志野谷さんと深見くん
同人誌オリジナル短編の志野谷依子視点です。
虹川くんの家へちーちゃんを見に行こうとして門の前で深見くんとばったり会った。深見くんも遊びにきたらしい。
「深見くん……」
「志野谷。お前、また失恋したんだろ。虹川の家に来るときは大体男と別れたあとだもんな」
ううっ、図星。昔から華やかな顔の男性に憧れる。少し付き合うと大抵顔目当てだとバレて、別れを切り出される。
今回私を振った男性は同じ会社の人だった。あんまりにもこっぴどく振られたので、もう会いたくなくて、会社を辞めてしまった。
深見くんは溜息をついた。何となく深見くんの言いたいことがわかる。
「深見くんの言いたいことくらいわかるよ。いつまでも、夢見ているなってことでしょ」
私が以前、散々美形の虹川くんに付きまとっていた経緯を知っている深見くん。面食いなのは認識されているだろう。羞恥を覚えて、そっぽを向いた。私の髪が揺れた。
少し間をおいた後、不意に深見くんが言った。
「なあ、志野谷。俺達付き合おうか?」
その発言に滅茶苦茶びっくりした。背の高い深見くんを見上げる。
「え? はあ? 付き合う?」
「そうだよ。俺は美形じゃないけど。志野谷と、付き合ってみたい」
……考えたこともなかった。深見くんを思い切り見つめてしまった。「美形じゃないけど」。深見くんはそう言った。改めて眺めてみる。
確かに私の憧れる華やかな顔ではない。でもよくよく見てみると……地味だけれど、顔の造作は整っている。何故気付かなかったのだろう。
学生時代から私のことを、真剣に怒ってたしなめてくれたり、カバーしてくれたりした。良い人なのは身をもって知っている。
「ま、まあ、……ちょっと付き合うくらいなら、いいかもね……」
深見くんに対して素直になれない私の口から出たのは、そんな答え。それでも本心がわかっているかのように、深見くんは笑った。
「そうだな。ちょっと付き合って……虹川達みたいになるのも悪くないんじゃないか」
笑みと言葉に、私は真っ赤になった。格好良い。しかも結婚前提ってこと? 何て潔いのだろう。私は虹川くんの家の前で恋に落ちた。
♦ ♦ ♦
仕事を辞めていたことを知った深見くんは、自分の職場へ私をアルバイトに誘った。
深見くんの家は何店舗か支店を持つ洋菓子屋を経営している。彼は将来跡を継ぐため、支店の店長として働いていた。
お店は洋菓子販売だけではなく、カフェスペースもあり、実演販売も行っている。仕事内容が幅広い。やっていけるだろうか。
「今まで普通のOLだったんだけど……。接客業なんて、大丈夫かな」
「大丈夫だよ。人手不足でさ。働いてくれると助かる」
まずは売店の接客から、丁寧に深見くんに仕事を教わる。ケーキの名前、味、値段。接客応対マニュアル。焼き菓子の種類。包装の仕方などなど。
「……覚えること多すぎ……。無理かも」
「慣れが重要なんだよ。お前、今までだって会社で働いてきたんだろ?」
「それはそう、だけど……」
実は、そんなに大した仕事はしていなかった。女性は大事な仕事を任せてくれない会社だった。
「ゆっくり覚えればいいさ。わからないことがあったら何でも訊け。何でもだぞ。自分の判断で仕事をするな」
「うん……」
自信が持てないまま、返事をした。
お客様が来店した。マニュアルを思い出しながら、「いらっしゃいませ」と言う。
「声が小さすぎ。はきはきしろ」
潜めた声で深見くんに注意されてしまった。学生のときから深見くんには注意されてばかりだなあ。
数日程経ち、売店での接客に少し慣れてきた。トングでのケーキの箱詰めはまだ危なっかしいけど、声も大きく出せるようになり、レジ打ちもできるようになった。だけど。
「ねえ、お姉さん。この焼き菓子、値段間違えてない?」
「あっ! 申し訳ありません!」
ミスが多い。落ち込んでしまう。
「志野谷。ちょっとは仕事できるようになってきたと思ったら……。時間かかってもいいから、きちんと間違えないようにしろ」
一緒に売店で働いていた深見くんに呆れられてしまった。
更に数日後。お客様に要冷蔵チョコレートの配送を頼まれた。今は売店に私一人だ。他の人はカフェスペースでの接客や実演販売で忙しそうだ。
……チョコレートなんて配送したら、途中で溶けてしまうのではないか。
「申し訳ありません。チョコレートは溶けてしまうので、配送はできないのですが……」
話していると、深見くんが来た。
「お客様、冷蔵配送でチョコレートも送れますよ」
配送できるのか……。知らなかった。お客様が帰った後、深見くんが怒った。
「自分の判断で仕事するなって言っただろう! 待ってもらってでも誰かに訊け。本当に社会人やっていたのか?」
「ごめんなさい……」
深見くんの言うことは正しすぎて、自分で自分が嫌になる。謝ることしかできない。嫌われやしないだろうか。
「相当箱入り娘だったんだな……。仕事では困るけど、そんなお前も可愛く思えるから、俺も重症だな」
うわ、深見くんに可愛いって言われた!
「でも仕事は確実にやれ。同じ間違いは許さないからな」
「……うん! 頑張る!」
深見くんから可愛いなんて初めて言われた。嬉しくて堪らない。絶対仕事のミスはしないようにしよう。……働いている身としては、当たり前のことなんだけれど。
それからは時間をかけても、気をつけて仕事した。世間知らずなのは自覚している。それでも頑張って、ミスをしないようにした。
シフトの時間を終えてタイムカードを押した後、売店裏で仕事の復習をしていたら、深見くんが顔を覗かせた。
「随分熱心に仕事しているな。仕事上がりだから疲れているだろ。無理するな」
「無理なんかしていないよ。頑張るって決めたんだもん」
笑顔で答えたら、いきなり抱きしめられた。いつ人が来るかもわからない売店裏なのに……。
「お前、依子……。成長したな。健気で可愛くて、すぐにでも結婚したくなる……」
「ふ、深見、くん……」
「麻人て呼べよ」
深見麻人くんに、依子って呼ばれた。名前呼び。恥ずかしいけれど、幸せ。
さすがに売店裏なので、すぐに身体は離された。
「麻人くん……」
「今日、うちへ来い。依子」
麻人くんの仕事上がりの後、彼の一人暮らしの家へ、ともに行った。
家に入った途端、玄関口で再び抱きしめられる。
「好きだ。結婚しよう」
囁かれ、整った顔を私の髪に埋める。
「……はい。結婚……」
承諾の返事が終わらないうちに、キスされた。苦しいくらいのキス。だけど、それくらい私を求めてくれているんだ、と思うと麻人くんが愛しい。
「良かった……。愛している、依子」
「私もだよ、麻人くん。愛している」
その後は、楽しく結婚の準備を一緒にした。
虹川くんの結婚式に憧れている私は、純白のウェディングドレスが着たい。麻人くんも賛成してくれた。
列席者に結婚の証人になってもらいたい。人前式にすることにした。
思い切って、式の場所は沖縄。綺麗な青い海がのぞめる場所。みんな、来てくれるかな?
ウェディングドレスは、大胆なビスチェドレス。首から指先まで素肌を露出する。デザインに合わせて、麻人くんが大粒の宝石を使った綺麗なネックレスを贈ってくれた。
「依子は首筋魅力的だから、強調しないとな」
私のボブカットの頭を撫でながら、言ってくれた。自分でチャームポイントだと思っていたところを褒められて嬉しい。
式の場所は遠いので、親族と親しい友人だけを呼んだ。山井さんに電話すると、是非行くと、興奮して招待に応じてくれた。
「まさか志野谷さんと深見くんが結婚なんて……。思いも寄らなかったよ。……実は私も、もうすぐ結婚するんだ」
「そうなの? おめでとう! 式に呼んでね」
虹川くん夫婦にも話すと、それはもう驚いていた。
「ええっ!? 深見と志野谷が? 信じられない組み合わせだな。沖縄でも絶対行くよ」
夫婦と娘のちーちゃんと来てくれるらしい。
「ちーちゃんにリングガールになってもらってもいい?」
「いいよ。何着せようかな……」
可愛らしいちーちゃんだ。何を着ても似合うだろう。
やがてみんなで沖縄へ旅立った。
青い青い海と空の沖縄での挙式。会場はガラス張りの、天井が高い開放的な空間だ。
列席者が受付で結婚の証人として、結婚証明書にサインしてくれる。
みんなが会場に入ってから、私達は入場した。
司会者が開式を宣言し、私と麻人くんは誓いの言葉を述べた。永遠の愛を列席者に誓った。
天使の格好をしたちーちゃんが、リングピローを持って祭壇へ来た。ピローを麻人くんに渡して、私へにっこり笑いかける。
「よりこおねえさん。ゆめでみたとおり、すごくきれいな、おひめさまみたいな、およめさんね」
私も幸せいっぱいな笑顔になった。
「そうだね。ちーちゃんの夢、正夢になったね。私は麻人くんのお姫様で、お嫁さんなのよ!」
麻人くんを始め、列席者も全員微笑んだ。とても素敵な人前式だった。