見習い女神は落ち込む
翌朝。女神は自由戦士組合で働いていた。
女神といっても見習い。
この街が悪魔に狙われているということを知り、人々を救いたい一心で、実践経験もないくせに街を守ることにした。
城門を出たとこにある『神樹』を街の人々は大切にまつっている。
見習い女神は天からそのこといつもうれしく思っていた。
それもあって、街を悪魔から救うために神樹をつたって天から降りてきたのだ。
見習い女神は考える。
悪魔は天からの使者が街に降りてきたことを知っている。
だから、悪魔はいずれ自分の命を狙ってくるはずだ。
午前は自由戦士組合事務長として、ゴブリン軍と戦う自由戦士たちのサポート。
午後は国軍副指揮官として、国軍兵士と役人を管理。
夜は自由戦士の集まる酒場で情報収集を兼ねた憩いの提供。
それぞれ別人物を演じて、半年間がんばってきた。
しかしそのがんばりもむなしく、街は壊滅を迎えるのかと、今はただ呆然としていた。
それというのも朝早く、森の偵察をしている戦士から連絡を受けたのだ。
ゴブリン軍が当初の予想をはるかに超えた勢力であり、いよいよ街へ侵攻する準備が整ったとのことだ。
見習い女神は大きく息を吐き、やはり自分には荷が重すぎたと頭をかかえる。
自分だけの失敗ならいいが、街の人々を死なせることを心の底から詫びた。
見習い女神は、悪魔によって着実に追い詰められていることを身に染みて感じていた。
昨日酒場で大泣きしたことを、見習い女神は思い出した。
三役がばれるとは思いもしなかった。
完璧な変装であるはずなのに、どうやってばれたのだろうか。
そう思うと、やはりヒースガルトンは悪魔の手先なのだろうかと、またもや疑念が頭に浮かぶ。
「いけません、いけません」
見習い女神は頭を横に振る。
信じてあげなくては、と目を閉じて神に祈った。
見習い女神は気を取り直し、自由戦士組合の掲示板に依頼書を貼り終えたところ、五人の自由戦士たちが入ってきた。
「キャット事務長、ゴブリン軍を倒す部隊に入れてください!」
いつもなら壁の依頼書の内容を長々と吟味する連中が、依頼書も見ずに迫るのである。
「えーと、それは助かりますけど・・・・・・前線部隊は危険ですよ。いったどうしたのですか?」
キャット事務長に扮した見習い女神はたずねる。
「ゴブリンどもを指揮している悪魔を、倒そうと思うのです」
酒場でナータンが、ヒースガルトンに言った「悪魔を倒すと結婚する」という言葉は、今や自由戦士中に広まっていたのだ。
「そ、そうですか、わかりました。えーと、本来なら実力者しか前線部隊に入れませんが、今は危機的な状況ですからね。でも、どうか命を無駄にしないでくださいね」
自由戦士たちの目には、勇気がみなぎっている。
こういうことなら、もっと早くナータンとして結婚を見せつけておくべきだったのかと、見習い女神は少しばかり後悔した。
しかしいずれにせよ、ゴブリン軍を指揮する悪魔は倒せそうにない。見習い女神の考えでは、街が滅びる確率は100%であった。
三方を高い崖に囲まれ、城門から伸びるただひとつの道をゴブリン軍に制圧されたとなれば、街の人々の逃げ場所すらない。
残されたのは「死に方」をどうやって迎えるかだけだ。
それを思うと、見習い女神は再び人々に対し申し訳ない気持ちに陥った。しかし必死に涙をこらえ、仕事にとりかかった。
「おはよう、キャット事務長。何か動きはありましたか」
ターバットが自由戦士組合の建物に入ってきた。
「えーと、ターバット隊長」
弱気な表情を隠しきれず、見習い女神は言う。
「あのですね、実は偵察部隊から、非常に重要な知らせがありました」
「ほう、どんな知らせでしょうか」
「あの、言いづらいのですが、ゴブリン軍が森に集まってきているのですけど・・・・・・それが予想以上の数です。しかも今日攻めて来るでしょう」
「大丈夫です。われわれ自由戦士は戦闘の熟練者です。ゴブリンの数が増えようと問題ありません」
ターバットは胸をたたいて言う。
根拠もなく自信を持っているが、いざ戦争となるとそうはいかないだろうと、見習い女神はターバットを見て心配する。
「ところで、キャット事務長は以前」とターバットは、女神と目を合わさず言い始めた。
「悪魔を倒せば、ゴブリン軍の統制は乱れると言ってましたね」
隊長もようやく悪魔退治に興味を持ったのかと、女神は心の中で少しほっとする。しかし、もう手遅れである。
「はい。わたしたちに勝機があるとすれば、悪魔を倒すことです。そうすればゴブリン軍は指揮を失い、統制が乱れるのは確実です」
それでも希望を与えようと、女神は言った。
ゴホン、とターバットは咳をする。
「それならば、悪魔狙いでいきましょう!」
「これを頼む」
とそこに、いつの間に来たのか、ヒースガルトンが二人の会話に割って入り、依頼書をキャット事務長に渡したのだ。
ふいをつかれたものの、見習い女神はヒースガルトンの目を見つめた。
こりもせず、胸を凝視している・・・・・・
その目の色の感じから、豊かな胸を引き締めていることに気づいているかもしれないと見習い女神は思った。
しかし今はそのことではない。
昨日酒場で別れるとき、三役をやっていることを他の人に言わないようにと念を押したが、どうやらそれは守っているように見えた。
そもそも、ヒースガルトンに話し相手はいないだろうとは思ってはいたが。
見習い女神は胸を腕で防御し改めて依頼書を見ると、それは貴族屋敷の便所詰まりである。
こんな非常事態のときに自分でもわからないまま、この依頼書を貼っていたのかと、見習い女神は改めて自分が動揺していることを知ったのである。
「えーとあの。ゴブリン軍が今日にも街に攻めてきますよ。この依頼書を貼ったわたしが言うのもおかしいのですが、ゴブリン軍と戦った方が」
「断る」と、見習い女神が最後まで言わないうちにヒースガルトンは言う。
「えーと、えーと」戸惑う見習い女神は、ヒースガルトンのマイペースっぷりに半ばあきれつつ、「はあ。仕方ありませんね」とサインをし、依頼書をヒースガルトンに渡したのだ。
依頼書を持ったヒースガルトンは去って行こうとしたが、それでは気が済まないのがターバットである。
「おい! 街が危険な状況なのに戦闘に参加せず便所掃除をするとは、お前はそれでも自由戦士か! 恥を知れ!」
怒りに満ちたターバットの発する重低音の声が、室内中にドスンと響く。
その大声にもかかわらず、ヒースガルトンは何事もなかったかのように無視して立ち去ろうとするものだから、ターバットはたまらない。
右手を伸ばして、ヒースガルトンの肩をグイッとつかもうとしたのだ。
が、前と同じようにヒースガルトンは体をひねらせ、ターバットの右手をかわしたのだった。まるで背中に目がついているかのように。
「おのれっ!!」
と、思わずターバットの腰の剣に手をかけた。
「いけません、ターバット隊長!」
見習い女神がターバットの前に割って入った。
「えーと、ダメですよ、冷静になってください。戦う気のない者を隊に入れたら、他の戦士の士気が下がるだけですよ」
見習い女神はターバットをなだめる。
ターバット隊長は、自分に従う部下には面倒見が良く、統率力も発揮する。
しかしヒースガルトンのような、自分を嫌ったり無視する者に対しての適切な対応を知らないのだ。
ファアル国軍指揮官とはそこが大きな違いであり、ターバット隊長の欠点でもある。
しかし見習い女神は、キャット事務長として彼を支えていくしかない。
「あの野郎・・・・・・」
ターバットは思わず剣に手をかけてしまったものの、抜く気はなかった。
しかしヒースガルトンの背中を、今にでも飛びかかろうとする目でにらみ付けていたのである。