帆の張り方やいろんな事を、水夫達に質問攻めにしている、頭が良いのか子供ゆえか覚えも早い、武兵衛はそれを見て。

「うむ、これはなかなかに有望だなぁ、文兵衛は見込み有るぞっ!」 挿絵(By みてみん)

 腕を組み、独り言をいった。

 その夜、白浜町の横に流れる日置川の安宅の庄で、村の皆を呼んで食事をした。そして鯨との件で大工に頼み船を総点検した。

 安宅衆に文兵衛の今後の為、照会したかった。

 山本文旦商店(山紀)の、明心丸は紀州廻船に属している、この頃幕府の方針で、千石船はまだ珍しく二百五十石や五百石の弁財船が主流であったのだ。

 明心丸は近海を注意して、安全第一で航海してきた。特に太平洋側の遠州灘では、黒潮の影響もあり漂流、難波する船が多くあり武兵衛は、大ベテランで有名な船頭であった。

 いつもは瀬戸内海長州廻りの廻船問屋で、江戸行きは安全を考えて控えていたのだ。

 航海は続く白浜、串本、伊勢と陸沿いをへばりつくように、進み江戸にて積み荷を降ろした。

「さぁみんな、そろそろ湯浅に帰るぞ」

帆を張ると、潮風を受け軽やかに波を切る。帰りに太地に寄り、鯨の肉を仕入れて湯浅に着いた。近場乗り航海で往復十日の船旅である、天気にも恵まれた航海だった。

「どうじゃった、この航海は?」

「はいとても楽しかったです、今後役に立ちそうに思います」

「ハハハッ良かった、それでは来年も連れてってやろうかの!」

 頭を撫でてくれ嬉しかった。文兵衛は年寄りを敬い、先人を敬うその姿勢が年寄りから可愛がられ貴重な教えを得らる方法であったのだ。

生意気で年寄りを粗末にするような者に、苦労して得たものを誰が親身になり教えて呉れようか、彼の者達のように恩を忘れ逆に仇で返すような、脅しや暴言妄言吐くのはもってのほかである。

「あっそれと、まずは商いの基本を教えておこうかのう悪人千人善人千人がいる、自分にとって良い人と悪い人が、カアドの表と裏のごとくいて、逸れを見極める事が大事だなぁ悪い人に合えば悪い事を教えられ、善い人に合えば利益に成るを教えられる」

「はい、なにとぞよろしくお願いします!」

「まずは能書きのけて本題から話そう、それは自分の困った時が意外と儲けに繋がってくる!」

「それは、逆転の発想ですか?」

「そうだ! 人々の困った時助けることが、儲けに繋がってくることが多い」

「はい、わかりました常に考えるようにします」

「世の中を観て、今人々が何を欲するか察し他人より先んじて、人々に与えるようにする事だろう」

「常日頃考え、逸れを見極めるようにします!」

「他の商売人よりも、先んじて行うことが大事だ! 知識より気構えで商売する事だろう……それと大衆に宣伝して、覚えてもらう事だなビックリさせて、名前を売り込んで商いを楽にする事だな!」

「はい、わかりました教え感謝します、また白浜の円月島を見たいですね! その時教え願います」

「おっと、肝心な事言い忘れる処だっ、商売には確実な儲けとあやふやな不確実な的儲けがある」

「商いは多方が不確実では有りませんか、店開いても今日は昨日と同じく客来るか判りませんよ?」

「そう元々商いは不安なもの、そういう事でなく相場的な商いの事だ」

「相場ですかそれは一段と不確実な、商いですねぇ天気も影響しますし運も在りますしねぇ」

「その中でも確信持てる商いと持てぬ米相場のような商い有るが、極力自信の持てる商売をするのだ」

「はい解りました、思案的不確実な商いは控えるようにし、私はなるべく現実的な商売を心掛けます」

「機会あればもっと詳しく教えよう、あっ言っておくが強欲は駄目じゃ、犯罪に走るか身を滅ぼす一因になるからなあ!」

「はい、御教訓ありがたくお教え肝に銘じます!」

「人には欲がありその欲は商いには必要だが、如何に強欲で金を貯めようとも、逸れはこの世に於いてだけの富で、誰もあの世に迄持って行けない適度になぁ己を律して心せよ解るかな!」

長い問答であったが、興味有る事はあまり長く感じないので有る。

「はい人には限られた命有り、富が全てではないしそれが目的でも有りません富は結果である物です」

「そうかぁこれからの世の中は武士の世から、金の世の中即ち商人の世の中に成るぞ、成功者の真似をし新しき物や成功者の新しい考え方を持って、この先は存分に働けよ! ワハッハッハ……」

「本だけでなく広く世間見て、新しい物や考え方を探り出し、取り入れる事が自分を高めるのだ!」

「青銅剣に対する鉄剣、刀に対する鉄砲など逸れは信長のような新しい物好きと成る事ですね!」

「そうだ江戸時代は、鎖国政策で世界から閉ざされつつ有るのだが己の出来うる範囲でするしかない」

 笑顔で応えるのである。この航海で武兵衛より紀州の船乗り魂と商人の心得心いきを引き継ぐ。


第九章、湯浅の寺子屋


 師走(しわす12月)湯浅別所にある、勝楽寺の寺子屋に通う、事となった。

 勝楽寺は浄土宗の寺で、子供らは畳に自前の平机を持ち込み、男女二十人ほどが勉強していた。

「ハイ文平ちゃん、久し振りよね! どう元気にしてたの?」

「あれれ、美咲じゃないか!」

 文兵衛、以外な事で戸惑う。

「喜美代も来てるよ、あそこに」挿絵(By みてみん)

 手を大きく振り回し、にこやかに笑っている。

「ねぇお母さんに、教えてもらえないの?」

「最近忙しくてね、それでねぇ私達は此処に出されたのよ」

 文兵衛をジロジロ見ていた、喜美代もこちらに笑顔で来た。 挿絵(By みてみん)

「文平さん、変わったわねえ」

 確かめる様に、ぐるっと一廻りしながらじろじろ見ている。

「よく見ると、おっさんよね」

「ハハハ、よせやい褒めるのは」

 トンチンカンな返事、苦労のせいか少しひねて見えるのだが、本人にはわからないのである。

 (最近、喜美代も文平と言う)

 美咲が常に言うので、通ってしまったようだ。

「おい文平、お前生意気だな!」

 なぜか餓鬼大将の、権太からにらまれている。

「どこがですか、権太さま」

 文兵衛、負けじと云う。

「なんやとお前! 拳骨喰らわすぞ」

拳を振り上げるが、先生が注意しその場はおんびんに済んだ。

 帰り道で五人の悪餓鬼が、待ち伏せしていた。

「おう文平だ、やってまえ!」

 文兵衛の周りを取り囲む、手に棒切れを持った者もいる。

 道は十地路面で広く感じた。

 文平の頭で何かがはじけた。その動きがゆっくりと見えるのだ。

「このやろう、これでも食らえ」

 先ず前の棒切れ持った者が、上から思い切り打ち降ろす。

「ええい、とりゃあっ」

 懐に入り手首押さえると、そのまま後ろに投げ飛ばした。

「うわわいっ、腰うったよう」

 転げて倒れると後ろの二人はそれとばかり、足を取りに来た。

飛び上がって、背中に乗るとカエルの様にへばった。

 別の二人は、手首を関節攻めにしてころころと投げ飛ばした。

「うわあっ、こいつ化け物だ!」

 子供らは先を争って、クモが散るように逃げて行った。

 見ていたのは、神社の二人娘。

「ワァ文平兄ちゃん、かっこいい!」

「美咲ちゃん、冷やかすなよ」

 文兵衛は、照れ笑いする。

「そう……当たり前だわ、長いこと修行してたんだもの」

 喜美代が早速、横やりを入れた。

 文平はあとで父母から、文句出ないよう手加減をしたつもりだ技はあるが、手足は鍛えてないので少しばかり痛んだ。

 早速板に縄を巻き、正拳打ち練習して鍛えた。

 あれから悪餓鬼も少しおとなしくなった。文平も勉強の遅れを取り戻そうと、熱心に励んだ。

 延宝五年(一六七八年)葉月(八月)、文平は九歳になっていた。

 徳川四代将軍は、家綱の御世である。

 文平は別所の実家で、夏休みなのでごろごろと、昼寝していた。

 庭の木々にセミが鳴いている。

「武兵衛の爺ちゃんどうしたんだろう遅いね、予定より三日たつ」

 隣で祖母が、編み物している。

「本当に遅いねえ、文兵衛も待って待ってるのにね」

「もう一度船に乗せたると、あれだけ言ったのになあ」

 江戸の取引先から、緊急の飛脚が来た。

何だろうかと見る、文旦読んでいた手紙落とす。

「あらあなた、いったいどうなさいましたの?」

 青い顔した文旦が、やっと口を開いた。

「おっおとうの船が、時化で沈んだ!」

 もう明心丸は湯浅に帰って来ない。山紀の店は大痛手であった。

 今まで手堅く商って来た、どうしょうもなく、オロオロするばかりである祖父武兵衛五十四歳没。

 家族は九人祖母の峰、文旦、千代、長兵衛、文兵衛、忠兵衛、千歳、吉兵衛、六兵衛である。

 子供らはまだ小さい、文旦は頭を痛める、やむえず湯浅北湊の店は閉めて土地は売却した。

 全てを別所の家にまとめる、一家は一転して貧乏のどん底になったのです海運業は怖い仕事ですね。

文兵衛の心にぽっかり穴が空いたようだった、武兵衛の存在は大きかったのである。

(自分はいったい何の為にこの世に生まれ、この先何を成すべきなのだろうかそして生まれた意味は在るのだろうか?)ふと幼い心に思うのであった。

 父文旦は幸い近くに醤油造りの、勤め先があったのでとりあえずそこの作業員として働く。

 峰や千代も、片手間に縫い物の拾い仕事をする。

 文兵衛も寺子屋が終わると、家の手助けをする、薪割りに風呂焚き子守リなど仕事は多くあった。

 文平は小さかったので、外に出されず済んだのだ。子供ながら家の事情は解っていたので何でもした。祭りには夜店で餅を売ったリおにぎりを作って売ったりと、商売の真似事もした。

 根っから楽天家で一途な面もあるが、明るい性格であったのだ。

 精神的に大人に近づくが、子供の冒険心や、探険心は失ってはいない、ほんの少しばかり、おっちょこちょいではあったが……。

「あらっ文平ちゃん、なあにそのかっこは?」

 観ると髪はぼさぼさ、服はボロボロであった。

「おかしいかな? 美咲さん」

「ふうん……まるで乞食みたいね、その身なり?」

 チクリと喜美代が言う。

「俺んちはとても貧乏なんだ、喜美代さん解ってくれるかな?」

 ボサボサ頭を、手で掻きながら言った。

「嘘よ、昨日大きなうなぎを食べてたじゃない?」

無理もないこの頃、鰻の蒲焼きは店で食べると、一皿二百文(三千円)はしたらしい。

「あれはねぇおいらが、広川で鰻取りのあみ仕掛けて取って来たんだよ」

 文兵衛は工夫好きであった、うなぎ取りの網籠も新たに考え出した。

 細長い網筒の本体に、竹の蓋に尖った戻りを付けると鰻は最初入れてもあと竹の弾力で、入り口がすぼみ中より出れなくなる。

「じゃ、私達にも取って来てよ」

「うん、早速今晩神社にうなぎを持っていくよ! 広川に鰻取りの籠を仕掛けてあるんだ」

「わぁ! 私うなぎとても、大好きなのよ」

 久しぶりに神社に行くも、いいかなぁと思った。

しかし文無しはさすがに身に堪えるなあ、欲しい物も我慢しなければならないし自由時間も減る。

笑われても、迷信だ言われても構わないのです。

世の中には目に見えぬ不思議な、運とか縁とかがあります逸れはある意味人の生き死にもそうです。

土地にも運があってどんな店も不思議と流行らぬ場所ある、店を持とうとする時資本少ない故に近所の話を聞いたり人の行き来する流れを見たり、自ら勘を働かせねば大損して再起不能となるのです。


第十章、一人忍者修行


 (長五朗師匠は工夫せよと言ってたな、わら地に敷き皮乗せたろ)

 早速試してみたら調子が良く硬い小枝やとげが、刺さらなくなった、また竹に皮を包帯のように膝まで、巻き付けて蛇に足を噛まれても、大丈夫なようにもした。

 手腕には年代物の中古品、手甲を買って取り付け付ける、本当の忍者のようであるが、それはあくまで蝮蛇(マムシ)の対応策だ。

 (これで危険な山道も、楽勝に歩けるな)

忍術科学は常に進歩しなければならない、これで良いと思ったとき進歩は止まるそして古く成る。

自分で考えられぬなら常に新しい物や考え方を外に求めて吸収をする、そう新しもの好きな珍しいもの好きな信長のように、何もかにも自分がではなく他人の力を利用し、借りてでも良いので有る。

「よっしゃ、明日から叉修行だ!」

 文平は駆ける野原や山を、腰にはお茶が入ったひょうたんを、何時もぶら下げている、動くとのどが渇くのだ。

 川に入ってはうなぎや鯉、フナや鮎を取り、水辺で火を興しては食べた。

 池や沼では菱の実を取り炊いて食べた。くりに似て美味しい。

山や川の原で蝮蛇(マムシ)も、自前で作った竹細工で取り、町医者に売って小使いのたしにした。

 山では滝に打たれ、瞑想してあれこれ考える。

 また神社に立ち寄り、立ち木に向かって剣術の稽古もする、自然の中で遊びながら働くのは、少年にとって実に楽しい事である。

 森にはやま桃や柿、栗など自生していておやつにもなった。

 神社の娘にやると大喜びだ、貧しかったが自由で生き生きした毎日であった。

 毎日が冒険探検家気取りで、云わば原始人的な生活を、おくっていたのである。

 (何か忘れている、そうだ忍術だ)

「まず忍者には、火薬が付き物だな」

 ひとり言いいながら、同じところをぐるぐるまたうろうろしている。

「そうだ! いつも探検に行っていたあの岩山の洞窟だ」

 手でよいしょする、文兵衛は思い込めば一直線なところがあるのです。

その 洞窟はひょっとしたら、前方後円墳のような誰かの大昔の墓であったかも知れません。

今は文兵衛の、秘密の隠れ家になっていました、そこに林長五郎師匠から貰った忍術書類を、まとめて隠していましたいずれ処分するつもりでした。

もちろん原本は残っています、それらは控えの書なので御座いました。

文兵衛の来る前に誰か住んでいた気配が、あります妙に生活感があるのです。

明かりにする菜種油が於いていたり、食事用の茶碗や皿があったりしました、油皿に火を灯し見てみると低い机があり、その上にはとても古い本があり逸れを手にとって見る。

(ううんと、義経流忍術書とある珍しい本だな、途中までしか書かれてないがなぁ?)

それから此処に来ては、その古書を読み剣の型や柔らの形を試しては一人で根気よく習得するのだ。

色々狭い洞窟内で試してやってみる、剣術も忍術に近く飛んだり跳ねたりが多いし、文章より絵が多く分かりやすく丁寧に描かれていたのです。

(いったい誰が書いたのだろうかまさか源義経本人が、紀州に来ていたわけ無いだろうがなぁ?)

途中までしか書いて無いので、本物かどうかも疑わしい代物だがまぁ基本が出来てるので、何とか習得出来ましたこの頃義経流は珍しく知る者少ない。

他にも色々書いていました兵法など、逸れを貪るように読むけれど本もいずれ処分するつもりです。

 江戸時代は、主に黒色火薬であり木炭、硫黄、強石(?)を混ぜ合わせて作っていたが、根来忍法書では綿に強化酸(?)をかけて、無煙火薬を作ると書いていました色々試してみようと思います。

 早速探検した洞窟に入って、今度は岩からしたり落ちて動物の骨に穴をあけている液体を採集した。

「これで微塵隠れや、火遁の術も出来るな、おいらは少年忍者だ」

 だけど平和な時代、使う事はなくせいぜい熊よけぐらいだった。

近くで日本狼の、遠吠えがする。

「ウオオ-ン、ウオオン」

「しまった、狼だ!」

日本狼は群れて襲ってくる習性がある。ガサガサガサッ。

一匹が前に、立ちふさがる。

「ウォンッ、ガルルッ!」

丸棒を手に身構える文兵衛。背後にも二匹ほどいるようだ。

突然後ろから、襲ってきたビックリして棒を無作為に振り回す。

「キューンイン」

一匹の狼に当たったようだ。それを合図に一斉に突進してきた。

文兵衛はとっさに、草むらに飛び込むと同時に。

「ドドド、ドン!」

閃光赤く輝き同時に、大きな炸裂音がする。

すると火達磨になった狼が、足を引きずりながらばらばらに逃げて行った

勿論草むらに飛び込んだは変わり身の術で、枯れ木に服着せ中に火薬仕掛けたので本人に怪我はありません、狼は服にしみついた文兵衛の匂いに騙されたようなのです狼をも惑わすとは中々ですね。

「カァ-カァ-カァ-」

三羽のカラスが夕日を浴びて、西の真っ赤に色ずいた空に飛んでいく。 

延方八年(一六八十年)八月二十三日、徳川綱吉が五代将軍についた。

 月日は夢のように過ぎて行く。

 天和元年(一六八一年)神無月(かんなづき十月)文兵衛は十二歳になった。

 身の丈は五尺(約一メートル五十センチ)前髪をたらし、後ろを紐で結わえていた。

この頃白い紀州犬を飼っていて何時も連れて走り廻っていた、自然に運動するので身体もなまらない足腰も鍛えられた。

時折小猿を思い出すもともと動物が好きなのである、この頃山のあちこちでまだ日本狼が、徘徊していて危険であったから、紀州犬は安全にも役立っていた。

 寺子屋はもう卒業していた。挿絵(By みてみん)


第十一章、丁稚奉公へ


 ある日の朝、父親の文旦に部屋に来るようにと呼び出された。

「父上、何でございますか?」

「実はなあ、紀南の大商人である熊野屋は知っているかな?」

「はい昔母上が、お世話になっていたというお店ですね」

 出涸らしの苦い茶を飲む。

「そうだ、ならば分かるだろう」

「はい、家の事情は十分に心得ています」

「では丁稚奉公に、行ってくれるのか」

とうとう、この日がやって来た。

「分かりました! 明日にでも船に乗って、新宮へ出発します」

(少し不満もあった、それは長兵衛が何処へも行ってないからだ)

 文兵衛は湯浅より、船で新宮の熊野屋に行く。

紀州の新宮は徳川頼宣が駿府より転封時に、付け家老として田辺の安藤直次(三万八千八百石)と水野重央が(三万五千石)を与えられ支配せし土地であるが、それはあくまでも紀州藩内である。

 新宮湊近くの熊野屋に着いた。

 熊野屋八右衛文は紀州の材木商で、杉や檜を江戸に出していた。

「えっごめん! 湯浅から奉公に参りました、山本文兵衛です」

「はい、聞いていますよ」

 女将(おかみ)が出て来て奥に案内された。まずは店主に挨拶すると、次に担当する手代が来て、丁稚の仕事について、一からいろいろ教わった。

一年は見習い丁稚で、使い走り店の掃除、風呂炊きなど下働きが主だった不平も云わずに夢中で何でもする、手代の言う事も良く聞き、早く覚えようと努力した。

同じ年頃の丁稚に、言葉の暴力で苛めに遭うがただひたすら耐えました、本当は強いのに逸れを出さずに封印していました。

怪我でもさせ店出なければならなくなるのが、怖かったのです商いを覚えるまではと、いじめにも歯を食いしばって頑張りました。

 紀州の新宮は徳川頼宣が駿府より転封時に、付け家老として田辺の安藤直次(三万八千八百石)と水野重央が(三万五千石)を与えられ支配せし土地であるが、あくまでも紀州藩である。

 新宮湊近くの熊野屋に着いた。

 熊野屋八右衛文は紀州の材木商で、杉や檜を江戸に出していました当時紀州の材木は人気商品です。

「えっごめん! あのう湯浅から奉公に参りました山本文兵衛と言います連絡有りましたか?」

「はい文兵衛さんですね、勿論聞いていますよ」

 女将が出て来て、奥に案内された。まずは店主に挨拶すると、次に担当する手代が来て、丁稚の仕事についていろいろ教わった。

一年は見習い丁稚で、使い走り店の掃除、風呂炊きなど下働きが主だった。不平も云わずに夢中で何でもした。手代の言う事も良く聞き、早く覚えようと努力した。

 熊野屋の使いで、江戸の河村屋瑞賢の屋敷まで行く事があった。

 この頃河村屋は材木商では、江戸一の規模を誇っていた。

「あの御免ください、熊野屋から使いで来ました、山本文兵衛と申します御主人はおられますか?」

「紀州の熊野屋さんですか、どうぞこちらでお待ちくださいませ」

 通うされた部屋は、西洋式の椅子やテエブルがあり、棚にはぎっしり本が置いてあった。ひとりの武士が椅子に座り、難しそうな本を読んでいた、年の頃は二十四歳ぐらいだろう。

「あのう、息子さんですか?」

 文兵衛を、横目で見て言った。

「儂は、新井白石と申します、あなたはどちらさんですか?」

「私は熊野屋の丁稚で、山本文平と申します、お邪魔してます!」

「はあそうですか、まだこの本読みかけでして、また後でね」

「はいこれは、気ずかずに失礼しました」

 陰と陽の出会いでした。新井白石は学者肌の人で、後に元禄バブルをつぶした、用人となります。

「熊野屋さん主人は、今日戻られ無いとの、連絡入りました!」

「あっ私は手紙をお届けしただけで、用事は終わってます、此処に受け取りましたの、ハンコを貰えれば宜しいです」

 早速ハンコを貰って、河村家を後にしたが新井白石は、つれなくあの後から物も言わなかった。

 天和二年(一六八二年)、文月(七月)文兵衛は十三歳になっていた。

「文兵衛ちょっと来ておくれ!」

 大声で、お内儀が呼んでいる。

「へい、何でございますか」


第十二章、娘の三輪


「娘の美輪に傘を、届けてほしいの」

「ええっと北新地の、お花の師匠ですね?」

「そうだよじれったい、早く雨降る前に行きな!」

「へい分かりました、直ぐに行って来ます」

 北新地は町家多く寺院と商店が混在している、水茶屋で若い娘がヤクザに絡まれていた、見るとあれは熊野屋のこいさん(お嬢さん)である。

「キャ! 誰か助けて」 挿絵(By みてみん)

 男に手捕まれ、それを振り解こうと必至である。

「オイそこのおっさんよ、娘さんの手を離しな」

「何だお前は、小僧は引っ込んでろ!」

 ごろつき三人は取り囲み、めいめい懐から匕首を取り出して抜く。

「野郎共、相手は小僧だいてまえ!」

「へい、がってんでさぁ」

 文兵衛は傘で三人の匕首を打ち払い、見る見るうちに得意の合気技で投げ飛ばす。

「くそぉっ痛ってぇ、おのれ覚えてろよっ!」

打ち身の腰をかばいながら、我先にと慌てて逃げて行った。

 (あっしまった、えかっこやり過ぎたかな?)

「どなたか存じませんが、助かりました失礼ですがお名前は?」 挿絵(By みてみん)

 美輪は丁寧に御礼を言った。

 顔上げてよく見ると、その手には見覚えある熊野屋の傘があった。

「(こいさん)お嬢様、迎えに来ました」

「えっ其れではあなた、店の手代さんでしたか?」

「いえ違いますよお嬢さん、私は丁稚の山本文兵衛と言います」 挿絵(By みてみん)

「けれど貴男、十七歳ぐらいに見えますよ!」

「ハイあの私は、まだ十三歳でございます」

「ふうんそうなの……あなたみかけによらず、とてもお強いのですね!」

 じっとりと、汗が吹いて来た。

「若い頃少し鍛えてます、私は文兵衛と言います」

「私十三歳で三輪言います、宜しくね文兵衛さん」

「へい分かりました、何時でも御用事在れば私を呼んでください!」

 先の争いで傘一本折れたので、仕方なく二人して相合い傘で店まで送って行った、それを見ていた店の者が親方にこっそりと告げ口した者がいました。

 翌日、熊野屋は活況であった。

「へい毎度おおきに、此からも宜しく御贔屓に!」

 店内でひときわ、大きな声がする文兵衛である。

「ホウまた元気な、丁稚さんですなぁ」

 年の頃は六十五歳と見える、江戸の商人が振りかえりざま言った。

「御主人、何か御用有りますか」

 番頭が御用聞きにやってきた。

「儂は江戸の河村瑞賢だ、この間注文致した物揃いましかな」

文兵衛は熱い茶と、水を出す。

 番頭は調簿をめくり観ている。

「へい整いまして今船積みしてます、摂津の安治川行きですね」

「そう先の丁稚呼んどくれ!」

 文兵衛はかしこまり前に出る。

「ところで名前は何と云うの?」

「あのう山本文兵衛と言います」

 商人の事は聞いている、憧れの人ゆえ少し声が震えている。

河村瑞賢は三年前に長子政朝を亡くし、文兵衛にその思影を観ていた、可愛いと思ったのだ。

「材木は相場の勉強大事だよ、物は米であれ野菜であれ絶えず値段は変動しているから、逸れを扱う商人は損しないように、常に気をつけ研究しなければならないのだ怠れば破産の憂き目に合うからねぇ」

「いったいどのような、勉強でしょうか」

「世の流れや人の欲する物を察すること、それに需要と供給だな欲しがる者多ければ値段は上がる!」

「値段のように、目に見えぬものを見よですか?」

「人の気持ちかな、皆が知ったら仕舞いかな」

「ご教示ありがとう御座います、ために成ました」

「そうかぁ良かった、江戸に来たら尋ねなさいよ」

「はい、是非にもお尋ね申します!」

 文兵衛は河村瑞賢翁に、深々と頭を下げた。

 (いずれ私も江戸に、行ってみたいなあ)

 此処で文兵衛が憧れる河村瑞賢について、少しばかり語ってみよう。

元和四年(一六一八年)二月伊勢は度会(わたらい)郡東宮村百姓の河村政次の長男として生まれ、幼名は七兵衛と云った。

 寛永七年(一六三0年)十三歳で江戸に出て十右衛門と改名し、土木作業員や車力の仕事をしたが泣かず飛ばずで運は開けなかった。

 寛永十九年(一六四二年)二十五歳頃江戸から、上方へ行こうと決意し逸れをとうとう実行しました。

 ところが東海道を小田原宿で、一人の老翁と会い今までの身の上話をする(おきな)は言いました。

「江戸には武士が集まり、それに諸国の金や銀も集まる。人の気質も派手で金遣いが荒い、大坂は逆に商人多いがケチが多いので有名ですよ」

瑞賢の目を見て笑みを浮かべながら、じっくり諭すように優しく話す。

「江戸で駄目ならと上方へ行ってもねえ、もう一度江戸でやり直してはどうだろう」

名前は言わなかったが、老翁には大商人の風格が有りましたそう年寄りを敬えば得るものが多い。

「これはありがたい! 早速江戸に戻ります」

江戸に戻る途中で、品川まで来ると盆が過ぎたばかりで精霊に供え流された、瓜生や茄子が海に多量に浮いている、また浜辺にも無数に打ち上げられていました。

「よっしやっ、見つけたこれだ!?」

 早速古桶を買い浮浪人に銭をやり、茄子や瓜生を拾い集めて塩漬けにし、土木人足や町人に売って大きな利益を得た。

 それから運が開けて土木人足業や材木商など手を広げ、幕府にも頼られる大実業家となった。

 海運の方にも力を入れて、西回り航路や東回り航路を開発するなど、革新的な偉業を成し遂げた。

成功するには成功者を徹底して研究しその真似をする事が近道であると、武兵衛から教えられていたまた憧れの人に直接話を聞けた事もあり、その夜は興奮してなかなか眠れなかった。

 文兵衛は住み込みの丁稚なので、金は使わないでも何とかやっていけた。

 給与は無いに等しかったがたまに客からの駄賃あり、それをせっせと貯めていた。手代になれば嫁を貰っても、生活出来るほど有るとは聞いている。

「文兵衛ちょっと、新地までお嬢さんを、迎えに行っておくれ」

「へい、お花の師匠ですね」

「そうだよ、ぐずぐずせず早く行きな!」

 女御衆に急かされて店を出る。

 前垂れを外して少し髪を整えるもう後ろに伸ばしていない、上に持ち上げて束ねているが前髪は切ってなくて若衆髪で有る。

身の丈は五尺三寸(一メートル六十センチ)になっていた。当時江戸町人の平均身長は、一メートル五十七センチ前後であった。後ろ姿から観ればもう大人であった。

 出身の湯浅は平家の落ち武者が多く、為に名前を変えてひっそりと暮らしてた。源氏の世だから。

 本当は五十嵐文兵衛だが、山本文兵衛となっている、まあそれはいいとして町人だから、在所より別所文兵衛が正解だと思うが。

 藍染の小袖に、三尺帯の着流し色白で整った顔だちしている。下駄を履き、新宮の街を歩くと年頃の町娘達が振り向き、騒ぐほどの男ぶりであった。

美輪が夢中になるのも当然だったかもしれない。あれから新宮のやくざも道を譲ってくれる、玄関前で半刻(一時間)ほど待った。 挿絵(By みてみん)

「あら文平ごめんね、待った?」

 三輪は髪を丸髷に結い背は五尺二寸(一メートル五十九センチ)であった。目は切れ長にて色白で細身、花柄の着物を羽織ってる、近辺では新宮小町と云われる、美人で評判の娘であった。

「いえ、お嬢さんそれほど待ってませんよ」

「じゃ、近くの茶店で団子でもどうかしら、もちろん私が奢るわ!」

「へいありがとうございます、お言葉に甘えましてごちそうに成ります」 挿絵(By みてみん)

 美輪は、心弾み楽しかった。

 水茶屋に寄り台座に腰掛ける。

「あのう、団子二皿とお茶、ちょうだいね」

聞き取った店員は、復しょうしてさがる。

 隣りの席に素浪人が来て、文兵衛の横に坐ろうとした時、刀の鞘が肩に当たった。

「無礼者、町人の分際で!」

 浪人は妙に殺気だっていました。

「あのうおいら、別に何もしてませんが?」

「なんだとう無無許せぬ、無礼討ちにして呉れる」

 大刀を抜き、逸れを上段に構えた。

 周りの人々は、逸れを見て息を呑む。

「きええい!」

 大刀を思い切り、文兵衛の頭上に打ち下ろす。

「やあっ!」

 皆は斬られたと思ったがその刀を両手を合わせ止めていた、刀を頭上で受け止めたまま、ビクリとも動かない。

 素浪人の足ガタガタ震え、そのまま地面に膝をついた。刀をそのまま取りこみ人居ないか確認、刀を横に放り投げた浪人は刀を拾うと、すたこらと逃げ出した。

とっさに出た技は、これぞ大東流の合気柔術であった、そう忍の術は封印しているのである。

 文兵衛は団子食べ、何事もなかった様茶を飲む。

「では美輪さん、そろそろ帰ろうかの」

「あのお身体は、どうも有りませんか?」

 美輪は店員に、小銭を払った。

 見ていた人は口をあけ唖然としている、この頃特に有名な剣豪はいない、平和な時代だったのだ。

 技は新陰流柳生石舟斎以来、途絶えいた真剣白刃取りの妙技であるが、文兵衛の使った技は、大東流の合気である。技と云うより気合いに近い、電光石火の動きだ。

少し調子のり過ぎたかなっ)

 その日も無難に店まで送った。

 文兵衛は材木商の仕事も、覚えてそろそろ手代にしては、との声が店内から挙がっていた。

 問題は一人娘の美輪である。何かと文兵衛を呼び出し、私用を言い付けて身近に置こうしたのだ。

 文兵衛も後先考えていなかった面も、あったと思うがもう遅い。

 熊野屋八右衛門はこれをよしとせず、文兵衛を呼び出し言った。


第十三章、三輪との別れ北山村へ


「最近熊野川の筏流しの手が、少なくて困っているのだが」

「へえ、それでどうしろと?」

「しばらく北山村まで、行ってくれないか」

「私が行って役に立ちますか?」

「いやいや少しの手助けで良いのじゃ、軽作業で楽な仕事だよ」

「旦那様がたってと云うのなら」

「そうか、明日にもたのむぞ!」

 文兵衛には察しがついていた。

 隣りの部屋で事の成り行きを聞いていた美輪は、泣き崩れた。

(何時か誰もが辿る道、その道先は未だわからねど意気と情熱とがたぎる道、ああ青春我が青春!)

新宮より熊野川沿いの瀞峡街道を、三日掛けて北山村に着いた。

「あのう、このあたりに熊野屋の事務所は?」

「兄さんそんなの、在りませんぜ」

「熊野屋さんはお得意様ですが、ここは北山組だけですよおかしいですね?」

 文兵衛は早速熊野屋からの紹介状を見せる、で納得したようである。

 此処まで来たら仕方ない北山村の事務所にて、仕事の内容を聞き明日に備えた。

「ええい命あったらどこでも生きられる、一人ぐらいまあ何とか成るやろかい!」

と独り言いってみたが胸が張り裂けそうだ、いったい何が悪かったのか、自分はどんな悪い事をしたのだろうかと思いが募る、三輪を思い出すと悲しくて、いとうしくて切なくて心は複雑であった。

人は嫌な事苦しかった事など多かれ少なかれ過去を引きずる、悩みを忘れて断ち切る必要が有ります一時的阿呆になり煩悩を忘れる事も必要なのです。

 飯の種が必要だったまあ気を遣う客仕事より、自然相手の仕事ほうが文兵衛には合っていた。

 仕事は川に木を降ろす時、馬で其処まで材木を運んだり、通り道の雑木を切ったり木材で筏を組んだりもした。

もちろん馬に乗った事がなかったが、仕事に欠かせない為現場の人が親切に教えてくれ、すぐに乗れるようになった。兎に角みんな気は荒いが素朴で優しい人が多かったので本当に助かりました。

肉体労働ではあるが、馬に乗れるようになったのが第一の収穫で有った、この頃は武士であっても馬に乗れる者が、戦国時代より少なかった時代です。

「空気は良いし気持ちいいな」挿絵(By みてみん)

 夏は盛りの葉月(はずき八月)、蝉が鳴いている。今日も休み時間に馬に乗る。

「嗚呼、俺もう十四歳になるなぁ」

 草の上にごろっと寝て、空を観ていた。

 (ブキイ? ガサガサ)音する、突如猪が突進してきた。(ドドドッ)

 文兵衛はとっさに、近くの木の上に跳び上がる(ゴツン)木が大きく揺れる、猪は倒れて動かない。

飯場近くであったので、何事起きたのかと皆が外へ出て来た。

「うわこりゃ、どでかい猪だな!」

 まだかすかに息があった。

「これをお前ひとりで、やったのか?」

「ウウンこの猪がが、勝手に木にぶつかりそのままお陀仏になったさ!」

「ワァ有難てぇ、今夜は猪鍋だぞ」

 猪を飯場に持って行き、その夜は飯場で解体料理した、猪鍋を囲んでどんちゃん騒ぎであった。

 (俺は何をしに熊野屋に行ったのか、北山村で作業員に成る為か)

「オット隣りはよいかな? 儂は北川三次と申す」

年の頃は三十五歳ぐらいで、筏流しのベテラン職人であった。

「へい、どうぞ空いていますよ」

「見ていた昼の身のこなしは見事だった、明日から儂が筏流しを仕込んでやろう!」

「ハイそれは有り難い事でござります、良いのですかそれでは宜しく御願い致します」

 また聞かれるまま、今までの事を詳しく話した。

「大方の事は聞いている、帰るに金がいるだろうから助けてやろう」

「へい、それでは御言葉に甘えます、ご指導の程よろしくお願い致します」

「はっハクション」

「うん? お主花粉症か北山村には特産品のジヤバラという花粉症に良く効く柑橘類あるぞ、割と癖無くてうまいしなぁ!」

この所 山に近く杉花粉がよく飛んでいた。しかし北山村では花粉症の人は意外に少ないのだ。

「へい風邪と思いますが、早速試してみます大した事ないですが!」 

ああ地獄に仏だなと思った。そして翌日から三次の厳しい特訓があった。

 浅瀬で筏流しの竹棹の使い方や身体、足の運びなどを教わる文兵衛は身軽ですぐにコツを覚えた。

この頃は剣術の稽古は全くのお留守になっていましたが、剣術に必要な足腰腕は筏流しによって鍛えられていましたので、やさ男ですが見た目以上に内なる強さがありました。

 筏流しは普通筏を連結して、前と後ろに人が乗って、前後たくみに竿を操って運行する。

「文兵衛上手くなったが、まだ気を抜くな!」

「あのう、何故でしょうか?」

「瀞八丁は景観良い見惚れるとあなどって、手元狂わせて岩にぶち当たるのだ!」

「へい、私はまだ竿差しに精一杯です!」

「少し慣れると事故が特に多くなるでのう、それであの世行きだ儂は何度も見てきた!」

 文兵衛には有り難かった、丁稚の頃と違って給与も有り、帰る資金の目途もついてきた。しかし世の中にはいろいろと、その道の達人が要るものだと感心した。

三次と組み仕事して、なまっていた身体も鍛え直された。それに古式泳法も教えて貰って、難しいとされる流れる川でも、泳げるようになったのは、海の男にとって今後何かと役に立ちそうに、思われるのである。

 そして夏が過ぎ、紅葉鮮やかなりし頃。

「おう文兵衛よ、そろそろだな!」

 ふと相棒の三次が、思い付いたように言う。

「はい、私も近々湯浅に帰ろうかと思っています」

「なら、明日は最後の筏流しにしょうがの!」

「早速明日身の回り片付けて、皆にお礼言います」

想えば長いようで短かった北山村であった。初めなんと不運なことかと嘆いていたが、ここの温かい人々に触れ合いすさんだ心も、次第に癒えていきまた明るかった自分を取り戻せました。

夢中で仕事を覚え身体を動かしているうちに、恋の病も知らぬ間にどこかに飛んでいきました。とてもよい経験になったと思う。

「みなさん長い間お世話になりました、本当にありがとうございます、感謝しています忘れません」

 文兵衛は挨拶した、皆は心よく応対してくれた。

「文兵衛さん元気でなぁ達者でなぁ!」

 翌日熊野川筏流しで、新宮に下る熊野屋に寄るつもりはない。そのまま新宮の河口で船に乗る。

今回の失恋失意の中、遠くはるか湯浅の故郷を懐かしく、思う文兵衛であった。

思うに三次と組み仕事して、なまっていた身体も鍛え直された。それに古式泳法も教えて貰って難しいとされる流れる川でも、泳げるようになったのは、海の男にとって今後何かと役に立ちそうに、思われるのである。人を敬えばまた人は自分を助けて教えて呉れる。

古式泳法の練習の為、北山川を泳いでいると川の底に光っている物があります、何だろうと潜って逸れを拾ってみると、えんどう豆の大きさもある砂金である、その近辺を掘ったらどんどん出てきたとりあえず瓢箪の水筒を割って中に収納した。けれどもどこだったか場所も今は少しおぼろげであった。


第十四章、鯨の浜大地へ


 慌てて乗った船は、太地止まりの荷物船で江戸へ戻ると云う。仕方なく太地で降り、上方行きの廻船を待つことにした。 挿絵(By みてみん)

 湊の近くで水茶屋があった。

「あのうすみません、何か腹の足しになる物は、ありませんですかね?」

 思えば朝から何も食べていなかった、ひもじい顔をしている。

「賄いの茶粥なら有りますが。どういたしますか」

 若い看板娘がにっこりと聞く。

「それと何かおかずは、有りませんでしょうか」

「店は飯屋と違いますが、賄いの鯨の焼肉なら少し残ってますが」

その焼き肉のいい匂いが、辺りに漂っているよけいに空きっ腹にこたえた。

「とにかく、それもらえますか」

 朝から何も口にしていない、冷たい茶粥は紀州の名物、先ず出されたものを掻込んで、腹を満たしてゆっくりと一服していると、隣りの席に老人が腰を掛けた。

「あのもし、どうなすった?」

「へい旦那様、湯浅に行くところが、船が江戸に戻りました」

「うむ、それはお困りでしょう」

「この辺に知り合いも無く、旅籠もないので困っています」

 太地は山に囲まれ、歩いて行けぬ不案内では、迷い危険である。

「儂は太地の鯨方網元で、和田金右衛門と申す者だが、暫く我が屋敷にて次の船を待つが良い」

「はいとても助かります、よろしくお願いします」

深々と頭を下げる、金右衛門は水茶屋の代金を払うと、山手の坂を歩いて行く。 挿絵(By みてみん)

 後について暫くすると、和田家の大きな屋敷が見えて来る、そして指を差して言う。

「あそこの、納屋で休むが良い」

「へい、御厄介に成ります」

 文兵衛は納屋の片隅で寝た。

 明くる日から和田家の、居候として庭の掃除や薪割りなど、懸命に下働きをした。

「文平さん、夕食いかがですか」

 末娘十歳の知佳が、お膳を持って来た。

味噌汁と鯨の肉それに白米懐かしい家庭料理、うまそうな匂いがしている。

「へい、ご馳走に成ります」

「文平さんの好きな鯨の生姜焼きと、冷たいお粥も有りますよ」

(胸キュン、俺って惚れぽいの) 

 腹を満たし外に出空を見た、満天に星が煌めき美しかった。

 浜風が吹いている、身体が冷えるので、納屋に入り本を読む。

 鯨に関する本が多くあった、絵入り巻物もあり良くわかった。

 現物のモリや、刃刺しも置いて有って、素人にも理解しやすかった。

現物を手に取るとなぜか俄か鯨取りに、なったような気がした。

 朝から薪割りをしていると、スッとおもしろいように割れる調子が良い。

「文平さん、昼飯持ってきたよ」

「知佳さん、いつもありがとう」

 後にいた息子の和田直次郎十二歳が、もじもじと近くに来て言った。

「あの文平さん、此処で一緒に食べて良いか?」

「オウどうぞ、横に座りよし」

「友達になって、くれるかのぅ」

「オウ、短い間となるけどな」

「あのう……妹に聞いたのやが、おいらに柔術教えてくれるかのぅ」

「うん、ええよ何時でもきなよ!」

 文兵笑衛はにこり笑う。

「うわ! じぁ明日から頼むで」

 少し食べると嬉しかったのか、小躍りして母屋に帰って行った。

網元の子で友達がいなかった。

 直次郎はあれから、ちょくちょく顔見せるようになった。

「文兵衛さん、柔習いに来たよ」

「よし、関口流の投げ技やるぞ」

 どんどん技掛けて投げる、直次郎は倒れても向かって来た。

「今日はこれぐらいに、しておこうか」

 文兵衛は、身体の汗を拭った。

「へえ、おおきに」

 まんぞくして満面笑顔だ。

「次は鯨の事教えてくれる?」

 鯨漁は四月から九月にかけて休漁だ。その間には鰹漁など小物を取る、今は神無月(かんなづき十月)どなる。

「そろそろ鯨の追い込み漁、出るからその時に見に行こうかな」

「よし、それじゃ楽しみに待ってるで」

「それまで舟用意しとくよ、任しといて」

 妹の知佳が夕食持って来た。 

「今日は三人で仲良く食べようかの、人多いとなぜか旨く感じるからなあ」

丸顔の、愛嬌のある娘である。

 貞享元年(一六八四年)、太地の人口は四千七十一戸で千八百人。

「文兵衛さん今日太地の若い衆総出で、背美鯨を追うらしいぜ」

「うん、観てみたいものだな」

「じゃあ、今から舟出そか」

「そうやのう、遠方からでもみて見るか」

「早よ行こらよ! 文兵衛さん」

「慌てるな銛やアミ、太鼓も積んだか?」

「準備万端抜かりは、御座いません」

直次郎足どり軽く、浜まで駆けて行く。

 文兵衛と直次郎は浜で平舟に乗る。共に半袖の上着で褌姿だ。

 前で文兵衛が銛を握り、後ろでは直次郎が櫓を漕いでいる。

「朝方背美鯨追って行った連中とそろそろ、会うても良いがのう」

「鯨逃がして、後を追うてるんやろかな?」

 銛の先を砥石で尖らす文兵衛。

「そうかなどんくさいな、皆何してるのかな?」

 突然直次郎は漕ぐ手を止める。

「今近くで鯨が潮噴いたで」

「あっ見えた、あれはゴンドウ鯨や!」

「よっし、銛で仕留めたろ」

 文兵衛目を凝らし銛を構えた。

「待ってよう兄貴、今ついたら鯨が暴れてこの平舟沈むよって」

「ちっこい平舟で一艘やし、そうや太鼓叩いて浜辺に追ってみようか!」

「うんそやなあ、やってみる価値はあるかも」

「ほな太鼓叩くで、鯨の頭舟で抑えて浜辺へ誘導して呉れるかの」

「文兵衛さん指示してよう」

(ドンドコドン)思いさま叩く、何ぜかお祭り気分になって爽快だった。

 次第にゴンドウ鯨を、浅瀬の浜へ追う。

 潜水した鯨の動きを示す渦が見えて、周りに泡も立っている。

「兄貴、上がって来るぞぉ!」

 黒い山が盛り上がって来た。平舟は左右に大きく揺れる。筏流しで鍛えた足を踏ん張り、鯨の背に全身の力込めて銛を突き刺す。

 (ドスン)手ごたえがあった。すかさず直次郎も銛を刺した。

「オイ、早いとこアミ被せよ!」

二人は鯨の動き止める為アミを投げ入れる、暫くすると波が収まりポカッと鯨が浮いて来た、そしてかなり浜辺に近づいていた。そして鯨の心臓に銛を突き刺す。

「鯨を捕った、編みに縄付けろ」

 浜辺にいた子供に聞こえたのだろう、手を大きく振っている。

 泳ぎ上手なあまさんが編みに麻の縄付けて、浜の皆に合図した。

「ヨイショ、こらさあ、ドッコイサ」

 女子供が縄を引っぱっる。運動会の綱引きのようだった。

 ようやく上げた鯨は(約六・四メートル)の大物だった。

 小鯨も二頭浜に乗り上げた、速くも大人衆に解体処理された。

鯨方の船団が帰って来た。背美鯨を取り逃がしたらしい。

 変わりにマイルカ十五頭ほど水揚げして、浜は賑やかであった。

 多い少ないは言えない、皆命掛けの仕事と知っているからだ。

 またこの頃の年寄りとは、村の役員で若年寄りは少なかった。

 幕府でも老中、若年寄りは重役で中々に、なれぬ役職であった。

 若年寄り太地覚右衛門(網元)が挨拶に来た。若いが貫録あり筋肉隆々でちょん髷結っている。

「こたびの活躍聞きました、ご苦労様です今どこにお住まいで?」

「和田金右衛門宅で、厄介になっている山本文兵衛という者です」

「そうでしたか、何かお困りの事あれば、私に言って下さいね」

「おおきに、でもそう長くおれません、船くれば湯浅に帰ります」

 丁寧な挨拶にて文兵衛かしこまる、緊張して汗が吹いてきた。

「皆喜んでいました、ではこれにて失礼しますよまずは御礼方々」

文兵衛は殺生した鯨の御霊を祀る祠で、両手を合わせ供養した。

鯨はこの村にとって人々の命を繋ぐ糧であったのだ。牛の命も鯨の命も同じに尊いのである。人々はは命をいただいて生きているのである。

 帰り道で直次郎が走って来た。

「文兵衛さん、沖に樽廻船の天神丸来たよ」

「本当か! これで帰れるなぁ」

「文兵衛さん名残惜しいな、このまま此処にいて呉れたらなぁ」

 和田金右衛門が挨拶に来た。

「儂はな文兵衛さんが、太地に居て貰えると嬉しいのやがなぁ」

「へい湯浅で母が待ってるので」

「まあ無理は言えん、叉来て下され喜んでお迎えしますので」

「へい、有り難く思います」

「ではこれにて失礼します、村の寄り合いに行きますので」

 金右衛門は、役場の方に向う。

 直次郎が手招きして待つ、文兵衛平は舟まで歩いて行った。

「文兵衛さん、手荷物と鯨の肉を積んだよ、ええっとそれと銛もやな」

「直次郎さんそれじゃ船まで、今から送って呉れるかのう?」

直次郎は平舟を漕いでいた。天神丸に着き声を掛けると、水夫が荷物を揚げて無事乗船した。逸れを確認すると船は帆を揚げ出航した。


第十五章、帰り船チャイナ娘と


 直次郎は遠くで懸命に手をふっている、空は青く海は穏やかだ。

 樽廻船は紀州廻船に属し天神丸は千石船で、船長の後藤長十朗は最新の航海技術者であった。

「若い衆、湯浅で降りますか?」

「その先の和歌浦漁港で、降ろしてくれますか」

 初め湯浅と言っていたのが、急に変更したので不思議がる。

「いえ、事情有りましてね」

「いえねぇ、あなたの顔何処かで観たような気がしましてねぇ」

「祖父は明心丸の船長でした」

「あっそれで、その人が私の師匠です腕は良かったのですがねぇ」

「孫の、山本文兵衛と言います」

「それは嬉しい船旅に成る」

「では操船を教えて下さいね」

「何なりと私で良ければ聞いて下さいよ、私も武兵衛さんに教えて貰いましたのでね」

それから船長直伝で最新の航海方法を聞いて覚えた。幼い頃の祖父の教えが蘇って来た。

「あの後藤さん、あの隅で体操してます女の子は誰ですか? 変わった服着てますねぇ」

「あああの子は、一年前海で流されている時、助け出しましたチャイナの娘さんで、行くとこ無いので此処に置いています!」

 観ていると流れるような動きです、その動きに見惚れていますと、気がついたのか此方を見て。

「其処の若者、何あるか?」

「はい、あまりに動きが綺麗なので、つい見とれてしまいました!」

「少し私とカンフーで、私と汗かいてみるか?」

「はい、お手柔らかにお教え、御願いしますよ、何という柔術ですかねぇ?」

「チャイナ(中国)の、太極拳法でアル!」

と言って色々な形を見せて、くれました足を地べたに着けたりヨガのように、捻ったりとカンフーは身体の柔らかさが必要である。

幸い文兵衛はまだ若かったので、その動きについていけましたが、けっこう節々が稽古後に、身が入たのか痛くなりました。

今でも中国で、体操として残ってるのも頷けますねぇ、それに気合いの声も凄まじい、ものがある女であっても耳に響くのだ。

(アチャッ、アタタタタタッ!)

 チャイナ服を着た娘の、柔術とも違った突きや蹴り、逆手取りや巻き手の受け身、流れるような身のこなし文兵衛にとって、それは実に新鮮であった。

幸運にも文兵衛は、本格的武闘派拳法、最後伝承者というべき娘と巡り会ったのだ。

そんな人が、どうゆうわけあって日本に流れ着いたのか、本人は詳しい事は何も言わない(政変からなのか?)またはそれは個人的な事でなのか、文兵衛はまったく聴こうともしなかったが、娘は本能的に思ったのでしょうか、必死になり拳法を教えた。

後の中国拳法にとっては大いなる損失であったろうと思われるのです、その後の太極拳法は体操に近くなりつつも、かろうじて残ったのですから。

 今中国では、太極拳法は朝夕の体操となっているが、この頃までは実戦的武術であったのだが、一子相伝ゆえに途絶えたのであろうか? といってもその頃の中華では無敵の拳法だった故、その拳法の名前と人々の憧れから体操として、残り引き継がれているらしい。(まあ少林寺拳法も、日本にあります。)

文兵衛はその凄さは知るよしもない、チャイナの若い娘とあなどったのか知るよしもない。

今中国では、太極拳法は朝夕の体操となっているが、この頃までは実戦的武術であったが、一子相伝ゆえに途絶えたのであろう。といってもその頃中華では無敵の拳法だった故、またその名前ゆえにか人々の中で体操として引き継がれているらしい。

「文兵衛今日は太極拳法とっておきの、鳳凰真空切りを教えるアルよ! ウリヤアツ」

 気合いもろとも近くに置いていた十寸(三十センチ)の丸棒を、刃物で切ったようにスパッと、真っ二つにした。

「ウワア凄いですね、何も持ってませんよねぇ!」

「かまいたちのように、真空切りしました太極拳の秘伝アルよ!」

「それを教えてくれるの?」挿絵(By みてみん)

「誰しも出来ないけどあなた素質アルよ、アナタまだ若いしコツ掴めばすぐ出来るアルよ!」

手取り足取り、たどたどしい日本語で、身体の経絡秘孔(急所)を指で指し丁寧に教えて貰った。

短い期間であつたが、しみ入る様に覚えた。また小さき頃から鍛えていたので基礎が出来ていた事も早く取得出来た原因である。

教師が美人であったのも、楽しく学べる要因であったのだろう。

  紀州廻船は順調に航行して、串本、白浜、御坊、湯浅を、過ぎて和歌浦湊のふ頭に着いた。

「あの後藤船長ご教授有り難く思います、私は此処で降りたいと思います」

「はいわかりました。で少しはお役に立ちましたかね、それでは文兵衛さんも、元気で達者でのう」

 水夫が荷物降ろすのを、手伝ってくれた。チャイナのクウニャン(中国の若い娘)も、にっこりと笑顔で送ってくれた。


第十六章、和歌浦にて商売


 貞享二年(一六八五年)五代将軍は、徳川綱吉の御代で文兵衛も十六歳になり、見た目にはすでに大人であった。 

 文兵衛の身長も、五尺六寸で(一メ-トル六八センチ)になっていました。

 和歌浦のふ頭から呆然として海を見ていた、頭の中が潮風が吹いてきて、身が寒さの為震えて我に返るのであった。宛てがあって和歌浦に来たのでは無いのです、ただ何となく気の向くままに降りたのである。

 運とか縁というものはそういうところから、始まる事もあるみたいである。

 この年は江戸幕府、初代天文方の(渋川春海)が日本最初の国産暦を作り、大陰太陽暦の貞享暦としてその後七十年間使われた。

 またこの頃には元禄十三年まで水戸黄門で有名な、水戸家二代藩主、徳川光圀が活躍した。

 和歌浦のふ頭から高台に行きふたたび海を眺めている、一人の若い男がいた。ザザザア波が海岸を洗う音がする、男は呟いた。

「何かでかい事やりたいのう」

 一見二十歳とも見え目鼻立ちは整い、色白の文兵衛である。

「さて、知り合いも居ないし、これからどない仕様かの?」

 人生何してもうまくいかない時がある。やることなすことが、裏目に出て、それでやる気がなくなっていくのである。真っ白けで、何も考えられなかったのです。

潮風が吹いてきて、身が寒さの為震えて我に返るのであった。宛てがあって和歌浦に来たのでは無いのです、ただ何となく気の向くままに降りたのである。

 運とか縁というものはそういうところから、始まる事もあるみたいである。

 この年は江戸幕府、初代天文方の(渋川春海)が日本最初の国産暦を作り、大陰太陽暦の貞享暦としてその後七十年間使われた。

 またこの頃には元禄十三年まで水戸黄門で有名な、水戸家二代藩主、徳川光圀が活躍した。

 和歌浦のふ頭から高台に行きふたたび海を眺めている、一人の若い男がいた。ザザザア波が海岸を洗う音がする、男は呟いた。

「何かでかい事やりたいのう」

 一見二十歳とも見え目鼻立ちは整い、色白の文兵衛である。

「さて、知り合いも居ないし、これからどない仕様かの?」

 人生何してもうまくいかない時がある。やることなすことが、裏目に出て、それでやる気がなくなっていくのである。

そんな時下手に動いてどつぼに嵌まる事が多い、かえって何もしないほうが、良い事が多い。

 どんな人にも運期があり、悪い事が重なる事も多々あるが、希望とか目処があれば、苦労も乗り越えられるのですが、この時何も考えられる事も無く、頭の中は真っ白で茫然自失でした。

(今の世で武士でもない、小僧が出世するのは容易な事でない、武芸が少々出来ても何に成るのか?)

勿論懐には一銭もなく、すかんぴんで心細いの何のって金欠ほど苦しいものはないのである。

(金は人を生かしもし、殺しもするてのは本当だなと実感した)

 ただあてどもなく歩いた。ふと何気に顔あげて見ると、近くに玉津島神社が見えた、喉が渇き水を飲もうと立ち寄る。 

 この神社は美人で歌人の、小野小町がよく参詣して、袖を掛けた塀が今も残っていると云う。

 祭神は四神あり、特に衣通姫(そとおりひめ)は和歌の神として、和歌を読む人に崇められている。

じっと文兵衛の目を見ている。

「へい、私の柔術の師匠でございますす」

「あの者本当は紀州藩士で、藤林正武と云う儂の友人でもある」

「では、高松河内神主も武士なのですか?」

 額の汗を手ぬぐいで拭く。

 それには応えずに黙り込む。

「とりあえず片男波に、空き家が一軒ある当分そこに住むか」

「へい宜しく御願いします」

 神社の斜向かいに馬が繋いであり、その馬の後に乗せてもらい半刻(十五分)走ると片男波に着く。

「おお、ここだ着いたぞ」

「あれ、ここは馬小屋では!」

「空き家の半分は馬小屋だ、二頭いる土壁で仕切ってるから、臭く無く男一人なら充分住めるよ」

小屋には茶色と白の馬が二頭いて、大きな目でこちらを見て嘶いた。

「はい元気な馬で、ございますねぇ」

「茶色の馬は駄馬であるが使っても良いぞ、町から遠いと足は必要に成るでな」

 実にへんぴな所に変わった造りの家なので、文兵衛も多少不安になっていた。

また茶色と白の馬が、こちらを見ていななく。

「はい私は、これで充分でございます」

 見渡して見ると、表はあんがい綺麗であった。

「代わりといっちゃ何だが、茶色の馬は駄馬であるが使っても良いぞ、町から遠いと足は必要に成るでなあ」

 実にへんぴな所なので、文兵衛も多少不安になりつつあった。

「ところでお主、馬には乗れるのか?」

「はい北山村で、材木運びに乗ってましたので自信は有ります」

「では問題ないな! 儂は此より用事あるので、後は任せたぞ」

「何から何までほんとに感謝いたします、この御恩忘れません」

 早速荷物を入れて、部屋を片付けた。(何とか住めそうだな)安心して、ごろんと横になると寝た。

 朝起きると早速に馬の世話をする、それで家賃は無料になった。

 部屋を片付け二三日すると、少し落ち着いた。近くに住む若者六兵衛も、最近よく遊びに来るようになった。同じような年らしい。

「ところで馬に乗れるのか?」

「はい北山村で、材木運びに乗ってましたので自信は有ります」

「では問題ないな! 儂は此より用事あるので、後のことは任せたぞ」

「何から何までほんとに感謝いたします、この御恩は決して忘れません」

 早速荷物を入れて、部屋を片付けた。(何とか住めそうだな)安心して、ごろんと横になると寝た。

 朝起きると早速に馬の世話をする、それで家賃は無料になった有り難い事であった。

 部屋を片付け二三日すると、少し落ち着いた。近くに住む若者六兵衛も、最近よく遊びに来るようになった。同じような年らしい。


第十七章、

かよの恋患い、花の紀三井寺


「文兵衛さん! お客さんですよう湯浅から?」

「へえだれかなぁ、まあ上がってもらって?」

「文兵衛元気でいますか、祖母の峰ですよ!」

「あっおばあちゃん、狭いですがどうぞ上座へ」

 少し戸惑った様子であったが、気を取り直し上座に座った。

「で何か御用向きで、御座りましたか?」

何か云おうとしたが、途中でやめた? この暮らし向きを見てやめたみたいだ。

「いえねえ、熊野屋に聞けばとうに辞めましただろ、風の噂をたどって顔見たさに、ついふらふらと来てしまったのさ」

 六兵衛が気を利かし、お茶を出してくれた。

「文兵衛さん、あっしはこれでおいとまします!」

 気を利かして帰って行った。

「それはそうと文兵衛や、今紀三井寺は花盛りで綺麗らしいの!」

「へい! 見事なものやそうですね、馬もあるし明日行ってみますかねぇ」

「きて早々悪いね、なんかねだったように……」 

 ちょうど布団が二組ありそれを出して、積もる話もそこそこに切り上げ寝る事とした。

明くる日に、早速に西国観音霊場第二番札所の紀三井寺に行くことにした。紀三井寺は名草山の上に御堂があるので、麓に馬つなぎそれからは、歩いて石段を登らねばならない。

これが慣れない人には大変でがくがくと足にくる、堪えるが息も切れてくる、文兵衛にとって北山村で、足腰鍛えたおかげか楽なものであった。

 祖母を背中におぶって、千段以上ある石段を、登って行ったら途中踊場で、玉津島神社の一行と出くわした。

「これは高松河内どの、何かお困りですか?」

「いやぁ娘の、かよの下駄の鼻緒が切れまして、難儀してます!」

「それはお困りでしょう、見せてもらえますか直しますよ?」

 下駄を受け取ると、手拭いで手早く鼻緒を付け替え直した。何事も器用にこなすのである。

 かよは、耳たぶを染め下向いたままであった。そして何事もなかったように、祖母をおぶって登りはじめた。 挿絵(By みてみん)

 この日から、かよの恋患いがはじまった。風邪ひきのような、若い娘のかかる病で恋わずらいではつける薬も飲む薬もありません。挿絵(By みてみん)

「お父さん、何なんでしようかねぇ?」

「わしにも、さっぱりわからず」

 そんな毎日が、つづきました。

 祖母も、何か言いたげでしたが用事があると言い、次の日には湯浅に、早々と帰って行きました。

「ごめんください、文兵衛どのは居ますかの?」

「あっこれは高松河内殿、何かご用でしょうか」

「林長五郎どのから、事付かった事があってのう」

「えっ師匠からですか、いったい何でしょう」

「お主の父親文旦は、二年前流行り病で三十八歳で死んだそうだ」

 文兵衛、驚きの表情浮かべる。

「えっそれは、知らなかった本当ですか!」

「長男の山本長兵衛(二十歳)が紀州屋を引き継いで、二代目山本文旦と名乗ってるそうだよ!」

「では別所には戻れませんね、なら私は五十嵐文平と名乗ります」

 (私は何処でも厄介者なのか)

「とりあえず、伝言は伝えたぞ」

 言ってその場を立ち去った。

 祖母が口ごもり言わんとしたことが、これでガでんがいった。

 腹が減ったので鍋を探して茶粥を窯どで炊き、ほした鯨肉を焼いて生姜醤油で食べる、梅干しも入れるなんと旨いのか思った。

文兵衛は今まで働いて貯めた銭も切れ、当分の生活の目処は鯨の肉だけであったが、生活の為の仕事がない、急を要する事態であるので何とかせねばと焦っていた。

 翌朝早くから起きて片男波の浜から和歌浦湊、荒浜と呼ばれる海辺まで歩く、気落ちしているのでとぼとぼと。

 小舟が数隻留まっていて、何やら多くの人が忙しくしていた。

 この頃の魚市場は和歌山城の西側、荒浜の西の店、中の店、湊浜にあった。浜での売買は特別だ。

「あの、漁師さんですか」

「おっと、儂ですかのう若い衆」

「あのう魚売りの仕事を、したいのですが出来ますかねえ?」

「にいさんそれは難しいの」

「市場での売買は株仲間か、元締めの許可が必要なんだよ」

「その元締めの親方さん何処に」

「あの拍子木を、持ってる強面の人がそうだよ」

「あのうもし親方さん、私にも魚を売らせて貰えませんか」

 文兵衛に振り向きじっと見る。

「儂は仲間内では若竹商店の猛蔵と名乗っている。見たところお主は女に好かれそうな顔しているのう今いくつかな?」

「はい十六歳です、占い師に女難の相有りと云われました」

「この商売は女に嫌われたら売れぬ、逆なら少し高くでも売れる」

「ではどうですか、商いの方は」

「よし気に入った! 儂とこの魚を売るが良い小売りだがのう」

「へっご好意有り難く思います」

「おぬし名は何と言ったかね?」

「へい、五十嵐文兵衛と言います」

「そうだな今日は特別に気分が良い、店の屋号は紀文で良かろう!」

「紀文ですか、いい名ですね」

「おい華子、魚の小売したい若者がいる面倒を見てやれや!」

「はい、お父さま分かりました」

 年の頃は十五歳の、勝ち気そうな気さくな娘が手を挙げる。

「華子さん今後ともご指導のほど、よろしく御願いします」

「解りました少し厳しいけど、辛抱してねぇ!」

それから色々教えて貰う、娘は先ほど見たときと違って服も着替え髪も下ろし、骨格体格もがっしりしてさすが魚屋の娘と思った。それから魚の名前や天秤棒の使い方などであるが、てきぱきとして親ににたのか、なかなかどうして顔に似ず手厳しかったので覚えも早かった。 挿絵(By みてみん)

 始めは近場の和歌浦から、高松まで天秤棒を担いで売り歩く。

 (さっぱり売れんなぁ、人集めの工夫が要るな声も枯れるし)

 それで考え、横笛を吹く。

(♪ピーヒャララ、ピーヒャララ♪)

 すると人々が何かと、ぞろぞろ集まって来た。

「そこのベツピンさんどうです」

「あら少し見せて貰おうかしら」

 すぐに桶は空になった。勿論包丁でさばいて料理し易くした。

 すぐに人気者になっていた。

 (もっと儲けるには? そうだ武家に売れば、高く買って呉れる)

考えて馬の背中後ろに桶を四つ縄で、固定したら上手くいった。

「よっしゃ、明日から遠出だ」

 (待てよ武家に売るには許可要るな、神主高松河内に相談しよう)

 早速玉津島神社に行き相談したら、心良く引き受けてくれた。

 一日待つと返事をもらえた。

「どうでした? 高松どの」

「藤林正武どのに聞くと、家老の三浦為隆どのに許可貰ったとの事である」

「藤林どのは林先生ですよね?」

「そうだ、良く御礼を言いなさいよ、これはお城に入る許可証だ」

「はい、お手数おかけしました」

 紀州藩の重臣屋敷地は、お城の三の丸にあった。城の南東の広瀬御門より出入りする為、許可が必要だったのである。

 秋も深まり玉津島神社周りの木々も、色付いて鮮やかだった。

辰の上刻(午前八時)、馬から降りると天秤棒と桶を担ぎ歩く。

「ええっ取れたての魚は要らんかねぇ、鯛に太刀魚も新しいよ」

 城下の加納平次右衛門屋敷に着いた。もう一度大声張り上げた。

 すると屋敷内から女御衆が出て来て手招きをするそのまま台所に入り、注文を取って魚を捌く。

「若い魚屋さん新顔やねえ」

「へい、藤林正武殿の紹介です」

一歳ぐらいの男の子を抱いている。子供はじっと文平を見て笑ってる。

「おう、可愛いお子様ですね」

「ホホ、私の子では有りませんのよ」

「そうですかとても、なついてますね」

「このお子は、藩主光貞公の四男坊で源六君であらせますのよ」

「へぇそうですか、これで下ごしらえ出来ましたでは又宜しく」

 源六君は後の八代将軍徳川吉宗公だが、今は夢にも思わぬ事で藩主とて難しき身の上であった。

 加納家は紀州藩主初代徳川頼宣公よりの直参で、頼宣公より五郎左衛門は三歳年上であったが、貞享元年に亡くなっていたのた。

跡継ぎの加納平次右衛門と、その子加納久通が、源六君の養育に関わっていたと思われる。先程の源六君の乳母は久道が妻である。

 武家屋敷より残りの魚を売り切り、和歌山城広瀬御門より出る。

 和歌山城南から新掘にかけて吹上げ砂丘の峰が続いていて、砂丘の斜面には根上がり松がたくさん見うけられた。

 広瀬御門近くの広瀬は、根上がり松の根下にて、侍女に貰った真桑瓜をかぶりついて食べた。

 この根上がり松は、砂丘の砂地が強風に飛ばされて松根元が、露わになったもので昭和三十四年(一九五九年)までは、八本あったが現在は和歌山大学付属中学グランドに、一本を残すのみとなった。

ちなみに高さは三メートル五十センチある。

 風が松根の間に舞い、涼しかった。馬での移動なので何処でも苦労なく行けた。

 (明日東の店市場休みだが、紀の川でうなぎでも捕って売ろうかな)

 早速日の暮れぬ間に、川に仕掛けた竹編み筒から鰻を捕った。

 片男波に帰ると、窯どに備長炭入れ火を入れる。うなぎを背より開き、醤油たれにつけて焼く香ばしい匂いが周囲に立ち込める。

 侍は腹切って開くを特に嫌う。

 (明日は自前の鰻だ儲けるぞ)

 今日かなり働いたので、疲れたのか気持ちよくぐっすりと寝た。

 明け七つ(午前四時頃)起きて再度鰻を焼き、桶に詰めて馬に載せた。一刻(二時間)はかかった。

 玉津島神社に寄ると、娘のかよが居てお裾分けすると喜んだ。

 文兵衛がお見舞い来ると、かよの病も嘘のように治るのだった。 挿絵(By みてみん)

 両親もわかっていたのか、文兵衛が頻繁に来ても何も文句は言わなかった。

「まあ! 美味しいぞうだわ」挿絵(By みてみん)

 笑顔観てそれだけで満足した。

 その足でまずは、加納家屋敷に行く、広瀬御門横の空き地に馬を繋ぎ、小分けの桶を天秤棒で担いで小売りの商いだ。

「紀文背開き鰻要らんかえ、美味しい焼きたての鰻だよ!」

 加納屋敷に入る前に人がいる。

 周りの奥方連中が待っていたのか、集まって来るのが早かった。

 それで玄関の横で、店開いた。

「紀文さん、よその魚屋さん皆お休みでね、本当に助かりますわ」

「へえ、それが急に決まりましてね」

「噂だとずうっと休みに成ると言ってましたわ? 困ったわね」

 皆聞きいる魚は貴重な蛋白元。

「どうしてと、魚屋に聞きましたら、加太の浦に鮫が出て舟出せないらしいのよ」

 皆困り顔だ、野菜ばかりだと夫のきげんが悪くなるからだ。

「それは、知りませんでしたね」

 鰻は飛ぶように売れ、加納家の分を残し早々と店じまいした。


第十八章、サメ退治


 加納家の門をくぐり、屋敷に入ると見た事のあるしぶい侍が立っていた。

「あなたは藤林正武先生では、ないのですか? 私文兵衛ですよ」

 久しく合うが面影ある、三十歳ぐらいになったかなと思われる。

「おお文兵衛か大きくなったのう、商い終わったら離れ部屋に来てくれ!」

「はい! 分かりました師匠」

 手早く鰻を納め、部屋にと急いだ。

 部屋の前に来たので、頭を下げ腰を落とした。

「失礼します文平参りました」

「おお待っていたぞ、入るが良いぞ」

「で何か? 御用でしょうか?」

 早々と近くに寄る、何か訳ありと感じたのだ、そんな雰囲気がした。

「今の儂は光貞公側室、お由利の方に仕え源六君を守ってる」

「そうですか、それは大変な仕事ですね」

「源六君は光貞公、六十過ぎての子供故ことのほか心配らしい」

「源六君は確か四男坊でしたか」

「しかし一番のお気に入りだろうと思う、光貞公より根来衆も蔭より警護を命じられているのでな」

源六君とは後の新之助(徳川吉宗)のことです。

文兵衛の近くに寄り、き然と言う。

「本題に入る、加太の漁師から藩に鮫退治の要請あって、それを其方に頼みたいと思うが、勿論太地での活躍ぶりを知っての事、是非とも頼まれてくれるかのう?」

文兵衛の目を見て、返事を待つ。

「へい私で良ければ、ひとつやってみましょう!」

 胸いき酔いよく、ポンと叩く。

「それとお主の祖母に、預かって来た刀だ。名は波切丸だと言っていたな」

 手渡され刀は、今は無き武兵衛の形見と、なった脇差しだった。

「師匠有り難く思います、こんな私の為に動いてくださって」

「たまたま覗いて見たんだよ、其れより鮫の事確かに頼んだよ」

「へい明日早速見に行来ます」

 文兵衛は商売道具類片付け、片男波に馬で帰った。

 (当分仕事は、休みになるな) 挿絵(By みてみん)

 文兵衛は紀北の漁師から、情報を聞きまわるすると鮫は加太から離れ、下津の大崎に要るらしい。

和歌浦の浜で、聞き廻っている時玉津島のかよが、鮫退治を聞いたのか、むちゃせぬようにと指切りをせがまれた。

危険な仕事だと、文兵衛の身体をかなり気にしているようだ。

馬で片男波から下津は大崎の湊に着いた冊に馬を繋ぎ、砂浜を歩く、足の裏が太陽照りで熱い。

 波が打ち寄せる一画に、人々が集まり騒がしい。おかみ連中がおいおいと涙ぐんでいた。

「皆さん、どう為されたのです」

「はい、私の亭主が朝から漁に出て帰らず、舟だけは戻りました」

「旦那さん、まだ若いのにねえ」

「舟内血が一面に有り、真っ赤です」

 言うとその場に泣き伏せた。

「あれは多分ヨシキリ鮫でなく、ホオジロ鮫でしょうかね?」

 加太の漁師おもむろに言う。

「加太では舟諸共粉々多かったのですが、今回舟は残ってますね」

「お父うは、一人で漁に出たんよ……」

十二歳と覚しき男の子が言う。

「私が人食い鮫のホオジロ鮫、退治します!」

「おかみさん鮫退治に、この舟使ってもいいですかねぇ?」

「兄さん、仇討ってくれますの」

「何とか仕様と、思ってます」

「是非俺も、連れってくれるか」

 男の子が文平にしがみついた。

「ホオジロ鮫は二匹が対に、なって行動します」

 隣にいた男の子の、親類らしき男が言う。

「よし、逸れなら儂が行こうか」

「兄さん大丈夫ですか? 鮫は十五尺(五メートル)あるらしいよ」

 舟の血を洗い流し、左右横側に直径一尺(約三十センチ)の丸太材木を、三間の長さ(約五メ-トル十センチ)に縄で縛り取り付けた。

 あと鯨銛六本と、鶏三羽と血を入れた瓢箪二本、丸太の切れ端二つ投げ網二枚を積み込んだ。

「さあ、気合い入れて行こか!」

 舟に乗り込み、砂浜から海へ押し込む。舟は砂浜から沖へ滑り出した、青空で浜風が吹いてとても気持ち良かった。

海の狼と恐れられているホオジロ鮫は、この頃夏の終わりから秋にかけて、紀伊水道を回遊してその速度は時速四十キロメートル。

 三角形の歯は内に向けて生えていて、噛まれると逃げられないノコギリのような歯であるし、噛む力は三百キロで一度に百八十キログラム近く食べる。

 また血の匂いに敏感であり暗闇でも目がきく、何にでも噛み付く習性が有り獰猛である。

(普通大きいのは体長四メートル五百ぐらい重量は二千三百キログラムで、長寿で七十年ほど生きる)

 天敵はシャチで、ホオジロ鮫より泳ぐ速度は早く、群れて行動するので鮫も殺られる事が多い。

シャチの方は頭良いのか、めったに人は襲わないが、鮫や鯨はたまに集団に襲われる事もある。

 下津の沖で文平は、瓢箪に入れた鶏の血を、平舟の左右に撒く更に鶏二羽も、波間に浮かべた。

「鮫が近くにいれば来るだろうさ、気長に後半刻(一時間)ほど待って、様子見でもするかのう」

「ううん来ますかねぇ、ホオジロ鮫は?」

 相棒も櫓を止める、舟はしばし波任せとなる半刻(一時間)ほどたつと、舟の揺れで心地よい眠気が出てくる。

「あのう……ちっと文兵衛さん、糸に取り付けた鶏がなくなってますよ」

「えっ二羽ともか? ホオジロ鮫が来たのかな?」

 (ドドン!)左右の丸太が響く。

「文平さん! ききっ来ましたよ、二匹です」

「オイ腰を屈めて、そうだ海に落ちるな!」

「へい、ガツテン分かりやした」

 文平は銛を右手に身構えると周辺に目を凝らす、二匹の黒い背びれがこちらに向かって来る。

「わあっ、でかいホオジロ鮫だ!」

鮫は大きな口を開けて、飛び上がり文平は煽られよろけるが、足を踏ん張ってこらえた。二匹とも六メートルほどあり体重は一匹で五百三十三貫(二トン)あるだろう。

「二匹いっぺんに来ると、やられるぞう!」

「」相棒は舟底で震えて何も出来ない、残りの鶏を海へ投げ入れる。

 それを追って一匹が舟から離れたがもう一匹がいる、ここぞと飛び上がってその背びれへ、思い切り銛を付き入れる、真っ赤な血が海面に飛び散る。

「うおっ! 先ずは一匹仕留めたぞぉ」

 銛先は刺さると取り付け棒から抜ける、後部横に縄通穴有り縄には、丸太の切れ端を固定した。

 (あと残りは一匹だなぁ)

 狂ったように舟に体当たりして来る、文平は筏流しで鍛えて足腰は強い、背びれの前に銛を差す。

 (ドスン)鈍い音赤い血が飛ぶ。

「文兵衛さん、やりましたね」

「まだだ! 先ずは鮫が弱るのを待とう……」

暴れながらも浮き上がって来た時、網を左右の鮫に絡ませた。

 網の中で暴れる二匹の鮫に、留めの銛を思い切り射し込む。身体を震わせ痙攣すると静になった。

「これで一巻の終わりだなぁ」

「びびりました、漏らしたかな」

「網を舟に固定して、帰ろうか」

 舟は下津は大崎の浜に帰る。海上は夕陽で、赤く染まっていた。

 大崎の浜で漁民総出で待っていた。顔観て安心し笑顔になった。

「文平さんおおきによう」

「危なかったけど何とかなったよう! ご心配おかけしました」

 三つぐらいの子が、握り飯を持って来た。塩効きうまかった。 挿絵(By みてみん)

 砂浜を歩くと、見慣れぬが船打ち揚がっている西洋の難破船だ。

 (来た時夢中で気付かんかった)

 繋いでいた馬に乗って、下津から片男波に帰ると、疲れからか文兵衛は部屋で横になると、泥のように寝た。


第十九章、紀伊国屋文左衛門と名乗る。


「おおい文平どの! おられるか?」

 戸を叩き呼ぶ声がする、辰の上刻(午前八時)だ。

「これは、高松河内神主何か」

「鮫退治聞きましたぞ、それで藩主が昼に褒美を下さるそうだ」 挿絵(By みてみん)

 侍姿の裃を、目前に差し出す。

「失礼なき様にこれを着て和歌山城へ、行きましょう案内します」 挿絵(By みてみん)

「分かりました、用意します」

 二人は昼前に、和歌山城正門入りすぐの広場に着く天気はよし。

 (ドンドンドン、ドンドコドン)

お城の陣中大太鼓が、町なかに鳴り響いた。

「此より藩主光貞公が直々の表賞式なり、山本文兵衛御前に出ませい!」

 文兵衛は御前に、かしこまって出た。

「そのほう藩命の鮫退治、大義であるよって金千両及び、武士の名を摂らす文平改め文左衛門なり」

 光貞公より感謝状を受ける。

「このたびの働き見事である。わしは紀州藩関口流指南役の佐々木利平より、聞き及んでいるが、そのほうは関口流の、かなりの使いてで有るとなっ?」

「はい佐々木利平師範より、幼きころ手ほどきを受けました!」

「ならこの場で、御前試合してその成果を、見せてもらえぬか?」

 嫌もおも無く、試合の場が設けられた一同が皆注目する。とても断れなくなって承諾する。相手は柳生新陰流の遣い手、後藤兵介という者で指南役を狙っている。二人は木刀を持って対峙した。

剣術は間合いと空間が、大事だと聞かされていた、正確な間合いを把握する事でかわす事も、攻撃に利用する事も出来るのだ。 挿絵(By みてみん)

 文左衛門は一気に間合いを詰めると、相手は上段から打ち据えてきたが、中段に構え相手の出方の様子見する。 挿絵(By みてみん)

そして身体を移動しそのまま付きを入れ、胸をえぐると相手は後ろに転倒した。

「勝負あった! それまで。 挿絵(By みてみん)

 審判が、止めに入った。

「お見事で御座る、どうもこのめでたき時に無理を頼んだ! これにてお開きにいたしたい」

城主の徳川光貞公より、お言葉を賜った。

「文左衛門どの、誠にご苦労であったのう!」

 ドンドコ再び太鼓の音の後、折り詰めと酒を賜り和歌山城を後にする。この件で紀ノ国屋文左衛門という名前が、紀州内にて一気に広がった。

此処でお断りしておきたい、柳生新陰流といえば名門中の名門であるが、残念だが関口流は紀州藩の者しか知らない流派であった。それは流派のその時の運であって、けっして劣っているではないのである、たまたまそのとき天才がいたかの、問題であろうと思われるのであります。しかし勝負事はきびしくこれより天下に聞こえし、柳生新陰流も大一線より退きました。宮本武蔵の流れを引き継ぐ関口流が、かってのいっしを報いた形となりました。

帰り加納家に寄り藤林正武どのに礼を述べ、裃を返し酒と折詰めを心付けに進呈した。

「で何も、要求せなんだのか?」

「本当は下津の難破船の修理許可と、その船を賜りたいのですが」

「藩に要請しておく、お主は既に源六君の家来に等しいのだよ」

「私は商人の方が、合ってます」

「ハハそれで良いのだよ、それと武士の名を貰ったそうだね、文左衛門と?」

「はい屋号が紀文ですので、此からは紀伊国屋文左衛門と、名乗ります!」

 部屋にお方様が、入って来た。挿絵(By みてみん)

「これはお由利の方様、へへい」

 藤林正武がその場にて、手を付き頭を下げると平伏をした。 挿絵(By みてみん)

「そちが鮫を退治した文左衛門どのか、若いのに強かなる者だ、私には近しい者が少ないよって、わが子源六をよろしく頼みますぞ」

常々お由利の方は、お城の二ノ丸で住んでいるが乳母が加納久通の奥方なので、乳離れした源六君を連れてたまに加納家に遊びに来るらしい。

「城勤めは無いのですね?」

「勿論です影となり助けてくれれば、それでいいのですよ」

「何ほどの事も出来ませぬが、私にできること成れば何なりと」

「ああ嬉しや! 頼みましたよ」

 言うと軽く会釈し部屋を出て行く嵐のようなお方様だ、しかしその身のこなしは鋭く忍者のようであった。文左には解るのだ。

「これでお主も万々歳である、お由利の方の力添えも有るからの」

「総て藤林様の、おかげでございます」

 文左は頭を下げ部屋を出た待っていた高松河内に、千両預けて片男波に帰り茶粥を食べて寝た。

 明くる朝仕事に出る、段取りしていたら見かけぬ者が来た。


第二十章、難破船の修理


「あのう、紀伊国屋文左衛門さんですか?」

「そうだが、どちらさんです」

「私お手紙貰いまして、白浜の安宅から来た船大工ですが」

 文左衛門に、深く礼をする。

「おお待っていました、船は下津港の大崎に打ち上げています」

「此処に来る途中にそれとなく観て来ました、南蛮はスペイン国のガレオン船でしたよ!」

「詳しいのですね? それは心配無いですよ、日本は鎖国でスペインとは国交ないので大丈夫です」

 大工はおもむろに手帳観た。

「治りますかぼろ船ですが?」

「ええ西洋船は頑丈ですし、船底の穴を治せば済みますよ」 挿絵(By みてみん)

「藩の許可下りたら? お願いしようと思っています」

文左衛門は笑顔で言った。

「藩からお達し有り来ました」

「へえ早いですねえ、和船仕立てに治して欲しいのですが」

「それは出来ますよ、我が国の安宅船形式に成りますがね」

 大工は面図を見せで説明する。

「文左衛門さん、あんたどえらい船見つけましたねぇ、この船は世界中股にかけてる船で、龍骨張り巡らして、今日本では有りませんやろ、弁財船では二千石有りますやろ、で細かいところは任せて貰えますか?」

「はい、祖父武兵衛より聞いてますので」

「外国材は無いので、日本の木材で代用してもよろしいですね?」

「それで結構です、宜しくお願いします」

「了解得たので今日より修理します、なお要望有れば現場にて賜ります」

 大工は要件述べると、さっさとその場からいなくなった。

 文左は鰻を積んで街に出る、途中玉津島神社に寄り鰻をお裾分けする、巫女かよが待っていた。

「文左衛門さん毎度すみません」

この笑顔に弱かったのだ。

この日は鮫退治の効果で繁盛する、噂を聞いた娘らは、文左衛門の顔を一目見ようと集まる、歌舞伎の人気者弁天小僧菊之助のような、端正な顔に若い娘らは萌えるのだ。

 年明け貞享三年(一六八六年)睦月(むつき一月)文左衛門は満十六歳。

 元禄時代まで後二年である。一月五日に魚市場は、三本締めして大発会し初仕事が始まった。

 心引き締め良い年にと祈る。魚が多いせいか市場の周辺はねこが多くねこだらけであったが、人々は招きねこと可愛いがっていた。 挿絵(By みてみん)

 毎日が忙しく朝は魚市場、くれ六つ(午後六時)まで棒振り仕事して、帰りに下津港は大崎で、船の修理を見る日課になっていた。

「どうです? 傷の程度は」

「はい、大丈夫ですよ傷は浅いです、ただガレオン船は帆柱三本有りまして大小二本にしますよ!」

「一本は折れてましたしねぇ」

よく観ていると驚く大工。

「あと船上に縄がどっさり有りまして、今逸れを撤去してます西洋の船は竜骨があって、とにかく頑丈に作られています」

「少人数で操船出来るよう、改造をお願いします」

 そう文左衛門は大工に言った。

「この間役人が来まして、船の大砲十門持って行きましたよ」

「商船だから仕方ないですね、それではまた来ますので宜しく」

 心強い返事に紀文は満足した。

 日も暮れて来たので片男波まで馬を走らせ帰る、途中紀ノ川で鰻の入る竹あみ筒籠も揚げた。

家も手狭になって来たので、高松河内に頼んでいた、少し広い和歌浦南の屋敷に引っ越した。

 (紀文)の看板掲げ従業員も五人増やして総勢六人となる、いよいよ魚屋から回船業に進出だ。

「よっしゃ、やったるでえ!」

 その時心から出た叫びだった。

 (紀文)は魚市場の仲間株を手に入れ、仲買いから侍屋敷への小売りまで手堅く商いをした。

 (船修理したら水夫いるなあ、人が足らん回船業務に戻るからな)

 毎日夕方に文左は、下津大崎に通っては、船の修理状況を観ていた。  挿絵(By みてみん)

勿論忍者の鍛錬は朝早く起きて、人知れず欠かさずしている。またかよ(加代かも知れないが、紀三井寺ではかよとなっているので……)も下津までかよって来るので、助かる。 挿絵(By みてみん) 

一人身なので何かと忙しく、この頃は弁当屋も無いし、ご飯も自分で炊かないと食べられなくて、いつも冷や飯を食ていた。 挿絵(By みてみん)

船底の穴は塞がれ下津を流れる加茂川の河口に浮かべて、上部を和船仕立てに改装していた。

 下津は海南にあり、有田の箕島はほんに目と鼻先である。 挿絵(By みてみん)

最近はかよが下津まで友達を連れて来て、何かと助けてくれるので店も回転しているのであるが、それは心から感謝している。 挿絵(By みてみん)

「紀伊国屋さん、大分出来ましたよ、それで船名は考えてますか」

「うん凡天丸にしようと、思っています」

「伊達政宗の幼名に似てますね」

「梵天丸、凡が違いますがね」

「水に浮かべると、意外に小さく見えますね」

「中はかなり広いですよ! 日本船の基準にすると二千石船ですかね」

「ふうんそうですか、こうして毎日治るのを観てると楽しいすね!」

「藩に船名を申請して下さいね」

「はい屋号と船名を、早速に登録しますよ」

 (屋号は紀伊国屋、そして船の名は凡天丸と決まりだなぁ) 挿絵(By みてみん)

 江戸幕府は鎖国により(一六三五年)大型船製造の禁止をした。




何か後書きを書くと途中で終わったような感じ受けますが前編です、なお本作品はまだまだ後編へと続きますので後編も引き続きどうぞよろしく。

作品をお読みくださっている皆さん誠にありがとう御座います。 人の運とは幸せとは何か人生とは何か、それぞれを考える機会となればよいですね出会いそれは自分の一生に関わる事もあります、良い人良い本に巡り会いたいですね。

前編の後半部分で表示出来ない、カット絵が在りそれを消そうとしたが駄目でした。お見苦しくなってしまいました事、皆様どうもすみませんでした。

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