29.暗雲
「眠い、寝たい、終わる……。いや、違う、終わってる……。疲れた、もう無理。なんで体育でいきなり走らされるの? 二キロだよ、二キロ。なに二キロって? 学校から私の家までの距離? いや、もうちょっとあったか……。でも二キロって……二キロって!! おかしい、おかしいよ! ねえ、凛和ちゃんおかしいよ! おかしい、まだ一学期! 学校にもまだ慣れているかどうかの時期! どぎまぎの時期! なのに……なのに! 体育で二キロっておかしいと思うんです!」
「うるさいです」
私は箸を銜えながら私はそう涙を目に貯めながら私の肩をゆさゆさと揺らし、熱弁してくる人物に向かって冷たくそう言い放った。
彼女が私を揺らしているのは原因がある。それはこの昼の時間の前に行われた授業だ。まさか六月のこの時期に体育で陸上競技というジャンルの一環で持久走が入ってくるとは私も思っていなかった。先生に直談判してなくしたいぐらい嫌な体育の種目だ。
けれど決められたことだから私も走った。私の肩を掴んできている目の前のやつも走った。結構なだるさだった。
因みに彼女も私も体育の後はすぐに着替える。理由は汗の臭いがうざいからだ。
彼女は私の言葉にお構いなしで全てを続けてくる。
「凛和ちゃんはいいよね! 運動神経よくて! なんですか! 二キロを五分って! 陸上選手ですか、バスケ部ですか、運動部なんですか!」
「残念ながら帰宅部だ」
「知ってますよ! そして私も帰宅部ですよ! おうちに帰りましょう部ですよ! けれど凛和さん、帰宅部のあなたがあのタイムってどういうことなのですか、ぶっちぎりの一位でしたよ! タイム全体的に見ても男子抜いて一位でしたよ!」
「ゆうてあなたはその次の二位でしたがね。男子女子合わせての二位でしたがね」
痛いところを突かれたというばかりに彼女は綺麗でかわいい顔をうっと一瞬顰めてから私をぐっと見つめる。そして息を大きく吸って行動を開始し始めた。
「シャラーップです! 私のことなんて今の話ではどうでもいいんです! いや、どうでもよくは無いけど……。というか! 久々に全力疾走したんだよ! 負けたくなくて頑張ったんだよ! なのに……なのに! なんで余裕で大差付けてくれちゃってるんですか!?」
「大差と言ってもたったの十秒じゃん」
「十秒、そう十秒だよ! けれど十秒の差がどれだけ大きいモノか! だけど十秒! されど十秒! もう頑張りすぎて私は終わりそうです!」
「なら終わっていてください。落ち着いてご飯も食べられやしない。もう肩から手を放して。早くしないと貴女が肩を放す前に私がお弁当を離してしまいそうになる」
「凛和ちゃんが冷たいー。というかそのお弁当美味しそうだね? 一口頂戴?」
そう言って私の肩を持ちながら目を閉じ、口を大きく開けてくる。これは傍からから見ればとても大変な絵面ではないのだろうか。ふざけるなと心の底から思う。私は箸を銜え直してから空いた方の左手ででこピンをくらわせた。なんかすごいいい音がした気がする。まあ、いいか。
「あうっ!?」
でこピンをくらった彼女は涙目にしながら私が技を繰り出し、ヒットしたところを両手で抑えた。こういうところを見るとかわいいんだけれどな。
私は箸を手に戻してご飯を口に運ぶ。
「よし、脱出成功」
「はっ! しまった」
相手の綺麗な薄い茶色の髪が揺れる。もう私の肩を掴もうとしても遅い。私は彼女の手をひょいと交わした。
あ、悔しそう。楽しい。それにしても……。
「そういえば、私なんかと一緒にいてもいいの? いつも一緒にいた友達は? 確か、立華香織さんと北海胡桃さん。私はどうでもいいけれど、どうなの?」
「え、ああ、あの人達はいいや。私がお金持ちだと思ってつるんできた不埒な連中だし、一緒にいても気が気じゃない。凛和ちゃんと一緒にいた方が数倍楽だよ」
彼女は伸びをしながらそう言ってきた。けれども顔には曇り空が張り付いている。本当にそうなのだろうか? 梅雨の特徴的な風が私たちの身体を横切っていく。そろそろ雨でも降り出しそうだ。ここは屋上だし、早めに食べて撤退した方がよさそうだ。
紀異さんは残念そうに空になった自分の弁当箱を取ってから、私の隣に来た。少しやりずらい。
「紀異さん嘘はよくないよ」
「嘘じゃないよ、本当のことだよ」
きっぱりと言われてしまった。うーん、これはなんだか恥ずかしいものがあるぞ。
私はとりあえず弁当を空にすることに全力を尽くすことにした。
私が弁当を空にし、弁当を小さな保冷バックに入れた後、まるで私がそれをやり終わるのを待っていたというように、ぽつりぽつりと雨粒が落ちてきた。
私たちは本降りになる前に建物に入り、教室に向かうことにした。
さて、今私は教室に着き、自分の机の前に来ている。
いつもならばそれで自分の机の椅子に座ればいいものなのだが、そうするにもいられないことが起こっていた。
私は呆れ果てたように溜息をもらす。
隣にいる紀異さんはただただ興味深そうにその光景を一歩引きながら見ている。
「とりあえず、ゴミ箱持ってくる」
私はそう言って、教室の掃除用具入れの隣に置いてある大きな灰色で長方形のゴミ箱を取りに後ろに向かった。するとクスクスというような私を見下すような笑い声がかすかに聞こえてくる。
これは別に何とも言えない憤りが生まれるな。まあ、今日に限ったことではないのだけれど。
こうなった理由はなんとなくわかる。
たぶん、悪目立ちしたのだろう。紀異さんといたせいで。こういうことが起こり始めたのも、紀異さんがなぜか私に優しくなり始めたからだし。というか、彼女が最近いきなり私と行動を共にしてくるようになっただけなのだが。私何も言ってないし、勝手にしろってやってただけだし。私には何も罪は無いはずなのに。
まあ、どうでもいいことだ。
私はゴミ箱を手に取り、自分の机にくっつけた。
そして、もう一度自分の机の惨状を眺める。そこには腐ったパンとか、落ち葉だとか用意する方が困難だったのだはないかと思うようなものが積み上げられてあった。さすがに腐敗臭が凄い。
「ああ、これはやばい。吐いたら紀異さんよろしくね」
「え!? 無理だから吐かないように頑張って! というか私も手伝うよ」
彼女は優しいな。低いサイドテールに触れたらやばいけどな。これ。
「ありがとう。えっとじゃあさ、ゴミ箱一応固定しておいてくれないかな? 軽く押さえてくれるだけでいいから」
「わかった」
そうして私はゴミをどうにか処分した。そして使わない雑巾で一回拭いて、それは問答無用でゴミ箱にダンクシュート。もう一個使わない雑巾で、たまたまあった消毒スプレーをつかいながら机を拭いた。
もちろんこれは容易に想像できるのだが、腐敗臭が教室中に充満しました。ドンマイよ、設置した奴。同じ苦しみを味わえ。




