ゴブリン軍との戦い
城壁の上に、ファアル国軍指揮官が立っている。
ゴブリン軍は城壁から少し離れて街を囲うように、矢の届かない距離で待機していた。
街への侵略にむけゴブリン軍が着々と準備しているのを、ファアルは見下ろしていることしかできなかった。
「生き残った自由戦士と国軍兵士は、街へ避難できたようじゃな」
ネンネコ副指揮官が息を切らせて到着したところ、ファウル国軍指揮官が声をかけた。
「まさか、自由戦士隊を救助しに行くとは思いませんでした」
ネンネコはまだ息が整わない。
「最後のときくらい、国軍と自由戦士隊が一緒に戦おうじゃないか。しかし、3分の2が戦死して手遅れじゃった」
「いえ、立派な判断だと思います」
「ところでネンネコくん」
ファアルが柔らかな顔になった。
「我が国軍が森へ自由戦士を助けに出たとき、街にいる自由戦士も何人か付いて行ったのじゃよ。その中にスゴ腕の剣士がいたみたいでね。誰だか聞いたことはないかね?」
「はぁ。スゴ腕の剣士といいますと・・・・・・自由戦士にそこまで腕の立つ剣士はいないかと思いますが。まさか・・・・・・」
「ほう。心当たりあるのかね」
「いえ・・・・・・」
「城門を閉じるから早く引き下がるようにと兵士が叫んでも、彼はゴブリンを殺しまくってたそうじゃ。それに、殺した大量のゴブリンの数を覚えておってのう。帰ってくるなり自由戦士組合に行って、殺した分の報酬を要求したそうじゃ、ハハハ」
「・・・・・・はぁ。いかにも彼らしいですね」
「やはり知っておるのか。街も滅びるというのに今さら何に金を使うのかと、兵士がたずねたそうじゃ」
「お酒ですか?」
「いや。剣を買いたいと言ったんじゃ。ゴブリンを何体も斬ったせいで、刃こぼれがひどかったそうじゃ。そこで兵士が武器屋に連れて行ったんじゃな。金がどうのという状況じゃないのでな、腕が立つ者には一番いい武器を与えなければならん。しかし武器屋には何一つ武器がなかった」
「はい。市民に武器を与えるよう、わたしが指示をしました」
「うむ。それも当然じゃ。この街が戦場になるのだからのう。そこでがっかりした兵士がせめて自分の剣でも使うようにとその自由戦士に渡そうとしたところ、武器屋の主人が持っておったのじゃ」
「剣をですか?」
「一番高価な剣じゃ。丈夫さと斬れ味の両方を兼ね備えておる。兵士があまりにもその自由戦士をたたえるもんで、主人が隠し持ってた剣を彼にゆずったんじゃな。その自由戦士は律義にも金を払ったんじゃ。もちろん全然足りなかったがな。彼の名前は何という?」
「はぁ。わたしの思っている人物であれば、ヒースガルトンという名です。一週間前に来たばかりの者です。剣の腕はあるようですが、集団行動を好まずいつも単独で動いています」
「さすがネンネコくん、情報網が広い」
「いいえ、偶然に知ったのです」
「しかし彼は、なかなか扱いが難しそうじゃの」
「はい。加えて、常識をあまり知りません。でもそれは彼の責任ではなく、育った環境によるものでしょう。彼自身は悪い人間には見えませんから」
と、そこへひとりの兵士が走ってきた。
「ファアル指揮官、ネンネコ副指揮官、動きがありました! 敵の大将が見えたという報告です!」
ネンネコ副指揮官に扮する見習い女神は、城壁のヘリに近づいて敵軍を見下ろした。
ゴブリン軍に静かな動きがある。
しかし、ここからは敵の大将が確認できない。
「ネンネコくん」
ファアル国軍指揮官も身を乗り出して、敵軍の動きを見つめている。
「ゴブリン軍を指揮しているのは悪魔だという話だったが、わしはまだ悪魔というものを見たことがない。いったいどういう姿をしておるのかのう」
「今から姿を現すかもしれません」
見習い女神が言うように、ゴブリン数十体が盾を構えて誰かを守るように出てきた。
ゴブリンの後ろから、ひときわ背の高い者が歩いて出てくる。それは人間が身に着けるような服を着ており、まさに人間と同じ外見をしているのだ。
「ほう。彼が悪魔ですか。人間と何ら変わりはないのう。彼は何をしようとしているんじゃ?」
「交渉するつもりはないと思います。ただ、わたしたちに向けて何か発言するかもしれません。なにしろ悪魔ですから。街を侵略する前に自分の力を誇示したい欲求があるのでしょう」
悪魔は神樹のところに来ると、声を響かせた。
「天から降りてきた者よ、わたしを見ていますかね」
その声は大きくないものの不思議と響き、城壁の上にいる者の耳にはよく聞こえた。
見習い女神は悪魔が自分に対して言っているとわかり、その者を凝視している。
街で見かけたことがある顔だと、女神は思った。
人間と何ら変わらぬ姿なのだから、街にいても悪魔だとわかりようはない。
実際、悪魔は天からの使いを探すために街に潜入したのであったが、結局見つけられずビラだけまいて街を出たのである。
「街を救うため、わざわざ天から地に降りて来たのに残念な結果になりそうですね。いえ、すでに勝負はつきました。そのことを天から来たあなたも承知していらっしゃるでしょう。この勝負、わたしの勝ちです。ところで、最後にいいものを見せてあげましょう」
悪魔は手を振った。
するとゴブリンが三体、神樹に近づいたかと思うと、いきなり斧をかかげた。
そして神樹は、すさまじく振り下ろされる斧によって根元をえぐられたのだ。
その神樹は、見習い女神が天国から地に降りるためにつたったものであり、もしその神樹が切り落とされれば、二度と天国には帰れなくなるのである。
見習い女神は神樹が斧によって何度もえぐられるのを、じっと見つめていた。
そのひと振りひと振りが、まるで自分の体を斬られるかのごとく感じていた。
そして神樹がゆっくりと傾くと、大きな音を立てて地に倒れたのだった。
悪魔がずっとこれを狙っていたことを、見習い女神は理解した。
見習い女神に絶望を与えるために、以前から計画していたことだ。いかにも悪魔がやりそうなことだった。
しかし見習い女神は、悪魔が期待していたほど絶望はしていなかった。なぜなら見習い女神はすでに天国へ帰るのをあきらめており、街の人々と一緒にこの地で死ぬことを覚悟していたからだ。
神樹が倒れるの合図に、数十台もの台車が森の中から現れた。
神樹の横に整然と台車が並べられると、数百体ものゴブリンの大群は一斉に神樹を担ぎ、台車の上に乗せたのだ。
ファアル国軍指揮官は、ここで敵の狙いがわかり声を上げた。
「やつらは城門を破ってくるぞ! 矢の距離に入ったら、まず台車を押すゴブリンを射るのじゃ! 台車を勢い付かせるでないぞ!」
城壁の上で見張っていたターバットも、城門の内側で待機している自由戦士に向けて、自慢の声を張り上げた。
「門の真正面でなく、脇で待機しろ! 城門は打ち破られるものと思え! 台車の下敷きになるぞ!」
ゴブリン軍は神樹を台車の上に積み終え、城門目がけて突っ込む体制が整った。
悪魔がおもむろに右手を上げると、「ブォォォオオン!」とほら貝が鳴った。
そして、ゴブリン軍の雄たけびが響いたのだ。
見習い女神の目には、悪魔の勝利を確信した表情が映っていた。
すべてが失敗に終わったと思った、そのとき。
「ドワァァァァァッ!」
と、ゴブリンの雄たけびをもかき消すような、とんでもない声が響きわたったのだ。
その声に驚き、ゴブリン軍は固まった。
静けさが支配した。
女神も何が起きたのか分からず、ただ悪魔を見ていた。
すると、悪魔の首が胴体から離れたのだ。
女神だけでなく、ファアルも、ターバットも、城壁の上にいる多くの兵士がそれを見た。
コロコロと地面を転がる悪魔の頭。
ゆっくりと前に倒れる悪魔の胴体。
そして倒れた胴体の後ろから現れた、剣を構える男の姿。
城壁の上から見ていた兵士は、何事が起きたのか、まるでわからずにいた。
それ以上にゴブリン軍は、大きな声と、指揮官である悪魔の倒れた姿が飲み込めず、固まっていたのである。
「彼です」
見習い女神は震える唇のまま、やっと言葉を発した。
「ファアル指揮官、彼です。ヒースガルトンです」
ファアルはその男の姿を見つめていた。
「ドワァァァァァッ!」
正気を取り戻して襲ってくるゴブリンに対し、ヒースガルトンはもう一度大声を出す。
敵は一瞬たじろぐものの、二度目は覚悟をしておりそれほど威力がない。すぐさま体制を整えて、襲ってくるのであった。
しかしヒースガルトンの方もそれを読んでいて、ゴブリンが気付いたときにはすでに姿を消していたのだ。
彼は神樹の下を流れる水路に飛び込み、下水道に入ると柵の内側からカギをかけたのだ。そう。来たときと逆に。
あとは、下水道をさかのぼって街へと戻るだけだ。
「敵の大将は死んだ! 城門を開け! あの勇者を救うのじゃ!」
ヒースガルトンが安全な下水道に避難したにもわからず、ファアルは兵士に命令した。
城壁の上から見ていた兵士は、たった一人でゴブリン軍に挑んだ自由戦士の姿に心を動かされていた。
ファアル国軍指揮官の命令を待つまでもなく、弓兵以外の兵士は城壁から降り、城門が開くのを待っていたのだ。
城門を破るために台車に神樹を乗せたにもかかわらず、国軍が自ら城門を開けたものだから、ゴブリンはとまどっていた。
ついにゴブリン軍との戦いが始まったのだ。
国軍兵士は、死を恐れることなくゴブリン軍に襲いかかる。ヒースガルトンの姿は、彼らの心にとてつもない勇気を植え付けたのだ。
一方ゴブリン軍は、軍を指揮していた悪魔が倒れたものだから、動揺が広がっていた。各自が思い思いに行動しているので、統制がとれていない状態だ。
ファアルは城壁の上から命令を下し、ターバットは声を張り上げてゴブリンを何体も倒した。二人ともヒースガルトンの姿を探していたが、見つけることはできずにいた。
そのときヒースガルトンは、下水道をたどって街に戻っていた。
城でネンネコ副指揮官に、単独行動の欠点を指摘されたことが頭にこびりついていた。
見習い女神は傷つけないよう言ったつもりだが、ヒースガルトンを叩きのめすには十分だったのだ。
いつでも自分の命を優先し、心に重圧をかけず、まわりに流されず、揺るがない価値観を持って、自分なりに賢くヒースガルトンは生きてきたつもりだ。
しかし、他人と一緒に行動することから逃げているだけだと、ネンネコ副指揮官に気付かされてしまったのだ。
ヒースガルトンはヤケ酒を飲み、自暴自棄になりながら自由戦士隊の救助に参加したのだ。自分の命もかえりみず、ゴブリンを殺しまくった。それは、自分自身を殺しているかのように感じた。
国軍兵士に無理矢理引き戻されるように街に戻り、城門が閉ざされたあと、物足りずに下水道施設にかけこむと、下水道を通って神樹の下に出たのであった。
下水道から水路に出る鍵を開けて神樹の下に出ると、とりあえず目についた偉そうな奴の首を斬った。
しかし、それがゴブリン軍の大将である悪魔だとは、実は今もヒースガルトンは気付いていないのだ。
「酒が足りないな」
ヒースガルトンは、酒場へ急ぐ。
ゴブリンとの戦争が城壁のすぐ外で起こり、街の警備兵はおらず、治安は悪化している状況である。
よって酒場は、ならず者どもに荒らされていたのだ。
酒場の主人は、酒が略奪されるのを必死に抵抗していた。
ヒースガルトンはそんな主人に声をかけ、略奪連中をやっつける代わりに、ビールをおごってもらう約束をとりつけた。
この主人、ヒースガルトンを悪い意味で目を付けていたせいで、このときも何かの企みではないかと疑っていたのだ。
ケンカが始まるも、ヒースガルトンと略奪連中の力の差は明らかだった。
剣を抜かずとも、ヒースガルトンは略奪している連中を蹴りで骨折させ、拳で失神させた。
あっという間の出来事だったので主人の目には芝居のように見え、やはり連中とグルだったのだと納得したのだった。
酒場の主人はヒースガルトンに、ならず者を縄でしばるようにお願いすると、お礼にとびきり強い酒を混ぜたビールを差し出した。
「いくらでも飲んでください」
その言葉に甘えて彼はグイグイと飲んだが、あっという間に酔いが回り、床に倒れてイビキをかきだしたのだ。
そして主人は、剣を取り上げたあと、ヒースガルトンを縄できつくしばったのだった。
その頃、国軍と自由戦士隊はゴブリン軍と戦っていた。
戦うにつれて、恐怖にとらわれ逃げ出すゴブリンが多くなった。国軍は逃げたゴブリンを追わなかった。ゴブリンの数は徐々に減っていった。
そしてついに、国軍も自由戦士隊も多くの犠牲を出しながら、ついにはゴブリン軍を追い払うことに成功したのだ。
見習い女神はそのことが全く信じられず、城壁の上からひたすら神様に祈りを捧げているばかりであった。