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第〇八話「共闘」

「わたしにも戦わせてください」

「駄目だな」

 きっぱりと断られてしまった。

 時は十一時半。

 所は六畳一間。

 今から遡ること十分前――左右田さんは、デフォ戦士本部から指令を受け取った。指令の内容は、あの(、、)コンフィデンスに属しているという馬〆兄弟の打倒である。馬〆兄弟・彼ら二人の目的は単純明快で、ずばり言って左右田右左口を始末する事。今わたし達の居るこのアパートに向かってきているとの情報が入ってきたので、彼らを返り討ちにしようというのが左右田さん側から見た設定(シナリオ)だ。

 勿論わたしはこの設定(シナリオ)を既に知っている。朝八時に送られてきたメールによって馬〆兄弟が来ることを予め分かっており、それがとうとう来たなというのがわたしの印象だ。しかし予め知り得たのはわたしがコンフィデンスから送られてきてスパイゆえなので、左右田さんの前ではあたかも初耳であるものと演技した。

 演技して、そうしてわたしは共闘を申し出た。相手は馬〆兄弟(、、)である、つまるところ二人である。ならばこちらも二人で立ち向かうのが自然だろうと思って、わたしは冒頭の台詞を発したのだ。この台詞には二つの意図があって、一つが左右田さんへ協力的になることで信頼度を向上させる事(これはもう十分に達成した感はあるが)、もう一つが左右田さんの足を引っ張って勝率を落とさせる事である。どちらかと言えばその後者がメインだ。

 無能な味方は敵より恐ろしい。

 幾ら左右田さんが最強と言っても、それは一人で戦っている時の話。もしも危うきに近寄って場をかき乱す傍迷惑な仲間が居たとすれば、いくぶん力をセーブしなければならなくなる。今までの愛着ぶりからわたしを蔑ろにするわけもないので、左右田さんは苦戦を強いられることになるだろう。言わば無能な仲間(わたし)というハンデを背負わせる訳である。その状態でコンフィデンスのダブルトップ・馬〆兄弟が相手となるのだから、これは勝負がどう転がるか分からない。

 少なくとも五分五分には持って行けるだろう。

 しかしいざ申し出してみると――

「干于たぁん」分かってないねえとでも言いたげな語調で左右田さんは言う。「こいつぁそんな甘い戦いにゃーならねーんだぜ。逸る気持ちも分からねーじゃねーけれど、初戦でこいつらは荷が重い。こいつらぁコンフィデンスっつー極悪組織の幹部的存在らしくってな、実力が桁違いなんだよ。そりゃワタシなら勝てるよ? ワタシ最強だもん。けれども入って二日目の干于たんには任せられねーよ」

 左右田さんはそう言ってわたしの申し出を拒否した。

 少し意外だ――何となく左右田さんなら二つ返事で快諾するものと踏んでいた。

 驚きを覚えたけれども、だからと言って作戦を遂行させるためには引き下がるわけにいかないので尚もわたしは主張を続ける。

「わたしだって戦えますよ。既に言ったと思いますが、わたしにだって武術の心得くらいは――」

「干于たん干于たん干于たーん。これはそーいうお話じゃなーいの。そりゃ干于たんがどれだけ武術を心得てるのかは知らねーさ。もしかしたら干于たんは免許皆伝とかしちゃうくらいすっげー強いのかも知んない。そこはおねーたまも百歩譲ろうじゃないか。足りないんならさらに万歩譲ろう。お望みとあれば万歩計だって譲っちゃうよ。でもさ、でもだよ、この二人を相手にしてそれが通用するのかってーところには、ちょっと疑問を感じねーかい? 相手がどういう奴らなのか、最初に言ったろう? 相手はコンビなんだ。そこんところを吟味してみて、それでも百パーセント勝てると、本気でそう思えるのかい?」

「それは……、まあ、そうですけど……」

「そうさ。競技と実戦ってなあ勝手が違う。これは干于たんに任せられる戦いじゃない。どちらが強いって話じゃねーさ。舞台が違うって話だよ」

「……でも」

「でもじゃなーい。干于たん。ワタシはねー、何も戦うなって言ってる訳じゃねーのよ。ただ間が悪過ぎるってだけ。戦うにしてもこいつらだけは止めとこーぜ? 他のやつにしとこーぜ? 干于たんの戦う舞台ってのは何時かちゃんと来る。その時にこそ頑張ろーや。な? その時にゃワタシだって目一杯に応援するとも」

 左右田さんは自らの胸を叩いた。

 微笑むように顔を和らげて、それから静かに言う。

「ワタシはね、万が一にも干于たんを失いたくねーんだよ」

「…………」

 何時ものような奔放さが見られない。幾ら出鱈目な人格をしていようが左右田さんも立派な大人ということか。大人であることの自覚があり、わたしの無謀を断じて認めない気遣いが見える。喩えるならそれは、娘との結婚を申し入れられた際に怒鳴り散らす頑固親父のような剣幕だった。左右田さんの言い方は落ち着いているものの、一歩足りとも譲らないといった意思は口調から感じ取れる。

 しかも左右田さんの主張には、わたしへの心配が強く込められているものと感じられた。おちゃらけた言葉遣いで誤魔化しているけれど、危険へ近寄らせたくないのだと必死になって止めている。それは、本当にわたしのことを思っているが故なのだろう。世間一般において大人が子供を叱りつける理由は、大抵が体裁の為である。自分の身近にあるものを立派に見せたいという虚栄心から来る場合が多数を占める。しかし左右田さんは、ただわたしの命が心配だから止めようとしているのだ。母親が息子を宥めるのと同じ心理なのだ。

 父親のように頑なな意思で、母親のように優しく諭す。

 家族でもない癖にそこまで慮ってくれるのは――正直に言えば嬉しい。本当に好い人なのだと、しみじみ思う。家族の居ないわたしにとっては、涙が出そうな話である。語り掛けられているだけなのに、心が温まって仕様がないではないか。

 大人っぽくて、格好好い

 だが――わたしにも退けない事情がある。馬〆兄弟とは何が何でも二人で戦わなければならない。正確に言うならば、左右田さんの足を引っ張らなければならない。こうでもしなければ左右田さんに勝つことなど不可能なのだ。ここが黄色仕掛け作戦の正念場なのだ。共闘することを納得させられなければ――コンフィデンスの未来が絶たれる。

 わたしと馬〆兄弟は内通しているので実際のところ戦って死ぬケースは存在しない。左右田さんからしてみればこの事情は推し量れようのないものだし、また絶対に知らせる訳にはいかないのだが――実際的な面から見てわたしが死ぬケースというのは、だから戦わなかった時にこそ発生するのである。

 裏切り者には死あるのみ――死にたくないというのなら尚の事わたしは説得しなければならない。

 むろん代わりに左右田さんが倒される――否、殺されることになるだろうけれども……。

 …………。

 そこのところは考えてならない。左右田さんに同情してしまったら、自分が今どの立場に居るのかを見失ってしまう。わたしは豚になることだけを避けて生きてきたのだから。

 共闘することの説得を続けなければならない。

「左右田さん」

「干于たん」

 わたしの言葉を遮って、左右田さんは言う。

「ワタシは何が何でも干于たんを守るよ。せっかく出来た助手なんだ。ワタシはね、助手が出来て本当に嬉しく思ってる。その助手が干于たんでよかったとも思ってる。何より干于たん可愛いしな。性格も好みだし――ワタシはずっと一人で戦ってきた、だからこの嬉しさをむざむざと手放すわけにはいかねーのさ」

「しかしそんな事を言っていたら何時までもわたしは成長できません。組織の人間として、デフォ戦士の人間として、わたしは役に立てる人間になりたいんです」

「健気だねぇ。そういうところがまた守ってやりたくなる」

 格好好いとは思う。

 大人っぽくて、格好好い――が、これでは駄目だ。埒が明かない。

 何か説得する手立ては無いものか。

 左右田さんは言う。

「一人で戦うってのはね、いいかい、孤独ってことなんだよ。孤独ってのは寂しーってことだ」

「…………」

「その寂しー状態で多人数と戦う。一人で多人数に立ち向かう。こいつがどれだけ孤独感を刺激されることなのか分かるかい? 自分が食み出し者であると認識させられること――それがどれだけ辛いことなのか、分かるかい?」

 その気持ちはわたしによく分かっている。

 コンフィデンスに居た頃は常にその立ち位置だったのだから。

「左右田さんは毎日そんな気持ちで戦ってた……そういうことですか?」

「そうよ。こんな感情そう人前じゃ見せねーけれどな――」

 だからこそ、と繋げて。

 左右田さんは言う。

「干于たんにはそんな思いさせたくない」

「…………」

一人で兄弟に立ち向う(、、、、、、、、、、)なんて、そんなことは許さない」

「…………?」

 ん?

 あれ?

 左右田さん、いま何と仰った?

「いいかい干于たん。一対一のタイマンならいいんだ。それなら一人同士なんだからな。でも一対多は駄目。一対多という舞台は干于たんにゃ早過ぎる。干于たんは、ワタシが守るんだからな」

「あの……、左右田さん」

「なんだ。まだ口答えするのかい。強情だね……。やれやれ。干于たんよぅ、もしかしたら干于たんはまだ若いから孤独の辛さってものを分かってねーのかもしれないね。もし友達が居ねーくらいで孤独だと宣うつもりなら、ワタシは反論するよ。真の孤独というものがどれだけのものなのか……一時でもそれを知ればすぐに見識を改めるだろうが、だが、一時でさえも味わわせたくない。それほどまでに孤独ってのは……」

「いえ。そうではなくてですね」

「なんだい……?」

 ちょっと待て。

 話の流れが何かおかしいぞ。

 わたしは訂正を試みる。

「あの。左右田さん。わたし一対多……というか一対二で戦いたいなんて言ってませんよ?」

「へあ?」と大口を開けてきょとんとする左右田さん。

「左右田さんと共闘していって……、えっと、つまり二対二で戦いたいと、そう言っているつもりだったんですが……」

「……、あ?」

 間抜けっぽい顔をする左右田さん。

 どうやら勘違いが生じていたらしい。

 わたしの主張は、左右田さんとコンビを組んで二対二になりたいというものだったのだ。相手は馬〆兄弟である。これの意味するところは相手が二人だということである。相手が二人というのならこちらも二人で応戦しようと、そうわたしは言いたかったのだ。

 対して左右田さんの主張は、一人で馬〆兄弟に立ち向かうというものである。馬〆兄弟という二人の相手に一人で立ち向かう。そう思い込んでいたようであり、その無謀を必死になって止めていたのだ。二人相手に一人とは確かに無謀である。

「えっと……」

「あー……」

 頬を掻いて、わたしは言う。

「済みません。わたしが言葉足らずでした」

「ひ……は、ひゃははははん! なあーに! なになになになに! いーのいーのいーの! 間違いなんて誰にでもあるってーの! なあんだ。あ、そーいう……そーいうことだったのね! ワタシてっきり……、うはははははは!」

 笑い方がぶきっちょだ。

 何だか体もくねくねさせている。照れているのだろうか。

「あっはっは! んもぅ! やだねぇ! 照れるじゃないの、このこの! ちゃっちゃっちゃ! あひー!」

「……話を戻しましょう」

 左右田さんにも羞恥心ってあったんだ、と感心している暇はない。

 わたしは、何時までも左右田さんを恥ずかしいままにしておくのを気の毒に思ったので、こちらから助け舟を出した。赤い顔をしてくねくねされてはこちらとしても居た堪らない。たとい居た堪らない云々を差し置いたとしても話を急がねばならぬ場面であるからさっさと次へ進めるべきだ。

 わたしは言う。

「二対二で戦うのは、左右田さん、構いませんか?」

「え? お、おー。そりゃーな。だって二対二だってーなら干于たんが危うくなっても、ワタシが守ればいいわけだからな。それならオッケー! うん! むしろ望むところって感じ? 初めての共同作業じゃんじゃんじゃん!」

「そうですか。そいじゃあ二人でどういうふうに戦うかの話をしましょう。練習もなくぶっつけ本番でするのはちょっと危険かもしれませんが、そんなことを言って二の足を踏んでいられる時分でもない。机上の空論ではありますが、それでもまったくの無駄にはならないでしょう」

「あん? あー、はいはい。そーだね。そーいうことだね」

 何とも上の空といった態で左右田さんは応対する。

 見ると顔がさらに紅潮していた。

 まるでゆでだこのよう。

「あの。左右田さん?」

「ふぇあっ!?」

「顔が赤いですよ」

「…………っ!」

 指摘されて一層赤みを帯びる。

 左右田さんは、こほんと咳払いした。

「……。大丈夫。大丈夫大丈夫。ぜんぜん気にしてないから。うん。勘違いしてたことを恥ずかしいなんてちっとも思ってないよ。オーケー。ワタシは恥ずかしい子じゃない」

「子では無いですよね」

「恥ずかしい大人じゃない」

 げふんげふんと再び咳払いする。

「悪かったね。ちょっと取り乱しちゃった。よし。さー話の続きをしよーじゃないか。どこまで話したっけ?」

「どういう風に戦おうかという話です」

「あー。それかい。それはもう別に考えなくてもいいことだよ。何故って? そりゃワタシがフォローすればどんな局面でも勝ちに持ってけるからさ。どうしてか、そりゃ、ワタシが最強だからさ。敵が何人来ようとも負けは無い。ワタシにとって勝負とは勝負じゃなく勝利そのものなんだ。干于たんや馬〆兄弟がどんな風に戦おうともワタシが関与する時点でそれはもう決している。ワタシらの――勝ちだ。それが結論。ふふふ。つまり何をどうしたところで恥ずかしい。相手がどれだけ強くあろうとも勘違い。ワタシは間違えた。オーケー? はひっ。だからね、つまりね……ふあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁん!」

「!?」

 いきなりの咆哮。

 わたしはびっくりして、

「どどど、どうしたんですか」

 と問う。

「恥ずかしいいいいいぃぃぃ! やっぱり恥ずかしいよおおおおおおおおおおぉぉぉ! 勘違い恥ずかしいっ! あーん! うわあああああぁぁぁぁぁぁーん!」

「な、ちょっと!?」

 立ち上がったかと思うと左右田さん、何の予備動作もなく立ち幅跳びをするようにその場から隣の部屋まで大きくジャンプした。

 奇声を高らかに発しながら押し入れへ飛び込む。

 開けられた障子は勢いよく締められて、すぱんという衝撃音が反響した。

 静寂。

 しばらくすると押し入れからわんわんと泣き声が聞こえてくる。

「…………」

 ぽかんであった。

 あまりの事態にわたしは動揺して動けない。勘違いしたくらいで何もそこまで恥ずかしがることは無いだろうに。というか照れ隠しまでもが出鱈目の域だ。

 左右田さんはミステリアスな女性だと思っていたが――それはあくまで年上っぽいものというか、大人っぽさを演出するための謎めきだと捉えていた。どこかカリスマ性を感じさせるような、そういった類の不明瞭だと考えていたのである。それなのにあんな子供っぽさを見せ付けられると……あの人の底がまた不明瞭なところに行ってしまったように思われた。一体どこまで予測不能な人物なのだろう。気を引き締めていたと思っていたけれども、これでも認識が甘かったようだ。

 人物像が未だに定まらない。

 常人とは思考回路が違い過ぎる。

 何だろう。行動自体は可愛いそれなのに、大人が為したということを意識してみると、こう、そこはかとなく恐怖感が煽られる。

 唾を呑む。

 このまま放置しておくわけにはいかないだろう。馬〆兄弟が刻一刻とこちらに向かっているというのに左右田さんがこのままでは勝負にならない。何とかして左右田さんの羞恥心を除きつつ戦う気概を取り戻してもらわないと。

 わたしは、どうしたらよいものかと逡巡して、慰める外はないだろうと閃き、立ち上がって押し入れへと歩いた。他人を慰めたことなんてなく、どころか慰められた経験さえもないわたしであるが、逸早く機嫌を直してもらうにはそれしかないだろう。

 押し入れの前でしゃがみ、閉められた障子を開けてみる。そうすると、

「……っ……っ」

 布団に引き籠っている左右田さんとご対面。

 大の大人が年甲斐もなくめそめそとしていた。

 この世にこれほど情けない光景はない。

 わたしは言う。

「左右田さん……勘違いくらい誰にでもありますって。そもそも左右田さんだけの責任じゃないですよ。わたしの言葉足らずでもあります。ほら。だからそんなとこでそんなことしてないで、速く出てきてください」

「うううぅぅ……。やだぁ。もうやだぁ。恥ずかしくって死んじゃう。そーちゃん恥ずかしくって死んじゃうのぉ」――そーちゃんって誰だ――「ううー……。一気に落ち込んだ。鬱だ。ワタシの気分はゲリラ豪雨だ。……うっ。もうお仕事休むぅ……。臨時休業ー……」

 待て待て待て待て。

 気分の問題で休める職に就いてないでしょ左右田さん。

 わたしは言う。

「なに言ってるんですか……。ほら。駄目ですよ。我が儘を言えるような立場じゃないでしょう」

「やーだ! やーだ! 何もしたくなーい!」

 布団をぐいぐい引っ張っても、同じように引っ張り返されてびくともしない。

 何という駄々っ子。

 このままでは本当に仕事しなさそうだ。

「はあ……」

 わたしは溜め息を吐く。

 まるで幼稚園児が乗り移ったかのような様相だ。一挙手一投足が幼子のようになっており、声の調子も大人のそれから幼女のそれになっている。先まであった大人らしさや格好好さは完全にブレイクした。スタイルがよく、顔も整っている、何よりこのでかい図体で幼稚園児の振る舞いをされてしまうと……呆れるのも然ることながら戦慄するものさえ感じられた。

 そんなどん引き具合を伝えてしまうとさらにショックを受けてしまいかねないので努めて平然と振る舞うけれども、さて、どうしたものか。ちょっとやそっとでは動きそうにない。

 斯くなる上は、やはり。

「しょうがないですね左右田さん……。もう、ほら、わたしが慰めてあげますから、元気出してください」

「えっ」素っ頓狂な声で感嘆してから、「……ほ、ほんと?」

 驚くほどあっさり食い付いてきた。

 左右田さんは這うように近付いてきて、わたしの顔を下から伺うように見てくる。

「ほんとに?」

「本当です」

「ほんとに慰めてくれるの?」

「はい」

「や、優しいっ……」

 左右田さんは口をへの字にして鼻水を啜った。

 効果覿面だ。

 それから微笑んで言う。

「じゃ……じゃあ! ちゅーしてくれる!?」

「それはだめです」

「え、だ、だめ……?」

「だめです」――調子に乗ってはいけない。

「だ、だめなの……?」と涙目で哀願する左右田さん。

 わたしは平淡な口調で「他のにしましょう」と返した。

「あう……」

 今にも泣き出しそうなしょんぼりだった。

 左右田さんは俯いて、しばらく考えに耽る。

 やがて顔を上げた。

「じゃ、じゃあ、頭、なでなでして。優しいお姉ちゃんが甘えん坊の妹を撫でるみたいによしよしってして」

「…………」

「で、出来ればハグしながらがいーなっ」

「あのですね……」

「あ、あ、あ、足で撫でてくれても、いいから」

「いやいやいや……」

 足で頭なでるって、どんな主従関係ですか。

 ――この界隈で最強の名を馳せている左右田さん、わたし達の組織・コンフィデンスの安寧をただ一人だけで脅かすという無類の実力を有する左右田右左口さん、その左右田さんの頭を踏みつけるように足の裏で撫でるとか……見様によってはちょっとして凌辱である。そんな屈辱的な仕打ちを自ら望むって……。

「足は止しましょう。わたしがしたくありません」

 そんな可哀相な左右田さんは見たくなかった。

 左右田さんは首を傾げる。

「足は、駄目……。じゃあ、手は、いーの?」

「……」わたしは瞬きを強くする。「仕事してくれるって約束できるなら、撫でましょう」

「うん……。分かった。なでなでしてくれたらワタシ頑張るよ……。そーちゃんいっぱいいっぱい頑張るから……」

 もう本当にやめてください。

 自分のことをそーちゃんとか言わないでください、背筋が凍りますから。

 しかし……これも仕事だ。このまま駄々を捏ねられて仕事をすっぽかされたら黄色仕掛け作戦は大きな軌道修正を余儀なくされる。それは避けたい。唯でさえ厳しい状況下に立たされているのだ。出来得る限りの努力はする必要がある――その努力がなでなでに費やされるのは癪であるが。

 わたしはベビーシッターでないのだぞ。

 さっさと終わらせよう。

「左右田さん。頭、出してください。奥に居られちゃ撫でられません」

「うん……」頭を低くして躄る左右田さん。「あ、ハグは?」

「無しで」

「しょぼん……」

 口でしょぼんとか言わないでください。

 わたしは、垂れ下がっている左右田さんの頭を優しい手付きで撫でてあげた。

「…………」

「…………」

 ……本当に何なんだこの状況。

 なんで十七歳のわたしが、二十代と思しき年上女性の頭を撫でにゃならんのだ。

 わたしがいちばん羞恥心を感じているぞ。

 撫でさせられるという行為が辱めになるなんて、思いもしなかった。

「……左右田さん」

 どうしても速く終わらせたかったので、何か言った方が効果的だろうと思い、わたしは、

「よしよし……ほら……大丈夫ですよ左右田さん……恥ずかしくないですよ……いい子いい子……安心してください……ね? ……わたししか見てないんですから……何も心配は要りません……この事はちゃんと内緒にします……二人だけの秘密です……だから元気出しましょ……? ね……? 左右田さん……」

 と語りかけてあげた。

 俯きながら左右田さんが震える。

「ワタシ、恥ずかしくないかな……」

「恥ずかしくなんかないですよ」

「今日もお仕事できるかな……」

「きっとできますよ」

「……くすん」

 だから口でくすんとか言わないでください。

 撫でてるこっちまで頬が熱くなってきますから。

 誰かに見られたらとんでもない誤解を招いてしまいますから。

「頑張りましょう」

「うん……ありがとう……大好き……」

「…………」

 子供っぽくて、格好悪かった。

 ――そんなこんなで左右田さんの意外な一面を垣間見たのちに話は収束へ向かう。

 けっきょく有意義な話はこれ以上なく、時間も押していたのでわたし達はアパートを出た。馬〆兄弟と戦うときに心得ておくことは何もない。左右田さんがすべて何とかすると言った。だが……あんな姿を見てしまっては何とか出来るのかどうかに不安を覚えてしまう。それもこれも考えたところで後の祭りなのだけれども。

 肩を竦め、溜息を吐きつつ、やれやれと呟きながらわたし達は駐車場に行く。

 そうして何の心構えもなく歩いていると、運命の悪戯と言うべきなのか、その駐車場で馬〆兄弟と出くわしたのだった。

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