蛇の馬鹿比べ
『人体で一番きれいな箇所はどこか?』
「手だと思うわ!」
「いや、足でしょ」
二匹の蛇――白蛇と青蛇がいがみ合っていた。二匹は変化蛇であり、今日は長老蛇による変化の授業を受けていたのだ。
変化蛇とは通常の蛇とは異なり、人間に変化できたり、呪いを掛けたりできる蛇のことだ。二匹の蛇、シャオシャオとジンジンは変化蛇の中でもトップクラスのものであり、長老蛇に出された課題について話していた。
「シャオシャオ、どうして人体で一番きれいな箇所が足なのよ!」
納得できないとジンジンはその青色の体をくねらせる。
「あの重そうな頭と胴体を支える二本の柱。哺乳類特有のうざい体毛が異常繁殖してなくて、美しいわ。たった二本なのに歩行までさせるのよ!機能的で美しい。完成美ってやつね」
シャオシャオはあの美しさはあんたには理解できないと、後を向いて白い尻尾の先を揺らす。
それに苛立ち青蛇は声を荒げた。
「そんなの手に比べたらどうってことないわ。猿みたいに長すぎず、スッキリした形。あの繊細な五本指。自由自在に動いて術も使えないのに、火を起こせる機動力。完璧なのは手に決まっているわ!」
ジンジンは青い顔を真っ赤にさせてそう息巻く。
(完璧さを競う話じゃないのに。大体、手と足って人体の『箇所』と言わないんじゃ……)
二匹の友の言い争いに溜息をつくのは状況を見守っていた黒蛇ーーユンユンだ。
「ユンユン!あんたはどう思うの?」
彼女が吐いた溜息が大きかったのか、ふとその存在を思い出した二匹が黒蛇ににじり寄る。蛇は汗をかかないはずなのだが、彼女らの必死の形相にユンユンはひやりとしたものを感じた。
「人に、人にジャッジしてもらいましょう」
二匹のどちらに味方しても片方から恨みを買うのは明白だった。それなら人間にとばっちりを受けて貰おうと、ユンユンが出した苦肉の策だった。
「ここでいいわね」
三匹は山の奥の変化蛇の里から、人間が踏み込みやすい山の裾辺りまで出てきていた。
「さあ、人間よ。出てきなさい!」
シャオシャオはぽんと音を立てると、人間の女に化ける。長い黒髪の白い肌の女だ。胸元はしっかり隠されており、幅が広い長い袖は指先まで覆っている。しかしなぜスカートの丈は短く、下着が見えそうなくらいだ。真っ白な太腿が露わになっている。
「どう、きれいでしょ。ジンジン、勝負するまでもないわよね?」
シャオシャオがその長い睫毛をぱちぱちさせて、ライバルの青蛇を威嚇する。
「ふん。きれい?何処がきれいなのよ!」
ジンジンは負けじと言い返し、人間の女に変化する。ショートカットヘアの小麦色の女が現れた。白蛇同様こちらも胸元がしっかり隠されている。しかし肩は露わになり、がっちりとした腕が見える。が、足は長い丈のスカートによって完璧に隠されていた。
「あ!人間がやってきた」
二匹同様、人間の女に変化したユンユンがそう言い、二人の奇妙の女は身構える。
「止まりなさい!」
ぱっと自転車の前に飛び出したのは、足が自慢のシャオシャオだ。男は慌ててブレーキを掛け、寸前のところで止まる。
「な、なんなんだ!」
こんな山の中にいるはずがない、若い女が三人。男は村の噂話を思い出しながら三人を見つめる。
人間を化かす蛇がいると、昔から噂があった。その美しさに虜になったものは魂を奪われるとも。
そこまで思い出し、男はふと考える。
(美しい?この三人にそれは当てはまるのだろうか?)
一人は足を妙に露出させた勘違いの厚化粧女、もう一人は腕の筋肉を強調しているマッチョ系。残りは眼鏡を掛けた何の特徴もない地味女。
「人間よ。何を黙っているの?私の美しさに何も言えないのかしら?」
シャオシャオは、ほほほっと笑い足をくねくねさせた。
男は吐き気を覚えながら、視線をそらす。
「いやいや、私のこの完璧な手を見て驚いているのかしら?」
ジンジンはボディビルダーのように両腕を曲げ、二の腕の力こぶをぴくぴくさせる。
(逃げなければ)
可笑しな女達を前に男の脳裏に浮かんだ言葉はそれだった。
しかし、男の逃げ道は地味な女によって塞がれる。
ユンユンは男が二人に恐怖を感じて、逃げ出そうとしているのがわかっていた。しかし、ここで男を逃がすと自分が二人に責められてしまう。そう思い、男に勝敗を決めてもらうまで、逃がすつもりはなかった。
「人間よ。人体で一番きれいな箇所はどこなの?答えて」
「き、きれい箇所?」
逃避行を塞がれた上におかしな質問をぶつけられ、男の声は完全に裏返る。
「あらあら。ユンユン。急がなくても。ねぇ。ほら、私の足、きれいでしょ。人体で一番きれいな箇所は足に決まっているわよね?」
先ほどまで焦っていたのは誰だったのか、シャオシャオは足を艶めかしく、くねりながら男に近付く。
(近づかないでくれ!)
男は気持ち悪さで鳥肌が立つのがわかった。しかし、逃げられない。
「人間よ。私の手を見なさい。きれいな箇所は足なんかじゃなくて手よね?」
ジンジンが今度は手の平を上に向け、インド舞踊のように腕を揺らしながら、近付く。
(………)
男の背中が汗でびっしょり濡れるのがわかった。しかし、ユンユンは自分が同じ立場に立たされるのはごめんだと、男が逃げるのを阻止したままだ。
どちらに決めても、この男は死ぬかもしれない。そんな気持ちもよぎったが、知ったことではない。
「人間。早く決めたほうが。どっち、どっちなの?」
ユンユンは男の背中に向かって問う。
「お、俺一人じゃ決められない。俺の仲間がいる村まで来てくれ」
「仲間?」
「ああ、村にはまだたくさんの人間がいる。そこで投票するっていうのはどうだ?」
男は額にびっしり汗をかき、そう提案する。
罠だと思ったのは三匹の中で一番賢いユンユンで、男の提案を棄却しようとした。が、興奮している二匹はそうではなかった。
「それはいいわね」
「確かにあなただけじゃ、ジャッジ不足だわ」
「ジンジン、シャオシャオ!」
制止するユンユンを振り切って二人は男に着いていく。
それから聡明な黒蛇は友人の帰りを待ったが、二匹が変化蛇の里に戻ってくることはなかった。