食事会
僕は、一度会社に戻り、一から調べ直すことにした。帰りはバスに乗り、地下鉄の駅に向かう。バスに乗っている最中、
――あっ! 親戚の家に挨拶に行けばよかった。ま、いっか……
親戚の家に行くのは、また今度にした。そして、ターミナルに着いたとき、
――あ、高校にも行ってねえや
バスから降りて、近くのコンビニで他社の飲食雑誌を買い、地下鉄に乗ってから二〇分、僕は会社に戻った。
「中川!」
編集長が、僕を呼んだ。
「はい」僕は編集長のデスクに向った。
「どうだった?」
「いい店はあったんですが、希望の料理を作れないということで、あきらめました」
「コース料理か?」
「はい」
「はあ~」編集長は、ため息をついて、「他の店は?」と訊いてきた。
「もう二・三軒まわる予定だったんですが、途中その近くに住んでいる友達に会いまして――」
「ほうほう」
「そしたら、そこのまわりには僕の探している店はないと言われて、一度会社に戻って、作戦を練り直そうと思いまして――」
「それじゃあ……お前は、自分の目で探さないで、友達の言うことを鵜呑みにしたってことか?」
「はい……」
この展開は、非常にまずい雰囲気になっているのを、僕は感じた。
「お前、自分の目で探さないで、どうやって自分の理想の店を探すんだ?」
やっぱり怒られた。
「お前の友達の意見も大切だ。だけど、お前の探している店と食い違ってることだってあるだろ? それに、お前の探している店は隠れ家的な店なんだろ? その友達が知ってるような店ではダメじゃないのか? その店を自分で探さないでどうするんだ?」
「すみません……」僕は、小さな声で謝った。
「それに、コース料理じゃなくても、お前が、メニューを考えてもいいんじゃないか?」
「と、言いますと」
「前菜やサラダ、メインやデザートを組み合わせてもいいんじゃないかということだ」
「早く言えよ!」と、僕は思ったが、そんなこと言えるわけもなく、「すみません……」としか、言えなかった。
「まあ、新人のお前に“コース料理“っていう固有名詞を使ったオレも悪かったかもな。そういうことだ。次は、頑張れよ」
「はい……」
僕は、自分のデスクに戻った。
僕は、カバンをデスクの下に置き、椅子に腰かけた。
そういうことなら、話は別だ。僕の理想がだいぶ絞れてきた。和食・洋食・中華、ジャンルにとらわれず、自分の理想の食材を使った店を探せばいい。僕はまず、地元の食材を使っている飲食店を、パソコンで検索した。そして、札幌市内に絞り込み、リストアップしてプリントした。
――三枚弱か。けっこうあるな。店主にも聞き込みしないとな。だけど、まだ時間もあるし、もう少し探してみるか
プリントをまとめ、カバンにしまった。
次に僕は、買ってきた雑誌をデスクの上に置いた。四冊とも、飲食店関係の雑誌だ。一応、目を通しておく。店主の写真は、優しそうに笑ってたり、カッコよく写っているが、本当に良い人は何人いるのだろう、とへそ曲がりな疑問を持ってしまう自分がいた。僕みたいな新人が行ったところで、相手にしてくれそうにない人ばかりに見える。こんな気持ちで大丈夫だろうかと、僕は心配になった。
なんだかんだやっているうちに、時刻は六時をまわろうとしていた。仕事が終わった人は、帰り支度をしている。早い人は、もう帰ってしまった。僕も、調べ物が終わり、資料整理も早く終わったので、帰り支度を始めた。
僕が椅子を立ち上がり、荷物を肩にかけたとき、谷口さんと松下が、僕に近寄り話しかけてきた。
「おい、中川。このあと空いてる?」
「特に予定はないですけど……」
「ちょうどよかった。食事会のメンバーに穴空いたから、お前も来いよ」
谷口からの合コンの誘いだった。行きたいのはやまやまだが、明日も大事な仕事がまだまだ続く。
「いやでも――明日も仕事……」
「そうだよ、お前も来いや! 早くしろ! 遅れるだろ」
「ちょ、ちょっと……」
松下は、僕の腕をつかんで、強引に会社から連れ出された。二人とも僕の予定を聞いてはくれないみたいだ。
会社から連れ出されて、一〇分。会社から南に歩いたダイニングバーに、僕は連行された。店内は、間接照明が店内を照らし、ジャズのムーディーなメロディが、雰囲気をよくしている。お客さんたちも、落ち着いて食事を楽しんでいる。
谷口さんが店員に名前を告げると、「お待ちしてました」と、靴箱を開けて、靴を入れるよう促した。
「今日は、どんな子が来るんですか?」
靴を脱ぎながら、谷口さんに訊いた。
「同じビルに旅行代理店があるの知ってるだろ。あそこの女の子」
「ああ、四階の――え~っ!」
僕は、大きな声で叫んでしまった。店員や他のお客さんが、一斉に僕たちを見る。僕は、口に手を当てて、谷口さんと一緒に謝った。谷口さんは、僕の頭を手漕ぎポンプのように、上下に動かす。おかげで、僕は少しフラついた。
「こちらです」
店員が、少しぎこちない笑顔で僕たちを案内した。
「急に大声出すなよ。まったく……」
「すみません……」僕は、谷口さんに謝る。
「誰か知り合いでもいるのか?」そこに松下がちゃちゃを入れるように、
「優衣ちゃんか?」と、割り込んできた。僕は、松下の発言を無視して、
「何でもありません」と、冷静を装うように答えた。
案内された個室には、六つの箸と取り皿が、一定の間隔で、規則正しく用意されていた。
「いやいやいや」
松下が、僕を押しのけて、奥の席を陣取った。
「さあ、二人とも早く座って、座って」
一人だけ、明らかにテンションが違う。谷口さんが、嫌々松下の隣に座り、僕は自動的に入口に近い席になった。
「あの……」
「どうした?」
「僕は何をすればいいんですか?」
「何も特別なことやるわけじゃないんだから、普段通りでいいよ」
谷口さんは、緊張で顔が強ばっている僕に、優しくアドバイスしてくれた。松下は、掘りごたつに突っ込んだ両足の太ももをさすりながら、今か今かと、女性陣を待っている。その様子を見た谷口さんが見かねて、
「お前は、少し落ち着け。もう来るんだから」
「いや~、どんな可愛い子ちゃんが来るかと思うと、落ち着いてられないですよ」
松下は、喜びという火山を噴火させるタイミングを計っているような様子だった ――それほど、楽しみにしているのだろう。これが、彼女にフラれた男なのか? 僕には、次の獲物を狙うオオカミにしか見えない。目がギラついている。僕たちは、くだらない話や狙っている女の子がきたときの合図などを確認しながら、女性陣を待った。
一〇分後、個室の襖が開いて、「お連れ様が来ました」と、店員が誰かを連れてきた。
女性陣の登場だ。
「どうも。遅くなりました~♪」
三人の女性が部屋に入り、リーダーらしき女性がお辞儀した。僕はその後ろに、優衣さんを確認した。優衣さんも僕を確認したみたいだ。
「大丈夫だよ。さあさあ、座って」
谷口さんが、女性陣を座るように促す。僕と松下は、女性陣にお辞儀する。
「失礼します」
女性陣が僕たちの向かいの席に座る。優衣さんは、僕の目の前に座ろうとした。 そのときの僕の心臓は、みんなにきこえるかのように、高鳴っていた。優衣さんは微笑んでくれ、僕も自然と、顔がほころんだ。だが、
「あんた、奥につめて」
微笑み合っていた僕たちを引き離した。そのときの僕は、顔を動かすことができず、数秒間、優衣さんの残像と微笑んでいた。
優衣さんは、松下の前に座る。二人は、会社のエレベーターで会っているので、すぐに話を始めた。
「失礼しま~す」僕の前にも、女性が座った。
「何飲む?」
谷口さんが、ドリンクのメニューを女性陣に広げる。――さすがに、一つ一つの行動が慣れている。店員を呼んで飲み物を頼むと、すぐに飲み物が運ばれてきた。
男性陣・女性陣各リーダーに乾杯の音頭をとる。
「乾杯!」
みんなが、グラスをガチャガチャぶつけ合う。僕と優衣さんは、お互いアイコンタクトで、僕はウーロン茶、優衣さんはオレンジジュースのグラスを上げるだけの挨拶だった。
みんなが、飲み物を一口飲んだあと、谷口さんが「とりあえず、自己紹介しようか?」と、切り出した。まず、谷口さんが男性陣を紹介した。僕は一礼しただけだが、松下は何か流行りのギャグをやったみたいだが、思いっきり外した。
男性陣の紹介が終わり、次は女性陣。まず、リーダーらしき人は、田中真美さん。谷口さんとは、大学からの付き合いらしく、とてもきれいなキャリアウーマンの匂いがした。僕の中で、一人かぶる人がいて、あまりいい印象を持てなかった。
僕の前に座った女性は、川村明菜さん。僕の一つ年上で、茶髪のお姉さまの雰囲気のある人だ。僕の知らないことをいっぱい知ってそうな人、そういう印象だ。
最後に、浅木優衣さん。何も言うことはない――可愛い。
店の雰囲気もあり、騒がしくなく、どちらかというと、静かに進んだ。料理を注文したのは、僕だった。他の二人は、料理のことがわからないからと、僕にすべて押しつけたのだ。反論したかったが、もうすでに女性との話しを楽しんでいた。
「しょうがない。私たちで決めちゃいましょうか」
僕の前にいる川村さんが救いの手を伸ばしてくれた。
「何食べようか?」
ちょっと川村さんに、好印象を持った僕がいた。
「いろいろあるよ」
川村さんが、メニューを見ながら言った。創作料理の店で、料理が豊富にある。
「そうですね。サラダだったら、何がいいですか?」
「そうだな~、私は個人的に、ドレッシングのさっぱりしたものの方が好きなんだけど……」
「これはどうですか?〟野菜と食べる生ハムサラダ〝」
「うん、それにしよう」
こんな感じで、川村さんと料理を決めていった。他に、定番のエビマヨ(松下のリクエスト)アスパラバター(これはお店のおススメ)あと焼き鳥の盛り合わせ(これは谷口さんと田中さん二人のリクエスト)まで決まった。ほとんど、僕は決めていない。それなら、はじめから言ってくれればいいのにと、思う僕がいた。川村さんも同じことを思っていたらしく、小声で「なら、言ってくれればいいのにね」と言ってくれた。この人とは馬が合いそうだ。この小声で話しているとき、優衣さんと目が合ったが、ちょっと悲しそうな目をしていたのを、僕は気づかなかった。
僕と川村さんは、主食をご飯にするか、麺系にするかで迷っていた。二人で相談していると、松下が「早くしてよ。お腹ぺこぺこだよ」と、急かしてきた。松下の気の利かない発言に、僕はかなりムッとした。それを察した川村さんがまたも小声で「まあまあ」となだめてくれる。僕たちは、結局両方頼むことにして、店員を呼び、注文した。僕と川村さんは、ホッと胸をなで下ろし、二人で小さく笑い合った。
それにしても、久しぶりの外食だが、最近の店は、品揃えがいい。一軒の店で、和洋中関係なく、いろんな料理を楽しめる。お客さんは、これ以上の幸福はないのではないか。味がいいかは……別だが。
初めのサラダがきたときには、僕と川村さん以外の四人は、話が盛り上がっていた。それを僕と川村さんは、ただ眺めてたまに一言二言話すだけだった。
次々と運ばれてくる料理を、優衣さんと川村さんが取り分けてくれた。田中さんは、話に夢中になっている。なんとなく、例の同じ匂いのする人の顔がよぎった。川村さんが、料理を取り分けた皿を、僕に渡してくれた。
「はい、どうぞ~」
「ありがとうございます」
「ねぇ、敬語やめない? こっちも恐縮しちゃうよ」
「でも……、僕より年上ですし」
「何言ってんの。こういう場所は、無礼講でしょ?」
「そうなんですか?」
「私には、敬語使わなくていいよ。あまり好きじゃないから」
「それじゃあ、わかりました」
「わかりました?」
「あ、わかった」僕と川村さんは、やっと楽しく食事ができるようになってきた。
「こういう食事会は初めて?」
川村さんが、唐突に訊いてきた。
「はい、ほぼ初めて」
「大学のときもなかったの?」
「う~ん、あったかもしれないけど、家でゲームしてる方が楽しかったかな」
川村さんと話しているときも、僕は優衣さんが気になって、チラチラ見ていた。完全に四:二に分かれている。優衣さんも、楽しそうに話しているが、僕と何度も目が合う。それに、川村さんは気づいたみたいだ。
「ふ~ん……」
意味深な間の手をしながら、川村さんは、僕と優衣さんを交互に見た。
「な、何ですか?」
僕は、しどろもどろに訊き返す。
「優衣と知り合い?」
「知り合いというか……」
僕は、つい昨日あった出来事を川村さんに、大まかに話した。川村さんは、興味津々のようだ。
「それで、優衣が気になる?」
川村さんが、まるで悪魔の囁きのように、小声で訊いてきた。
「いや、そういう意味じゃ……」
僕は、そう言いながらも、優衣さんを見てしまった。また優衣さんと目が合った。今度は、笑顔を僕にくれた。その笑顔が、天使に見えた。悪魔に囁かれながら、天使の笑顔を見る。まるで、恋愛ゲームの中にいるみたいだ。どちらかというと、悪魔の囁きの方がよく聞こえる。川村さんには、そんなことは言えないが。
「でも、気になる感じ?」
川村さんが、完璧に悪魔に見えた。僕は、悪魔の言葉に、恥ずかしさもあったが、何も言えずうつむいた。
「ふふふ、中川さんってかわいいね」
「からかわないでよ」
もう悪魔に敬語は使えない、と僕は思った。
「はははっ!」
川村さんは、僕を見て笑った。その笑顔に僕もつられて笑った。川村さんがやっと、人間に見えてきた。
「優衣は、いろんな人から妹のようにかわいがられるんだよ。男女関係なく」
「そうなんだ」
僕と川村さんと二人で、優衣さんを見た。三人の話を楽しそうに聞きながら、笑っている優衣さんがいた。松下は、年上の二人に馬鹿にされている。
「中川さんいくつ?」
「二二です。今年三になります」
「敬語」
「すみません。あ、ごめん」
「もう、いいよ。喋りやすい言葉で」
人間に戻った川村さんに、またしても敬語を使いはじめていた。川村さんは、もう諦めたらしい。僕もどちらかというと、川村さんには敬語の方が話しやすかった。
「じゃあ、すみません」
僕は、話しやすい言葉で、話すことにした。
また二人で優衣さんを見ていると、相変わらず、優衣さんは天使のような笑顔をしている。かわい過ぎて、僕は気が狂いそうだ。
「チャンスかもね――」
川村さんは、ボソッとつぶやいた。
「今、優衣フリーみたいだから頑張ってみれば」
「でも、狙っている男どもはいっぱいいるでしょ?」
僕は、半分白旗を上げているように答えた。
「そんなのわからないじゃん! 優衣のこと、かわいいと思うでしょ?」
「思いますけど……、川村さんだって魅力的だと思いますよ」
「あら❤」
胸キュンというよりは、とぼけた感じの返しだった。僕もその気があるわけではなかったが。だって僕は、優衣さんの方が……。
ハッハッハッ!
横にいる四人から、突然笑いが起こった。僕と川村さんは驚いて、四人を見たあと、二人で顔を合せ笑った。
「嬉しいこと言ってくれるじゃない。けど、私はだめよ。こう見えても、彼氏いるんだから」
「いても不思議じゃないですよ」
僕は、冷静に返答した。
「今日は、頼まれて来ただけ。おいしいご飯食べれるし」
「けっこう腹黒いんですね」
「みんなそんなもんでしょ」
川村さんは、僕に微笑んだ。川村さんと話してると、余計な相談してしまいそうなぐらい、何でも話せてしまう。夕方、編集長に怒られたことなど、もうどこかに飛んでしまっていた。
「中川さん、かわいいからお姉さん頑張っちゃおうかな」
「何がですか?」
僕には、さっぱりわからなかった。すると、川村さんはおもむろに立ち上がった。
「ちょっとトイレ。頑張ってね」
意味深な言葉を残し、川村さんは席を立った。
しばらくして、川村さんが戻って来た。と思ったら、自分のグラスを持って、席を移動してしまった。僕は、何かいけないことを無意識のうちにしてしまったのではないかと思ったら、川村さんは僕にウインクをしてきた。僕には、このときまだよくわからなかった。
「優衣、席代わろう」
川村さんの明るい声が聞こえる。優衣さんは、よくわからないまま、自分のグラスを持って、僕の前の席にやってきた。向こうでは、川村さんが「なになに、何話してたの~」と明るく振る舞っている。松下は、嬉しそうに話を始めた――どうやら、自分の元カノの話らしい。川村さんは、松下の話を聞いている素振りをしながら、僕と優衣さんに、小さくピースした。どうやら、川村さんに、いい意味ではめられたみたいだ。
「一杯食わされましたね」
僕は、ボソッと優衣さんに向けて話した。
「そうみたいですね」
優衣さんも同じ気持ちだったみたいだ。
「いい人ですね」
「とても頼りになる人です」
「僕も、あんな先輩がいたらなぁ」
僕の頭をよぎるのは、自分にとっていいとは言えない人たちばかりだ。
「でも、いい同僚がいるみたいじゃないですか」
「松下? 悪い奴じゃないけど――」
「とても素直で、人の良さそうな人ですよ」
「そうかなぁ」
僕には、とてもそうとは思えない。
「それにしても、今日はびっくりしました。ここに、優衣さんがいるなんて思ってもみませんでしたよ」
「今日の朝、訊こうと思ってたんですけど、なんか忙しそうだったんで……」
やはり今日の朝、何か言いかけていたような気がしたのは正しかった。
「すみません。ちょっと急いでまして……」
「いいえ、私の方こそ。朝は、忙しいんですか?」
「今は、ちょっと……」
僕は、今任されている仕事のことについて話した。優衣さんは、黙って、ときに笑いながら聞いてくれた。この時間が楽しかった。僕も、優衣さんの話を聞いていると、何か心地いいメロディーを聴いているみたいで、気持ちが落ち着いた。
「ずいぶん盛り上がってるな」谷口さんが、横から入ってきた。
「こいつ、どう?」
「ええ、とてもいい人ですよ」優衣さんが、笑顔で答えてくれた。
「ま、こいつは人が良いのだけが、取り柄みたいなもんだからね」
ちなみに、今日の朝、谷口さんと話したのが、入社以来二回目だ。
「こいつのことよろしく頼むわ」
「谷口さん! 何をいきなり。酔ってるんですか?」
事実、かなり谷口さんは酔っ払っている。みんな気持ちよさそうだ。静かに進行されているが、酒だけは、進行が早かった。僕は、完全に乗り遅れている。
「優衣さんも困るじゃないですか」
優衣さんは、どうしていいかわからない素振りだ。
「そんなことはないしょ? 大丈夫だよね?」
「は、はい」優衣さんは、タジタジだ。
「じゃあ、連絡先交換しなよ」
「谷口さん、酔い過ぎですよ」
「あら、いいじゃない」
田中さんも入ってきてしまった。この二人、かなり酔っている。
「優衣、交換すれば」
「じゃ、じゃあ、交換しますか?」僕と優衣さんは、二人の先輩の横で、番号とメアドを交換した。
「いいなあ~。したっけ川村さん、僕たちも交換しましょう?」
「え~、呂律の回っていない人と、交換したくな~い」
「そんな~」
松下は、交換できなかったみたいだ。
いつの間にか、二時間以上過ぎていた。一次会はここで終わり。ここから、二次会だが、僕は明日もまたお店まわりをしなければいけないので、ここで帰ることにした。優衣さんと川村さんも帰るみたいだ。
「じゃあ、三人でカラオケだ! 松下、行くだろう?」
「もう、姉御に付いていきます」
田中さんのことを、松下は姉御呼ばわりしている。調子のいい奴だ。
「じゃあ、失礼します」
僕と優衣さん・川村さんは、地下鉄の駅に向かった。振り返りはしなかったが、松下の「イテッ!」という叫び声が聞こえてきた。僕たち三人は、何も言わずに笑ってしまった。
「なんか、さっき連絡先交換してたよね?」
「まあ……ね」
僕は、嬉しさ反面、交換のやり取りがあんまり納得していなかった。
「やったじゃん! 頑張って。じゃあね」
「あれ、明菜、地下鉄じゃないの?」
「私、彼氏ん家」川村さんは、嬉しそうに話している。
「じゃあね」
川村さんは、足早に信号を渡り行ってしまった。取り残された僕と優衣さんとの間に、気まずい空気が流れる。
「とりあえず、行きましょうか?」
「そうですね」
僕と優衣さんは、再び歩き出した。
「優衣さんは、どこで降りるんですか?」
「私は、真駒内です。中川さんは?」
「僕は、栄町。逆方向ですね」
それから、僕たちは、会話もなく、地下鉄の駅に着いてしまった。
「じゃあ、私はここで」
「あ、そうですか? それじゃ」
僕たちは、改札の入り口で、別れた。
僕は、何をしているのだろう、と思う。やっと、話ができたのに、交換方法はともかく、連絡先も交換したのに、僕は何をしているのだろう。僕は、ただただその場に立ち尽くした。
気がつけば、僕は自分の部屋に着いていた。暗い部屋の電気をつける。僕の気持ちとは裏腹に、蛍光灯がまぶしく光った。家までの記憶が全くない。けど、無事に家に着いた。僕は、そのままベッドに腰掛けた。何か話すことはなかったのか、そんなことでまだ悩んでいた。そして、自分の不器用さに腹が立った。
ピピピッ ピピピッ ピピピッ
僕の携帯電話にメールがきた。
――誰だろう?
携帯電話を開けてみると、なんと優衣さんからだった。僕は、驚きのあまり、起立していた。
――お疲れ様です
今日は、ありがとうございました。あまり話す時間がなかったですが、今度はゆっくり話してみたいです。
優衣
僕は、すぐに返事を送った。嬉しさの余り、何回も打ち直したが……。
――今日はどうも
今日は、僕も今度ゆっくり話したいです。
そして、僕は勇気を出してこう聞いた。
――またメールしてもいいですか?
メールが送信された。返事が返ってくるまで、僕はドキドキしながら待つ。すると、すぐに返事が来た。
――ぜひ。私からもしてもいいですか?
――もちろん大丈夫です。
明日からの仕事に、僕は一生懸命になれそうだ。