20.赤く染まれ
赤いです。注意してください。
――痛い。苦しい。辛い。
地面は赤く染まり、鉄のにおいを発している。私はそれを無視しながら走っていた。近くにある一部の白い装飾が綺麗に施されたブロック塀を台無しにしている気がするが、そんなのお構いなしだ。
後ろを向けば、すぐ目の前にいる喪服にシルクハットをかぶっている男の人は口を歪に曲げ、楽しそうにしている姿がお目にかかれる。口しか見えないので、笑っていると断言していいのかわからないのだけれど、たぶん笑っている。
男が持っている刃物は真紅に染まり、液体がぽつぽつと滴っている。それを持っている右手も同じく真紅に染まっていた。まるでそんな色の液体の沼に手を意図的に突っ込んだように。まったく、バカバカしいものだ。これが全部ついさっきまで私の身体を元気に駆け回っていたものだとは思いたくもない。
私は昨晩、吸血鬼に言われたことを思い出す。
『――気を付けろ。出ないとお前は本当とは違う意味で、死ぬことになる』
何言ってるんだよ。普通に死ぬじゃん。本当とは違う意味でとか、そんなのないじゃん。
私はラノベの主人公じゃないんだよ。チート能力とか持ってないんだよ。ていうか、チートってなんだよ。それに、主人公最強とかなんですか。絶対あり得ない。
私は、お兄ちゃんが悪と戦うヒーローで、ちょっとした異能力を持った、普通の女子高生なんだよ。
私は息を切らしている自分に鞭を打ち、走りながら、自分の身体の状況を見る。切断され、血噴がき出している右腕、少し避けるのに間に合わなくて全体の三分の一ほどの深さを斬られてしまった背中、右足。絶望的だよな。死ぬのは時間の問題という感じか。もうそろそろあのシルクハットの鬼さんに追いつかれるし。
お兄ちゃんはなんで来てくれないの? 悪と戦うヒーローじゃないの? ねえ、お兄ちゃん。あなたは名ばかりのヒーローなの? だったら、あのブザーは何のためにあるんだ。
「…………。待ってたって、死ぬだけなのか? この気味の悪い喪服ハットの通り魔に? え、マジで? 齢十五で私死ぬの? 嘘でしょ。そんなの、そんなの……嫌だよ」
私はだんだん虚ろになっていく意識の中、意識を保つために血がいまだに噴出している右腕を生き残っている左腕で抑えてみた。
「っ痛ったい!」
体に電撃が走る。これまでにこんな痛さは体験したことが……あったよ。なんだよ、十一年前のあの悪魔の事件で体験してたよ。ふつうこんなのないでしょ。というかあの時、よくショック死しなかったな自分。
「って、うわああ!」
そんなことを思いながら走っている自分に罰が当たったのがろうか、私は自分の身体から流れ出る液体に足を取られ、盛大に転んでしまった。ズシャアアアアアアア!! っていう字幕があってもいいぐらい盛大に転んだ。これはいろんな意味で大ダメージを食らった。辛い。
私は一応そんなことがなかったかのように立ち上がる。が、しかし服は土と血で染まってしまっていた。この様子だと顔も結構ひどいことになっているのだろう。事実を抹消できなかった。くっそう……。
というか自分の血で足元が滑るってすごいな。新たな体験だよ。やはり血は少し粘り気があるから滑るのか。水よりも滑りやすいのか。あ、でも昔お風呂上りに滑って転んだことあったよ。液体が悪いんだな。そういうことだな。
そんな馬鹿なことを思いながら、私はすぐ後ろに立っている男を目で捕らえる。視界が少し暗くなってきた。
いまだに警察車両の音は聞こえない。役立たずだー。お兄ちゃんも、警察も役立たずだー! こんなに女子高生が滅多打ちにされているのに、血をばら撒きながら走っていたのに、味方になってくれる人が誰もいない! いったいこの世の中はどうなっているのだろうか。不安が募るばかりだよ。
私はいろいろなことに落胆しながら、溜息と言葉を吐く。
「殺られたくなければ、殺るしかないのか。これは。マジか、いやだな。というか、私がやったとしても自己防衛だよね。過剰防衛? そんなの知るか。というか、逃げることができればそれでいい。もう少しで人がいるところに行ける」
幸い私が転んだところは、たまたま人通りが少ない雑木林に入るために使われる裏路地だった。もう少し行ったら人通りが多い場所に入れる。だから、そこに行けたなら、私は助かることができるのかもしれない。
私は武器となるものを頭の中でイメージする。
相変わらず相手の男の人は無口で、口角を上げているだけで何もしゃべってこない。何がしたいのだろうか。
幸い、私の利き腕は左だ。だから、どうにかなるはずなんだ。
「そんなことをしたって、無駄なのですよ、弥生 凛和」
と、そこで喪服の男は私に向かって話しかけてきた。おお、見事な死亡フラグ。
「私のナイフのほうが貴方の行動よりもずっと早い」
「…………」
男は余裕綽々に低音ボイスを私に投げてくる。なに、魔界の人はかっこいい声の人が多いの? 吸血鬼もそうだったよね、たしかいい声だったよね。なにこれムカつく。
私は溜息を吐いた。というか今更ながら私は溜息を付過ぎだと思うんだ。うん。これからは少し抑えた方がいいかも。
脳内には走馬燈みないなものが流れてきている。おお、もうすぐ死ぬのか私よ。マジかよ、嫌だな。
「あ」
そんなとき、私の後ろに男とは違う人影を見つけた。ただいまの時刻カラスも鳴く夕方5時。太陽が落ちる頃。こんな時間帯でも出てこれるのか。なんでもありかよ。
私は失笑を漏らす。それを不快に思ったのか、男の人は顔をもっと歪めてきたようなきがした。まあ、もうこれはどうでもいい。
私は人影から男に目線を移す。そして、
「やってみなくちゃあ……、解らないでしょ」
そう言ってから、瞬間的に私は男の両足を斬った。血飛沫と共に男の体勢が崩れていく。先に斬られるかと思ったけれど、男の人のどこか高飛車な性格のおかげか、そうなることは無かった。
しかし私は、そのまま地面に接近する。出血多量だ。もう立てない。足を奪ったから、あの人影もやりやすくなったでしょ。私は頑張ったよね。
「あとは、気に入らないけど頼んだよ……」
私はその言葉を最後に目を閉じた。最後に耳に聞こえてきた言葉は、認めたくないけれどとても暖かかった。
そして、下心が丸出しだった。




