2.彼の幸福、彼女の不幸
次いで聡一郎の視界に飛び込んできたのは肌色の何かだった。
それを足だと認識すると同時に、聡一郎の意識は刈り取られた。
(見えっ……)
聡一郎が何を見たのか、本人すら覚えていない今となっては知るものは誰もいない。
* * *
次に目を覚ました聡一郎の目の前には少女がいた。正確には聡一郎を見下ろしている。これはつまり、聡一郎が少女よりもずっと低い位置にいるからだ。
聡一郎は縛られて床に転がされていた。
少しばかり釣り目がちで、なかなか黒目が大きく目自体が大きく見える。小さめな鼻にぷっくりとした唇が可憐さを強調している。顔全体としては小さく、パーツが中心に近いことから少しばかり幼さを感じさせる。幼いようでいて整然とした顔からは大人の表情も伺えるのが高ポイントだ。
少女は既に全裸などではなく、衣服を纏っていた。しかしその衣服と言うのが少女の体にピッタリとフィットするもので、少女のスタイルをこれでもかと如実に語っている。あまり口に出すことを憚られる胸とほっそりとした腰、腰から臀部にかけては割りとふっくらとしている。
(エッロ……)
天才と謳われようと所詮は高校生に過ぎない聡一郎は、至って正常な判断を下していた。異世界なんぞに大半の興味を抱いてはいるが、男子としての興味も当然の如くあったのだ。
そんな不躾な視線を感じ取ったのか、少女が鋭い視線で聡一郎を睨み付け、体を両腕で抱えるように縮こまった。
「何見てんのよ!」
「別に見てはいない」
「ってかまさか……見た?」
「……何をだ?」
記憶に残っているのはその小ぶりの頂に居座る桃色をした何か。けれどなんとなく正直に答えるとまずい気がした聡一郎はさりげなく惚けた。だがそのとぼけは容易く通用したりはしない。
「見たの見たのね見たんでしょ!殺す殺す百辺殺す!」
聡一郎の反応から事実を悟ったのか、顔を真っ赤にして手の平を聡一郎に向ける少女。それを見つめていたセイギだが、少女の手が陽炎のように揺らぐのを見てとった。かと思えばそこには火の玉が浮かび上がっていた。
「ちょ……」
「死ね!」
慌てて飛び退った刹那、元の聡一郎の顔のあった場所に炎が着弾する。その炎弾の着地点は抉れ、焦げて煙を上げている。
「ばっか!本気で殺す……」
洒落にならない事態に本気で制止しようとする聡一郎にも関わらず、少女の手が再び陽炎のように揺らいでいた。
「死ねえええええええぇぇぇぇ!」
「ふざけるなああああああああぁぁぁぁぁ!」
少女と聡一郎の叫び声と、炎弾が物にぶつかる音が延々と響いていたという。
ちなみに聡一郎は軽い火傷だけで済んだという。
流石主人公だ!
* * *
服のあちこちが焦げ付いた様子で総一郎は息を切らしていた。その脇では少女が息も絶え絶えにその場にへたりこんでいる。
「こ……ろす……はぁ、はぁ……」
「馬鹿言ってんじゃ、はぁ、はぁ、ないぞ」
呆れた執着心だが、少女は未だに総一郎を片付けることを諦めてはいなかった。
「というか、あんた、誰だよ」
総一郎の疑問も当然だった。本来であれば総一郎が異世界に召喚され、その先でスペクタクルでファンタスティックな目眩く冒険譚を紡ぐはずだったのだ。それが蓋を開けてみれば非常に眼福なことに全裸の少女が宗一郎の前に立ちはだかっているのだ。これを訳が分からないと言わずしてなんと言うべきなのか。神に感謝を告げるべきなのか。
「わらしはぁ……橘聖女よぉ……はぁ……」
既に生も根も尽きた様子で少女が言った。
(ジャンヌ?ハーフなのか?いや、クォーターもありうる。もしかすると外国籍?)
「聖女って書いて、……ジャンヌって読むのよ……ふぅ」
ようやく息を整えつつあるジャンヌはそれを言い切ると総一郎を睨みつけた。
だが総一郎は全くそれに意を解した様子もなく、しかし驚きの表情を隠し得ていなかった。
(聖女でジャンヌ?訳が分からないよ)
総一郎の困惑も無理はない。それは所謂DQNネーム(キラキラネームとも言う)で、常人には理解出来ないセンスで世界を圧倒しようという奇跡の試みなのだから。古風な家で育ち生きてきた宗一郎にとって、それは全く理解できないものだった。
もし、総一郎の前にその名前の例を持ってくるとすれば、卒倒する可能性も否めない。
――光宙、爆走蛇亜、幻の銀侍、心太、金星。
これはほんの一例ではあるが、これを凌駕する数の稀有な名前が存在する。森鴎外も今思えばなるほどどうしてなかなかのセンスをお持ちのようだ。当て字、意訳、読み間違い、書き間違い、見た目。確かにインパクトだけなら誰をも惹きつけること間違いなしだ。それ以上に近寄りがたいのも確かではあるが。
と、意識を飛ばしていた総一郎の意識がようやく舞い戻ってきた。
その頃になるとジャンヌの息も整い、冷静に状況を判断することが出来るようになっていた。
「アンタの名前とここはどこか教えなさい」
なぜかジャンヌは非常に偉そうにそう言い切った。そのことに若干不快感を覚えつつ、正直に答える。
「俺は柳生総一朗。現在高校一年生の十六歳だ。それでここは日本国の東京都だ」
「ニッポン国?聞いたことない名前ね。そのトウキョートっていうのも聞かない名前だし」
総一郎はその可能性を考えていたが、飽くまではその言葉を口にはしなかった。
余裕そうな少女は時計を見るかのように腕を前に構え、宙で指を走らせ始める。よくよく見れば、宙に何か画面のようなものが映し出され、少女の指はそれをなぞるようにして動かされていることが分かる。だが、少女のその顔色は次第に曇り始め、ついには今にも泣き出しそうな表情へと変わる。
『ない』、そう少女が呟いていたのが総一郎には聞こえていた。
「……ここはどこなのよ」
同じ言葉が繰り返される。青い表情をした少女のその言葉は先程のものと違っていた。
今度のそれは、どこか不安を抱え、怯えの色を示していたのだ。それは態度にも露骨に現れ、不安げな瞳で縋るように総一郎を見つめている。
けれど総一郎は彼女を救うことは出来ない。それゆえに単純な結末を、答えを告げることしかできない。
「ここは地球……恐らくあんたにとっては"異世界"だ」
総一郎が待ちに待ち、望んで仕方のなかった異世界召喚は、不安げな少女を異世界へと運び不幸にしただけだった。
ちなみに大翔をだいきって読むとDQNネームに割り振られるそうです。