52.暴走とも見える通常運転
煉璃さんと界流さんが外の世界に旅たった後、内側の世界に残ったのは何とも言えない静寂だった。いやだって怖かったし、恐ろしかったし、びっくりしたりしていたのでもう誰かが何か元気づけたり話を転換させるような言葉を言えるような雰囲気ではなかったのだ。
遠い世界から自我を取り戻した私は、とりあえず今ここを歩いたら大変なことになりそうだったので、第二次被害を防ぐために自分の怪我を後回しにしてガラスの破片集めを開始した。けれど紅い液体がその作業を難航させる。すっごくめんどくさい作業だなと心の中でため息を吐きながらそれをやっていると、どこか少々諦めているような、それでいて若干少し引いているような声が頭の上から流れてきた。
「おい、我が妹……」
顔を上げるとそこには声と同じような表現ができそうな表情をした男二人がいた。
あ、これ絶対私がやっていることを見て引いている感じだ。
「お前何をやっている……」
そのままのテンションで兄は恐る恐る私の見てよくわかることなのに聞いてくる。多分私の心情も把握しようとしているのだろう。
「見ての通り、さっきの衝撃で思わず割ってしまったボウルのガラス集めだよ」
私は何でもないかのようにそう答えて見せる。それを聞いて二人はため息を吐いてきた。ああ、やはり私のこの判断は間違えていたんだなという後悔というような焦りが、私の中で生まれてくる。
「いや、だって、もし怪我したところを洗おうとしてガラスとか踏んじゃったら嫌だし、それだったらまずこのガラスたちを集めるほかないかなって思ったから……えっと、その……」
「あー、まーとりあえずほらこっち来い。風呂場に行くから」
その説明に見かねた兄が手を差し出してきた。どうやらこのガラスの破片&私の血に濡れている地帯を飛び越えろということらしい。
けれど私はその手を握ることはできなかった。
その代わりというばかりに涙目になりながら兄を見つめる。
「なんだ?」
その異変ともとれる行動に兄は何か不安のようなものを感じたのだろう、兄には珍しく首を横に曲げてきた。
「一言だけ、一言だけだから言っていい?」
「なんだ?」
「足が痛くて、それと少し体の感覚がなくてふらふらして立てないです」
「あ、思いっきり重症だ」
「……凛和、お前もしかして馬鹿か」
武藏さんとお兄ちゃんが二人一斉にため息交じりの言葉を私に向けて発する。うん、わかってた。そん風な言葉を言われるのだろうなとか思っていたのだけれど……。
「……その言葉、お兄ちゃんにだけは言われたくなかった」
そうしてそのあと私は兄に不覚にもお姫様抱っこをされてガラスの跡片付けそっちのけで男二人がかりでお風呂場にて治療されることとなった。
「はーい、終わりましたよ。ご苦労様でしたー!」
「頑張ったな! 我が妹! 頑張ったな!」
そう救急箱を閉じながら笑顔で言う武藏さん。そして腕を組み、ただただ軽く冷や汗を全身に浮かべながら私を褒める兄。
私はというと、風呂の縁につかまり肩で息をしながら額に脂汗を浮かべていた。
……この人たち、治療荒い。そういえばこれまで煉璃さんが怪我をしたときは治療してくれていたんだっけ。界流さんの件と怒りで爆発していたのもあってそこまで頭が回っていなかったのかもしれない。いやまあ、うん。えっと、マジで痛かった。
もうさっき起こったことは思い出したくない。
「ありがとうございました。正直麻酔なしであそこまでやられるとは思っていなかったです……」
「いやだってガラス入っているから抜かなきゃなって思ったからさ」
そうかわいい微笑みを浮かべながら、何でもない風に返してくる武藏さん。やはりこういった治療はやりなれているのだろうか。そしてその受ける側も当たり前となっているのだろうか。まあ、彼らがいるところは戦場のようなものだし、多分生傷が絶えないのだろう。
そして私は彼と同じように、けれど少しだけそうとはいかず引きつった笑みを浮かべながら、言葉を吐き捨てた。
「もうガラスを割って怪我をしないように心がけますね!」
私の足の治療が終わり、当たり前のように私が穿いていたタイツは穴が開いて血だらけとなっていたので速攻でゴミ箱行きに、その他はお兄ちゃんが蛇口をひねって水を浮かべておいた洗面台に放り込まれた。
ガラスに関しては治療中に私は片づけをしなくていいと、何回も何回も耳に胼胝ができるのではないかと思うぐらいに言われたため、お言葉に甘えてやらなかった。本当はやったほうがいいのだろうけれど、できなかった。
その代わりに、もう今日は寝てろと言われたので軽く部屋着のようなものに着替えて今はベットの上に座っている。まあ、言ってはいけないと思うが、なんか寝る気にならないので寝ないでただただぼーっとしながら考え事をしていた。
いやだって、あの赤々としたフローリングを片付けてくれていると思うとなんだか迂闊に寝ていられないというか、罪悪感に押し潰されそうな感覚になるのだ。
それに、治療中に足の傷を少しだけでも見られてしまった。今できた傷ではない。魔族によって、魔族に襲われて出来た傷だ。しょうがなかったとは言え、それに、ほんの少し、ちょっとだけれどそれを見たときの二人の表情が強張ったように見えた。やはり、何か感じてしまうものがあるのだろうか。
治療され、包帯とガーゼだらけになった足を見て私はそんな不安を覚えていた。
そんなことを思っていると、ドアから音が聞こえてきた。多分誰かがノックしたのだ。優しそうなノック音だったから煉璃さんか武藏さんだろうか。
私は返事をしながら立ち上がってドアをおそるおそる開けてみると、瞬間何かに体当たりされたような強い衝撃が私の全身に感じられた。
一瞬の出来事だったので押し倒されそうになったが、ギリギリ私の反射神経が機能してくれたおかげで倒されて背中が床に体当たりして打撲するという大惨事になることはまぬかれた。いやまあ、踏ん張った足のほうはもう何も言えない状況なのだけれど。
「凛和ちゃんごめんねー!」
「凛和ちゃんー、ごめんなさいー!」
私が重量に耐え抜く中、二人の女性の声が一斉に私の耳に届いてきた。そこで初めて二人にドアを開けた瞬間に飛びつくように突進されたのだと分かった。
何故私は謝られてるのだろうか。いやまあ、大体は見当がつくけれど。私はとりあえずこの重圧から逃げ出そうと、二人をあやすように返事を返した。
「ああ、謝らなくていいです! 謝らなくていいですよ……。だからちょっと体から離れてくれませんか……? 重いです」
私の言葉を聞いた二人は一斉にまるで打ち合わせをしたかのように離れてくれた。ナイスコンビネーション! と手を叩きながら言いたいレベルの瞬間芸だった。
「えっと、それで……」
と、私がなんとなく口を開いた瞬間、急に界流さんが謝罪の言葉と共に頭を下げてきた。
『ごめんなさい!』という先ほど聞いていた界流さんの声よりも大きな声で少しだけ驚く私をよそに、彼女は頭を下げたまま言葉を続けてくる。
「私、実は……最近の記憶とかそういうのがなくて、どういうのが口に出していいものでどういうものが口にしてはいけないとかそういうものがよくわかっていなくて、だから、その……さっき口に出してしまったものはRなんとかとか、そういうものが付くぐらい危ういことだって知らなくて、ただ本当にただの興味で言ったもので、凛和ちゃんの純粋な知識の中で変な感性を植え付けてしまいそうになって、本当になんとお詫びを申し上げたらいいか! もう本当に自分がふがいなく感じるばかりであります!」
後半部分は外に連れていかれて時に吹き込まれでもしたのだろうか。私は軽く心の中でため息を吐き、チラッとだけ煉璃さんを見る。
――満足そうな顔をしていた。
「…………なんか大変なことが界流さんの中で起こっているのは分かった。大丈夫ですよあんな言葉くらい。そんなに気にしなくてもいつか直面するようなものかもしれませんしね」
「え、凛和ちゃんするの……!?」
と、そこで煉璃さんが食い気味に会話に入ってきた。顔が少しだけ火照っているような印象を受けたが気のせいだろう。うん。
私はため息交じりに、どこか腐ったものを見るような目つきで彼女の言葉に答える。
「絶対しませんよ。何言っているのですか。やれと言われたあかつきには相手をフルボッコにします」
「あー……うん、そうよね」
私の回答を聞いた彼女は何故だかどこか哀愁溢れるような顔つきになっていた。
そのあとなぜか煉璃さんの顔は火照っていきました。




