第十三話「帰省」
わたしはコンフィデンス本部に到着して、ふと、「全てが明かされる時は来るさ」という左右田さんの言葉を思い出した。
時は深夜。
所は廊下。
わたしは、左右田さんと別れたのち指定された時間よりも早くに無人の町に到着した。真っ暗なヘリポートでヘリコプターに乗り、そこから三時間の飛行を経る。飛行を終えてコンフィデンス本部に到着したら、黄色仕掛け作戦における仲介人・コンフィデンスCクラス情報部所属・喇叭叱咤と合流する。何でも、会長室へ行くまでの付き添いをするよう伊行会長からお達しがあったようだ。それ以上に詳しい事は話さない。わたしは、事情をよく呑み込めないまま彼と同行することとなる。
喇叭叱咤。男性。二十代半ば。外見的特徴は、角刈りの髪型と、それに反比例した大人しい顔付き。性格は穏やか。コンフィデンスの団員としては珍しくわたしを敬遠しない人間である。その為わたしと喇叭叱咤は同じ仕事に配属されることが多い――尤もわたしからしてみればただの仕事仲間にしか過ぎないので、気の置けない間柄と言えるほど親密ではない。
だから肩を並べて廊下を歩くこの最中も目立った会話は無い。仕事の話を終えたら会長室を向かうのみで、世間話などは無かった。わたしから話そうとは思わないし、また彼だって話そうとは思っていないだろう。わたしを敬遠しないとは言え、精々周囲の人間と同じように接してくるくらいでしかないのだ。差別をしないというだけなのだ。取り立てて仲良しではない。
――左右田さんであれば、この灰色の廊下を渡るときでさえ軽快な調子で話してくるのだろうか。
わたしは頭を振った。隣を歩く喇叭叱咤に気付かれないようさり気なく首を振った――もうわたしと左右田さんは別々になったのだ。左右田さんを中心に物事を考えるのは止めなければならない。今は歩くことに集中だ。
ネクタイを正して気持ちを切り替える。
「…………」
それにしても、と思う。
わたしは右へ左へちらと眼を寄せた。深夜とは言え働いている団員は多い。
しかし何だか彼らの様子が妙だ。先刻からそれがどうにも気になる。
どうして――こうも雰囲気が普通なのだ?
否。様子が妙だと言ったが、それは慌てふためいているといった意味合いでない。誤解を避けて正確に言葉を選ぶなら不自然と言うべきだ。
コンフィデンスの精鋭は尽く倒された。孤高の西雲西風・ダブルトップの馬〆兄弟・Sクラスの大七星、彼ら九人の精鋭たちは全て左右田さんに倒された。こう言うと何だが、精鋭部隊が倒されたと来ればコンフィデンスの現状は壊滅寸前である。壊滅寸前であれば組織は混乱して然るべきである。たとい混乱を抑えられるほどの治安があったとしても、周章の気配は残るはずである。
然れどもその気配すら感じない。今こうして廊下を歩いている訳だが、組織内の空気はぴりぴりとしていないのである。全くの普段通りである。わたしはそこに違和感を覚えている。
異常でないことが異常。
周りの人間は、黄色仕掛け作戦が失敗に終わってしまったのにも拘わらずどうして普段通りに仕事できるのだろうか。もしかして黄色仕掛け作戦は公に知らされていない任務なのだろうか。Aクラス以上の人間でなければSクラス部隊の存在を知らされないことのように情報が隠蔽されているのだろうか。
いやどうだろう。どうにもそれは無いような気がする。組織の存亡が掛かっている程の重要任務がコンフィデンスにおいて隠される訳がない。信頼を標語とするコンフィデンスに限ってそのような隠蔽はどう考えても不相応だ。それにSクラスの大七星は兎も角としても、西雲西風や馬〆兄弟が帰らないとなれば異常事態を察するはずだ。
精鋭部隊が倒されてしまったことは広がっているはず――それなのにどうしてこうも自然体で居られる?
自然でいることが不自然。
……それともああ見えて内心では動揺しているのか? 仕事に専念して異常事態を忘れようとしているとか? 分からない。
そうこう考えていると結論の出ないうちに会長室の前へと到着した。
喇叭叱咤は言う。
「それじゃあ僕はここまでで……」
頭を軽く下げてから、彼は奥へと歩いて行ってしまった。
本当に付き添いだけだったのか。一人でこの扉を開けるのは気が進まないのだけれども……、仕方ない。
わたしはノックを四回して、「失礼します」と一言断ってから、伊行会長の御座す会長室への扉を開けた。
扉を閉めて少し歩き、机の前で足を止める。
「干于千、ただいま帰省いたしました」
「ご苦労」
椅子に座っている伊行会長は、肘を机に乗せてそう言った。
向き合うわたしと伊行会長。
「…………」
わたしは次の一言を重苦しい心持ちで待った。昨日のメールには「失敗についての責任は一切問わない」と書いてあったけれども、やはりいざ伊行会長を前にしてみると胃の辺りがちくちくとしてくる。何せ当初は「失敗は死だと思え」と言われていたくらいなのだ。重大な任務にわたしは失敗してしまった、責任が免除されようともそれは紛れもない事実である。心に咎めるものがあってならない。
それに八つ当たりの可能性もある。いや全くの八つ当たりとは言えないのだけれど、組織が壊滅寸前にまで追い込まれてしまえば機嫌が悪くなっていると思うのだ。組織内の空気があれだとしても、最高責任者と来ればそのショックは計り知れない。自分が率いている組織が壊滅寸前なのだ、一層のこと怒って然るべきかもしれない。むろん怒られたい訳ではちっとも無いのだが。
とにかく先のことを考えるとどうしてもネガティブになってしまう。こんな状況で気分が晴れよう訳がない。
そんな重苦しい空気の中、伊行会長は口を開く。
「おめでとう」
伊行会長は笑った。
それは十日前の朝にも見た老獪の笑みだった。
わたしは、突然の賞賛に何らの反応も出来なかった。予想外だったからである。この重苦しい空気の中でおめでとうと言われた意図が分からなかった。刹那、嫌味ではないかと脳裏に過った。これからわたしに処罰を下すわけだが、その前に嫌味の一つでも言って気分を晴らしておこうといった魂胆ではないか、そう考えた。だからわたしは罪悪感を刺激されて、額から汗が噴き出てきた。恐怖を感じたのである。
だが次に続いた一言によって、その恐怖は打ち消される。
「干于。お前は任務に成功した」
「……え?」
益々頭が混乱した。
はっきり言ってちんぷんかんぷんだった。
わたしがこうして会長室に居るのは、黄色仕掛け作戦を失敗に終わらせたからである。黄色い仕掛け作戦の成功とは、ずばり左右田さんの打倒を差す――わたしはそれに失敗した。
それなのに成功したとは……?
わたしは言う。
「ど、どういうことですか……? わたしは黄色仕掛け作戦に失敗して……」
「そう。お前は黄色仕掛け作戦には失敗した。しかしそれによって――真黄色仕掛け作戦を遂行し果せたのだ」
黄色仕掛け作戦ではなく――真黄色仕掛け作戦。
唐突に表れたその言葉を呑み込めない。
「真黄色仕掛け作戦……?」
「呑み込めぬか。その反応は当然だ。いきなり言われて理解できる訳が非ず――そうだな。ではまず、デフォ戦士について真実を述べる」
伊行会長は平淡な口調で言う。
「結論から言えば、デフォ戦士は存在せぬ」
「は……!?」
辛うじて間抜けっぽい声で反応するわたし。
何? 何と言った?
デフォ戦士は――存在せぬ?
何を言っている?
存在せぬ? 存在せぬって、つまり、どういう事?
えっと……存在せぬということは、存在しないという意味で……いやそうではなく……。
伊行会長は言う。
「正確に言えばデフォ戦士は――我が組織・コンフィデンスがでっち上げた架空の組織だ。故に存在せぬ」
ちょっと待ってほしい。
コンフィデンスがでっち上げた架空の組織……だからデフォ戦士は存在しないって……。
なんだ、そんな、突然。
ではわたしの十日間は何なのだ? わたしはデフォ戦士にスパイとして入り込んだ――ということはコンフィデンスのでっち上げたものにわたしは入り込んだということで……、え? ならばわたしは何のスパイだったのだ?
駄目だ。完全にパニック。
理解が追い付いていない。
ずっと男だと思って接してきた相手が実は女だったかのような驚き。
呆然自失。
意味不明。
何が何だか分からない。
「存在しない……? ちょっと……待ってください。何ですかそれ。十日前、伊行会長は確かにあると仰って……だからこそわたしは黄色仕掛け作戦に就いたのではないんですか?」
「あれは方便だ」
「方便!?」
「考えてもみろ。そんな危険な組織があるなら乃公が部下たちに教えぬと思うか」
「それは……」
確かにそれはそうだ。コンフィデンスの標語は信頼。団員全員に教え広めて警戒態勢を整えるのがここでは自然なはず――しかし。
「で、でも納得できません。根拠としては余りにも弱すぎます。何かわたしたち部下には思いもよらない考えがあって隠蔽していたのだと……デフォ戦士が存在しないと言われるよりも、そう考える方がまだ自然です」
「尤もだ。しかし干于。お前は疑問に思わなかったのか」
「何が……ですか?」
「スパイとは言え、お前はデフォ戦士に入団した。それなのにお前は、派出所と言われる六畳一間で滞在してばかりだ――なぜ団員と成ったのにデフォ戦士本部へ行かせてもらえぬのか、そう疑問に思わなかったのか」
「あ……」
言われてみれば、わたしは六畳一間に居たばかりで、デフォ戦士本部へ行ったことが無かった。
左右田さんの言葉を信じて、在るものとばかり思い込んでいた。
考えてみればこれは変だ。
組織に入団したら普通は本部へ行く。実戦部隊が左右田さん一人しか居ないという小規模の組織であればそれは尚更である。コンフィデンスを例に挙げても本部に居るのが普通だ。
百歩譲ってデフォ戦士本部へ行くことはなくとも、電話番号くらいは教えてくれても良い。左右田さんが頻繁に電話していたのだ、わたしにだって電話する権利はある。権利があれば番号は教えてもらって然るべきだ。
それすらないのは怪しい。
言われてみれば左右田さんはデフォ戦士本部について殆ど話さなかった。話した時と言えば、わたしが説明を求めた場合と説明する必要が出来た場合のみである。記憶が正しければ、本部に居る人間についての話題は一度として挙がらなかった。少なくともデフォ戦士に属している団員の中で名前を知っているのは左右田さんだけである。その他は左右田さんの口からも明示されていない。唯の一人さえも示されていないのだ。
どうして行かせて貰えなかったのか――それは存在しないから。
どうして左右田さん以外知らなかったのか――それは存在しないから。
つまりわたしは組織の実態を知らないまま入団した。……スパイとは言えこんな迂闊な事があるか。
「行かせて貰えなかったのは、無かったからだ。無い場所には行けぬ」
「……確かにわたしはデフォ戦士本部へ行きませんでした。しかし――」
しかしまだ納得できない――何故ならば辻褄の合わないことが幾つかあるからだ。デフォ戦士が存在せず、コンフィデンスのでっち上げた組織だと言うならば、それに合わせて矛盾点が浮かび上がる。その矛盾点全てに説明が付かなければ納得できようはずがない。
「しかしそうなると矛盾点が幾つかあります」
「矛盾点か。言ってみろ」
デフォ戦士がコンフィデンスによってでっち上げられた組織だと言うならば、デフォ戦士の人間とコンフィデンスの人間は内通していることになる。そうすると二つの組織が戦うのはおかしい。何の目的があって真黄色仕掛け作戦などというものが決行されたのかは分からないし、そもそも真黄色仕掛け作戦とやらがどんなものなのかの輪郭が未だに掴み切れていないが――たかが一作戦のために我が組織の精鋭を九人も消費するなんて不合理も極まりない。
それとも真黄色仕掛け作戦とは、精鋭を九人も引き換えとしていいほどに価値のある作戦なのか? ――そんな馬鹿な話があるか。
兎に角わたしの言いたいことは――
「それでは二つの組織が内通していることになります。しかしそうなると左右田さんがコンフィデンスの精鋭たちを倒すのはおかしいです。そんな同士討ちをする意味が分かりません」
「倒してなどいぬ」
伊行会長は平然と言った。
わたしはその平然さに言葉が詰まりかかったが、頑張って言い返す。
「倒してないって……。だって事実、左右田さんは西雲西風も馬〆兄弟も大七星も……」
「干于。一例を挙げる――西雲西風戦をよく思い出せ」
わたしは、西雲西風戦がどんな展開だったかを思い出す。勝負の展開は確かこうだ――わたしは缶珈琲を買うよう左右田さんにお使いさせられた。缶珈琲を買って、左右田さんの所へ行くと既に勝負の決着が付いていた。打ちのめされた西雲西風を見た記憶がある。そうして西雲西風は警察機関に引き取られた――そういう展開だったはずだ。
「左右田さんの言葉によれば、一分で西雲西風を倒したと……」
「しかし干于。お前は、左右田が勝負しているところを見ていなかっただろう」
「そう言えば……」
「あれは倒された振りをしていただけだ」
「……!?」
「簡単なことだ。ダメージを負ったものと見せかけるために予め傷を特殊メイクする、敗戦したと見せかけるために倒れ伏す、決着が付いたと見せかけるために場の雰囲気を作る、そして証拠を残さぬように西雲西風本人を回収する―それだけだったのだ。実際に勝負したわけでは無く、勝負があったように見せかけた。つまり全て芝居だ」
わたしは言葉に窮した。
十日前の勝負・西雲西風戦――あの場は全て作り物だった。
言われてみればわたしは西雲西風が敗戦したという結果を見ただけで、本当に敗戦したのかどうかを確認していなかった。勝負した場面は一秒たりとも見ていなかった――そう思う余地もなくあの場は作り上げられていたのだ。
場の空気と左右田さんの言葉を盲目的に信じて――勝負したものと錯覚させられていた。
伊行会長の言う演技をわたしは反証できない――伊行会長の言ったことが真実だとすると矛盾点が見当たらなくなった。
伊行会長は言う。
「そしてそれは西雲西風戦に限った話では非ず。左右田が勝負している場面を見ないまま決着した――そういう展開が何度もあっただろう」
「…………」
そうだ。とくに大七星との勝負では殆どがそうだった。わたしが左右田さんを見付ける頃には、既に勝負が付いている。そのパターンばかりを見せられていた。それを見たわたしは、左右田さんの勝利を疑わなかった。
いくら勝負を見ないまま決着を言われたとしても、コンフィデンスとデフォ戦士がまるまま内通しているだなんて予想できない――芝居ではと疑うことなど出来なかった。
「し、しかし」
わたしは反論する。
「じゃあ馬〆兄弟戦を例に取ればどうですか!? あの勝負ではわたしも共闘していました――つまりその場に居ました。勝負の様子を見ていました。左右田さんが凸ピンで馬〆兄弟を倒した現場を見ていました……。仮に凸ピンや倒れたところが芝居だったとしても、吐血はどうですか!? 血を吐くなんて芝居で出来ることではありませんよ!」
わたしは、馬〆兄弟戦がどんな展開だったかを思い出す。勝負の展開は確かこうだ――わたし・左右田さんと馬〆生真面目・馬〆不真面目が駐車場で対峙する。まず左右田さんと馬〆兄弟は自己紹介をし合って、それから煽り合いをした。その後わたしは怒るために恥ずかしい台詞を言って……(ここは余り思い出しなくない)、その結果わたしは逆上を装って馬〆生真面目に猪突した。しかしわたしが攻撃する前に馬〆生真面目は倒される。左右田さんが凸ピンをワイヤレスで当てたからだ。同じように馬〆不真面目も倒された。重要な点は、馬〆兄弟が凸ピンを喰らったさい吐血したという事――そういう展開だったはずだ。
「自由に血を吐ける人間なんて居ません! 不可能です!」
「そうだ。自由に血を吐ける人間は居ぬ。だからこそ馬〆兄弟は、勝負する前にこれを口に含んだのだ」
言って伊行会長はスーツのポケットに手を入れ、何かを取り出した。
それは飴だった。
「――!」
わたしはその飴を見て戦慄する。
その飴は――馬〆兄弟が食べたものと同じものだったのだ。
ピンポン玉サイズの妙にでかい飴玉。
伊行会長は言う。
「憶えているだろう。馬〆兄弟がこれと同じ飴を勝負前に食べたのを――これは今作戦用に特注したものでな」
伊行会長は、包み紙に入ったままの飴を握り潰した。飴は、驚く程あっさりと砕ける。
包み紙の中を開くと――
赤い液体が出てきた。
「……!?」
「この飴は特殊な構造だ。外層が薄く製造されているため簡単に握り潰せるし、また溶ける時間も速い。この外層の中には、血液が内装されている。血液といっても輸血パックから注入したものだが」
「まさか……」
「馬〆兄弟が吐いたのはこの血液だ。あの血は馬〆兄弟本人のものでなく、飴玉に入っていたものを吐き出しただけに過ぎぬ」
そう言って伊行会長は包み紙を包み直して、飴玉を袋ごとごみ箱へ投げ捨てた。
わたしは唖然とする――一体どこまで手を掛けているのだ、真黄色仕掛け作戦。
飴玉の中に――血液。
それを吐き出しただけ――吐血したように見せかけただけ。
わたしの目の前で繰り広げられた勝負は――芝居に過ぎなかった。
当たり前か。勝負のプロともあろう馬〆兄弟が勝負前に飴を舐めるなどという余裕綽々をするはずがない。舐めるからには、必然とした意味があるに決まっているのだ。
「それ以外の勝負も大体これと同じ要領だ。予め台本を用意して、勝負に見せかけた。お前が居ない場合は最初から倒されている、お前が居る場合は倒される振りをする――そうやって九人の精鋭たちは倒された振りをしてきた」
「いちおう訊きますが――」
わたしは俯く。
「左右田さんと繋がりがあった警察官――あれも、そうなんですか?」
「然り。あれも警察役に扮したコンフィデンスの団員だ。一人残らずそうだ。精鋭たちを回収するための役だった」
「じゃあ西雲西風も馬〆兄弟も大七星も今現在はコンフィデンスに戻っていると?」
「その通りだ」
目を瞑る。
頭が痛い。
何だこのどっきり。
あの十日間は夢物語だったのか。
六畳一間の生活は――一体……。
在ると思っていたデフォ戦士――否。在ると思うことさえなく、在ると信じ切っていたデフォ戦士が存在しなかっただなんて……。
伊行会長の言葉は筋の通ったものばかりだ。
矛盾点が尽く修正されていく。
デフォ戦士が存在しないという話は、やはり本当に――
「…………」
いや。
待て。
わたしの頭には、まだ納得できないという思い――その残りかすがある。
根拠はある。
確かにデフォ戦士が存在しないという可能性は否定できなくなった。伊行会長の言葉によって矛盾点は全て解消されたからだ――だが待ってほしい。だからと言ってそれは、デフォ戦士の存在を否定するには至ってない。伊行会長の話は、デフォ戦士が存在したとしても存在しないとしてもどちらでも辻褄の合うものだ。存在しない可能性が立証されても、イコールで存在しないとは成らない。
作り話だという可能性はまだ残されてある。
「伊行会長、しかし」
わたしは言う。
「まだ、それは、存在した場合でも辻褄の合う話です。存在しない場合でも辻褄が合いました、でもそれと同じように、存在した場合の辻褄だって合ったままなのです――存在しても存在しなくても辻褄は合う。これではまだ……」
「デフォ戦士がその為に作られた組織だと言うことを説明できれば、存在した場合の辻褄を否定できる」
「……?」
「干于。お前の言っていることはこうだ――デフォ戦士という組織は従来から存在していた。正義の名のもとに悪を打ちのめす、それがデフォ戦士という組織の役割だ。この役割に則っているのだから、乃公の言っていることが正しかろうと正しくなかろうと、左右田が精鋭たちを倒すのも自然な事――しかしこれを論破すれば、言うなればデフォ戦士が真黄色仕掛け作戦の為だけにでっち上げられた組織であることを立証できれば、存在する場合の辻褄を完全に否定できる」
「その為だけにでっち上げられたことを立証する……。それはつまり、日付の入った企画書を見せるとか、そういった事でしょうか?」
未だに真黄色仕掛け作戦というものがよく分からないが――黄色仕掛け作戦は三ヶ月前から進行していた計画だと言う。それが真黄色仕掛け作戦も込みの話だとすると、当初から予定されていた書類を見せれば確かに立証できるかもしれない。
しかし伊行会長は言う。
「そんなことはせぬ。書類の日付など幾らでも捏造できる。乃公の立証法はもっとシンプルで、もっと分かりやすく、最も納得できるものだ」
伊行会長は続ける。
「干于。アナグラムは知っているか」
「アナグラム?」
とつぜん出てきた言葉に首を傾げたが、わたしは返事する。
「えっと……、言葉遊びの一種ですよね。ある単語の文字列を入れ替えて別の単語に直すというものだったと」
例えば帰省(きせい)という言葉の文字列を入れ替えて世紀(せいき)という言葉に直すといった案配だ。アナグラムは日本語だけでなく、eros(エロス)とrose(ローズ)といった具合に外国語でも可能である。
「その通りだ。知っていれば話が速い」
「はあ……」
「それとだ。念のために訊いておくが、我が組織の名前にもなっている英単語・コンフィデンスの綴りは分かるな」
「はい。それも分かっています。コンフィデンスとは信頼を意味する英単語で、綴りは、confidenceです」
伊行会長は、うむと頷いて、それから机から一枚の書類を取り出した。
その書類をわたしに差し出す。
「それを見ろ」
「…………」
書類に書かれてあったのは文字だった。
以下にその内容を示す。
『コンフィデンス
confidence
↓
defocennci
デフォ戦士』
「!」
ぱっと見では何を意味しているのか分からなかったが、少し考えてみて理解した。
コンフィデンスとデフォ戦士。二つの組織の名前。
英語表記に直されたコンフィデンス(confidence)と、ローマ字表記に直されたデフォ戦士(defocennci)。
文字の上の一つ一つに振られた番号。
これが表すのは、即ち――アナグラム。
十文字のアナグラム。英語とローマ字を混合したアナグラム。
コンフィデンスとデフォ戦士、二つの組織の名前がアナグラム出来るということを意味している――!
紙を持つ手に汗を感じる。
アナグラムは、そうそう成立するものでない。二・三文字程度ならば偶然出来上がる可能性はあるが、文字数が多くなるにつれて偶然性は排除されていく。試しに頭の中で一単語を思い浮かべて、それのアナグラムを考えてみると分かりやすいだろう。七文字くらいから何も思い浮かばなくなる。
コンフィデンスとデフォ戦士、これらの文字数は十文字同士。
十文字のアナグラムが偶然出来上がるものか?
「偶然では有り得ぬ」
伊行会長は言う。
「十文字のアナグラムなど偶然では有り得ぬ。偶然が有り得ぬならば、必然的に必然となる。コンフィデンスとデフォ戦士のアナグラム、それは意図して作られた必然だ」
「意図して作られた必然……」
「意図して作られたという事は、コンフィデンスに合わせるよう名付けられたという事。誰が名付けたか、それは、でっち上げることが出来たコンフィデンスに他ならぬ。コンフィデンスが名付けた――だからデフォ戦士は、コンフィデンスの作り物ということになる」
「コンフィデンスの作り物……」
「言うまでも無くそれは真黄色仕掛け作戦の為だ。その為だけにデフォ戦士は作り上げられて、でっち上げられた」
「…………」
「故にデフォ戦士は従来からの存在を否定される。デフォ戦士の存在理由は、正義の名のもとに悪を倒す為でなく、真黄色仕掛け作戦の為だけにでっち上げられたからだ」
わたしは、持っている書類を机の上に置いた。
そうだったのか。デフォ戦士という名前にはそんな意味が込められていたのか。最初聞いた時は「なんだ、その寝ぼけた名前は?」と思ったものだったけれど、きちんと意味のあるネーミングだったのか。
最初から伏線は明示されていた――
全てはこの為に――
……納得せざるを得ない。
デフォ戦士は、コンフィデンスにでっち上げられた架空の組織。
危険な組織なのに情報が押し広められてなかったのはーー捏造された組織だった故。
デフォ戦士本部へ行かせて貰えなかったのは――デフォ戦士本部が存在しない故。
わたしが到着する前に勝負の決着が付きがちだったのは――勝負していなかった故。
馬〆兄弟が吐血したように見えたのは――直前に舐めた飴に仕掛けが施してあった故。
警察官が精鋭たちを運んだのは――証拠を残さぬよう派遣された警察役だった故。
デフォ戦士がデフォ戦士という名前だったのは――コンフィデンスに名付けられた故。
デフォ戦士は存在しない。
ここまで証拠が出揃って、しかもその全てに矛盾点が無いとなると、納得せざるを得ない。
これほどまでに手の込んだ真黄色仕掛け作戦とは一体……。
「質問は終わりか」
「……はい。納得――しました。……デフォ戦士は存在しません」
「一つ訊き忘れているのではないか」
「……?」わたしはきょとんとする。「何の事でしょう?」
「左右田の事だ」
「――!」
あ。
ああ。
そうだ。左右田さんだ。
デフォ戦士という組織は無い。
ならば左右田さんとは何なのだ?
左右田さんは何のためにわたしと同棲した?
左右田さんの目的は何だ?
「そ……」
わたしは居ても立っても居られなくなり、机に手を付いて食い付くように問う。
「左右田さん……! 左右田さんは!? 左右田さんは何だったんですか!?」
組織が存在していなくても、
左右田さんは存在している。
それは決して否定できない。
たといデフォ戦士が偽であっても、左右田さんと過ごした日々は真なのだ。
わたしと左右田さんは共に過ごした――それだけは曲げようのない真実だ。
左右田さんは存在している。
だが――何のために?
「左右田か。左右田はだな――」
わたしは唾を呑んだ。
左右田さんのことを訊きたくて仕方ない心持ちだった。
左右田さんのことで頭が満杯になる。
左右田さん……左右田さん……左右田さん……!
――その時だった。
扉にノックの音。
コン、コン、コン、コン。
四回のノック音。
乱入してきた音にわたしは集中力を乱されて、反射的に扉へと振り向いた。
誰だこんな時に、そう思った。
しかしわたしは――次の伊行会長の言葉によって、緊張が最高潮にまで達することとなる。
「どうやら到着したようだな」
はっとした。
「丁度いい。彼女を招き入れてから説明するとしよう」
予感が走る。
的中するだろう予感。
頭が真っ白だ。
何も考えられない。
ただ扉を見るのみ。
視線が釘付けとなり、今か今かと待ち望む。
予感。
彼女が彼女だという予感――
――扉が開いた。
「失礼します」
彼女はそう言って会長室に入ってきた。わたしを一瞥したのち彼女は扉を閉める。そこから数歩歩いて伊行会長の御座す机の前へと来た。
わたしは全身から発汗していた。
いま目の前にある現実が信じられない。
彼女がこの場所に居ることが――信じられない。
けれどもーーわたしと終わってわたしと別れてはずの彼女は言った。
自身の名前と共に――
「左右田右左口、ただいま帰省いたしました」




