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第十〇話「日常」

 西雲西風が倒された初日が終わり、馬〆兄弟が倒された二日目が終わり、それから一週間が過ぎて、十日目の今日。

 大七星(ダイチーシン)は、語るにも値しない全敗を喫した。

 時は昼下がり。

 所は六畳一間。

 わたしは窓際に座って外の景色を眺めている。景色の美しさを楽しむ余裕があるのには、心の奥に投げやりな感情があるからだ。何といってもAクラスを超えるSクラス、その大七星が全員とも倒されてしまった。もうこれでコンフィデンスには後が無い。スパイとして派遣されているわたしの心持ちも諦めの念だけが強くなっている。

 またそれとは別に――日に日に募ってくる一つの(、、、)思い(、、)もある。

 コンフィデンスが追い込まれ、左右田さんと共に歩んできた一週間、そこで育まれてきた――一つの(、、、)思い(、、)

 だがこの一つの思いというのは、わたし自身できるだけ意識しないようにしている。何故ならそれを意識するとわたしはわたし自身を裏切るかのような気がするからだ。

 だから差し当たってわたしが意識することはというと、気分を紛らわすためということも相俟って、六畳一間から眺められる景色に注がれるのである。

 あー。綺麗だなー。とくにあのマンションの真っ白なフォルムなんて筆舌に尽くし難く、美麗美貌を極めたと言っても過言では……。

「干于たん。電話おわったぜ」

 左右田さんが呼んだ。

 わたしはそちらを向く。

「あ。終わりましたか」

「おう。昨日まで戦ってたあの雑魚七人(、、、、)の始末についてな。ちょっと上と話してた」

「そうですか。あの七人はどうなるんです?」

「秘密」

 ウインクをして可愛らしく言う左右田さん。

 そのアクションとは裏腹に恐ろしい想像がわたしの脳裏によぎった。

 拷問でもさせられるのはまず間違いないだろうなあ。

 わたしは言う。

「何にしてもお疲れ様です」

「ははんっ。ワタシは疲れてなんかねーよ。戦えば戦うほど元気になるんだ」

「…………」

 本当に出鱈目な人だ、とわたしは内心で呆れた。

 この会話からも汲み取れるように、黄色仕掛けの作戦・左右田さんを弱らせるという作戦は全く実を結んでいない。大七星を雑魚呼ばわりするということは、それほどまでに楽勝だったということなのである。左右田さんの動向を一週間ずっと観察させてもらったわけであるが、その間もぜんぜん疲れた様子は無かった。せいぜい寝相が悪いくらいである。

 左右田さんと仲良くなる分については十分すぎるほど達成したけれども――これでは黄色仕掛け作戦の成功は一向に見えてこない。今度どんなトラブルに見舞われたとしても左右田さんが倒されるという未来は有り得ないだろう。もう左右田さんを倒すことは不可能と断定してもいい。万が一にもあり得ぬ。もしも有り得ると言うのなら――わたしが抱いている一つの思いが成就される方が先なくらいだ。

 それだって成就されてはならないことなのだけれど。

 左右田さんは言う。

「まあこれであの七人については終わりーってこと」わたしの傍まで寄ってきて、同じように景色を眺める。「んー。ふんふんふん。今日の風は穏やかだな。なーる。こりゃあ今日は平和な一日が過ごせそうだぜ」

「え?」

「たぶん今日は誰とも戦わねーで済むはずだぜ。風がそう言ってる。今日は敵が来ない日だ」

「…………」

 この人は……まったくエスパーか何かなのか。

 西雲西風がやられ、馬〆兄弟がやられ、大七星の七人がやられ、ついにコンフィデンスの後が無くなってしまったことまで言い当ててしまった。

 この人の最強さ加減は未だ以て読めやしない。

 左右田さんは背伸びしながら言う。

「んー! こーんな平和日和はちょっくらラブラブしてーなー。干于たん。ちゅーする?」

「しません」

 ちなみにだが、この一週間も接吻を許してはいない。わたしのファーストキスは現在も未然である。

「ちぇー。風が穏やかだからいけると思ったんだけどな……。あ! そーだ! 干于たん干于たん! そいじゃあちょっとあれやらせてくれよ!」

「あれ?」

「おう! ちょい待ってな! 道具もってくるから!」

 そう言って左右田さんは、机に向かって歩いて行った。

 はてなと思いながら見ていると、左右田さん、ペン立てから一本のそれを抜き取る。

 なんだお絵かきでもするおつもりかと思っていると、持ってきたそれは鉛筆やシャープペンシルでなく、耳掻きだった。

 わたしはぎょっとする。

「え? 左右田さん? な、何ですか?」

「何っておめー知らねーの? 耳掻きだよ耳掻き。孫の手のちっちゃい版じゃん」

「いや耳掻きなのは知ってますよ。耳掻きと孫の手が同系統なのかは知りませんけど……」

「ほれ。干于たん」

 左右田さんは正座した。

 ぺちぺちと太ももを叩いて言う。

「おねーたまが気持ち良くしてやるから、こっち来て」

「えっ。あの。いやいやいや」

 わたしは、左右田さんの容姿を確認する。

 左右田さんの服装。それは何時もと同じものだ。何時もと同じく、上はぴったりとしたシャツ・下は布地の少ないホットパンツ。特筆すべきは下半身であり、その異様に小さいホットパンツからは肉付きのよい健康的な太ももが大きく露出している。大人の太ももとはこんなにも豊満なものなのか、そう思わせるむちむちさ加減だ。あれに頭を乗せればさぞ寝心地は良かろうが……。

「いや。でも、あの、わたし、他人に耳掻きされたことなんてないですし」

「ん? 無いのん? 子供ん頃お母さんとかにやってもらわなかった?」

「え? あっ」――しまった――「い、いえ。うちの家庭、そういうことは全然で……」

「ふーん。そーなの。へえ。――そんじゃあワタシが初めてってわけだな! 干于たんの初めてをワタシがもらう! いいねぇ! 嬉しいじゃねーか! 干于たんのファーストイヤーゲットだぜ!」

「ファーストキスみたいに言わないでください」

「耳処女ゲットだぜ!」

「より一層いやらしく言わないでください!」

「ほれほれ」再びぺちぺちと太ももを叩く。「とにかく寝転がりな。大丈夫。優しくするよ」

「でも……」

「そう怖いもんじゃないぜ。むしろ耳掻きにはリラックスの効用がある。ここ一週間働き詰めだったろ? ワタシは疲れてねーけれど、干于たんはどうかな? ――いや疲れてよーが疲れてなかろーが関係ねー。助手としてたくさん頑張ってくれたのは確かだからな。こいつぁささやかなお礼ってことで、まあ、甘えとけ」

 左右田さんはそう言った。そう言われてしまうとわたしは拒否できなくなってしまう。元来わたしは、長い物には巻かれろの精神で組織を生き抜いてきた。年上の好意には甘えよという経験則が頭の中で構築されているのだ。

 そのためわたしは、初めて他人に耳掻きされるということに対して微かな不安を抱きつつも左右田さんの太ももにちょいと失礼した。

「んっ……しょ」外側を向いて、太ももに頭を乗せる。「こ、これでいいですかね……」

「おふっ。いいぞいいぞ。干于たんのサラサラヘアーが太ももで感じられて、おねーたん全身ぞくぞく来ちゃうよ」

「あんまり変態なこと言ってるなら止めてもらいますよ」

「ひゃはははん! めんごめんご! そいじゃあ干于たん。ワタシに膝枕してもらった感想はどうだい?」

 妙な事を訊きなさる、とわたしは思った。

 わたしは、右頬に感じる太ももについて意識してみる。グラマラスな左右田さんのボディ。大人の女性らしい豊満さを有した太ももに意識が行くのは、無論これが初めてでない。初めて出会った日(もう九日前になるのか)から常に大きく露出されている太ももには、かねがねから目を奪われていた。つやのある瑞々しい肌のそれは、歩いたり走ったり敵方をハイキックするとき等に様々な角度からわたしを魅了する。とくに後ろを歩いているときから見る美脚というのが最もフェティシズムを刺激され、見ていることを悟られまいかと思いながらじろじろと見詰めている瞬間は至福の一時と換言しても良い。その一時に心を奪われている折、とつぜん振り返られて、「おねーたまの太もも見てんのかい?」と問い詰めてられた時は我を失う程に恥じ入ったものだ。恥じ入ったものの、触りたいという欲望はついぞ消えなかった。あの柔肌を、あの弾力を、この手で揉みしだけたらどれだけ幸福か。あのむちむちに顔を挟まれたらきっと絶頂を迎え得る。そんな風に常日頃から劣情の眼で見入っていた太ももに頬を、ひいては全身を預けているのだと思うと、これはもう堪らない。本当のことを言うと今すぐにでも俯せになって左右田さんの太ももにちゅうちゅうと吸い付きたいくらいの心持ちである。或いは舌でもってして、巨大なアイスキャンディを溶かすかのようにレロレロレロリンと舐めまくりたい。またそれが出来なければ、尻に腕を回して、右太ももと左太ももの間に顔を挟み込むかのごとく埋没させたい。顔面中に太ももの肉厚をむぎゅむぎゅと感じたい。それからさらには太ももの色香をたっぷりと吸い込むために、鼻で力強く深呼吸したい。恥部の香りと汗の臭いが合わさって得も言われぬ芳香を漂わせているむちむちの太もも、それのにおいを全力で吸い込めばわたしの下腹部は幸せな気持ちになるはずだ。しかし――それはどう考えても変態性欲なので叶えることは出来ぬ話である。変態を戒める旨の発言を連発しているわたし本人が変態的衝動に走ってしまえば女の子としての権限をあらかた失いかねない。むっつりスケベであることは墓まで持っていくべき秘密である。それが露呈するのは許されない。許されないから、ここに至っても我慢である。

 我慢――するものの、やはり……。

 左右田さんの太もも、気持ちいいなあ……。

 すごい安心感……。

 うん……。ずっとこのままで居たいです……。

 わたしは落ち着いて言う。

「まあ、気持ちいいんじゃないですか? いい太ももだと思いますよ」

「そーかいそーかい」

 満足そうな声で左右田さんは嬉しむ。

 それからわたしの頭を二回ほど撫でてから、

「それじゃあ始めようかね」

 と優しく言った。

 ついに始まるのか、とわたしは緊張する。

 左右田さんは、しかし気付いたように言う。

「おっと。その前に耳垢を捨てるためのティッシュを用意しなくちゃな」

「え? ああ。そういえばそうですね。えっと……」

「あ。干于たんは動かなくていいよ。すぐそこにあるから。座りながらでも取れる……」ティッシュの抜かれる音が鳴った。「よし。これで準備はオーケー」

 それじゃあ行くよ、と左右田さん。

 わたしは、ごくりと生唾を呑む。

「ちから抜いてね……」しずかな声になった。にごりの無いささやき声が耳にこそばゆい。「頭をからっぽにして、ワタシにすべてを任せて」

 そして――

「……ん。ふっ……。ぁ……」

 耳掻きが入ってきた。木のへらが耳全体を掻く。まず耳輪の内側をなぞるように掻いて、次に一段一段を掃除するよう掻き、それから耳道へ入り込んでいく。耳には、耳掻きが蠢く音と耳垢がごろつく音とが響き渡っている。そこに不快さは感じない。

「ふふ。どう? 気持ちいーかい?」

「は……はい。これ、いいですっ」

「そっかそっか」

 安堵の声が聞こえ、それからまた頭を二回撫でられた。

 そこから耳掻きは本格的な駆動を見せる。いや見えてはいないのだが、耳掻きの駆動が耳で感じられる。それまでは優しくチョイチョイとした突っつきのような動きだったのが、ここに至って少々の強みを帯びてきた。痛みに達するほどではなく、痒いところを掻くかのような絶妙と言うべき心地よさを生ずるに保っている。

「んっ……。んぅ……」

 気持ち良すぎて声が漏れてしまう。徒でさえ耳の中という場所は体内であるゆえに敏感なのだ、その敏感な場所をこうも妙々たる力加減でほじくられると、そんな気は無くとも赤面してしまう。耳道にある神経の一本一本を丁寧に撫でられているが如し。そよ風を受けたような快適さでありつつも、同時に変な興奮も宿る。

 それに加えて耳垢が取れていくときの感触も官能的である。ごろっとした塊が耳から出ていくのを感じると小気味いい心持ちがする。散らかった物々を整理整頓するかのような解放感がわたしにくつろぎを与えた。

「へへ。干于たん、感じちゃってる」

「そ、そんなことはありまへん……」

「関西弁になってるよ」

「うー……」

 どうにも恥ずかしいばかりだ。左右田さんの言葉を撤回しようにも、わたしの右頬は太ももから離れられない。それは右頬と太ももがくっ付いているような気持ちであるからだし、また耳掻きしていない方の手も頭に乗せられているからだ。時折り動いて頭部が気持ち良くなる。ただもしもそうやって頭の上に手が乗っていなかったとしてもわたしは動けなかっただろう。何故ならリラックスし過ぎた影響で体から力が抜けている。拳を握ることすらままならない。例えば左右田さんがこの場面でわたしを攻撃しようものなら、わたしは防御するすべなくやられてしまうだろう。まあ左右田さんはそんな酷い事しないと思うけれど……。

 ああ、とわたしは思った。

 胸に秘めた一つの思いが、

 徐々に確信へと上り行く。

 瞬き。

 否、目を瞑った。

 はふぅ、と溜め息が漏れ出る。

「んし。こんなもんだな」耳掻きが抜ける。「んじゃ、わたでこちょこちょするよー」

 ぼふ、という音が耳の中で木霊した。

 お。おおぅ。おほぅ……。

 耳の中、その全土にわたが広がった。耳掻きに取り付けられたもう一つの側面・梵天の気持ち良さは世に有り余る快楽のなかでも随一を誇っていよう。そもそも人間にとって何が気持ち良いかという話をすれば羽毛を外すことは出来ないのである。細やかな毛先、その一毛ずつが耳をこしょばせ、のみならずそのこしょばしで耳を埋めるというのだ。必然的に恍惚とした感覚が脳味噌をも刺激する。

「お。お。は、あっ」

 わたを抜き入れされる。入れられるたびに満足感が、抜かれるたびに切なさが胸中を覆う。白いふわふわが幾度となく耳へご来援されて堪らない。この気持ち良さは垂涎ものと言って差し支えないだろう。というか本当によだれが垂れてきている。わたしはさり気なく手で拭った。

「ん。わた終了。後は仕上げだな……」

「しあげ……?」

 締まりのない声で応答するわたし。

 仕上げとは何をするつもりだろう。へら部分とわた部分を終えてしまったら、耳掻きですることはもう何もないはずだ。

 そうやって放心状態で左右田さんの動きを待っていると、突如わたしの耳元に――

「ふぅー」

 という吐息が吹きかかってきた。

 わたしは、「んああぁぁっ……!?」と力の抜けるような声で喘ぐ。

「ひゃはっ。いい反応ー」

「な、な、な、何をっ……!?」

「耳掻きの仕上げ・ふーふーさ。綺麗になった耳の穴にワタシの息吹が入り込んできて気持ちいーだろ?」

「そ、そんな。でも……」

「大丈夫。ちゃんと優しくしてあげるから」そう言って再び耳元へ口を近付ける。「ふぅー」

「んんんぃひっ……!」

「あは。可愛いね。干于たんすっげー可愛い。ほら。耳が真っ赤になってるよ?」

「ううぅぅ」くにくにと耳たぶを抓まれている……。「そ、左右田さんのせいですっ……」

「ふぅー」

「ふあぁぁぁっ……!」

 あ。これ。ほんと駄目。

 幸せな気持ちで胸がいっぱいになる。

 こんな幸福感、初めて。

「干于たんってば幸せそうな顔してるね。本心から笑顔になってる。気持ちよさそーにしてくれて、おねーたまも奉仕する甲斐があるってものだよ」

 甘い声は、わたしを包み込むかのようだった。

 それから左右田さんは、ぽんぽんとわたしの頭を軽く叩いて、

「それじゃあ反対むいて。右耳やるから」

 と言った。

 わたしは、覚束無い心持ちのまま寝返りを打つように反対を向く。

 向いて、左右田さんのお腹が目に入った。

「…………」

 ぼーっとした目でそのお腹を見ていると、何だか抱き着きたいような気持ちに駆られてくる。全身がむずむずとする。切なさが込み上げてきて、左右田さんに甘えたくて仕方がなくなってくる。

 しかし抱き着くのは幾らなんでも……。

 そうやって甘えるべきか甘えざるべきかを迷い――いや左右田さんに甘えるのも仕事の内だ、わたしの仕事は左右田さんの信頼を勝ち取ることだ――そう考え直してわたしは決心する。

 せっかくだから甘えよう。

 左右田さんも「甘えとけ」と言っていたし。

 そうしてわたしは、頭を微かに浮かせた。

「んー」左右田さんのお腹に顔を埋めるわたし。「んっ……。……」

「おやおやおや。どうしたんだい。お腹なんかに顔うめちゃって。甘えんぼだねぇ」優しい力加減でわたしの後頭部を押しやり、むぎゅむぎゅと軽く圧迫させる。苦しくは無い。「ふふ……。ほら。これがいーの? 気持ちいい?」

「ん……ふっ……んぅ」

 お腹に顔を押し当てているため喋るに喋れない。いやたとえ喋れたとしても言葉が浮かばないほどに頭が働いていなかったので結局は喋らなかっただろうが。

 はあ。

 なんて幸せ。

 全身が痺れるように温かい。

 ……いやいや違う違う。これは仕事なのだ。仕事の一環としてわたしは……。

「それじゃあ右耳やるよ」

「……ふぁい」

 右耳に耳掻きが入ってきた。

 先ほどと同じ快感が繰り返される。

「うっ……うぅっ……」

「干于たん可愛い」

 甘い。甘い。甘い。

 甘ったるい空気の中にわたし達は居る。

 この六畳一間という空間内で二人きり。

 わたしと左右田さんは二人きり。

 そのことにわたしは、無類の喜ばしさを覚えた。

「ねえ干于たん」

 左右田さんは言う。

「八日前のあの二人、憶えてる?」

「八日前……二人……。兄弟のことですか……?」

「うん。そう。そいつら」

 馬〆兄弟か。

 左右田さんの凸ピン一発ずつでやられてしまったコンフィデンスのダブルトップだったな。

 逮捕されて、それから彼らは今頃どうしているのだろう。

 死んだのかな。

「ワタシね、あいつらが一番つよかったと思ってるんだ」

「へえ……」――左右田さんの中では、凸ピン一発で倒せる敵を強いと言うのか――「どうしてですか? 個人的には七人のほうが強いように思えましたけど」

「んー。強いってーと語弊があるな。なんつーか――そう。厄介。あの二人がいちばん厄介だったんだ。あの敵だけ二人だったじゃん?」

「ええ。そうですね。兄弟でしたから」

「多分ね、見極められてたと思うんだ」

 耳掻きが抜かれた。

 わたが入れられる。

「んっ……ふぁ……。み、見極められた……?」

「そう。ワタシのあの凸ピン、原理自体は容易く想像の付く部類の攻撃だったんだよ。特に相手はプロフェッショナルだ。まともに攻撃を見られてたら一発で攻撃方法を見極められて、そんで二度と当たらなかったと思う」

「…………」

「でもね、あのとき干于たんが注目を集めてくれたじゃん? 嬉しいことを言って、走って行って、兄弟の意識を奪ったわけじゃん。そりゃそうだよな。今まさに攻撃してくるってーんだから意識は奪われちまう。そこがファインプレーだったんだよ」

「ふぁいんぷれー……」

「ああしてくれたお蔭でワタシは攻撃できた。あれがあったから弟君は攻撃を見極められなかった。干于たんの行動があったからこそ、ワタシ達は楽勝できたんだ」

「……わたしのおかげ」

「うん。そのことに感謝したくてさ――ありがとう」

「…………」

 だからか。

 だから左右田さんは八日前、「干于たんのおかげで楽勝だー!」と言ったのか。

 そうか……。

 わたしの行動は、左右田さんの足を引っ張るどころか、逆にアシストしてしまっていたのか。

 ……なんだか、なあ。

 ああ。

 嗚呼。

 許されるのなら――ぜんぶ打ち明けたいな……。

 わたしがスパイである事――

 ――一つの思い――

 ――瞬き。

 ……出来ない。

 この意識を変えることはしたくない。

 このままの気持ちで――居たい。

「……左右田さん」

「ん?」

「……左右田さん。左右田さん。左右田さん」

 わたしは、抱き着いた。

 左右田さんの胴に腕を回して、お腹に抱き着いた。

 ――どうでもいい。

 恥ずかしいとか、仕事とか、今はもうどうでもいい。

 わたしは、ただ――

「左右田さん……左右田さん……」

「……干于たん」

「左右田さんっ……!」

「……。……。……ん……」

 左右田さんは、困ったような声を出す。

 それから暫くの間が空いて、

 空いて、

 空いて、

 空いてから、深呼吸する音が聞こえた。

 それは何かを決断する(、、、、、、、、、、)かのようだった(、、、、、、、)

「干于たん。ちょっとさ――散歩しない?」

「……? 散歩……ですか?」

「うん。今日は敵さん来ねーと思うし、気分転換っつーか……何というか、な」

「?」

 喜怒哀楽がはっきりしている左右田さんにしては、何だか煮え切らない態度だ。

 何だろう――何か、何か……。

「散歩……。いいですよ」

「うん。そう……。そっか。ありがとう」

 またも左右田さんは、優しい手付きでわたしの頭を二回ほど撫でた。

 とても、とても、幸せな気持ちにわたしはなる。

 左右田さんは言う。

「んでさあ……、その、なんつーの? ワタシ今ちょっと……あれだ、その……今日って風が穏やかじゃん? だから電波に対して弱くなってるから携帯おいてってほしーんだよね……」 

「携帯を……?」

 妙な事を言う。

 まあ何時もの謎理論か。

 伝播に対して弱くなるとはまた随分な主張だけれど……ううむ、携帯電話を置いておくことはコンフィデンスに許されるのだろうか。

 いや――もう許されなくてもいいのか?

 どうせ西雲西風が倒され、馬〆兄弟が倒され、大七星が倒され、次のない状態になってしまったのだから通達することなんて無いだろう。

 それよりは――左右田さんの主張を尊重したい。

「分かりました……携帯おいてきます」

「うん。ありがとう――じゃあ、うん、仕上げを終えたらすぐ行こっか」

「しあげ……?」

 締まりのない声で応答するわたし。

 ええと。仕上げって何だったっけ?

 そうやって放心状態で左右田さんの動きを待っていると、突如わたしの耳元に――

「ふぅー」

「んんんんんんんんあぁ……!?」

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