金蘭の契り(三)
新田卯松は番傘を傾けた。
「傘はお持ちか」
「……いいえ」
「ここで誰かを待っているのか」
「父を待っております。まもなくきっとここを通るでしょうから」
どうしてか後ろめたさを感じて、美里は卯松から顔を背けた。雨音はない。いまだ誰の通る気配もなかった。
「それがしの傘をお貸し申そう」
卯松は番傘を畳んで美里へ柄を差し出した。紺桔梗の袖がはらりと雫に濡れる。
「それでは新田さまが濡れてしまいます」
「これしき……」
卯松は口を歪ませたが、暗い顔つきであった。
「……俺のようにはなにもできないと言っていたな」
「――――?」
「まだ元服前の、もう幾年も昔の話だが。あいつが、三好が、いつまでも意気地がなくて、師範にも目をかけられているというのに気がつきもせずに」
「…………桐之さまが、お嫌いですか」
「いつまでも人に甘えて、意気地がなく、かといえばひたすら同じことをくり返すばかりで、あんな奴…………」
美里ははっきりと顔を上げた。
「けれど、桐之さまは意地悪をなさったことはありません。ただの一度も」
なんとしてでも、それだけは伝えたかった、否、己に確認したかった。なんと疎遠になってしまったことだろう。どの花、どの雨の時節にも桐之はとなりに在ったというのに。
「この俺に、口答えなさいますか」
卯松は陰鬱なまでの目であった。美里は慄いた。紺桔梗の袖から伸びる筋張った腕と、傘の柄を握る手に浮きあがる血の管の力強さが、目に焼きついた。
このさきは、闇ではないのか。ぼんぼり、桃灯籠、とりどりの袖が重なる綾にしき、雨の桔梗、水たまり、木々の根、楡の木、隼の子ら…………。
「わたしの知ることを申したのです」
自分の、桐之の、幼く透き通った声が遠くすぎてゆく。ぼんぼりの朧な揺らぎに藤衣の衣ずれ、紺桔梗の袖、夜道に行灯、白無垢の花嫁行列、行灯、夜道に行灯、行灯…………
闇に白足袋が浮かびあがる。一つひとつ、前へ運ぶ己のそれを見ていた。進むしかない、戻ることなど叶わない。
いずれ来る幻影に、美里は踵を返した。




