ふたわかれの後楽主義
とまあ、こんな具合ではじまった私と中多の性生活であった。とはいえ、皆安心してくれ。私の清らかなで純白な肌は、この変態に指一本触れさせていない。手を握られようものならば、その手首を捻りあげ、「先々週先生が占星術を取得して先週泉岳寺に先着千名へ鮮明に煎じた」を七回咬まずに言えるまで解放しなかったりしている。
「なあ、俺ら付き合ってんだよな?」
それは、宗教学の講義での出来事だった。私は鼻息を荒げて輪廻のお話に集中していた際、授業中にも関わらず『S&Mスナイパー』を読んでいる中多が私に話しかけてきた。中古のエロ本とか、正味な話どうなの? などと思うが、本のチョイスが素晴らしかったので、私の横で読ませてやることを許可した。
「黙れ変態。今私は凡そロックンローラーにしか見えない英国人先生のお話を堪能しているのだ。なるほど……、そういう解釈が……」
私は英国人先生の話を余すことなくノートに書き込んだ。
「ってかさ……」
性懲りもなく、授業中であるのに中多は話かけてくるものだから。
「潰されたくなければ黙れ」
私はさらりとそんなことを言うと、中多は猫じゃらしを目の前で燃やされたペルシャネコのような表情で色んなところを小さくした。よしよし。
私は約百分の講義を聞き終えたあと、輪廻に対する新たな解釈の整理をしていた。
「んでさ、俺ら付き合ってんだろ?」
中多は再び私に先ほどの質問をぶつけてきた。
「ええ、付き合っているわよ」
私は次の和声の講義を受ける為に、教室移動を行う。金魚の糞のようにくっついてくる中多と私は、他の生徒からどのように見えているのだろうか。そんなことを頭の片隅で思いつつ、教室を出て、廊下を歩き、校舎を後にする。向かうは、音楽演習棟である。
「じゃあ、手を繋ごうぜ。唾液交換しようぜ。粘膜接触しようぜ」
段々と薄汚れた口調になる中多に、胴回し回転蹴りを食らわせてやった。まあ、下着くらいなら見せてやってもいいか。
「くぱあ~」
ノビ逝く瞬間、確かに中多はそんなことを言った。くぱあ~? って、まさか……。私は自身の下半身をスカート越しに確認した。そうだ、今日の私はノーパンデイであった。私は月に二回ノーパンデイという催し物を行っている。理由はない。ただ、やりたかっただけだけだし、私はロングスカートしか履かないので、今までそんな心配はなかったのだが。この変態と付き合うことになり、こういうところでは気を付けなければならないのか。今回は人気の無い音楽演習棟だったからよかったものの、公衆の面前で半月後ろ回し蹴りとかをやりかねない私にとっては、注意する対象なのであろう。
「面倒だな……」
そうなのだ、私はあの変態が早々に飽きてきてしまっていたのだ。もっとこう、高尚な趣味を持っているようなやつと付き合いたかったなと。私で性的欲求を満たそうとするだけの下衆な輩と、何故付き合ってしまったのか。全く、後悔しかないし、今後の私の人生での最大の汚点だろう。全くもって、自分自身が理解できなくなったのははじめてだよ。
「いいからやらせろ!」
左後方から、またゴミクズが騒いでいるので、外回し蹴りを繰り出しのしてやった。はっきり言って、私にも中多にも、多分愛とかなんてものは微塵も無いのだろう。私の理由はわからないが、少なくとも中多にとって私は、アクセサリーと性欲の捌け口という感覚しかないのであろう。私のように、美人でスタイルもよく、頭も切れるが趣向に難あり。そんな難攻不落な物件をどうにか出来たら自分のステータスになるとか思っているに違いない。男なんて大概そんなもんだ。唯一違ったのは、敬愛する兄くらいなものか。兄はそんな世俗的な存在ではなく、浮世離れしたところがあったし。付き合いたいとかそういう類いの感情はいだかないけれど、確かに飽きない存在だった。多分私は、どこかで兄のような存在を探しているのだろう。とりあえず、奴がノビている間に、せっせと音楽演習棟の三○五室に入った。
まあ、中多はただの男より幾ばくかマシだと思うから付き合っているのだけれど。
というわけで、私は工学部に在籍を置きながら、和声の授業を受けているのだが。ここで少し興味深い人間に出会った。
「小田鉄郎」
彼は、一見なんの面白みのない男だが、授業中だというのに必死で携帯電話を弄っている。その携帯電話というのが、ガラケーのスライド式のやつだ。私は、ガラケーの中でもスライド式を使う人間に目がない。いまや、スマートフォンなんていう、悪の権現、人の悪意の塊みたいなやつを使うやつがいるが、こと小田鉄郎はガラケーのスライド式を使っていた。私の中で、ガラケーのスライド式は相当格式が高く、私にとって一番ランクが上である。その次が持っていないこと。次に、パカパカのやつで、スマートフォンなどを持っているやつには興味がわくはずがなかった。
私の趣味の一つに、携帯電話販売店に行き、スマートフォンの素晴らしさを力説してもらい、「やっぱりいらない」と言って帰るというのがある。これは嫌がらせではない。私はただ単純に携帯電話が欲しいのだ。烏が黒いように、白鷺が白いように、赤蝮が赤いように、ただ単純に携帯電話が欲しいのだ。故に、毎回携帯電話の力説を求めにいくが、イマイチ上手く行かない。スライド式のランクが一番高いのは、兄が唯一持たなかった携帯電話の種類であるからだ。
「何をしているの?」
私は余りアクティブではない。寧ろ、ネガティブであり、根暗である。美少女であれば、そんなものはステータスでしかないのだが、他人に話しかけるなんて愚行をするのは初めてであった。
「あっ? ああ。〆切が近いんだよ。というか、五分オーバー。催促のメールが来だしたし」
小田鉄郎は、私の目を見ず、それどころか顔すら向けずにそんな素っ気ない態度を取った。
「〆切って、何の?」
私はめげずに問いかけてみたが。
「コラム」
なるほど。小田鉄郎はコラムニストなのか。そして、それを携帯電話で書いていると。予想以上に面白いやつだなと思い、私は彼に興味を持った。
小田鉄郎は、何回か「よし!」と言ったあとに授業に集中した。
授業が終わると、私は奴が来る前に小田鉄郎と話がしたかったので、誘ってみた。
「このあと授業ある?」
私は何回か話しかけていたのだが、彼は今更私が隣に座っていることに気付き、一瞬びくっとして、挙動不審になった。
「あ、いや……、その……、ないけれど……」
彼のその仕草がどこか可愛らしくなって、奴とは違う感情が私の中で芽生えた。それに名前を付けるとしたら、優しさというのだろうか。
「じゃあさ、喫茶店行かない? 私、あなたとお話がしたいの」
私は今まで父や母にしか見せたことのないオリジナルスマイルを出した。
「う、うん……」
先ほどの素っ気ない態度とは打って変わって、彼は借りてきた猫のようだった。
「よし、決まりね」
世界はこれを浮気というのだろうか。いや、私は本気は奴ではないのだから。
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「で、どうなのよ? 彼女」
時同じくして、中多は三人の級友たちと学食で駄弁っていた。
「もうやった?」
「どうなんだよ?」
三人は興味深げに中多に訊ねたが。
「まだだよ。彼女、ガードが硬いんだよ」
「っていうか、攻撃力があるんだろ」
「俺も喰らいてえわ、あの回し蹴り」
そんな脈絡もないの話をしている中、中多はこんなことを言い出した。
「誰かやんない?」
ふんわりとした調子だったが、それは確実に三人の空気を止めた。
「は? お前、自分の彼女だろ? 性格や素行に難アリだけれど、あんな良い女、他にいるかよ!」
「そうだぞ! やれるなら俺はやりたいが」
「あっ、汚えぞ! 俺だってやりてえよ!」
「てめえら!」
三人は理性と欲望に苛まれながら言い争いをしていた。
「何かさ、女って容姿だけじゃないかなっていうか……」
中多は物思いに更けながら、そう呟いた。
「お前が言うかよ!」
三人は声を揃えてツッコミを入れる。
「あのさ、誰かに寝取らせようと思うんだ。アイツを」
中多はそんなことを画策していることを伝えると。
「はあー!」
再び三人は声をあげて驚いた。