57.純粋ほどめんどくさいものはない
私たちに勇気を出して話しかけてきた少女は、私たちに声をかけた後ものの数秒で目をうるうるとふるわせてきた。
すると、優人がほとんど私の知らない優しげな声で少女に告げた。
「大丈夫だよ」
少女の不安げな顔を早く明るくさせようと思っての行動だろう。私にはそんな声出してくれたことなかったな。この野郎。私はそんなことを声にも顔にも出さずに2人を見守る。
しかし、少女の不安げな表情は変わらない。それどころか、先ほどよりも暗く見えるような気がする。
…………?
どうしたのだろうか。
「私たちは大丈夫だよ。それよりもあなたこそ大丈夫? なんだかさっきよりも顔色が悪く見えるよ」
私は愛想笑いを浮かべ、なるべく彼女の気に障らないよう優しい声を意識して彼女にそう話しかけた。
けれど、私は話しかける内容を間違えてしまったらしい。
「えっ」
少女は驚いたように声を上げ、顔を触った。一瞬で火照ってしまった肌に白い手が重なる。やはり見た目通りに熱くなってようでかわいくあちちと言って手を顔から離す。私の言葉を鵜呑みにしてくれたその行動が、なんだか微笑ましく思えてしまった。純粋っていいな。そんなとこをのんきに思っていると、まさかな事態が起きた。
彼女の反応はここで終わってはくれなかったのだ。
隣の優人が彼女を見て絶句している。なにを見ているのかわからないと私に顔で訴えてきた。
私は、とっさに彼女に近づく。そして、私は効果音をつけるのなら、ガッという音が付きそうなくらい、勢いよく彼女の肩に飛び込んだ。肩をつかまれた狐は肩をびくっと震わせ、そしていったい何が起きたんだという視線をおそるおそる私に向けてきた。たぶん今の姿は、人間とは言えない姿は、無意識に発動しているというか、成ってしまっているらしい。
「耳としっぽ! 出てるよ。早く仕舞って! 仕舞える?」
彼女がつかんでいたボールがトントンと音を鳴らしながら、地面をたたいていく。その叩く音が止んだと同時に少女はえっあっえっ?と可愛らしく困惑してみせた。
私も混乱してしまったのがいけないのだが、言い方がきつかったために、よけい混乱を招いてしまったようで、彼女は目に渦を巻いてしまっている。
どうしようか、はやく、早くしないと、あいつらが来る。
肩においてある手の力を緩め、今度は彼女を落ち着かせるために彼女に声をかける。
「とりあえず、深呼吸しようか」
これは私も落ち着かせるために。
私があたふたしてもこの事態は静まらない。
とりあえずひざを折って私の目と彼女の目の高さを合わせてみる。すると彼女の少しだけ安心したような息遣いが聞こえた。
「その……できるかな?」
わざと不安げな表情を作って、私が彼女と同じように動揺しているということを伝えてみる。
こくりと少女が頷いてくれた。動作に合わせて耳がぴょこぴょこ揺れる。かわいい。
「すってー」
すぅー。
「はいてー」
ふはー。
「すってー」
すー。
「はいてー」
はー。
そんなことを数回繰り返したら、彼女から獣耳や尻尾は見えなくなった。
安心したら自我が戻ったのか、ん? 自我? 自我ではないか。自制が効くようになったのか。
「あ、なくなった」
男の声が聞こえて、さっと後ろを振り向く。するとまだ現実をつかめていないような顔をしている優人がいた。あ、こいつの存在ちょっと忘れてたなと思いながら、私は少女から手を放し、そのままその手を彼女が持っていたボールに向けた。ピンク色のかわいいボールだった。
「……お名前、聞いてもいいかな」
私はボールを彼女に渡す。
「……ぼたん……っていうの、私の名前」
彼女は渋々とボールを受け取ってくれた。まだ、警戒心は完全には解かれていないようだけれど、名前を教えてくれたのならば上々か。
「そっか。ボタンちゃんっていうのか。かわいい名前だね」
すると彼女は何かに気が付いたように、名前はね、ひらがなでね、ぼたんってかくの……と弱々しく教えてくれた。
……勘のいい子は嫌いじゃないよ。
「ぼたんちゃんはなんで、さっきあんなに顔を暗くさせたんだい?」
優人が会話に割り込んできた。もう少女を安心させなくていいとふんだのか、声は先ほどの驚くほど優しい声ではなくなっていた。戻すの早すぎだろ。
「お兄ちゃんの眼ぇ怖い……」
おっと優人に会心の一撃入りました。
まぁ、本当のことだから仕方がないか。私は含み笑いを浮かべながら優人を見守る。
「え、あ、うん……ごめん。これは、その、生まれつきなんだよ……ごめんね……大丈夫。見た目はこれだけど、隣のお姉ちゃんほど本心は怖くないから」
なんか変なことを吹き込まれた。
「えっお姉ちゃん怖いの? こんなにぷるぷる震えてるのに??」
純粋な眼差しが痛い。この子は人に言われたものは全て信じてしまう口なのだろうか。それだとしたらこの子の将来が心配だ。私は優人に対する笑いの感情を必死に押さえつけて、ぼたんちゃんの質問に答えた。
「え、えーと、そうだな。もしかしたら……そうなのかもしれないね。このお兄ちゃんは結構長い付き合いだから、この人が言っているなら……あはは」
勿論、嘘八百で。
できる限り優人にダメージが食らうであろう方向で全ての仕草や表情を私の持っている演技スキルを極振りして言ってやった。ちらっと彼を見るとなんとも言えない表情をしていた。例えるならば、靴に小石が入っていた時にする表情。ちょっと面白い。
「そうなんだ」
私の返事を聞いた少女は納得したようにそう言いながら頷いた。あ、本当に言われたことそのまま信用するんだこの子。何だか心配になる。
と思ったその矢先、でも……その……と言葉を続けて来た。
ぼたんちゃんがボールを大事に抱きしめる。なにが思うところがあるらしい。
何だろうか。なんだか思いつめたような表情をしている。
「そのね、お父さんに言われたの」
お父さん。お父さんがいるのか。
私と優人はうんと相槌を打って彼女の言葉に耳を傾けていることを伝える。
「大丈夫と言っている人はほとんどの場合、大丈夫ではなくて、その場を取り繕って何とかしようとしている時のうそだから、極力信じない方がいいって」
「「うぉぉぉぉぉ……」」
私と優人の顔に何とも言えない表情が浮かんでくる。
お父さん、娘になんてこと吹き込んでくれているんだ。いや、実際そうなんだけれど、こんな子供になんてことを……言い逃れができない。純粋だからこそしっかりとした理由をつけて放さないと納得してもらえないこの面倒くささがつらい。
どうしようか。もう優人に話を投げるという解決策はこの状況てきに破棄されてしまった。
とりあえず愛想笑いを浮かべてみては? いや、これもなんか危うい感じが否めない。まあ、なんかやったらどうにかどっかになんか転がっていくとは思うけれど、その転がっていく方向がどこに行くかがわからない。
「凛和……」
優人が私を呼び掛けてくる。見ると彼は目を回していた。これから先言うための回答を探していたら、ヒートアップしたらしい。でもまあ、これは仕方がない。
「お姉ちゃん、おにいちゃん、なんだかさっきよりも顔が思い詰めているような感じになってるよ。やっぱり大丈夫じゃなかったんだね……」
おっと、これは完全に墓穴を掘っていたパターンだ。もう後戻りはできない。優人は完全に戦闘不能状態だし、私がなんか言わなければ多分この事態は収束しない。けれど、だけれど、現実を伝えたく無い……一体なんて言ったら良いのだろう。
「あれ? 凛和ちゃんと……、…………。凛和ちゃんだ。どうしたのこんなところでそんな苦虫を噛み潰したような表情をして」
「あ、紀異さん」
助けてください。




