金蘭の契り(四)
「ふうん……。だから、そんなに袴が汚れていたのか」
ひとしきり仲間と打ち合いをして、ふたりは桐之の屋敷の裏手にある神社へ来ていた。桐之は御神木の根元に座りこんで、藤間周吾が、まだ手にもっている木刀で剣術の型をさらうのを眺めていた。
神木の欅から地面にこぼれ落ちるまだらな陽の光は、ときおり吹く風にその位置を気まぐれに変えた。それは地面という場を借りて、自らの姿を置いた居候のようだとおもい、同時に、どこか自分のようでもあると桐之はおもった。
周吾が腹に力をこめ、ゆっくりと息を吐く。吸って右前に木刀を構え、前へ踏みこむ。振りかぶって一、二と打ち合い、相手の刀を上から叩き退け次の一手で正面から相手の腹を突く。
桐之が吐息した。
周吾はそんな彼をみて、快活に笑った。
「おれは、みんなと打ち合いをしているだけなのがいいよ」
桐之の木刀は、打ち合いを終えてすぐ、屋敷の縁側に立てかけてあった。
「そうなにか事が起こるわけでもないさ」
完璧に型を決めた相手からの言葉に、桐之はまだら模様の地面へ目を落とした。
鋭いのか鈍いのか、わからぬ衝撃であった。ただ、言いようのないさみしさが胸にひろがり、地面に落ちるこのまだら模様は、あるいは美里の涙のようであるともおもった。
「だれも、討ちたい相手なんかいないよ」
「鍛練さ、きりの。雑念をはらって、直き心で剣をもち、理非の分別をする。討ちたい相手のことではなく、己の心と向きあうのだ」
「……ならば周吾は、もう免許皆伝じゃないか」
周吾はまた、からりと笑った。
「あんたが言うところの、“ものがしらのおんぞうし”だぜ、おれは?」
桐之は陽光に手をかざした。天ばかりは、青い。切れた草履の鼻緒は、打ち合いのあいだに、周吾ではなく母に直してもらっていた。
「みりどのが、とてもかなしそうに泣くんだ。母君はあんなにやさしいのに。みりどのを怒ってなどおられないのに」
むしろいつも身の置きどころがないのは、己のほうであった。なににつけても秀でたところのない己の不甲斐なさを、いつもどうしてよいのかわからない。上に兄が三人いるのだ、おそらく生家の家督を継ぐわけでもない。運よくどこかに婿養子に入るか、生涯部屋住みになるか、世のならいを隅々まで知らぬ幼い目にも、世のあり方は厳しく映っていた。
「美里どのの気持ちはおれにはわからないが……、着物が汚れたことが悲しかったのではないか?」
「そうかもしれない。でも、ほんとうにそれだけだったのかな……」
声をかぎりに泣いていた美里のまとううつくしい着物は、見るも無惨に泥だらけであった。淡紅色の袷に、躑躅の紋様を刺繍した綸子の帯は、中士の武家娘にしてはいささか派手なものだった。美里の母・紗江の装いも、己の母とくらべても日頃から随分と華やかであった。
この世のかなしみをすべてあつめとったような美里のあの眸は、どこからきたものなのだろう。
隼の雛が親鳥の羽にうもれるようにしていたあたたかそうなさまが、また桐之をやる瀬なくさせた。