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42.心を読むな

 水たまりのような黒い液体の中に飛び込むと、ぽちゃんという音と共に一瞬にして数分前に見た景色が私の目の前に広がってきた。が、その光景は私がさっき見たものとは違うところがあった。

 それは、私がその水たまりから出てきた場所が少し地面から高いという事だった。少しというか、十メートルぐらいの高さで、感覚としてはビルの四階から身を誤って投げてしまったような感じだった。


 それにしても、浮遊感というものは地面が近くにあるほど恐怖を交えて体に伝わってくるらしい。バタバタとはためく衣服は、これから起こりそうになっていることを急いで教えてくれているようだ。危険だよ、危ないよと。

 しかし、そんなことはもうわかっている。分かりきっている。

 そのおかげで、私の心臓の高鳴りはピークを迎えようとしており、自分でもなんでこんなに心臓がドクンドクンと音を鳴らして動いているのか分からないぐらい大袈裟に自分が動いていることを伝えているのだ。そういうわけで私の体はこわばってしまって思うように動かない。まるで瞬間冷凍されてしまったかのように、動きを停止してしまっているのだった。


 思考だけが動く状況。

 恐怖だけが増幅していく状況。


 幸いにも下が土だが、そうだからと言ってただで済むとは思えない。

 もうこの高さならば、私が着陸する土が柔らかくても、柔らかくなくても変わらなく、同じように私の体を問答無用で壊してくれるのだろう。嫌だ、え、待って、嫌だ。


 私が固まって、思考回路をフル回転させて、助かる道を探しおわる事を重力は待ってくれるはずもなく、いつの間にか私の足は地面に着陸しようとしてくれていた。地面に足が着く五秒前、もうよくわからなくなり、とっさの判断で少し足を曲げて私は地面に着陸した。

 そうして、私は見事無事に地面に足をつけることができた。

 けれども、次なる問題が私に襲いかかってきた。それはなにか、着陸したと同時に、それまでフル回転していた思考が完全停止するぐらいのものすごい激痛が足元からビリビリと全身に響いてきたのだ。

「…………っ!!」


 声にならない声が、無意識に私の中から漏れ出していく。それほどに言葉の制御などしている余裕など、今の私にはできなかった。私の体は痛みに支配され、何もできなくなっている。

 もう本当に、とてつもなく痛くて、ただただ痛くて、痛かった。

 私が痛すぎて蹲ることもできない状況で、着地した瞬間の格好を続けていると、隣からさっき初めて聞いた二種類の声が聞こえてきた。


「あー、やっぱり慣れてないとこうなるよな。大丈夫か、凛ちゃん」

「これ、録画ものだったな。録画しとけばよかった。いやまあしたけど」


 全くの異なる内容だ。というか、後者のほうはもうなんかただ単に今の行いを楽しんでいたようにしたか聞こえない。人の恐怖をもてあそびやがって。


「……大丈夫じゃないです。あ、もう無理……あああ」


 怒りとか悲しみとかが無駄にダブルパンチを決めてきてくれたおかげで、どこか力のない声でしか返事と叫び声を出すことは叶わなかった。


「もの凄い弱りようだな、あいつに見られたら襲われるぞ。あ、もう見られているか」

「見られているね。ボクにも見られているよ」


 あいつ、とはどういうことだろうか。さっき声とともに倒れてしまった私には予想がつかない。でも、セツさんがボクにもみられているって言ったところから、セツさんではないことが確か。ということは、それ以外の人物で……。


「いやー、いつも気が強くて痛みを見せない凛和ちゃんが、こんなに痛がっているところを見れて俺は嬉しいよ。なんならもっと痛がってくれていいんだよ? 何なら泣き叫んでいてもいい」


「…………」

 さっき置き去りにしてきたはずなのに。

「あれ、なんでいるって思ってる? この最上位吸血鬼のキリトさんがあんな高さごときなんでもないの知らないの?」

 知らないわ。というか絶対こいつは瞬間移動やらでここに来るに違いない。物理なんて彼にとってはどうでもいいことにすぎなさそうだ。私は舌打ちを繰り出した。


「知らないわ。くっそ、痛ったい」


 そうして私は、吸血鬼に今の醜態をあまりさらしたくないという思いで、ぐぐぐと体全体に力を入れ、何とか起き上がった。吸血鬼は私の正面にいるセツさんたちの隣にははおらず、私の後ろに少し顔をつまらなくさせながら立っていた。

 それを見て、私は体に鞭を打ってまで立ち上がった甲斐があったと頑張った自分にちょっとだけ褒めたくなる。まあ、ほめないけれど。こいつのグロイ事柄での嬉しそうな顔程見たくはないものは最近ないからな、本当にうれしい。


「うわ、ひどい。いいじゃん俺が嬉しがったって」

「嫌だよ、というか普通に私の心の声を聴くな。気持ち悪い」

「ごめん、私も聞いたんだけれど」

「ボクも」

「高等存在人外め……。人のプライバシーなんてことばは存在しないのか」

 私は三人の言葉で悲しくなり、ため息もつけない程に気分が落ち込んでしまった。この三人にはどうやら自動的に私の心の声を読めるらしい。たぶん、きっとそう。


 だとしたら下手なことは思えない。思うことも叶わない。

 でも思ってしまうのはしょうがないからどうすることもできない。ああ、これは隠し事ができない。辛い。

「大丈夫だよ、凛。僕たちは君の元となる存在だから、君の思っていることをまるで自分のことのようにわかることができるのだけれど、この吸血鬼くんの場合は別。こいつは君の血を吸ったからわかるのであって、ちょっとした支配下に君がいるからわかるのであって、ボクがちょっといろいろ仕組みをいじくっただけで君の声は聞こえなくなる。なんともちょろい能力だから」

 おお、何かとてもいいことをセツさんが言ってくれたぞ。これを利用する手はないはずだ。この吸血鬼に自分の声を聴かれるほどの屈辱があるだろうか。いや、無いな。うん。


「セツ、それってお願……」

「凛和ちゃん、本当にこれでいいの!?」

 すると突如、吸血鬼が慌てたような口調で私の言葉を遮ってきた。

 というか、焦っていた。


「なに、ダメ?」

 私は眉をひそめ、キリトを睨みつける。私は何よりもこいつにいろいろ言われるのが嫌なのだ。私を殺そうとしたことがあるこいつに、そのあと謎の罪滅ぼし感情で私を何度も助けてくれたこいつに。

 吸血鬼は少しあたふたしながら、私がどうにか踏みとどまるように全力で私を見つめてくる。

「ダメというもなにも、俺とお前の関係が壊れてしまうのかもしれないんだぞ?」

 が、そんなことは私にとってはどうでもいい事柄には変わりはなかった。目の前にあるエサは良すぎるのだ。


「ほう、どういうように」

 私は何となく嫌な言葉の予想をしながら、キリトを睨みつけるようにしながら一応キリトの言葉を聞くことにする。私の予想があっているとは限らないし、思っていることなんてただの私の想像にすぎないからだ。

「だから、俺が主で、君は俺の特権の食べ物の……」

「よし、そんな関係は崩れてしまえ。セツ、お願い……」

 が、言葉が予想通り過ぎたので私は、キリトの言葉を遮ってセツさんにことを頼もうとすると、今度は私が言葉を遮られた。


「待って、本当に待ってよ!!」

「何」

 いい加減飽き飽きしてるんだ、さっさとしやがれという風に私がキリトを睨みつける力を強くするが、吸血鬼はそんなことをもろともせずに、言葉を続けてきた。

「俺とお前の関係が崩れたとするならば、お前は俺以外の肉食系の魔族に襲われるかもしれないんだぞ!?」

 思ったよりもまともな意見が飛んできた。いや、言ってはいけないことだと思うけれど、正直こんな意見が飛んでくるとは思わなかった。

 いや、ただたんに独占欲が強くてこんな言葉が出てきているのかもしれないけれど、でも、そうなったら危ないのは私だから私を思って言ってくれているのが分かってちょっとうれしく思えた。


「それは……嫌だな」

「だろ!?」

 が、そんな心の判断はすぐに無かったものにされた。

 なぜか、それはすぐにセツさんが口を挿んできたからだ。

「あ、その辺は大丈夫。源、つまり異界者殺しになればそんなの一発で仕留められるよ。安心して」

「だって」

「…………」

 キリトは黙ってくれた。ここがチャンスだ。私は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、セツさんを見た。

「では、お願いしてもよろしいでしょうか」


「いいよ。お願いされた。それじゃあやるね」

 セツさんが何かぼそぼそとを詠唱のようなものを唱えると、キリトの近くに薄い水色の綺麗な光が浮かび上がり、一瞬のうちにそれがキリトの中に入っていった。

 なんとも不思議な光景だったが、これで私はちょっとだけ自由の身になれたと思うと、とても今の光景がとてもありがたく、貴重なものに思える。


 まあ、キリトにとってはこれはとても嫌なことでしかなかったようで、とんでもないほどの暗い顔をしていた。あたりに青白い炎が浮かび上がってきそうなほどの暗さだ。


 が、そんなことはお構いなしにセツさんはとてもいい仕事をしたと汗を拭きとるしぐさをした後、嬉しそうに完了を告げる言葉を元気よく伝えてきてくれた。


「はい、できた!」


 そういえば、ハギナさんはこの光景をどう思っているのだろうかと思い、彼女を見ると、とてもいいものを見れたというような、とんでもない嬉しそうな笑顔で、私までちょっと引いてしまうくらい狂気に満ちた笑顔で私たちを見ていた。

 見なきゃよかったと心の底から思えるような光景だった。

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