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運命の出会い……?

 会社に戻ったのは、四時過ぎ。何も収穫はなかったが、明日からの期待と不安で満ちている僕の横に、さっき街でぶつかった女性がエレベーターの前に立っていた。

 「あっ」女性が、僕に気づいた。

 「あっ、どうも。大丈夫でしたか?」僕は、女性を気遣った。

 「はい、大丈夫ですよ。そちらも、お怪我はありませんでしたか?」女性も、気遣う。

 「僕は、大丈夫です。丈夫さだけが取り柄ですから」

 「よかった~」

 女性は、本当に心配してくれていたみたいだった。エレベーターを待っている間、二人の会話が弾んだ。

 「あの、このビルで働いてるんですか?」

 「ええ、ここの八階の会社で――」

 「もしかして、〟月刊フードボーノ〝の方ですか?」

 「そうです。今取材の帰りです」

 なぜか、僕はこの仕事に誇りを感じた。

 「私、あの雑誌大好きなんですよ!」女性は、少し興奮気味に話した。

 「ありがとうごあいます」僕は、なんだか嬉しくなった。

 とてもきれいで、可愛らしい人だ。僕は、自然と笑顔になり、エレベーターに乗って、束の間の二人の世界を楽しむ……はずだった。

 扉が閉まる直前、玄関の方からもの凄い勢いで走ってくる男が見えた。走り方がブサイクで、しわくちゃの薄いグレーのスーツが走り方を、さらにブサイクを強調した。僕は、なぜか早く扉が閉まってほしい刹那に願った。しかし願い空しく、男は閉まる直前を開き、中に入ってきた。

 「ウィイ~、中川。今帰りか?」

 その男は、同期の松下登だった。明るくてなかなかいい男だが、どうも空気が読めない奴で、海外映画に出てくるお調子者で空気の読めない脇役みたいな奴だ。おまけに、顔がとても同い年とは思えないほど老けている。

 「お前、パンダに何か頼まれてたべ?」

 「ああ、今度の企画を任されたんだよ」

 「いいな~。富田さんみたいなきれいな人の下で仕事していると思えば」

 松下は、天井を見つめる。僕は、女性の方を見た。僕と目が合うと、ちょっと気まずそうだ。僕も、ひきつった笑顔で女性を見た。

 「今度は、企画を任されてるのか。お前は本当に、同期の働き頭だな」

 「給料は一緒だろ?」

 「そうだけどよ――で、こちらは?」松下が、女性の方を見た。

 「ああ、えっと……」そういえば、僕は名前を知らなかった。

 「あっ、浅木優衣と言います」

 「お前、いつこんなきれいな人と知り合ったんだ?」

 松下は、不思議そうに、そして羨ましそうに問い掛けてきた。

 「まあ、さっき……」

 僕が口ごもると同時に、チンという軽い音が鳴った。

 「私、ここで降りますんで……、それじゃあ」

 「じゃあ、また」

 僕は、また会いたいという期待を込めて、「また」という言葉を伝え、笑顔で手を振ると、優衣さんも笑顔で手を振ってくれた。

 降りたのは、四階だった。四階は、旅行代理店。ここで降りたということは、ここで働いているのだろうか。私服だったのが気になったが。

 「お前、大丈夫か?」

 松下が、声をかけてきた。

 「さっきから、ずーーっとボーーっとしてるぞ。まさかお前、あの子にお熱か? やめとけ。ああいう子には、もう彼氏の一人や二人いるに決まってるしょ」

 ――わかってるよ、そんなことは!

 自分で考えてたことを、人に言われることほど腹立たしいことはない。

 「お前はどうなんだよ?」

 「オレ? それはそれは順調だよ❤」

 これが、失敗だった。松下の術中にはまってしまった。それから、エレベーターが八階に着くまでの間、彼女の話を永遠と聞かされた。彼女の写メを見せられながら、合コンで知り合ったとか、どこどこでデートしたとか、僕にはどうでもいい話をしてくる。しかも、そんなに可愛くない。中の中ぐらいのごく普通の子だ。ただ、話を聞いていると、どうも性格がよくないように聞こえてくる。それでも、松下は幸せそうだし、僕はあまり興味がないので軽く聞き流した。でも、松下からいろんな彼女の話を聞いているが、こういうおちゃらけた奴に、なぜか彼女が絶え間なくできるのか、不思議でしょうがなかった。

 「どうした? 顔に何か付いてる?」

 「別に」


 チンと音がして八階に着くと、松下の話から解放された。喜びも束の間、エレベーターの扉が開くと、そこには富田さんが立っていた。

 「お、お疲れ様です」僕は、ビクッとしながら、声をかけた。

 「あら、今帰り?」

 「そうです……」

 富田さんが妙に優しい――僕は気味が悪く、恐る恐る答えた。

 「そう、頑張ってね」そう言うと、エレベーターに乗って、富田さんは行ってしまった。

 「お前はいいな。あんなきれいで優しい人と仕事できて」

 松下は、羨ましそうに言う。

 「もう終わったよ」僕は、冷たくあしらった。

 ――何がいいものか! きれいな人? 鼻毛出てるのに? 松下、お前は人を外見でしか判断できない悲しい奴だ。羨ましく思うなら、まずは自分の彼女の趣味から変えたらどうだ!

 僕は、心の中で叫んだ。

 

 会社に戻ると、すぐにパン……編集長に呼ばれた。ブツブツ僕を羨ましがる松下と別れ、編集長のデスクに向った。

 「どうだった? 初めての一人の取材は?」

 低い声で明るく振る舞ってくる。何かを期待しているようなものの言い方だ。

 僕は正直に、

 「やっぱり難しいというのが正直な感想です。どこもありきたりというか、聞いたことがあるお店ばかりで、一日で見つかるほどこの企画は甘くないですね」

 「そうだろう。一日目から見つけました、なんて言ってきたら、一発ぶん殴るところだったぞ」

 編集長の顔で言われたら、妙に迫力がある。とりあえず、今日は上々のデキだったみたいだ。殴られずに済んだから。

 「今日は街中だったので、明日からは郊外にも足を運んでみたいと思います」

 「そうだな。とりあえず、朝礼に顔を出したら、あとは好きにしていいから。お前に回す仕事もないし」

 「……わかりました。失礼します」

 なんか、複雑な気持ちで、僕は編集長のデスクをあとにした――回す仕事がないって……。

 

 荷物を自分のデスクの上にゆっくりと下ろす。今日は、とても疲れた。朝から失敗の連続で、怒られてばかり。その間に、きれいな女性と出会ったが、特に手応えもない。そして、任された仕事も収穫なし。また明日から、今日以上に忙しい日々が始まると思うと、自然と顔も下を向く。でも、期待も大きい。自分の実力もわかるし、みんなの予想以上にいい記事が書けるかもしれない。僕は、下を向いていた顔を上げた。目の前には、まだ終わっていない仕事がある。時間内に終わりそうなものだった。僕は、荷物を足下に下ろし、さっそく仕事に取り掛かった。

 仕事をしているときも、優衣さんのことが頭から離れない。その為か、思いのほか時間がかかってしまった。僕は、立ち上がり、気分転換に自動販売機で缶コーヒーを買って、仕事に戻った。残っているのは、僕と松下だけだ。しかも、松下は寝ている。誰からも相手にされていないみたいだ。やっと仕事が終わったので、僕は、松下に声をかけた。

 「おい、いつまで寝てんだ?」

 「うん、う~ん……」

 松下は、垂れているヨダレを拭きながら、半開きの目で僕を見上げた。

 「お前、仕事終わったの?」と言ったのだと思う。寝起きだから、何を言っているかわからない。

 「終わったよ。今から帰る支度をするところだ」

 「今、何時?」

 松下は、伸びをしながら奥に尋ねた。

 「もう七時だ」僕は、缶コーヒーを飲みながら、冷静に答えた。

 「なに!? やばい、デートに遅れる!」

 松下は、荷物を持って走って帰ってしまった。僕を待っていたのだと思っていたのに、ひとり取り残されてしまった。

 しかし、明日から企画に集中できる。今日はいろいろあったが、とても頑張ったと思う。だが、もうクタクタだ。帰ったら、すぐに布団の中に入りたい。でもその前に、優衣さんにもう一度会いたい。ドラマだと、帰りのエレベーターでばったり鉢合わせ、なんていうシチュエーションがあるんだが……。僕は、急いで帰る準備をしてエレベーターに向かった。

 エレベーターを待っているときの僕は、とてもソワソワしていた。逸る気持ちが抑えられない。チンと音が鳴り、エレベーターの扉が開き、中に入り一階と閉まるのボタンを両手で押す。七階、六階、五階とスムーズに下降する。そして、いよいよ四階。一瞬、止まりそうな気配がした。が、そのまま三階へ下降してしまった。世の中、そんなにうまくはいかない。何かエレベーターにまで、僕の気持ちを弄ばれたような気がする。僕は、半分残念な気持ちと半分諦めムードで会社のビルをあとにした。

 

 

 毎日、通勤・帰宅に使っている地下鉄の駅は、会社のビルから歩いて一〇分もかからないところにある。春も終りに近づき、もうすぐ夏が来るというのに、まだ肌寒い風が吹く。歩きながら空を眺めても、とても狭く、低く、悲しい夜空だ。高いビルが並んでいると低く感じるため、時折、遥か向こうの空でさえ、手が届きそうな気になる。

 「ふふふ」

 歩道で手を伸ばしているところを女性二人に見られた。僕は、伸ばした手を引っ込めて、苦笑いをしながら、駅に向かった。

 

 僕の住んでいるところでは、まだ目を凝らせば、星が見える。ふと足を止めて空をもう一度見る。

 ――この街の空の奥には、いくつの星が輝いているのだろうか? 僕は、この企画が終わるまでに、まだ見ぬ星たちを見ることができるのだろうか?

 

 地下鉄の大通り駅の看板が見えてきた。白光りした看板を通り過ぎて階段を下りようとしたとき、


 プッププ プッププ


 と、リズミカルな車のクラクションの音がした。音のする方に視線を向けると、白い軽トラックがクラクションを鳴らしながら、縦に揺れながら走ってくる。不思議に思っていると、僕の方へ近づいてくる。僕は、この軽トラックに見覚えがない。なのになぜか、僕のアンテナは、電波を感じ始めていた。軽トラックは、僕の横をいとも簡単に通り過ぎて行った。軽トラックが通り過ぎるとき、車窓から見えた男は、昼間に怒られた関西弁のしゃくれたおっさんだった。おっさんは、車の中で陽気に何かを歌いながら、クラクションを鳴らし、体を上下に動かしながら、車を走らせていた。

 僕は、軽トラックを勝手に見送った。それと同時に、アンテナの電波も徐々に弱くなっていった。僕は、首を傾げながら、地下鉄の駅の階段を一段一段ゆっくり下りて行った。僕の乗る東豊線の改札までは、長い地下街を歩く。特に人で混み合っているわけではないし、僕が深刻な悩みがあるわけでもない。ただ、今日という一日を生きたことに、疲れを感じているのかもしれない。だから、いつも以上に地下街が長く感じる。早く帰りたい、それが今一番の願いだ。通勤定期を取り出し、改札を通る。定期をしまいながら階段を下りて、地下鉄のプラットホームに出る。さすがに人が多くいた。

 この人たちは僕と一緒で、どこにも遊びに行かず、真面目に人生を生きている人たちだ。酒の魅力に負けず、友達に誘われた合コンの誘惑にも負けず、まっすぐ家に帰る清き人だ。あるいは、奥さんが怖いか友達のいない人たちだろう。たぶん、ほとんどが後者だと思う。まあ、酒を飲んでいる人が遊び人だとも思わないし、そういう人の方がいろんな経験をしているのかもしれない――あかの他人だし、そんなことはどうでもいいけど……。風呂に入って布団で寝たい……。

 地下鉄のホームの電光掲示板に、地下鉄が二つ前の駅を出発したのを表示した。僕は、二列に並んでいる右側の一番前にいる。今風の、ローライズの黒パンをはいた女の子が隣に来たとき、

 

 ピンポン

 

 電光掲示板に、地下鉄が前の駅を出発したのを表示した。僕は今、四列に並んだ右側から二列目の一番前にいる。後ろを振り返ると、多少人が集まってきた。ベンチに座っている人も立ち上がり、列に加わる。

 

 ピンポン

 

 電光掲示板が駅名を表示し、地下鉄の頭がライトを照らしながら、こっちに近づいてくる。電光掲示板の横にある時計が、七時二〇分ちょっと過ぎたところを指している。降りてくる人のため、列が二手に分かれる。僕は、かなり後ろに回されてしまった。地下鉄がゆっくりと止まり、降りた人のあとに、僕たちが地下鉄に流れ込むように乗り込む。人がまだ多く、席に座れそうにないので、入り口付近の吊り革に手をかける。

 扉が閉まり、地下鉄が動き出す。僕がいる大通り駅から、僕の実家がある栄町駅まで七つの駅を通過しなければならない。すぐ次の駅に着き、かなりの人が降りたが、空席もすぐに埋まってしまった。僕は、上に貼ってある広告を眺めた。振袖のレンタルや大学の入学案内に、飲み薬のチラシが貼られている。次の駅で、僕の前に座っていたサラリーマンが降りたので、僕は席に座ることができた。座ることが、こんなに気持ち良かったことがない。高校のとき、全国でも名の知れた部活に所属していたが、こんなに気持ち良かったことがない。補欠だったからかもしれないが……。それにしても、いろんな広告があるなと思う。一つため息をついてあくびをすると、辺りが暗くなり、そこから意識が無くなっていった。

 

 「お客さん、終点ですよ!」

駅員が、僕を起こすために肩を揺すっていた。ちょっと、迷惑そうな顔だった。僕は、恥ずかしさを隠しながら、

 「すみません」急いで、地下鉄を降りた。

 きっと、大きな口を開けて、アホ面しながら寝ていたのだろう。通り過ぎる人たち、みんなはにかんでいる。このとき、僕はハニカマレ王子になる。誰しもが、こういうときこういう状況になる。僕は顔を下に向け、足早にエスカレーターを上る。改札を抜け、目の前にある出口③から地上に出た。

 空は、暗黒の闇と化していた。しかも、今日は一段と黒光りして神秘的だ。ちらほら星も見える。これが、仕事をしたあとの空なのかもしれない。まだ知らぬ、明日の自分への期待が、夜空というキャンバスに描かれている、ような気がした。少しだが、この夜空を見て、疲れも取れた。明日も、この夜空を見れるだろうか。

 

 僕の家は、ここからさらに一五分ぐらい歩いたところにある。途中には、小学校やガソリンスタンド、ドラッグストアにリサイクルショップ、コンビニが三つに、パチンコ屋が五つなどがある。神社の向かいあるまあまあ公園は、今は車の行き来があるから大丈夫だが、車がいなくなると、近寄りがたい公園になる。意外と、いろんな店も緑も多い良いところだ。

 北光線を通り、左に曲がり、中道に入る。僕の家はもうすぐだ。僕の家は、今は賃貸のアパートに住んでいる。親父は定年間近のサラリーマン、おふくろは高齢者のためのレストランの厨房で働いている。不景気の波に煽られ、持ち家だったマンションを売ってしまった。両親は、道営や市営の住宅を申し込んでいるみたいだが、なかなか当たらない。その前に、僕は家を出たいと思っているのだが、なかなかお金が貯まらない。彼女もいないし、特にこれといった目標もない。それなら、実家にいた方が楽だ。とりあえず、お金が貯まるまでお世話になろうと思っている。両親も、僕がいた方が何かと楽だろうし。

 中道に入ると、僕はいつも夜空を眺める。ここから眺める夜空はなかなかきれいに見える。その中に、ひと際光る星がある。あれが僕の一番星だ。ここからなら、一番星がきれいに見える。高校生の頃は、近くの公園で休んでは、友達とタバコを吹かしながら、空を眺めた。最近は、元気なさそうに見えていたが、今日は元気に光っているように感じた。――僕も、頑張らなければ……。なんだか、体の疲れがスーッと抜けていくのがわかる。食欲も出た――腹減った……。僕は、足早に家へ向かった。

 

 

 「ただいま」

 僕は、玄関のドアを開けながら叫んだ。

 「おかえり。仕事終わったの?」

 家にあがると、おふくろが出迎えてくれた。

 「ああ。明日から新しい企画任されたんだ。だから、残してた仕事終わらせてきた」

 「あっそう」

 冷たっ! 淡白な反応に、驚いた。息子が初めてもらった大きな仕事に、何も感じないのかと、言ってやりたいが、それよりお腹の虫が大声で鳴いていた。

 「飯は?」

 「あるよ。用意していいのかい?」

 「ああ」

 僕は、自分の部屋に向かい、スーツを無造作に脱いで、パジャマ代わりのスウェットに着替える。スーツをハンガーに掛けているとき、

 「和弘! 和弘!」

 何回も、僕の名前を叫んでいる。

 「ああ!」僕が、おふくろに返事をするときは、「ああ」である。

 スーツの掛ったハンガーをクローゼットに掛け、ご飯を食べるため部屋を出る。

僕は、食べる前に手洗いをして、うがいをしてから席に着いた。今日のご飯は何だろうか? カレーの匂いがするが。今日は、カレー曜日なのだろうか? 食卓テーブルに着いて出てきたのは、ザンギ(鶏肉の唐揚げ)だった。

 

 

 想像してください

 

 少し大きめの一口サイズに切られた鶏肉を、タマネギなどの野菜をすりおろした醤油ダレに漬け込み、少量のカレー粉をまぶした片栗粉で、黄金色にカラッと揚げる。その揚げ上がりは、油の細かい揚げ音がまだ聞こえるかのような揚げたての見た目と、立ち昇る白い湯気から、ほのかに香るカレー粉の揚がった香ばしい匂いが香る。この黄金色の岩石は、一口かじると、旨味という肉汁とカレー粉の香ばしさのコントラストが、食欲を倍増させる。



 僕は、カレーよりザンギの方が嬉しい。僕のおふくろは、料理上手で知られていた。特に、ザンギと焼きそばは有名で、よく友達が泊まりにきたときは、ザンギを山のように作って出してくれたり、弁当に持たしてくれた。友達によく「お前んちのザンギが一番」と言われたものだ。おふくろの自慢料理だ。

 高校生ぐらいから、家族と一緒にテーブルを囲んで食事することが、無いに等しくなっていた。だけどおふくろは、僕がご飯を食べているときは、近くでテレビを見ていたり、洗い物をしていたり、いつもそばにいてくれた。それが、何か安心できる気持ちにしてくれていたことは言うまでもない。ご飯を食べさせてもらえるということは、幸せだ。

 「はい」

 化粧の落ちた顔にメガネを掛けて、白髪雑じりでショートヘアーのおふくろが、ザンギを持ってきてくれた。前に置かれたザンギの皿を見て、僕は生唾を飲み、箸を持ってザンギを一個食べた。

 うまい! 肉の甘味が、醤油味とうまく合わさって、白飯が進む……、白飯が進む……

 

 ???

 

 まただ。どこを探しても白飯がない。おふくろは、おかずを出して満足するため、白飯は自分でよそわなければならない。おふくろは、横になりながらテレビを見ている。別に文句はないので、味噌汁を一口飲んで白飯をよそいに行く。

 部活をやっていたときの僕の食べっぷりは、ハンパじゃないとみんなは言う。僕に、自覚症状はないが、ザンギ一個で、どんぶり飯一杯は食べれた。だが、運動をやめてしまった今は、さすがに食べれなくなった。今は、一食にどんぶり飯一杯が限界だ。そのかわり、ほかの副菜を食べるようになった。この日は、ザンギのほかに、きんぴらごぼうとレタスのサラダがついてきた。この献立は、僕の理想だった。肉だけでなく、野菜も食べるのが僕の理想だ。おふくろは、僕の好きな味だけでなく、服の好みだったり、食以外のことの好みまで知っている。親というのは、怖い。

 僕が食べているテーブルの隣のソファーで、母方のじいちゃんとばあちゃん、おじさんがリンゴを食べながらテレビを見ている。親父は、もう寝ていた。

 「和弘、リンゴ食べるかい?」ばあちゃんが訊いてきた。

 「いらない」

 僕は、果物全般食べない。ジュースなら飲めるのだが、生の果物は少々苦手だ。というか、二三年間一緒に暮らしているのだから、いい加減覚えてほしい。

 「おいしいのにね~」

 「う~ん」

 ばあちゃんがひねくれ、じいちゃんが賛同する。

 「和弘は、果物食べないから」

 おふくろはわかっている。そして決まって、子供のころの話をする。それと同時に、何かを書き込んでいた。

 僕が食べ終わり、食器をカウンターの上に置き席を立つと、おふくろが、

 「牛丼、買っとくかい?」

 「ああ」僕は、軽く返事した。

 我が家の食料は、ほとんど共同購入で買っている。野菜は、親戚や知り合いの農家からもらう無農薬野菜をおもに食べている。僕が小さい頃から買い始め、そのおかげかわからないが、丈夫な体をもらったし、何より野菜が好きになった。野菜のおいしさを知れたことが、何よりの財産になっている。そして、北海道という地に生まれて、おいしい食べ物を食べれることの喜びを知った。

 

 僕は部屋へ戻り、机の上にあるパソコンの前に座り、パソコンの電源を入れた。そして、インターネットを開き、札幌の飲食店を調べる。かなりのアクセス件数がある。まずは、地域を絞らないといけない。中心部より郊外、豊平区・清田区方面を探す。豊平区には、僕が通っていた高校がある。どちらかといえば、そっち方面の方が知り合いも多い。僕は、豊平区・清田区方面の飲食店をプリントし、僕の希望に近いお店を蛍光ペンで記し、リストアップして、パソコンの電源を落とした。

僕は、徐に立ち上がり、ベッドに倒れ込んだ。近くにあるテレビのリモコンを手にし、リモコンだけを向けて、テレビの電源をつけた。テレビでは、野球のナイトゲームがやっている。テレビをつけたあと、僕は決まって目覚まし時計の設定をする。これが高校のときからの習慣になっていた。遅刻だけはしたくない。僕は座り直し、今度はDVDの電源をつける。毎日、テレビ番組を予約している。昔からテレビっ子だった。バラエティが中心だが、教養番組や教育ドラマ、ニュースなんかも見るようになった。でも、料理番組が一番面白い。あんなにおいしそうに見えるテレビの技術は素晴らしい。きっと食べても、抜群なのだろう。

 今日は、月曜日。現在、九時。だいたいいつも、一日前に録画した番組を見る。だが日曜日はパチンコに行っていることが多いので、何も見ないで寝てしまう。なので、今日は土曜日に録画した番組を見る。今流行りのスピリチュアル番組を見たあと、料理番組を見る――今日は何を作るのだろう? 今日は、スパゲティ・ミートソースだ。実に、シンプルでいい。ゲストは、これも今流行りのおバカアイドルだ。少々危なっかしいが、以外と包丁使いが慣れている。なかなか面白いのだが、一〇時から見たい番組があるので、飛ばし飛ばししながら見る。番組の終わりに、星の数で料理の評価をする。おいしそうに出来ていたが、今日は……なんと星三つだ。こういうゲストのときは、たいてい最高の評価をする――でも、僕にとっては、当たり前のことである。まずは、作り手への感謝の評価をしなければいけない。そのあとに、言いたいことがあるなら言えばいい。まずは、作り手への感謝だ――まぁ、最高点ばかりでは、番組が成り立たないのはわかっている。ただ、思ってみただけさ……。

 

 それが終わり、時刻は一〇時。ギリギリ間に合った。DVDの電源を切り、チャンネルを切り替える。CM明けで番組が始まる。五人組の男性アイドルの番組だ。最初のコーナーは、料理だ。四人のシェフがゲストに料理を振る舞うコーナーだが、四人とも料理がうまい。しかも、今日のゲストは、僕の大好きな女優だ。もう、たまらん。きれい過ぎる。

 オーダーしたのは、前菜とスープだ。今まさに、いろんな意味で、僕が作ってもらいたい料理だ。ゲストとシェフの絡みがあり、試食。盛り付けもきれいで、料理の説明も丁寧だ。女優の顔もほころんでいる。僕は思う。このレストランがあれば、僕に任された企画もうまくいくのにな、と。無いものねだりをしていると、いよいよ判定だ。ここまでくると、どうでもよくなる。このあとのご褒美のキスなんか見たくもない。ましてや、自分の好きな女優にキスしてもらうところなんか見たくもない。僕は、布団の中に入り、結果を気にしながらも、まぶたを閉じた。僕は、判定前のCMに入ったときには、ベッドの上でいびきをかいていた。


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