金蘭の契り(三)
「浮かない顔だなあ、きりの」
「……しゅうご」
藤間周吾は、するすると幹を伝い、枝を蹴って跣のまま桐之のまえに降り立った。桜から落ちた葉緑が、彼にあわせてはらりと舞った。
塀の向こうでは、相変わらず威勢のいい音が響いている。周吾は桐之の袴に目を止め、あっと驚いた。
「どうしたんだ、その袴は? ずいぶん派手に転んだなあ」
周吾は、袴の汚れを桐之が転んだものと決めてかかった。だがじっさい、なにも間違ってはいなかった。山に隼の雛を見にいって転んだのだ。転んだ先に運悪く水たまりがあっただけであった。周吾は興味深げに、生地に染み込んだ泥の汚れを見た。
「みんな、来ているのか?」
桐之は、それ以上周吾になにも尋ねられたくはなくて、塀の向こうに目をやった。木刀の打ち合う乾いた音が、高らかに鳴り、そのたびにどよめきが起こっていた。
「ここのところ、雨だっただろう? やっと土もかわいて、あいつらも打ち合いをたのしみにしてたんだ」
周吾はそう言って、空の手に木刀を構える仕草をした。途端、彼は、やあっと掛け声を発した。
「きりのっ、覚悟っ!」
跣を擦って、周吾の袷の袖がひるがえる。上段から桐之の面に打ち込む、とみたところで、桐之はとっさに左に避けた。が、桐之はここでも不運であった。桜の木から散った葉緑を踏み、踏ん張ろうとしたところで草履の鼻緒がぶつりと切れた。いきおい、足は地面を滑った。悲鳴にならぬ悲鳴を上げ、彼は見事に尻餅をついたのだった。
「ああ……」
とは、どちらの言であったろうか。
清々しい皐月の風が、さあっと通り抜けた。
「よく晴れているなあ……」
桐之は尻餅をついたまま、からりと澄んだ空を見あげた。美里とともに、朝にみた隼の雛が、親鳥の羽にうもれるようにしているさまが、なぜか浮かんだ。
「きりの、悪かったな」
周吾はバツが悪いというよりも、気遣う表情をした。こういうところが周吾のいいところだ、と幼いながらに桐之は認めていた。
「鼻緒がきれたよ」
桐之は、だから周吾には、自分のすぐに拗ねる性分をさらけ出せた。周吾は快活に白い歯をみせた。
「おれが編んでやるよ」
「ものがしらの、おんぞうしが?」
「いらないのか」
「……いい」
桐之は口をへの字に曲げた。これもまた、彼の性分であった。
「むずかしいなあ、あんたは」
周吾は大人びた口を利いた。桐之は困った顔で彼を見あげた。“男子らしく”とは、父に母に、常日頃彼が言われるところである。彼は、周吾と自分の心根をとり替えたいと、何度思ったか知れない。ああ、と心のうちで嘆息した。
「……ぞうり、編めるの?」
桐之は、やっと立ち上がって袴を整えた。草履の鼻緒ひとつでも切れたほうが、活発で感心なことだと彼の両親は歓ぶのかもしれなかった。
「そのまえに、はだしになろうぜ。あいつらと打ち合いだ」
藤間周吾は、皐月の空のごとく笑った。