金蘭の契り(一)
西欧的な愛の概念はこの時代はほぼ存在しないと思いますが、あえて使います。なお、続きますが都度完結にします。
新田信衛門の妻女・美里が亡くなったと聞いたのは、庭の池にしとどに雨の落ちる七月半ばのときだった。
桐之は雨をみていた。
庭の松の枝は、競うように折り重なって池に伸びていた。
そこに美里の声がきこえるようであった。
――――桐さま、わたしお嫁にいくのです。
「美里殿」
桐之は雨にさざめく池をみていた。美里の姿をじっとみまもるかのようであった。
***
「みりどの、雛がすこしおおきくなっていますよ。ほら、わかりますか」
「桐さま、みりにはみえません。いま少しおみ足をずらして、みりにも場所をあけてくださりませ」
「みりどの、みりどの。そのように押すのはやめてくだされ、音がたつと隼に気づかれてしまいます」
「みりはわるくありません。いけないのは、桐さまのほうです。みりは、たったひとりでこちらへ参ってもよかったのです。雛をみに参りましょうと申されたのは桐さまなのです」
「つぎに晴れたら雛がみたいと申されたのは、みりどのではないですか。きりのは……、やくそくをしたではないですか」
「では、もう少し場所をあけてくださりませ。桐さまはさっきからずっとみりにはみせてくださりません」
つん、とそっぽを向いたむすめは数えで十くらいであろうか。
太く短い眉に、二重瞼に眸は縦におおきくある。さほど高くはない鼻梁に慎ましやかな小さい唇を縁取るのは、まだ幼いながらはっきりとした貌の輪郭であった。唇の彩りと、うるみのあるおおきな眸から、娘の印象はみずみずしい桜貝を思わせるものであった。
淡紅色の袷に、躑躅の紋様を刺繍した綸子の帯は、武家のむすめの恰好にしてはいささか派手といえた。
そのむすめが足場にしているのは、山道から少し離れた子楢の生えるくぼみであった。子楢の枝が伸びる先には張り出している岩場が下方までつづいていた。
その岩場の中腹は岩棚になっており、そっぽを向いたむすめの位置から、ちょうど、隼の巣のあるのがありありとみえるのであった。
「みりどの、その、雛が……出てきています」
桐さまと、みりというむすめに呼ばれていた少年は、いまだ元服前の様相であった。松葉色の袷に薄墨色の平織袴と、いたって常識的な装いである。
男児にしてはいささか細い輪郭に、長い眉と、横にひろい目の二重瞼は如何ほどはない。下を向いた鼻と小さな唇は、彼の意気地をあらわしているようでもあった。
彼は、おずおずと岩場を指さした。
岩場の陰から、親鳥の戻るのをみつけたのか、隼の雛が三羽たてつづけに姿をあらわしていた。総身をおおう白い羽毛の下からと、尾の部分からは黒い褐色の羽色がところどころのぞく。嘴は羽毛とおなじく白みをおびているが、目の周囲は黒い褐色で瞳孔は親鳥のそれよりはやわらかい丸みであるものの、やはり猛禽といえるものであった。
親鳥が、岩場ちかくでもう一羽の親鳥から受けとった獲物をこまかくちぎって雛にあたえるのを、桐之はいまだそっぽを向く美里を忘れたかのごとく食い入るようにみた。
餌を待つもう二羽の雛鳥が、ふるふると羽毛をうごかし、互いに身を寄せあってときどき目を細めたりひらいたりするさまが、どうしようもなく彼の心をゆさぶった。
「かわいいのですね……。あたたかそうだ」
感嘆をこぼした桐之は、その感動のままに美里を振り返った。
と、美里は忽然と桐之の隣から姿を消していた。