51.思いがけない一言
界流さんは私との話がひと段落した後、とととっという可愛らしい足音を鳴らしながら兄のほうに駆けていった。……あの料理を手に抱えたまま。
当然ながら、兄たちは少し身構えて彼女の登場を受け入れる。けれど、そんなことを気にしない彼女はさも当たり前のように空席だった兄と武藏さんが座っているソファーの右端に座った。その隣に座っているのは兄だった。ああ、ドンマイ。
けれど、彼女が持ってきた奇抜な料理はほとんど私と話している間に彼女の胃の中に入ってしまっていたので、最初よりは彼らに被害は起こらなかった。と言ってもまあ、彼らはガスマスクという代物をつけているのだから、彼らに被害はないのはもう約束されているようなものである。
本当にどこから出してきた、そのガスマスク。
まあ、そんなことを気にしてもしょうがないので、私は換気扇を回してまた台所に立ち始めた。今度はお菓子ではなくご飯を作るのだ。
ちなみに私がご飯を作る作らないは気分で決まる。私が台所に立っているイコール今日は私が作る、私が台所に立っていないイコール今日は誰かが作る、だ。そんな感じで弥生家の食卓は成り立っている。ちなみに誰も作りたくない場合はほとんど出前を頼んでいる。外食はほとんど行かない。
兄が行きたがらず、そうなってしまうのだ。だからさっき言ったカフェも私がこそこそと独りで行っていたりする。
私はご飯の支度をしながら兄たちの話に耳を傾けることにした。
「妹さん――凛和ちゃん……すごくいい子ですね。先輩に全然全く似てなかったです」
傾けた瞬間にすごい辛辣な意見が飛び込んできた。なんとなくわかっていたけれど、界流さん言葉に容赦がない人だ。というよりも相手の事を考えないで吐き出すと言ったほうがいいのだろうか?
その言葉の後に聞こえてきたのはやはり少し反発した兄の声だった。
「それはどういうことだ!? 俺と凛和は血は繋がっていなくとも十一年は一緒の家に住んでいる仲だぞ? どこか似ているところがあってもいいはずだろう!?」
「ありませんでしたよ。全く。先輩ってものすごく無意識だと思のですけど、結構キャラがきつくて、とっつきにくいのですが、凛和ちゃんってなんかほんわかしていて話てて楽しかったです」
その後にカランと何かからのものが机に置かれる音が聞こえた。見ると空になった謎の色の液体が残っているタッパーが置かれていた。それに彼女は蓋をして、一緒に持ってきたらしいもうひとサイズ大きなタッパーに入れたあと、紙袋に入れて封印した。
真面目に嫌だったのかそれ食べるの。なぜここまでそれを持って来て食べたんだよ本当に。嫌がらせか、嫌がらせなのか。
「なん……だと……!? 俺はごく一般の成人男性であり、ただただ収入が良くてほとんど楽して金が入る仕事をして、ただただ紅蓮に焼かれた龍を己が身に秘めて、ただただこともが好きで、ただただ妹が好きなごく一般男性だぞ!? それのどこがキャラがきつくて、とっつきにくいんだ!?」
「そういうところです」
「そういうところね」
「閏さんそういうことろですよ」
うん、そういうところだ。
なんか普通に満場一致した。してしまった。わかっていたけれど、なんか義理だとしても、妹として少し悲しくなってくる。
というかこの人の場合、子供好きという部類にあまり入らないと思う。言うならばロリコンとかそういう部類に入るんだと思う。いやまあ、煉璃さんに比べれば軽いものだとは思うのだけれど、なんか、うん、この人もいろいろすごかったな。うん……。
「なぜだ!? 何故なんだ!? 俺は……俺は……っは! もしやお前たちは俺が龍を身に秘めていることろが凄すぎて、それに恐れをなしていると!? そういうことか!?」
なぜそうなる。いやまあ、まじかであれを見たときは正直びっくりしたけれど慣れるとああ、またやっているなという風になりそうだし、そんなにとっつきにくい要素ではないと思う。だから、兄の的は外れていると私は思う。
その意見は他の同じ空間にいる人たちも同じだったようで、煉璃さんが少しため息を漏らした。
「何言ってるの、閠。貴方がそういう口調で、そういうテンションだから紅ちゃんが引いているんじゃない。寧ろその龍はあなたのアイデンティティーの一つでしょう? 大事にしなさいよ」
「そうそう、だから閠さんはもう少しテンション抑え目で言ったほうが周りが楽になると思います」
「おお! なるほど! そういうことか! そういうことだったのか! でもだな、俺は俺なのだ! そういうことでこの性格は治すことは至極難しいことだと思える! 故に、治ることは多分ないと思うのだが!」
……知ってる。うん。
だって、私が初めて張ったころからこの人はこのテンションでこの性格だったのだ。今更治るわけがないとか思ってしまう。というよりも、性格が違うものになったりしたらそっちのほうが引くかもしれない。
「えー、そうなのですかー。んん……分かりました。残念ですが、私はこのままの先輩とのコミュニケーションを上達していくことを目指すとします」
本当に残念そうな声色をしていた。
まあ、こればかりはしょうがないと思う。うん。
「それはそうと、話は変わりますが」
もう用は済んだのだろう。界流さんはどこかおっとりしたテンションで話題を転換した。
兄たちはいつの間にかあのタッパーが封印されたおがけで匂いが楽になったのだろう、ガスマスクを外していた。
私はいまサラダを造ろうとガラスのボールに手をかけていた。冷蔵庫にシラスとか生食でいけるサーモンとかがあったのだ。これは作らなくてはいけないだろう。……消費期限的に。
「ん? なんだ?」
兄が少しガスマスクの跡が付いた顔で彼女の顔を見つめる。そして彼女は先ほどと変わらないテンションでこういった。
「男性って性的に興奮すると何か液体を噴出というかー、出すというのを風のうわさで聞いたのですけれどそれってどういう味がするのか知りたいので――ちょっとおすすわけしてくれませんかね?」
その直後、ガッシャーンというとんでもないものを落とした音が室内に響き渡った。
その次に訪れるのは静寂。
体感で十分位だったけれど、多分本当の時間はほんの数秒でしかないと思う。
私の顔は耳まで真っ赤になっていた。そして、私の手と一部の足は血で赤く染まっていた。
びっくりしたびっくりしたびっくりした!!
兄たちの方向を見ると、頭にはてなマークを浮かべている界流さん以外全員が全員思考停止していた。そしてだんだんと兄以外は顔を赤く染めていた。武藏さんはお年頃の影響で、煉璃さんは怒りで。兄はというと、身体を小刻みに震わせていた。
そしてそのまま、兄はすこしだけまだ体を震わせながらボッいう効果音が付きそうなくらい一瞬にして顔を赤く染めた。いやーさすが紅蓮に焼かれた龍を宿しているだけある。とんでもない速さで真っ赤になった。
「な、な、な、な、な、な、何を言い出すんだ! お前! すっげーびっくりした。今年一番じゃないかってぐらいびっくりした! え、は!? お前正気か!? 正気なのか?!」
「? 何をそんなに驚かれているんですー? というか凛和ちゃん大丈夫? なんかすごい音が聞こえたけどー」
…………自覚ナシ、なのか。まじか。なんでこんなに驚かれているのか彼女はわかっていないというのが、たった一言だけでとても理解できてしまったこの空間にいる人間達はどこか少しだけ虚しくなった。
「ああ、えっと、大丈夫じゃあないけど大丈夫ですよ……」
「それ大丈夫じゃないんじゃー? いま行くか……」
と、私の答えに良心的な行動を示そうとした界流さんの言葉が止まった。たぶん誰かに捕まったのだろう。
捕まえた人はすぐにわかった。
「……紅ちゃん」
それは怒りで顔を赤くした煉璃さんだった。その言葉で私と男二人は背筋を震わす。
「何……ですか? 煉璃……さ……ん」
そこでやっと自分の落ち度に気づいたのか、だんだんと声を弱々しくさせていく界流さん。床にしゃがみこみ、キラキラ光るガラスの上に滴り落ちる赤い液体を眺めている私でも容易に彼女の顔が青白くなることが想像できる。
けれどもう遅い。彼女はもう煉璃さんに捕まった。
「お外に……いきましょうか」
そして彼女は男子組に私の救助をするようにと命令したあと、ガクブルと恐怖で震えている赤髪の女性と共に外へと旅立っていった。




